Beautiful DaysⅦ ― Rest ―
その後の話をしよう。
思いだすことも躊躇される恐ろしい殺人鬼『
あの後僕らは見回りに来た教師に発見され、無事生還することができる。
だが
その後のことはあまり良く覚えていない。
そして
先生がどのような状態だったかは教えられていない。
ただ話を聞いた警察の人たちが言葉を濁したこと、学校全体が捜査の為に封鎖されてしまったことからその惨状は語るまでもなく伝わってくる。
結局、学校は臨時休校となってしまった。
再開する日も未定だ。
どこから聞きつけたのか、今ではマスコミが学校周辺に押し寄せ、茶の間で放送する一時の娯楽のネタをハイエナのように嗅ぎまわっている。
学校からも事件の被害者と知れると面倒になるからと、絶対に誰にも言わず更には家からは出るなと厳しく申し付けられている。
よって今は何をするでもなく自宅で余暇を持て余している最中だ。
自宅には僕と妹しかいない。
休日の生活リズムに切り替えた僕は、ゆったりと遅めに起きて朝食抜きで暇を潰している。
することも無くなった。ゲームや漫画も飽きた。外に出ることも禁止されている。
となれば妹のところにでも行くか。
それに、あのことをいい加減聞かなくてはならない。
あんな恐ろしい事件があったにも関わらず相変わらず平然としている
彼女がやはり死んだ妹とは別の存在だという事実を無理やりに突きつけられながら、だがそれでも自然と足は彼女の部屋へと向かっていた。
「あっ、お兄ちゃん。おはよう!」
「おい、
我が妹はパジャマ姿のままでベッドの上でお菓子を食べていた。
僕の不機嫌メーターがやや上昇する。
なんてだらしないんだ。僕はお前をそんなふうに育てた覚えはない。
「えー。学校休みだしいいでしょ? ちょっとゴロゴロしたい気分なんだ」
黄色の可愛らしいパジャマを身にまとった
満足そうな顔がなんだか腹立たしい。ベッドを汚して布団干すのを手伝ってと泣きついてくるのは自分なのにだ。
僕には夢衣を立派なレディに育てる義務がある。
となればここは心を鬼にして彼女の堕落した生活態度を律しなければいけない。
「駄目だ。俺はお前をそんなだらしない子に育てた覚えはない」
お菓子の袋を取り上げる。
「あーっ」といいながら恨めしげな視線を投げかけられるが、僕は無言で首を左右にふることで答えとする。
「もしかして
「そんな子にも育てた覚えはないんだけどなぁ……」
しなを作って流し目を送る夢衣に軽くデコピンしながら、僕はテーブルの横にあるひよこ柄のクッションに座る。可愛いひよこちゃんは哀れ僕に潰されてしまった。
「ふふふ、まぁいいじゃない。あんな事があったことだし、なんの変哲もないこの美しい日々を噛みしめようよ」
ようやくだらしのない態度を改める気になったのか、
「なぁ
静かに尋ねる。
彼女の兄離れできないその態度に苦言を呈すよりも、聞きたいことがあった。
「あの時のことさ、聞いてもいいか?」
殺人鬼――『
あれは一体なんだったんだ? そもそも……あれは人間なのか?
僕がずっと抱いていた疑問、そして僕らを取り巻く環境。
今の夢衣ならば、何か答えてくれるはずだ。
「うん大丈夫だよ、叶さんもいないし」
「やっぱり
「お兄ちゃんの幼馴染みだしね。私は……私も嫌いじゃないし」
知り合いも友人も少ない、ひどく狭いコミュニティの中で生きてきた僕の、唯一気が許せる他人といったところか?
