26. Sleeping beauty - 眠れるブルックリンの美女
アッパー・イースト 3:30 p.m.
彼女は昼間、友人でもあるフォトグラファーのジェイクと、同じく友人であるファッション・スタイリスト、イザベルと共に昼食を楽しんだ。友人たち、とは言え、一応ビジネス・ランチを兼ねていて、冬期カタログの撮影のために二人に仕事をオーダーしていたところだ。
昨夜の夫とのことなどなにひとつ思い出すことなく、彼女はふたりとのやりとりに没頭した。
その後オフィスに戻ると、彼女の帰りを待つ客がいた。モデル・エージェンシーの副社長をしている、友人のアルヴィンだ。彼にもその冬期カタログ撮影のために、モデルの手配を依頼していたのだが、彼は数人の候補のプロフィール・ブックを持参していたのだった。
「――うーん、ちょっと若すぎるかな」
「そう?」
「あ、こちらの彼女、いいわね。私のイメージしてる感じに近いみたい」
「彼女はエリン。最近人気が出てきたから、決めるなら早くしないと」
「本当? じゃあこの子は? ……あら?」
最後の候補の写真を手にした彼女が、添付されたプロフィールに瞳を丸くした。
「アルヴィン、この子……」
「Yeah , アン・ピノトーの娘だ。そして君の友人、ミシェル・ピノトーの妹」
「!」
彼女は驚いて瞳を大きく見開いた。そして、ミシェルと出会ったあの日のことを即座に思い出した。
あの時、彼はアンとは一切何の関わりもない、と言っていたし、自分としても彼女の名を出したのは単なる思い付きだった。別のスタッフが「彼の母親だ」と言い出した時も驚きはしたけれど、結局それは冗談としてあの場は収まったはずだった。
でも、と彼女は今になって思い出す。あの時、頑なに「違う」と主張するミシェルに違和感のようなものを感じたことを。
「彼、違うって言い張ってた。でもね、確かに否定の仕方が尋常じゃなくて、ちょっと引っ掛かってはいたの。ねえアルヴィン、一体どこでそれを?」
「Well , アン・ピノトーがキャリアを捨てて黒人の男と結婚、引退した、ってことは、業界ではよく知られていた話だからね。君のパーティーで彼に出会った時、ピノトーの名にもしや、と思って調べてみたんだが、案の定、彼はアンの息子だったってわけさ」
「! じゃあやっぱりそれを隠していたってことよね。それで、この彼女はどうやって見つけたの?」
「それが偶然、去年パリでスカウトした子だったんだ。ほら、パリ支社の連中と年に数回、あちこちスカウトに出かけてるのは知ってるだろ? もちろんアンの娘だってことはその時知ったんだけど、君のパーティーの後で彼女に聞いてみて驚いたよ。彼の妹だって言うじゃない」
「Oh my ……」
彼女は手にした写真をもう一度まじまじと眺めた。白い肌に明るい真っ直ぐなライトブラウンの髪。ミシェルとは父親が違う、ということか。
兄妹だと言われてもピンと来ないが、もう一枚の笑顔の写真はどことなくミシェルに似ている気もする。
そうか、肌の色で一見判りにくいけれど、彼は顔立ちが母親のそれに似ているのだ。
「彼女、今幾つ?」
「19歳」
「19歳? ふーん……写真によって随分雰囲気変わるのね」
「Yeah , ああキャス、実はアンの娘だってことはまだ世間には内緒にしているんだ。名前もただの " ソフィー " で活動してる」
「どういうこと?」
「彼女はまだ大きなランウェイ*を経験していない新人だからね。そういう情報はタイミングを見計らって公表しなきゃ、ウォーキングもろくに出来ないうちに、話題ばかりが先行してしまうと思ったものだから」
「そうね……ねえ、ミシェルはこのこと、当然知ってるのよね?」
「いや、ソフィーは彼にまだ内緒にしてると言っていた。驚かせたいんだそうだ。彼は妹がパリの大学で真面目に勉学に専念してる、そう信じているらしいよ」
「!」
