第149話 かわいい子には旅をさせよ

 眠ったままの奏を天幕に送り届けたその足で、杜陽は劉朋のいる天幕へ向かった。

「劉朋、話がある」

 そう告げると同時に、中に足を踏み入れる。寝入っていたのであろうが、それでも隙は無いのは流石というべきか。声に反応し目を覚ましたらしい劉朋が、闇の中で身を起こした気配がした。


「……何事ですか、このような夜中に」

 その声に、今度は天幕の隅にいた猩葉が身を起こした。

「急な用だ。少し付き合え」

 言い捨てて天幕を出る。程なく、簡単に身支度を整えた劉朋が中から姿を現し、そのすぐ後ろには、いつもの様に猩葉が付いて来た。

「お前は外せ」

 杜陽がきっぱりと言うと、猩葉が劉朋の顔を伺う。

「心配なことは何もないから。お前はここで待っていろ」

 劉朋に言われると、猩葉は頷いた。



 杜陽は劉朋が付いて来ているかどうかも確認せずに、人気のない草原をどんどん大股で歩いて行く。

「お待ち下さい、杜陽様っ」

 呼び止める劉朋に、振り向きもせず、杜陽はそのまま先へ進む。舌打ちをして、劉朋は小走りに追いつくと、彼の肩を掴んでその足を止めた。夜中に叩き起こされて、この扱いである。自然、気持ちが苛ついていて、思わず敬語を忘れた。

「おいっ、待てよ、杜陽っ!」

 声を掛けた途端に、腕を振り払われて、そのまま足を払われ、あっという間に、押し倒されていた。そして驚愕に目を見開く劉朋をよそに、杜陽の両手が、容赦など微塵もなく、その首を締め上げる。

「くっ……」

 劉朋は苦しい息の中、その両腕を掴み、辛うじて自分の首から引き剥がす。

「……ざけんな……何のつもりだ……」

 膝を蹴り上げて、杜陽の体を押し退けると、掴んだままの腕を支点に、相手の体を勢いに任せて引き倒し、今度は逆に劉朋が杜陽の上に馬乗りになった。しかし、形成逆転と思った瞬間、組み敷いた杜陽がそこで不敵な笑みを浮かべた。

 何だと思う間もなく、その瞳が深紅に彩られるのに気付く。


……こいつ……


 劉朋がそこに不穏な気配を感じた時にはもう、問答無用で全身を炎に嬲られていた。 勢いよく飛び退いて、草地に転がり、少しでも遠くに逃れようと試みる。しかし、杜陽の体から噴き出す炎は、劉朋を確実に捕え、その身に迫ってくる。この炎は間違いなく自分を、殺しても構わないと思っている。どうして……

「止めろ、杜陽っ」

 叫んで気付く。こいつは杜陽ではない。


……こいつは深紅の女神……赤星王……


 遠慮なく自分に向けられている殺意に慄然とする。殺される。こんな所で、理由も分からずに殺される。その理不尽さが、心に爆発的な怒りを生じた。それに喚起されるかの様に、紅炎を見据える瞳が、蒼い光を帯びる。と同時に、劉朋の全身が蒼い光に包まれた。


……済まないな。奴の用があるのは、私の様だ……

 蒼星王の声がして、劉朋の意識はそこで閉ざされた。




 闇の中に、蒼い光を纏い佇む星王を見て、杜陽の体が深紅を帯びた。そして、そこに赤星王が姿を現した。

「随分と、荒っぽい呼び出しだな。一体、何の積りだ」

 当然と言えば当然のことながら、不本意な呼び出しを受けた蒼星王は不機嫌そのものだ。だが、そんなことは意にも介さず、こちらも決して機嫌がいい風には見えない赤星王が言った。

「そなたに、聞きたい事がある。奏のことじゃ」

「奏?」

「あの奏は何なのだ?」

「何とは?」

「とぼけるでない。あれはただの奏ではあるまい」

「……まあ……そうだな」

 蒼星王は少し思案してから、曖昧な答えを返した。その言い様がまた、赤星王の癇に触る。

「今ここで、力づくで吐かせて貰いたいか」

「……そんな挑発には乗らん」

「挑発などではない。本気じゃ。答えろ」

 今にも爆発しそうな赤星王の様子を一瞥して、ようやく蒼星王が言った。

天鏡眼てんきょうがん

「てん……?」

「天鏡眼。真実を映す瞳。あの奏はそれを持っている」

「天鏡って……四天皇帝の御物ぎょぶつの、あの天鏡のことか?」

「ああ。そいつがごく稀に生み出す、ちょっとした奇跡の話は、お前も知っているだろう」


 天鏡に陽の光を反射させると、ごく稀に地上に天鏡粉という光の粒を降らせることがある。そして、それを地上で浴びた娘がもしも子を宿せば、その子は真実を見通す目を持って生まれて来ることがある。それが天鏡眼と呼ばれる代物である。