男女という間柄で少し微妙な距離はあるのだが、もし叶ちゃんが男なら間違いなく親友と言っても良いだろう。
夢衣が叶ちゃんを気遣ってくれていることが嬉しかった。
確かにあの場で僕の言葉に応えて殺人鬼がどのような者だったかを説明していたら、きっと彼女に消えない傷を背負わせてしまっただろうから。
でもここには叶ちゃんはいない。
僕と夢衣だけだ。
聞くのなら、今を置いて他にベストなタイミングなど無いだろう。
「あの時、外には何がいたんだ。僕たちは曇りガラスでよく見えなかったけど、夢衣は歩いてくるのが見えたんだろ?」
夢衣は殺人鬼を見ている。
誰も逃れられず、決して捕まらない殺人鬼を。
それがどのようなものか、どの様な存在か。
今の僕は、家に戻った安堵感もあるのか恐怖よりも好奇心が優っていた。
夢衣は風の無い日の水面の様に静かに僕の言葉を聞いていた。
やがてガラスの瞳に意志を灯した彼女は、軽く微笑みその言葉を告げる。
「なんて表現すれば良いかな。一言で表すのならバケモノがいたよ」
「……そうか」
僕の胸中を占めるのは恐怖よりも納得だった。
むしろ、安堵したと言ったほうが良いだろう。あれが人間であって良いはずがないから。
「あれ? 驚かないんだね。やっぱり人間じゃないって気がついていた?」
「なんとなくそんな気がしていた。どう考えても殺人鬼の一言で表せる感じじゃなかった」
「確かにそうだね。あれで人間だったらハリウッドで引っ張りだこだよ」
人ではない。その予感が確信に変わったのはあの強烈な襲撃以降だった。
自分がとった行動がちぐはぐで、なぜか当時の出来事があやふやに感じられる。
その違和感がまず一つ。
次いで田淵先生のあの最後。スピーカー越しでしか分からないが、あのような出来事を人間の力で引き起こすなど不可能だ。
そして一番の確信となったのは……。
「そもそも最初からおかしいんだ。僕たちは殺人鬼のことなんて知らなかった。けれどいつの間にかそれが当然の様に語られていた。まるで世界を書き換えたかのように」
「……お兄ちゃん気付いていた? あの噂、時間が経つに連れてどんどん大きく成っていったんだよ」
気づいていた。
と、言うよりようやく気がつくことができたと表現した方が正しい。
ぼんやりと霞がかかったように曖昧ではあるが、あの時確かに僕らの周りの出来事は急変していた。
ところどころ真実なのかそうでないのか、何が正しいのか分からなくなっている部分はあるが、確かに夢衣が行った通りに現実はどんどん改変されていた。
僕はその事実を直視したことによって、避けようの無い推論を導き出していた。
つまり、
「なぁ、夢衣が現れたことと、何か関係しているのか?」
彼女が現れた時とまったく同じ現象だということに。
その共通点は、見逃すことが出来ない程の重要性を持っているということに。
「…………」
夢衣が僕の所に最初に来た時の話だ。
学校の皆や他の人達にバレるんじゃないかとあれだけ危惧していたにも関わらず、僕の周りは至って平穏だった。
彼女が存在していないのが当然のはずなのに、存在していることが当然の様に皆振るまっていて……。
それだけじゃない、実はこっそり調べていたのだが、戸籍やスマートフォンの契約、その他彼女の私物。
それら全てがまるでそこにある事が当然の様に鎮座していた。
僕の頭がおかしくなっていないのなら、それらは本来あるはずのないものだ。
どこかの秘密組織がこっそりと付け加える様な類のものでもないのは少し考えれば分かることだ。
――原因は、目の前にいる妹しか考えられなかった。
唯一僕が知らない妹の姿だ。初めて出会った時と一緒で、時折恐ろしく人形めいた不気味な態度を取る。
僕はそれがとても恐ろしかった。
またあの日のように、ある朝起きたら全てが消えてなってしまいそうな気がしたから。
「夢衣は言ったよな。死んだ人間は生き返らないって。けど夢衣は目の前にいる。それがどういう意味を持っているのかは分からない。ただ普通はありえない事が起きている。それが何か関係しているのかって」
