十九 迅雷号、帝国へ
喧嘩沙汰の詳細が伝わってきても、北の塔はそれほどさわがしくならなかった。あわてることはなにもない。命じられれば即出発可能なだけの準備はできている。
だからイサオは、返信を携えたケト家の使者が正門をくぐって出ていくところを見ても、あれがそうかとしか思わなかった。あの使者のもたらした加勢の依頼にわが王が応え、自分たちが喧嘩に投入されるのだが、そのつながり具合が実感できなかった。
ジョウ国の加勢は迅雷号と精鋭の歩兵三十人超。指揮官はタツキ公。ケト家は歩兵百五十人とゴオレム三体をそろえるらしい。歩兵がわずかに少なくても、ゴオレムが一体多いだけで勝ったようなものだ。イサオは、すでに帝国行きを休暇のように考えていた。
「戦争と喧嘩はどうちがうのですか」
夕食時、エオウに聞いてみる。喧嘩という貴族の古い慣習はイサオにとってわかりにくいものだった。
「法があるかどうかだな」
「レムノウル公は法律があるとまずいんですか」
「おいおい、滅多なことを言うなよ。ただ、死者を悼んだり、捕虜を取ったり、戦闘記録をつけたりする気はなさそうだな」
「殲滅する気はありそうですね」
「イサオよ、おまえははっきり言いすぎるぞ」
「すみません。でも、そういうことなんでしょう?」
エオウは無言で粥をすくってうなずく。イサオはわざとらしくならない程度に話を変えたほうがよさそうだと思った。
「現場まで、だれが迅雷号を操作することになったんですか?」
「おれだ。遠隔操作はおれ。先発する。点検とか封印はカグオ。いつもの三人だ」
イサオはため息をつく。
「わたしは従者のふりですよ。まあ、しょうがない。この体格じゃ、ふつうの兵隊としては不審に思われるし。迅雷号の機密はいっこうに解除されないし」
「そうだな。搭乗して操作しているとわかってしまうのは許されたとはいえ、搭乗のようすや封印は見せてはならぬということは、実質なにも解除されていないのとおなじだ」
「帝国の人とも話ができない」
「現地では、われわれと迅雷号は森の中に隠される。タツキ公の警備もつくそうだ。帝国の酒や茶が楽しみだったんだが」
イサオはもうひとつの疑問をぶつけてみる。
「敵のねらいはなんでしょう。王の披露宴で暴れて、レムノウル公にも手を出して、それでなにがどうなるんでしょうね」
「いい世の中にしたいんだろう。あいつらの言うには、金品のやりとりなしに国を動かすと、世の中の流れが澄んで清くなるそうだ」
「ヨリフサ王とレムノウル公は金品で政治をしているのですか」
「皆そうだろうが、目立ったのさ。ケト家がアイノ家から右筆の座をうばったやり方とかな。金の出所をたどってみれば……な」
「そういえば、王の結婚を仲介したのはレムノウル公ですしね。でも、結果としてジョウ国も帝国も心配事が減って平穏になったじゃないですか」
「そういう見方をしないのがノヤマ公の一党だな。金品を裏でやりとりしてるのがそもそも気に入らないんだろう」
粥に菜の汁をかけてから、エオウの返事で気になったところをたしかめてみる。
「仮に、かれらの活動が成功したとして、世の中の流れを澄ませて清くすると、なにかいいことがあるんですか」
「おれにもよくわからん。そういうことにつかわれる金品が国のためにまわるんだろうってのはわかるんだが、そのためにあんな理不尽な暴力をふるわなくちゃならないのかっていうとまったくわからん」
「キョウ国に攻めこんだ時とちがって、これをしたらどうなるっていうのがわかりにくいです」
「そういうときは命令に従っておけばいい。責任はそいつらにかぶせてしまえ」
エオウはそういって食器を片づけに席を立った。イサオは、それでは操作されているゴオレムと変わりないじゃないかと、粥を混ぜながらずっと考えていた。自分が迅雷号を操ればかなりの戦果をあげる自信はある。しかし、活躍した結果が見えない。この喧嘩に勝てば、ノヤマ公の一党は力を失い、その主張が表舞台に出てくることは当分なくなるだろう。でも、それがどうした?
