二十 帝国、ケト家領
ただ暑くて、退屈な行軍だった。帝国に入り、ケト家領を進む。国境の山を越えると気候が変わり、暑さに湿気が加わった。汗が乾かない。周囲の山は低くなだらかで、山というより丘のように見える。木が少なく見通しは良さそうだった。だれかが盆地だから蒸し暑いんだと話していたが、そうなのかどうかはイサオにはわからない。エオウが迅雷号を木陰に入れておいてくれればいいがとそればかり思っていた。
「それは心配ない。エオウはそういう要領はちゃんとしてるさ」
カグオは気楽だ。ほかの兵たちも同様に明るい。ゴオレムが一体多いというだけで安心感がある。
一行が水場で小休止しているとき、タツキ公が来た。イサオもカグオも敬礼し、タツキ公は答礼する。
「元気だったか、また一緒に戦うが、よろしく頼むぞ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
カグオが答える。タツキ公はあごひげをしごきながらイサオに向かって言う。
「どうだ、調子は?」
「はい、好調です。報告通り、前回以上のすぐれた操作が可能です」
「それは頼もしい。さて、カグオ氏、荷物として運んでいる例の籠について直接説明を聞きたいがよろしいか」
カグオは荷馬車に積んでいる折りたたまれた籠を見ながら答える。
「あれは迅雷号用の石弾籠です。迅雷号は搭乗型の特性として著しい操作性の向上を見せ、投擲能力は実戦に使用可能と判断されました。そこで、籠に投石機用の石弾を積み、迅雷号に固定して用います」
「石弾は十から十二、三は積めるか」
「はい」
「迅雷号の機動性は落ちないか」
「落ちます。が、それでも遠隔操作型よりは素早い動作が可能です」
「竹でできているな」
「ええ、竹を蔦でしばっています。軽量化と、戦場で使い捨てるためです」
予算のつごうもあったが、黙っておく。それに、タツキ公なら言うまでもなくわかっているだろう。
「よろしい。しかし、使いどころはないかもしれん。敵はすでに偽装をふくむ多数のやぐらを設置し、また、十本以上の高木の枝を払って準備している。狙い撃ちは困難だ」
「それでも実用試験として投擲を行ってみたいのですが、よろしいでしょうか」
「それは当初の予定に含まれていたことだ。ただ、状況によって臨機応変に対応できるか心配だったのだが、このようすなら指示すれば即座に投棄できそうだな」
「籠は肩と腰で固定されますが、いずれも即切断可能です」
カグオは自分の肩と腰をたたいて固定点を示し、切断するしぐさをやって見せた。
「よし、ではあらためて試験を許可する」
「ありがとうございます」
カグオはうれしそうに敬礼し、タツキ公は自分の馬にもどった。
小休止は終わり、一行は進みはじめる。かれらの影は日で乾ききった地面に濃く映っている。さきほどの小休止で飲んだ水が汗となって出てしまった頃、日が傾き始めた。
「前方に先発隊を発見。煙です」
兵士が報告する声が聞こえてくる。森で待機しており、隠すつもりもなく堂々と火を焚いている。
「それでは、われわれはこれにて」
イサオとカグオは本隊から分かれ、少数の護衛兵とともに迅雷号に向かった。また、馬たちはまとめてよそへつれていかれた。
「ありがとう。覆いをかけておいてくれたんですね」
イサオはエオウに礼を言う。迅雷号は大木の根元にかがみこんで駐停止姿勢をとっており、日光をさえぎるように完全に覆われていた。
「おう、行軍中にけっこう熱くなったが、もう冷めているだろう」
「温度調整魔法ってないんですか」
「そんな虫のいい呪文があるか」
エオウがにやにやして返す。
「研究してみよう」
カグオはまじめな顔をしているが、口調は軽い。そこへ護衛兵がやってきて言った。
「喧嘩沙汰の予定は変わりなし。明日の日の出とともに始める。迅雷号の配置なども変わりなし。今日はゆっくり休んでくれ」
「了解しました。敵勢力の情報はいただけますか」
「今夜と明朝進軍前に伝える」
三人は、予定に変更はないと聞いて早めに準備しておくこととし、ほかの兵に手伝ってもらい、夕食前に石弾籠の固定と石弾の装填を終えた。
「やはりどうみても薬草取の婆だな」
今日のカグオは明るい。エオウもそれに乗る。
「石弾籠を竹で作ったのはわざとじゃないか。敵を笑わせるためだ」
皆で冗談を言い合い、笑っていると粥が焦げた。カグオがあわてて隠し持ってきた塩と干し魚をほぐして混ぜる。
「今夜の粥は味があるし、噛み応えもある。おれのおごりだ」
「それはいい。おごりというのがなによりいい」
「ありがとうございます。いただきます」
食べながら見上げると、雲はかかっていないのに、湿気のせいだろうか、月も星もぼやけたようなはっきりしない空だった。