言葉は選んだつもりだ。
もっとも、目の前の妹がどのような存在であるか? に関しては自分なりの割り切りはできているつもりだ。
重要なことは僕らを取り巻く環境が何か激変しているという問題だ。
そしてその問題は致命的なものを
だから、何か少しでも妹が知っていることを聞いておきたかった。
「関係しているとも言えるし、関係していないとも言える。
「
瞳に光を灯らせた夢衣は僕の返答にキョトンとした表情で見つめ、やがて「はぁ……」とこれみよがしに大きなため息を吐いた。
「夢衣をなんだと思っているの? 夢衣はお兄ちゃんの妹でしか無いんだよ? それ以下でもそれ以上でもないよ」
「ああそうだな。ごめん」
お菓子の袋を僕の手からさり気なく奪取しようと企む妹を優しく押しのけ、彼女の言葉に納得の意志を示す。
夢衣は何も知らない。ではあれは一体。
僕は思考の海に沈み込もうとしていた、
「でも……」
その一言が僕の意識を覚醒させる。
ぼんやりとお菓子の袋のパッケージイラストを眺めていた顔を上げると、何かを逡巡する様子の夢衣が映った。
快活で、物事の決断はきっぱり即断が多い彼女にしては珍しい表情だ。
僕が訝しみながら言葉を待っているとやがて夢衣は何やら決断できたのか、スッとその美しい瞳をこちらへと向けてきた。
「お兄ちゃん。変な話をするよ。いわゆる
「ああいいぞ。訳の分からないな話はここ最近聞き慣れているさ」
実に軽く答えてやる。
今までの出来事で理解不能な話はお腹いっぱい経験している。
ここに幾つか付け加えられただけでなんとかなるような話ではない。
だから、軽く答えたんだ。
だって、まさかあんなにも
*
「〝
「〝
夢衣が告げたその言葉は突拍子もなく、また関係もないように思われた。
悪夢とは悪い夢、夜中に見るものだ。
別の意味として、現実に起こった信じがたい悲劇や衝撃的な出来事を悪い夢になぞらえて悪夢と称すこともある。
確かに僕らが出会った出来事は悪夢と言って差し支えないだろう。
だが、夢衣の言葉は別の意味を持っていることは明らかだった。
「それを少し難しい表現で言い直すのなら
――現実を侵食して顕現する非現実的事象の総称――
って感じになるのかな?」
「それって……そんなことがありえるのか?」
小難しい表現であったが、なんとか頭のなかで噛み砕いて理解する。
けどあまりにも信じがたい出来事で理性がありえないと叫びを上げていた。
現実を改変し、それが当然であると事柄を改変させる存在。
夢衣が言っていることはそういうことだ。その存在は、まるで魔法の様に現実を書き換えることが出来ると。
いや、ファンタジー世界の魔法ですらその様な大それたことは無理だろう。
それはもはや奇跡と言った方が正しい。世界にもたらす影響を考えなければ……だが。
「私達の周りの認識がどんどん変わっていったでしょ? 〝
僕が懐疑の表情を浮かべたのが見て取れたのか、何かを言う前に先に夢衣によって変えようのない事実が突きつけられる。
まるでSFか何かの設定を聞かされている様で現実感がない。
しかしながらそれが間違いなく現実であるという確信もあった。
でなければ、今まで起きた出来事を説明できないから。
焦燥感だけがつのり、気分はどんどん暗くなっていく。
人智で理解できない、語り尽くせないような存在が自分の直ぐ側にいたのだ。
そして危うく僕たちまでその犠牲になるところだった。
あの時『芸術作品』が僕らを見逃してくれたのは偶然としか言いようがない。
二度目はない、そして今も『芸術作品』は街を徘徊している。
せっかく幸せな生活を送れると思ったのに、過去に経験した絶望の日々が僕を連れ戻しにやってきたかのようだ。
夢衣の言葉が何度も何度もリフレインされる。
ただ今は無事『芸術作品』から逃げおおせたことに安堵した。
いやまて、夢衣は先程なんて言った?