 それは天界の至宝ともいうべき稀有な存在。 幾つもの偶然の上に、奇跡的に生まれるものであり、故に、他にはない光を放ち、見る者を魅了せずにはいられない。


「それを、白星王が欲しがっているという事か。そなたも……」

「そもそもあれは、本来、地上にあるべきものではない。自然の摂理の外に生じる力だ。天へ返すべきものだろうと思う」

「……建前はいい。そなたの瑠璃に対する執着には、それ以上のものを感じるのじゃ」

 赤星王の不機嫌の原因を知って、蒼星王は思わず苦笑する。

「美しいものは嫌いではない。それが、滅多にお目にかかれない代物ならば、尚更だ。お前とて、そうではないのか。奏を片時も側から離さぬのは、あれの側にいることが心地よいからなのだろう」

 言われれば確かに、そうかも知れないと思う。その魂の輝きに、どうしても気を引かれる。失われたその光が戻るのだというのなら、もう一度見てみたいと、心のどこかでそう思う自分が、確かにいる。もの凄く、不本意なことであるが……


「ああ、むしゃくしゃする。気がおかしくなりそうじゃ。手合わせをせい、蒼星王」

赤星王が腰の剣に手を掛ける。

「ここではやらぬ、と。前にもそう申した筈だが。お前、少しは自分の力の大きさを考えぬか。大人しく、し、て、い、ろ、よ」

「……畜生め。行儀よくしていろと言われるのが、一番腹が立つ」

「ならば、そなたは素直に詔を受け取って、さっさと天界へ帰れば良かろう。意地を張らずに」

「……意地などではない。これはケジメなのじゃ」


 それは杜陽が覇王として立つ為には、欠くことのできない通過儀礼なのだ。劉飛を倒さなければ、真の意味で、彼は覇王にはなれない。

 杜陽があれ程に、力を信奉するのは、裏を返せば自信のなさの現れなのだ。自分という存在を、認めて貰えなかった。受け入れて貰えなかった。そんな幼少期の記憶がそうさせるのか。

 もしも、杜陽がその実の父親である劉飛に育てられていたなら、変に委縮することもなく、もっと素直で柔軟な思考を持ち合わせた、今よりも数段、器の大きな人間になっていたことだろう。


「全く、藍星王の小細工のせいで、余計な手間が増えたものだよ」

「成程、お前が周藍の言に耳を貸さぬ理由は、それか……」

「当然だろう。この期に及んで、そんなお手軽な方法で覇王となっても、なった所で仕舞いだ。杜陽が覇王として、この地上に君臨し続けることなど出来はしない」

「試練を越えぬ者に、道は拓けぬか。ならば、今少し大人しくしているのも、お前には必要な試練という訳だな。道を拓くための」

「……そなた、我に喧嘩を売っているのだろう」

「滅相もない。今のは自戒も込めてだよ」

 そう言って、蒼星王は肩を竦めた。



 藍星王が杜陽の運命を捻じ曲げてしまった様に、自分もまた、華梨の運命を捻じ曲げてしまった。その自覚はある。

 本来越えるべき試練から遠ざけてしまった。自分はそれで、彼女を守った気になっていた。それ以上、傷をつけさえしなければ、瑠璃の光はいつか戻って来ると、そう信じて。 だが、時が止まったままでは、彼女の心には何の変化も起こらない。それはつまり、いつまでたっても、魂の輝きは戻らないのだと。今更ながらに気付いた。


 悔しいけれど…… 見ているしかないのだ。今は。華梨が自分の足で立って歩いて行くのを。例え、途中で転んで傷を負ったとしても、手を差し伸べてはならない。その痛みの先にしか彼女の未来はないのだから。そして、それをただ見守ることが、瑠璃を取り戻すために、自分に与えられた試練なのだと……そう、今はそう思っている。



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