「キャス、考えたんだが」
「ええ」
母娘共演のアイデアはどうだろう?――アルヴィンが帰った後も、彼のその言葉が彼女の頭の中をぐるぐると何度も巡っていた。
確かに、今すぐに飛び付きたいほどの素晴らしいアイデアだと思う。
母から娘へと受け継がれるジュエリー。そういうコンセプトに繋がるし、実際自分も母からこの「
そして、アンとソフィー母娘のメイクアップをミシェルに担当させ、その様子を「
アン・ピノトーが数十年ぶりに人前に姿を現す。ゴシップ誌のネタでもなく、パパラッチによるスナップ写真でもなく、愛娘と共にこの「
そのことが世間の注目を集めるのは間違いないだろう。
だが、果たしてミシェルが了承するだろうか。母親のことを隠そうとしていたミシェルを思うと気が咎める。きっと隠したい訳があってそうしているのだろうから。
けれど、このプロジェクトを実行出来れば、間違いなく素晴らしいものになる予感がするのだ。いや、そう確信出来る。
この「
そう考えただけで、今すぐにでも行動を起こしたくてむずむずする。心なしか、興奮のあまり、少し手のひらが汗ばんでもいる。
ミシェルに話をしよう。とにかく彼に話してみないことには何も始まらない。
彼女は時計を見て時間を確認すると、机の上の電話機に目をやった。そして受話器に手を伸ばそうとした時に偶然鳴った呼び出し音に、少しばかりビクッとしてしまった。
それは第2アシスタントのカレンからの内線電話で、今夜のパーティーについて確認の電話だった。
Oh God ! 彼女はそう小さく呟いた。今夜は夫のフィリップと共に、とある慈善パーティーに顔を出さなくてはならないことを失念していた。
……フィル……
今の今まで仕事に没頭していたおかげで思い出さずに済んでいた、夫との昨夜のやり取り。
彼女はデスクの横に並べてあるチェストの、真ん中の引き出しを開け、チョコレートが入っているような美しい平箱を取り出した。
中にはあの日、女から贈られた花束に添えられていた紙切れが入っている。ピンク色のグロスで作られたキスマークと、" To P " の文字。
いつかこれを夫の目の前に突き付け、追及する日が来るのだ。そう思いながら引き出しにこっそりと仕舞ったあの日。あの時の屈辱的な気持ちを、この先ずっと、忘れることは出来ないだろう。
夫は、こんなくだらない嫌がらせをするような
だがある意味、そんな女が相手なのはむしろ、せめてもの救いだと言えないだろうか。
何故ならば、手の届かないような、私など足元にも及ばないほどの完璧な女が相手ではない。そう思えるから。
遠慮なくBitch!と蔑むことが出来る、自分よりも数段格下の女が相手なのに違いないのだ。
そこまで考えて、彼女は苦笑を浮かべた。
馬鹿ね、私ったら。たとえひれ伏してしまうような、女神のような完璧な女が相手だったとしても――いいえ、たとえ女神そのものが相手だったとしても、「Bitch!」と罵り、蔑むに違いないのに。
息を吐いて、視線を少し左に移すと、アルヴィンが置いていった、ソフィーのプロフィールブックが目に入った。
相手の女について今ここで考えを巡らせることは時間の無駄だ、そう自分に言い聞かせ、彼女は先程の箱を再び引き出しに仕舞った。
仕事に没頭することで問題から逃避することが出来る。それは彼女も嫌というほどによく知っていた。今、私は、再びそうする必要があるのだ。今私がやらなければならないことは、デザイナーのエヴァにEメールを返信すること、会計士のジャスティンに電話をすること、クリーニング店からドレスが配達されたかどうかをナディアに確認すること、それから、ミシェルに電話をして――
いえ、彼に話をするのは週が明けてからにしよう。
そう色々と考えを巡らせると、彼女は仕事に没頭するために、デスクのコンピューター画面へと意識を集中させた。
ミッドタウン・ウエスト 10:30 p.m.