殆どが世界を塗り替える性質を持っている――そういったのか?
僕らが出会った『芸術作品』みたいなバケモノが、沢山いるって、そういうのか!?
言葉が出なかった。
世界の裏に潜む真実が鎌首をもたげて僕を見つめているような気がした。
心の奥底まで
「ちなみに。種類は多岐に亘っていて、現在でも幾つか少なくない数が確認されているみたい。『芸術作品』は生き物? だけどそうじゃないのもあるって事だと思うよ」
「あんなのが沢山いるのか……」
主人公は平凡な高校生。
だけどある時、世界の裏に潜む壮大な謎に出くわし、戦いに巻き込まれることになる。
まるでよくあるストーリーのあらすじのような設定だ。
巻き込まれる方の身にもなってほしい。
しかもありがちな能力もなんにもなしだ。
立ち位置はそこらで出てくる犠牲者その一。襲いかかる脅威は盛りだくさん。
絶望でしか無い。
「びっくりするほど世界はピンチだねお兄ちゃん」
「そんな呑気な」
「ちなみに、この分野はまだ研究段階みたいで今は情報を集めている最中ってことらしいの。ピンチってさっき言ったけど、実際はアウトだと夢衣は思うな」
夢衣のあっけらかんとした物言いが、今は本当にありがたかった。
彼女の言うとおり世界がピンチだとしても、何故か僕とその周辺だけは絶対に安全が保証されるような根拠の無い安堵が押し寄せてくる。
いつの間にか僕の手からはお菓子の袋が消え、ポリポリとご機嫌な音が夢衣の口元から聞こえてきた。
心底幸せそうにチップスをつまむ彼女の笑顔を見ていると、恐怖に縛られていた心も落ち着きを取り戻す。
今までの人生、僕は〝悪夢〟という脅威に出会うこともなかった。
もしかしたらそれは飛行機で事故に合うような、はたまた隕石が頭を直撃するような確立なのかもしれない。
だとすればさほど気にする必要も無い――と思う。
少なくとも僕らの生活が脅かされる可能性は少ないだろう。
――『
「『芸術作品』は何をしたいんだ? 奴の目的は人を殺すことなのか?」
〝悪夢〟という存在がどういう意味を持つのか、僕はまだ良くわかっていない。
だが今まで人を殺し続けていることから危険であることは分かる。
その目的はどこにあるんだろうか?
何故、人を殺すのだろうか?
「分かんない。〝悪夢〟って存在はそのあり方からして人知から隔絶していることが多いみたいだから。それに個々によって全然違うらしいよ」
空になったお菓子の袋をこちらに渡しながら、夢衣はそう答えた。
受け取った袋をゴミ箱に放り投げ、代わりに手拭き用のタオルを渡してやりながら、僕はゴクリと息を飲む。
「理由とか、必然性とか、あんまりそういうのは〝悪夢〟には関係ないんだ。敵対的な存在もいるし、協力的な存在もいる。いわゆるカオスだよ」
「そんなものなのか」
「『芸術作品』も悪意とか害意とかがあるんじゃなくて、多分アレの行動が結果的に人間に不都合になっているだけなんだよ」
「よく、わからないんだな――」
「それこそが本質なのかもね。まぁ人を殺すことが『芸術作品』がもつ何らかの目的に関係していることは確実だろうけど」
「そっか」
「そうだよ」
「まっ、世界はすでにバケモノに満たされていたってことだね」
最後に夢衣はそう付け加え、黙ってしまった。
痛いほどの沈黙が二人の間に訪れた。
その言葉が喉元まで出かかって、けれども途中で詰まりなんども口を開け閉じする。
夢衣は僕の言葉を待っているようで、じぃっとこちらを眺めていた。
「じゃ、じゃあさ……」
その質問をすることに何の意味があるのだろうか?