また、自分のことを考えれば、喧嘩での活躍は軍功になるのだろうか。法に従わない闘争であれば記録がとられないか、とられても法的に有効ではないだろう。これについては後でサノオに聞いておこう。
だが、この喧嘩に参加する各個人はどうなのだろう。任務に納得して死ねるのだろうか。手足を失っても誇らしく生きられるだろうか。この喧嘩の話を子供に聞かれたら、目を見てきちんと答えられるだろうか。
翌朝、制振結界の最終点検をしているカグオにも聞いてみる。
「この喧嘩、なんのためにするんだと思いますか」
「世の平穏のためだな」
カグオは即座に答える。イサオがわからないという顔をしているので、工具をしばってまとめながら、自分の答えを解説する。
「『清水党』なんて言ってるが、ただの過激派だ。目的がなんであれ、手段が許されない。法を無視して理不尽な暴力をふるう奴らははやめにつぶしておかないとな」
「でも、こっちだって誅罰じゃなくて喧嘩沙汰にしたんでしょ。法にのっとらないってことじゃおなじです」
「ちがう。喧嘩は法律として明文化されてないけれど、貴族のあいだでは古来の慣習だ。ほとんど法といってもいい。レムノウル公は慣習としての手続きは踏んでいるよ」
カグオは手を止めてイサオを見る。
「おまえ、どうしたんだ? エオウにもおなじようなこと聞いただろ」
「なんでもないです。ただ、喧嘩沙汰っていうのにとまどってて……。いままで聞いたこともなかったから」
「みんなそうさ。実際に喧嘩沙汰を体験した者など北の塔にはいないよ。言葉を知ってるくらいだろう」
「どうしたらいいんでしょうか」
「そういうときは命令に従っておくんだな。命令を出す奴は、なにがどうなってるかくらい頭のなかで整理がついているだろうさ」
カグオは気楽な口調で言う。イサオはあいまいに返事して自分の作業にもどったが、その日はつまらない小さなまちがいばかりして、とげを指に刺してしまった。
その日の昼過ぎ、エオウが迅雷号を遠隔操作して先発した。途中でタツキ公の部隊のうち半分と合流する予定だ。迅雷号は隅々まできれいにされ、指先などの欠けた部分は徹夜の儀式によって再生されている。国外に行くので見た目を良くするようタツキ公から急な指示があったからだ。本来であれば、彫りこまれた国と軍の紋章を金と銀で色付けし、きらめくようにする予定だったが予算のつごうでできず、朱と緑で仕上げられていた。
イサオは夏の日を受けて歩く迅雷号を見送って今からうんざりしている。乗り込むぎりぎりまで木陰で覆いをかけておこう。小さい水筒を持ちこむのもいいかもしれない。
「イサオ、ちょっといいか。部屋まで来てくれ」
サノオが呼んでいる。部屋に入ると、腰を下ろすよう言われた。
「昨日の質問だが、今回の喧嘩沙汰、ケト家では公式の戦闘記録は取らないが、タツキ公がかわりに私的に戦闘記録を取って提供する。エオウとカグオは迅雷号の実験記録を取る。ジョウ国軍としてはそれをもとに軍功を算定することとなった」
イサオはほっとする。
「だから、ジョウ国軍としては通常の戦争とおなじく功績は認められると考えてくれ」
「はい、ありがとうございます。安心しました」
「それはそれでいいとして、カグオから聞いたが、イサオ、今回の出撃になにか気の進まない点があるのか」
「いいえ、なぜでしょう?」
「カグオが、喧嘩沙汰に妙なこだわりを見せていると心配していた」
「そのことですか。たしかに戦争とちがいすぎるのでとまどっています。喧嘩沙汰、貴族間の慣習的な闘争、に参加するとどうなるのかが見えません」
「どうなるのか、とは?」
「キョウ国との戦争では、結果として古ジョウ国のように統一され、今後の発展と帝国に対する力を手にしました。そしてそれは国に平穏をもたらすでしょう。でも、この喧嘩沙汰は?」
サノオは腰の工具をいじりながら答える。
「おなじだ。平穏が得られる」