店の中を見渡し、カウンターに幾つかの空席を見つけた彼は、そこへ腰を落ち着けることにした。
バーテンダーにタンカレー*を使ったジン・ライムを頼み、それが出てくるまでの間、バーテンダーの背後に美しく並べられたリキュール類のボトルを眺めてその間をやり過ごす。
重厚な木のカウンター・テーブルや背後の鏡など、今彼が目にしているものは、ここがまだ彼の働いていたレストランだった頃のものがそのまま使われていた。その時のバーテンダーとは親しくしていて、たくさんのカクテルや酒を教えてもらった。酒だけでなく、女のあしらい方も教わったが。
そんなことをぼんやりと思い出していると、ひとつ空けて隣の席に座る女性と目が合ったので、Hi 、と軽い挨拶を交わした。目の前にジン・ライムが置かれ、それをひょい、と持ち上げたところで、その彼女が彼に向い、「乾杯」とばかりに自分のグラスを持ち上げて軽く首を傾けた。今夜は何となく女っ気なしで飲みたい気がして、隣の彼女が少し面倒だとも思えたが、とりあえずそれに応えるように彼女と乾杯した。
「――ショーン・クーパーね?」
「Oh!」
乾杯の直後のことだった。ジン・ライムに少しばかりむせながら、驚いた彼は彼女へと視線を向ける。
「……どこかで会った?」
「ふふ」
ありがちな口説き文句の常套句みたいで陳腐だとは思ったのだが、確かにどこかで見かけたことがある女だと感じたのだ。
過去に寝た女だとしたら厄介だな、と構えたところで、彼女がカウンターチェアをくるり、と廻し、彼のほうへと身体ごと向き直った。
「アマンダ・オルブライト。
「Oh! 君があのアマンダか。容赦ない辛口の批評で、幾つかの店を閉店に追い遣った、って噂の」
「あら、そんな噂は初耳だわ」
しれっとした顔で不敵そうな笑みを浮かべる彼女と軽く握手を交わす。
「Well , そのアマンダ・オルブライトが俺なんかを知っていたとは驚きだね」
「そう? まあ確かにあなたは今のところ、ビル・ハーパーみたいな、誰もが知るスター・シェフだとはとても言えないわね。でもこの業界に深く携わる人間なら、誰もがあなたを知ってる」
「Really? ワーストリストじゃなきゃいいけど」
「ふふ、それは違うわ、安心して。こういうことよ」
「?」
「知ってるかしら? マンハッタンの料理人っていい男揃いなの。その中でもショーン・クーパー、あなたはトップクラスのミスター・ハンサムとして、隠れた有名人ってとこね。それだけじゃない。短期間で名店『ジジ』のスー・シェフ*に抜擢された一年後、突然業界から姿を消した謎の男。そして、あのイネス・アルドリーノの歳若い恋人」
「……Wow」
「とりあえずはこんなところかしら」
「さすが一流雑誌のライターだ。そう言いたいとこだけどやめておく」
「Ooh , 反論ね。どうぞ遠慮なく」
「Yeah , まず第一に、料理に顔の良し悪しなんて全く関係ないが、俺なんかよりハンサムな料理人はいくらでもいるし、俺は謎の男でも何でもない、ただのいち料理人だ。そしてこれが一番重要だが、イネス・アルドリーノは恋人なんかじゃない」
「Oh yeah ?」
あらそう、信じないけど、とでも言いたげに眉を上げる彼女に呆れたように軽く笑い、どうでもいいか、とジン・ライムを再び口に運んだ。
「M.P.D.(ミート・パッキング・ディストリクト)にニュー・レストランがオープンするはずだったのよね」
「……ああ」
「あなたがそこに引き抜かれたって噂を聞いて、誰があなたの取材に行くか、女同志揉めたのよ」
「それは光栄だね。で? 君がその
「もちろん! でも結局、その取材が実現することはなかったけど」
「だろうね」
「残念だったわ。期待していたのに」
「……そう。それは俺に会えることを? それとも、ニュー・レストランのオープン?」