実際のところ意味は無い。
せいぜい僕の好奇心を満たす位だろう。
聞いたからって変わらないことは分かりきっている。
でもその可能性に行き当たってしまったら聞かずにはいられなかった。
彼女が、夢衣が、僕の大好きな妹が――
「夢衣もその〝
バケモノだという事実を。
「うん、そうなんだ。多分、きっとそう。お兄ちゃんの妹の、梔無夢衣の悪夢……」
彼女の返答は簡潔で、少しだけ悲しげに聞こえた。
――彼女は〝悪夢〟だ。
妹と全く同じ記憶を持って、同じ笑顔で笑い、同じ反応をするのもきっと性質から来るものなのだろう。
だがいくら本人の様に見えても、夢衣の記憶を持っていたとしても、本人ではない。妹は、本当の妹はもう死んでしまった。
死んでしまった人間は決して生き返らない。
僕はその事実をただ淡々と受け入れた。
受け入れるしか、なかった。
「あ、あの。お兄ちゃん……その、一つお願いがあるんだけど」
やけにキョドキョドとした夢衣が僕の顔色を窺うように声をかけてくる。
彼女にしては珍しい態度に、僕も少し困惑しながら妹の言葉を待つ。
「えっと、私は悪夢だけど、でもちゃんとお兄ちゃんの妹だから。
――だから、私のことを嫌いにならないで欲しいなって……」
直ぐ様夢衣の手を取った。
驚く彼女の、その瞳をまっすぐと見つめる。
「夢衣は僕の妹だ。最初にそういったのは夢衣だろ? 妹を捨てる兄なんていないよ、少なくとも僕は絶対そんな事はしない」
心からの想いを伝えた。
嘘偽りのない、本当の想いを……。
「ありがとうお兄ちゃん」
そうだ。彼女は死んだ妹の夢衣では無い。
だが同時に、僕の大切な妹の夢衣でもある。
矛盾した、気が狂った解釈。
だがそんなことはどうでも良かった。彼女がなんであれ、僕の大切な妹であるということに間違いはない。
僕はもう失いたくなかった。
ここで彼女を拒絶して、二度と会えないなんて思いたくもなかった。
気がつけば、強く、とても強く妹を抱きしめていた。
「えっと、お兄ちゃん?」
「お前は僕の妹だ」
「――ありがとう、お兄ちゃん」
夢衣は少しばかり照れくさそうに、それだけを耳元で囁いた。
その声はゾッとするほど
不気味なほど歓喜に満ちていた。
*
冷静になった。
僕は何をしているのだろうか?
なんだか一人で盛り上がってしまったが、実の妹に抱きつくなんてありえない。
いや確かに妹のことを正しく受け入れたとか、妹への愛が溢れたとか、様々な心の変化が激流の様に押し寄せて反射的に行動に出たのは認めよう。
だが流石に兄妹で抱きしめあうのは不健全の極みだ。
ドギマギしながら優しく妹から離れると、目をつむってキス待ちモードの妹が挑発的に口を差し出している様子が目に入った。
「夢衣は兄妹でもOKだと思う感じだよ」
「残念ながら僕は兄妹では流石にないだろうと思う感じだ」
デコピン一発。ませた妹へのお仕置きだ。
「むーっ!!」
膨れている。自分から抱きついておいて悪いことをしたかなとは思うが、そこは許して欲しい、流石にそれは兄妹の一線を越えている。
しかし夢衣は僕を逃すつもりはないらしく、何やら目を光らせている。
良くないことを考えているのだろう。もしかしたら襲われるかもしれない。
常日頃から兄離れが出来ず、僕と結婚するとか言い出す妹だ。
その可能性も十分にありえる。
僕は慌てて話題を探し、彼女の興味を僕の肉体から離れることを神様に祈る。
「そういやさ、さっきの話だけど」
「私が〝悪夢〟だってこと?」
「ああ、そう、それ」
「なぁに? なんでも聞いて。なんでもだよ」
しなを作りながらウィンクをしてみせる夢衣。
叶ちゃんがここにいれば今頃真っ赤になって叫んでいる頃合いだ。