イサオは揺れる工具を見ながら言う。
「ノヤマ公の『清水党』の思想には学ぶ価値はあるでしょうか」
「なにが言いたい?」
「思想として価値があるのであれば、いまからでも投降を呼びかけ、罪の償いをさせつつ、その思想を学んで取り入れてみてはどうかと思うのですが」
「おまえは、価値があると思うか」
「わかりません。わたしは『清水党』の思想を直接学んだことがありません。エオウやカグオやほかの者から人づてに聞いただけです」
「では、いままで聞いた範囲ではどう思う?」
「いいと思います。金をもっと実用になることに直接使えるようになればできることが増えますから」
サノオは顎をなでる。
「貴族間をまわる金が道や水路の建設にまわればいいが、そうはいかないだろう。金は売買の仲立ちだけじゃなくて人間関係の潤滑油にもなる。訓練で見学したことはあるだろう。煙塊弾の製造工場とか。歯車がかみ合って回っているが、その歯車には潤滑油を差す。差さないと軋んであっという間に故障する」
すでに冷めた茶を飲んでサノオは続ける。
「世の中の人間はすべて歯車だ。王や貴族はとくに重要な歯車だ。常になめらかに動かなければならない。金なしでは軋みすぎる。軋みすぎて、事業が前に進まなくなる」
「貴人たちは皆、金でうごいていると言うのですか」
「そう怒るな」
「貴人が皆、私欲を捨てれば……」
「無理だ。おまえだって無理だろう? 名字を持ち、一家をなしたいという欲を捨てられるか。山上の坊主ですら寄進は断らない。それに、全体としてみてみれば、貴人たちがまちがったことをしているか? 国が平穏に向かっているのはお前も認めたぞ」
「つまり、ノヤマ公の言っていることそのものはまちがってはいないのですか」
「主張そのものにはまちがいも正しいもない。イサオよ、お前の世界には白か黒しかないのか。ヨリフサ王やレムノウル公は真っ白ではないが、白に近い灰色だ。われわれだってそうだ。しかし、ノヤマ公はほとんど黒だ。それは、手段を過ったからだ」
「では、なぜ法にのっとった誅罰ではなく、喧嘩沙汰なのですか。ノヤマ公の思想もろともにすべてを封じ込めようとしているとしか考えられません」
「それは、ノヤマ公の思想は、目的実現のために手続きを踏まない暴力の行使を認めているからだ。世に出していい思想ではない」
「なら、なおのこと……」
「これは決定事項だ。アイノ家も手は出さない。ノヤマ公がいまでも貴族あつかいなのは、レムノウル公が喧嘩の相手にしているからにすぎない。同等の地位同士でしかできないからな。イサオよ、ノヤマ公は急ぎすぎたのだ」
直属の上司に決定事項と言われたのではもうなにも返せなかった。イサオはそういう訓練を受けている。一礼して部屋を出るしかなかった。
『目的実現のために手続きを踏まない暴力の行使を認めている』 そう言われたが、それは喧嘩沙汰にして殲滅をはかるほどの大罪なのだろうか。ノヤマ公が公式に記録をのこさないように葬り去られるのは別の理由だろう。それがなにかよくわからないけれど、おぼろげにはわかるような気がする。そして、どちらにせよ自分は迅雷号で戦い、これからも戦うだろう。
準備はもうできている。明日早朝に出発だというのに、その夜はずっと眠れないまま、枕もとの荷物を見ていた。
イサオとカグオは早めに城を出、昼前にタツキ公の部隊の残りと合流した。タツキ公自身はこちらにいた。イサオは従者のふりをして行軍するが、部隊の兵たちは搭乗兵であることを知っており、タツキ公の選んだ兵士が常に護衛位置についている。ふと道のわきを見ると、ところどころ迅雷号の歩いた跡があった。
国境を越えるとき、イサオはまだ指がうずくのを感じていた。小さなとげが刺さっただけなのに、いつまでも痛い。
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