「もちろん、両方よ。でもあなたには今、ここで会えた」
Yeah , と軽く笑みを返し、ジンライムを喉に流し込む。
誰かと話したい、決してそんな気分ではなかった。だが、彼女のペースに巻き込まれるようにして進むこの会話を、彼自身、楽しみ始めてもいた。
夜のバーで、女と会話らしい会話を交わすのは実に久しぶりな気がする。悪くない。
「それで? 業界から消えたあなたは今、何をしているのかしら? ミスター・クーパー」
「Well……才気溢れる、魅力的だが手厳しい女性の横で、クソ美味いジン・ライムを啜ってる」
「ふふ……」
目まぐるしく変わる食のトレンド、人気レストランの世間的評価とアマンダの評価の温度差、ショーンの抜けた後の『ジジ』の評判(ショーンは本気にしないが、アマンダは店が衰退し始めていると力説していた)、どうやら共通の知り合いが少なくないこと、そしてその中に、キャサリン・クリフォードも含まれていること。
そしてそのことは、アマンダがとある企画を思いつくのに十分すぎるほどの偶然だった。
「――そう、クリフォード家のプライヴェイト・シェフをね――」
「ミシェルが言ってた店、ここじゃない?」
「空いてる?」
「Wait……」
扉を少し開けて中を覗き込んだベティが、空席が見えるよ!と手招きをする。
連れ立って中に入り、空いていた席に腰掛けて、ふうっと息を吐いた。
「良かった、やっと座れた」
「Hey !」
「?」
ベティがカウンターの方へと目配せをした。そちらのほうへ目を向けると、偶然「彼」がそこにいて、横の女と楽しそうに話をしているところだった。
「!」
「Wow !」
「しっ! 気付かれるじゃない!」
小声で眉をひそめるラムカに視線を向けると、彼女はカウンターの彼に背を向けて座りたいのか、席を代わって、というジェスチャーをベティに返してきた。
仕方なくラムカと席を代わる。カウンターのふたりが目に入る場所だったが、当のふたりは話に夢中でこちらのほうには気付いていないようだった。
「店、変えようよ」
「だーめ。脚がもう限界! やっと空いてる店見つけたんだからテコでも動かないよ!」
「
ラムカがそう呟いて項垂れた。実のところベティには、歩ける余力はまだまだ十分に残されていたのだが、何だか面白い展開になりそう!と内心わくわくでラムカに意地悪をしているのだ。
不服そうなラムカの鋭い視線がベティに突き刺さったが、同時に鳴った携帯電話が彼女を救った。
「あらやだ電話だすぐ出なきゃ家が火事って連絡かも――ハーイ、ミシェル。今? ブロードウェイ通りのあんたが話してた店よ。そう、50丁目あたりの」
「1分以内に来ないと帰るって伝えて」
「オーケー、プリンセス・Lがご機嫌斜めだからすぐに来て。あはっ、訳はお楽しみってことで」
「
「Yeah! そのご自慢の羽ですぐに飛んできて」
昨夜のラッセルとのいきさつは、さっき食事をしながらベティから聞いた。だからそれは任務終了。
ミシェルと例の彼の件はまだミシェルから聞いていないけど、ベティも同席していることだし、きっとここで話題に上ることはないだろう。
つまり、私がここに居る必要、ある?
ミシェルが合流する前に何とか逃げ出してしまわないと。
「ねえ――」
「――すぐそこまで来てるってさ。すみませーん、マンハッタンとモヒートくださーい」
「しっ! 声大きい!」
「大丈夫、話に夢中みたいだし、彼」
「……」
「はぁー、彼ってマジHotだわ。絶対腹筋割れてるタイプよね。
「お願いすれば」
「どうかなぁ。今夜は無理そう。だって横の彼女以外、誰も眼中にないって感じ」
「……」
「……ね、気になる?」
「
「ちょっと待った! 彼女、どっかで見たことが――」
「――やっぱり帰る!」
「ちょ、ラム――」
「――Hi !