挑発的な妹の態度にため息を吐きながら、僕は適当に思いついた質問を投げかけてみる。
「夢衣には〝悪夢〟としての目的とか、あるのか? 僕の所に来た理由とか」
夢衣が〝悪夢〟だとして、その事実は受け入れた。
だが別の疑問がわき起こってくる。
何故妹は僕の所に来たか、だ。
家族に先立たれた人は僕以外にも沢山いるはずだ。
それなのに僕の場所に妹として来た理由。何かあるような気がした。
「
「理由はないって……」
悪夢には理由が無い――だったか。
僕の気のせいだったのだろうか? そこに何か重大な理由があるような気がしたが……。
と言ってもそれを知ったからどうなると言うわけでもない。
先ほどの疑問は何故かすぐに僕の頭の中から綺麗さっぱりと消え去ってしまう。
「じゃあさ目的は? 何か
とは言え、夢衣にだって何かしたいことがあるはずだ。
こうやって話も通じる。例のバケモノ――『芸術作品』の様にただ人を殺すだけって訳でもない。
そこに優しさや配慮、笑ったり怒ったり、人間的な物が確かに存在している。
なら何か目的があるはずだと思うんだ。
妹に何かしてやれることは無いだろうか?
できれば何でもいいから彼女の望みを叶えてやりたかった。
ずっとそれを願っていたから。
「私の目的かぁ、強いて言うなら――お兄ちゃんとイチャイチャする為かな?」
けれども、僕の予想とは裏腹に、僕の妹はどこまで行っても僕の妹だった。
「い、イチャイチャ?」
「そう、イチャイチャ。重要かつ重大な目的だね」
何が重要かつ重大な目的だ。
なんで僕がお前とイチャイチャしないといけない。
思わずそう叱りそうになったが、そこまで言ってしまえば今晩の夕食が絶望的な味付けになることは確実なので口を閉ざす。
変わって出てきたのは相変わらず兄を狙おうとする妹の性格への愚痴だ。
「不純な動機だなぁ……」
「不純ってなぁに? 夢衣に教えて……」
「育て方を間違えたな――っておい、なんでパジャマを脱ごうとしている?」
そう、この性格だ。
ゆっくりとパジャマのボタンを外していく夢衣を少し強めに叱りながら、僕は慌てて目をそらす。
「え? なんでって……そういうルートに入ったんじゃないの?」
なんだよルートって、入ってないし初めて聞いた。
「残念ながら好感度が足らないな。必要なイベントをこなしていない」
妹への好感度は実はマックスであるが、それは妹としてであって女性としてではない。
いつの間にか僕に抱きついてその胸に顔を埋めている妹を無理やり引き剥がすと、少しだけ乱暴にカエルクッションへと突き飛ばす。
「ふぎゅ!」と可愛らしい声を上げて抗議の視線を向けてくるが良い気味だ。
「えーっ!? さっきあれだけお兄ちゃんと仲良くなるイベントこなしたのにまだ足りないの!? セーブポイントどこ? 選択肢の見逃しあった!?」
「……というかどこでそんな言葉を覚えた」
「お兄ちゃんのパソコン。パスワードは私のフルネーム」
「この話題はこれで終わりにしよう。いいな?」
そうして何もかも忘れるんだ。
それが何よりも僕の幸せに繋がる。
「妹物のゲームばっかりだったよ。私がいるのに浮気とはいい度胸だ!」
「この話題は終わりにしよう!」
一時の気の迷いだ。きっとそう、一時の気の迷いだ。
僕は妹にいつの間にか露見してしまっていた数々の愛すべきコレクションをどうしたものかと頭を悩ませる。
――何故か、あれほど不安に思っていた夢衣との関係に対する心配が、まるで思考を書き換えられた様にスッキリと解決していた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます