第56話 嫉妬しちゃうでしょ

 料理の乗ったテーブルの周りには他の招待客もたくさん集まっていて、減り具合は順調だった。

 脳内が嫉妬に満たされているせいで凶暴になりかけているのか、僕の箸は肉にばかり伸びる。肉食獣張りにむしゃむしゃと牛肉料理に箸をつけていると、可笑しそうな顔をして坂口さんが再びやってきた。

「寂しそうね」

 からかうように言ってから、飲み物を取りに一度傍を離れてワインのグラスを手に又すぐ戻ってきた。

「あの二人、仲がいいから嫉妬しちゃうでしょ」

 坂口さんのからかいは、まだ続いているようだ。

「そんなことないですよ」

 冷静な表情を装い言ってみても、あまり通じていないようでクスリと笑われる。心の中はバレバレのようだ。

「あの人、私たちの高校の美術教師だったの。とても人気のある先生だったのよ」

 あの身長であの物腰の柔らかさ。親しみ易いのに、欠点があっても指摘していいような雰囲気が何処にもない。かといって神経質かといえば、そういう風には見えない。

 僕が言うのもなんだけれど、なかなかの男前だから欠点などたいした問題ではないと感じさせるからかもしれない。

 高校の時ということは、十年まえか。十年前ならもっと若さゆえのパワーみたいな物が漲っていて、女子高生を虜にしていたに違いないだろうな。

 想像したあれこれに、だろうね。という言葉は引っ込めて、へぇ~。なんて相槌を打っておく。ちょっとした強がりだ。

「坂口さんは、久しぶりの対面であの先生と話してこなくてもいいんですか?」

「私は史佳のおまけみたいな物だから、先生が憶えているかどうか」

 肩を竦めてそう話す坂口さん。

 おまけって、どういう意味だ?

 疑問が顔に出ていたのか、坂口さんがその疑問の答えを話し始めた。

「私も、一応美術部に所属していたけど、親が画廊やってるからといって絵の才能とは無関係だからからっきしでね。けど、史佳は違う。彼女は、こうやって仕事にできるくらいだから、やっぱりみんなの中でもずば抜けていたのよね。そして、先生はそんな史佳の才能を見抜いていたし、とても惚れ込んでいた。強く言ったり、強制したりするわけじゃなかったけれど、彼女に絵の基礎をしっかりと叩き込み、その上でのびのびと思うような絵を描かせていたわ。私はそんな史佳と一緒にその基礎を身につけて、どうにか自分の絵というものを確立しようと努力していたけれど、努力は努力でしかないのよね。先生も、公平に教えてくれているようで、自然と力は史佳にばかり注がれていたしね。本人にその自覚があったかは、今も判らないけれど。」

「嫉妬したりは?」

「しなかったわ。だって、あまりに歴然とし過ぎていたから。嫉妬という概念さえ浮かばない状態。ただ傍で凄いなぁ、て感心するだけ。……だけど、そうじゃない子もやっぱりいて。ちょっと問題になったこともあったな」

「問題?」

「二人が付き合ってるって、ちょっとだけ噂になったことがあったの。その噂に当の史佳は笑っていたけれど、傍で二人のよくない噂を聞いたり、史佳への悪口を聞いたりしている私は、自分のことのように気が気じゃなかったわ。けど、真実ではないことに、史佳は振り回されなかったのよね。煩い雑音なんか一切無視で、とにかく絵だけに集中してた。ただ……」

 そこで坂口さんが言葉を濁す。

「ただ?」

「あ、ううん。なんでもない。これは、私の勝手な憶測だから」

 僕が訊きかえすと持っていたグラスのワインを一口含み、ちょっとしゃべりすぎたかもと呟いている。

 ここまで話しておいて、だんまりはないだろう。

 続きが知りたくて、僕は食いついた。

「憶測でも推測でもいいから、坂口さんが感じたことを教えてよ」

 口にした僕をまっすぐ見ると、坂口さんはさっきまでとは違った真剣な表情をした。

「後悔するよ」

 後悔なんか、ここへ来てからずっとしている。

 インテリジェンスに決めてきて、久しぶりに現れた恩師とかぶってしまったことや。端でのんびりビールなんか飲んでいないで、さっさとフミに話しかけに行けばよかったとか。なんなら、二人の会話に割って入るくらいしたってよかったかもとか。とにかく。

「もうしてるからいいよ」

 僕が溜息混じりにそういうと、知らないからねなんて顔をする。

「多分、先生は史佳の才能だけじゃなく、史佳自身にも惚れ込んでいた気がする。もしかしたら、あの噂だって、本当だったのかもしれない。そして、今もそうなのかもしれないなって……」

 それだけ話すと少し離れた場所から声がかかり、坂口さんはまたあとでね。と言ってこの場を去っていった。

 やっぱりそうか……。あの二人の、なんとなく漂う懐かしさだけじゃない雰囲気を感じ取ったのは、間違いじゃなかったんだ。

 過去の話を聞いたからといって、未だ二人だけで盛り上がっているあの空間へわざわざ入り込むほど空気の読めない僕じゃない。

 つーか、寧ろそうしたほうがいいのか?

 いやいや、気の利かない男なんて駄目だろう。

 グルグルと考えれば考えるほど、僕は今いる場所から行動を起こすことができなくなっていった。

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