Oh honey ! どこ行くのさ!――そこへようやく現れたミシェルが、席を立とうとするラムカを捕えて、頬にキスをしながら椅子に座らせた。
「お待たせ」
ベティの頬にもキスをして、ミシェルがラムカの横に腰を下ろす。
「どうしたの、プリンセス・L、ふくれっ面なんかしちゃって」
「別に」
「そんなに僕が恋しかった? 待たせてごめんよ、Honey」
ミシェルがそう言って、ラムカの頬に軽くちゅっと音を立ててキスをした。
「Wow ! プリンス・チャーミングのキスでも起きないなんて、こりゃプリンセス・L最大のピンチ」
ミシェルにキスされても憮然としたままのラムカをベティが揶揄する。
「今度プリンセスって言ったら本当に帰るから!」
「
「さあ。西の方向に原因があると推測してるんだけど」
「?」
ベティが目配せをした方へと目を向ける。
あれは――!
「――アマンダ!」
「!」
「アマンダだよ。挨拶してくる」
「ちょ、ミシェル!」
「Wow ! びっくりな展開」
「
ラムカは頭を抱えるようにテーブルに両肘をついて息を吐いた。
ベティがラムカから視線を上げると、ちょうどミシェルがカウンターのアマンダに声をかけ、二人が笑顔でハグをするところだった。
横の男を見て驚いたミシェルが、彼と握手をしながらこちらのテーブルを指差している。
誘え! 誘うんだ! 連れて来い!――ベティがミシェルに念を送っていることなど知る由もないラムカの耳に、ミシェルの信じられない言葉が飛び込んだ。
「一緒にどう? もちろん、お邪魔でなければの話だけど」
「!」
「――Yeah ! 喜んで」
冗談でしょ!?という表情でミシェルを振り返ったラムカと、ショーンの瞳がぶつかる。
Yeah ! と即答して席を立ったアマンダに、やれやれ、という顔で息を吐くと、彼も渋々カウンターチェアから立ち上がり、飲みかけのグラスを手にラムカたちのテーブルへと移動した。
二人に席を譲るためにベティが移動したので、ラムカの目の前にアマンダ、その横にショーンが座る形になった。
愛するミシェルを呪いたくなったのはこれが初めてだ。彼ったら新しい恋に浮かれて、考えなしの行動に走ったとしか思えない。ベティもベティだ。何か言いたそうに私の方へ目配せしてきたりして。
「Hi , ショーン、私のこと覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ。ベティだよね」
「いやーん、覚えててくれたなんて嬉しーい」
「……」
「……Hi ,
「……What ?」
「――アマンダ、ほんと久しぶりだよね? 最後に会ったのいつだった?」
「一年くらい前じゃなかった?」
ショーンがラムカに
気付けば、ラムカが酒を飲むペースが尋常じゃない。ベティもミシェルもそれに気付いていたが、お互い考えていることは一緒だったので、何も言わず、こっそりと目配せをするだけだった。
案の定、しばらくすると、酔い潰れたラムカがテーブルに突っ伏して動かなくなった。
さて、うまいこと酔い潰れた彼女をどうしようか。ミシェルがベティに指で作った「C」の文字をこっそりと見せる。
そう、プランCの発令だ。
「Oh ! もうこんな時間! 行かなきゃ遅れちゃうよ、ミシェル」
「そうだよね――ああでも、ラムカがこんなんじゃあ……」
「――ショーン、彼女をお願い出来ない?」
「Wha?」
「それからアマンダ、突然で悪いんだけど、彼女の代わりに一緒に来てくれない?」
「どこへ?」
「あー、僕の友達が今オフ・ブロードウェイ*で舞台に出てて――」
「――レイトショーやってるのよ。チケット3人分買っちゃってて。もう行かなきゃいけないんだけど」
「Oh , それは楽しそうね。あいにく私はもう帰るところだけど」
「Really?」
「Sorry」
「Wait , wait , wait ! 俺一人でどうやって――」
「――彼女の家なら知ってるでしょ?」
「ここからブルックリンまで行けってのか!?」
「頼むよ、今度ヘアカットただでやってあげるからさ」
「ネイルケアもつけてあげる! 今やゲイじゃなくてもいい男にネイルケアは必須よ」
「Oh」
「ごめんね、よろしく」
勘弁してくれよ、という表情のショーンを残してベティとミシェルが席を立つ。
「連絡するわ」――そうショーンに言い残し、アマンダも二人に続いて席を立った。
