第10話 何も知らずに

 そんなある日の夕刻。

「ねぇ、ねぇ、フミ。今度さ、どっかに出かけない?」

「え?」

 イラストの仕上げを終えて一息ついたフミに訊ねると、少し驚いたような顔をする。

 それは、そうだろう。イラストを見に来ているという大義名分を抱えた僕が、仕事以外の用事でフミと出かけたいなんておかしな話だ。

 けれど、頻繁に通いつめていた僕は、持ち前の明るさと人懐っこさを最大限に活かし、フミの懐へと飛び込もうとする。

 ここらでアルバイト兼フミへのファン状態から脱し、一歩前進した関係になろうと考えていたからだ。

「遠出しようよ」

 フミと二人だけでどこかへ出かけたくて、僕はウキウキとした気持ちで提案した。

 もちろん、この部屋に居ても二人きりの時間はたくさんある。けど、フミはイラストに集中している事が多いし、仕事依頼の電話も度々掛かってくる。それに、他社の編集社の人もよく訪ねてくる。

 そんな落ち着きのない場所じゃなく、本当に二人きりだと感じられる場所に僕は行きたかった。

「どこへ?」

 フミがほんわかとした口調で訊ねてきた。多分、フミは僕の誘う意図を理解していないのだろう。のんびりとした口調や、特に疑問も持たないような表情がそれを物語っている。

 僕の意図を理解していなくても今は構わない。追々、理解してもらえればいい。とにかく今は、フミと二人きりで出かけることだけを最重要事項とする。

「うーん。どこがいいかなぁ」

 僕は勝手に一人で盛り上がり、浮き立つ気持ちで二人っきりで出かけられる場所を考えていた。

 そこへ、あの人からの電話がかかってきたんだ。

 いつものように、コール音がしてもフミは電話を取らない。数コール後、当たり前のように留守電へと切り替わると、あの人が、史佳? と語りかけるように言ったその時だった。さっきまでのんびりと僕の話に耳を傾けていたフミの表情が瞬時にしてパッと明るくなり、素早い動作で受話器を手にした。

 電話のベルに話を遮られた僕は一人取り残されたようになり、嬉しそうに受話器を持ってあの人に話しかけるフミの横顔を眺めていた。

 あの人との会話を始めてしまったフミは、まるで僕の存在などはなからないかのように、いつまでも楽しげに会話を続ける。

 フミの行動に唖然としながらも、自分の存在自体をあの人からのたった一本の電話でなかったことにされたことにとてもショックを受けていた。

 あの人との会話で頬を染めるフミの横顔が、胸を締め付けていく。

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