「このべたべたする気候はつらいですね。ここら辺の人はこんな夏をよく耐えてるな」
イサオが言うとエオウが同意する。
「日が落ちたらましになるかと思ったら、風が止まってかえってやりきれないな」
「重い空気。雨が降りそうで降らない。そんな天気が毎日らしい」
カグオは額をぬぐって言う。贅沢だが、いまは熱い粥がありがたくない。吹きながらすすっているが、ときどき椀を置いて上を向いていた。
「明日の戦場は丘のあたりになりそうでしょうか」
湿気にうんざりしてばかりいてもしかたないので、イサオが話を変える。
「そうだな。敵の陣は丘のむこう、北側にあるから、そのあたりだろう」
エオウが返事をした。
「斜面での戦いははじめてですが、投石籠が足を引っ張らないでしょうか」
「あり得る。平地では機動性がすこし落ちる程度だが、斜面ではもっと落ちるかもしれん。そのあたり実験する時間がなかったな」
カグオがまじめに答えた。
「わたしの判断で投棄してもいいですか」
「それは待て」
カグオはすこし考えて続ける。
「よし、こうしよう。斜面での活動に入って、あきらかにこれはまずそうだと思ったら手信号をくれ。こちらからも観察して良くないと判断したらおまえの判断での投棄を認める。それでいいか」
「はい、結構です。そうしましょう」
エオウが匙をくわえたまま言う。
「ぶっつけ本番だが、心配するな。おれたちが見ててやる」
足音がして、警備兵がやってきた。敬礼をして言う。
「報告です。敵勢力はゴオレム三体、兵約二百名。装備は戦鎚、棍棒、投擲器具など標準的です。投石機は認められていません。偽装もふくめ操作やぐら多数、また、十本以上の高木も操作の座として使用可能にされています」
「では、事前にわかっていたことと変化はないな」
椀と匙を置いてエオウが確かめる。
「はい」
「ありがとう、明朝もよろしく」
警備兵はよけいな話をせず、自分の隊へ帰っていった。
「ゴオレムが一体多いとなると、どういう戦術をとるかな」
エオウが考えながら問いかける。
「こちらのゴオレム二体は盾にして兵を進め、残り一体は敵一体をおさえる。迅雷号は敵二体を相手にしたらどうだ」
皆の椀に湯をそそぎながらカグオが気楽なことを言った。
「そんな、二体相手はあくまで理屈の上であって、試したことはないですよ」
イサオがあわてて言う。エオウが面白がっている。
「どうした、カグオ。今日はやけに気楽だな」
「ゴオレムが一体多いうえに敵には後ろ盾はない。明日の戦いは実験みたいなものだからな」
「それはそうだが、喧嘩沙汰だ。油断は禁物。敵は文字通り必死だぞ」
火を消し、荷を枕にして毛布をかぶって寝転がった。蒸し暑いが虫がくるので顔まで覆う。ただ、虫については、夜中にカグオかエオウが強い臭いのする虫よけの草をいぶしてくれたのでましになった。これほどの臭いと煙を出す草を使えるのも通常の戦争と異なり、いまさら隠れる必要もないからだろう。
イサオはうつらうつらとしながら、子供のころ森で遊んだ夢を見ていた。オオツノムシの喧嘩だ。立派な角を持った雄同士が互いをひっくり返して枝から落とそうと隙をうかがい、あちらへまわり、こちらへ這う。たいていは高い位置にいるほうか、体の大きなほうが勝つ。高さか、または体格、あるいはその両方を利用して寄り切るか、角を相手の腹の下に差し入れて落としてしまう。いつも小さいほうを応援するが、まず勝てたためしはない。
顔に朝日が当たって目が覚めた。まぶしく、もう暑い。汗にまみれている。すでに起きていたカグオとエオウに挨拶して毛布をたたんでいると昨日の警備兵が来た。
「おはようございます。状況変わらず。敵勢力も昨夜の報告通りです」
「了解した。ありがとう」
そう返事をし、カグオはイサオのほうを向く。
「ひどい顔だ、えらく刺されたな」
「そっちもです」
イサオは早く迅雷号に乗りたかった。すくなくとも虫は防げる。粥を食べ、木箱を開けて革鎧を装備する。
「それは暑そうだな」
迅雷号の覆いをはずしながらエオウがあきれたように言う。
「ええ、揺れを吸収するためとはいえ、綿がたっぷり入っていますから」
カグオが顔をしかめる。暑さを想像したらしい。
「夏場はたいへんだな。もっといい材料はないかな」
「そんな虫のいい素材はない」
またエオウが言う。三人でひとしきり笑った後、イサオは迅雷号に搭乗し、下半身を固定する。封印石がはめ込まれ、呪文が唱えられると音がなくなった。核石に手をのせると周囲を見回す。味方はすでに隊列を組み、ほかのゴオレムも前にいる。迅雷号は進行方向右手、東の端に配置された。
ケト家の旗が振られ、全隊が動く。
喧嘩沙汰が始まった。
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