何てこった! 何で俺がこんな目に!? そんな顔をするショーンを残し、彼らは容赦なく店を出て行く。
「……」
「?」
よく聞き取れないが、ラムカが寝言のようなうわ言のような、何かむにゃむにゃとした言葉を発している。
彼はうんざりしたような、恨めしい顔で彼女を見下ろすと、はぁーと盛大なため息を吐いてテーブル上で頭を抱えた。
* このお話のあとがきはこちら⇒
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892660029/episodes/1177354054892709197
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-第26話 用語解説-(作中*印のついていた言葉)
・「ランウェイ」
Runway = ファッション・ショーなどで、モデル達が闊歩する細長く突き出た舞台のこと。キャット・ウォークとも言いますね。
アルヴィンさんが言っていた「大きなランウェイ」とは、「パリコレ」だとか、ああいう規模の大きなショー・大きな舞台、という意味です。
その他、飛行場の滑走路のことや、走り幅跳び・棒高跳び等の助走路のことなどもランウェイと呼ぶそうな。
ちなみに「プラダを着た悪魔」では、主人公が働く雑誌社名が「Runway」でしたね。もちろんそのモデルは「Vogue誌」です。
・「タンカレー」
イギリスで生産されているジンの一種で、管理人はこの緑色のぼてっと丸いボトルに愛着があります。
色々なジンがありますが、ジンを使うカクテル・ベースにはタンカレーが一番だ、と言う人が周りに多かったので、何となく私もショーンさんみたいにタンカレー指定でジン・ライムやジン・トニックをオーダーしてました。
バーテンダーからは「酒も弱いくせに生意気な小娘だ」と思われたかも。
・「スー・シェフ」
sous-chef = フランス語で「二番手の料理長」といった意味合い。日本で言うところの「副料理長」「サブチーフ」的な感じかな。
よく「料理人=シェフ」と間違った使われ方をしていますが、本来「シェフ」とは「料理長」のことなので、料理人という職業=シェフではないのです。
ただ最近では、格下のコックであっても、店も持たず(つまりオーナシェフでもない)、いわゆる「料理研究家」的な仕事内容であっても、有名な料理人であれば、その人を「シェフ」と呼ぶ傾向にあって、アメリカでも「プライベート・シェフ」など浸透しているようですね。
アマンダ女史も「スター・シェフ」という言葉を使ってました。
因みに大きなレストランではシェフ・料理長は直接料理をせず、現場を統括する仕事をメインとすることが多いので、実際現場で一番大変なのはスー・シェフかも。
上(料理長)からはガミガミ言われ、下(平のコックたち)の失敗や不平不満をカバー・処理しなればならないし。
どの職種でも中間管理職は辛いよね(笑)
・「シックスパック男」
Six pack = 見事に腹筋が割れていること。
鍛えている人の腹筋って6つに割れていることが多いので、そう呼ぶみたいです。
でもスラング辞書で調べたら、もっとえげつない意味も幾つかあるんですね。
ちょっとここではご披露出来そうにありませんので、気になった方はご自分でググってください(笑)
・「オフ・ブロードウェイ」
Off - Broadway = マンハッタンにいくつもある劇場のうちの、客席数少なめの比較的小さな劇場のこと。
「ブロードウェイ通り」という有名な通りがありますが、そこに沿って建っているのが「ブロードウェイ」、沿って建っていないのが「オフ・ブロードウェイ」という意味ではありません。
場所のことではなく、客席数・劇場の規模によるもの。更に小規模な劇場は「オフ・オフ・ブロードウェイ」と呼ばれているそうです。
オフで上演された劇が評判を呼び、ブロードウェイに進出、ということもあるそうです。
どちらかというとブロードウェイでは「ライオン・キング」みたいなミュージカルを、オフ・ブロードウェイでは一人芝居とかパフォーマンスとか小規模なお芝居などを上演することが多いみたいですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます