隠蔽

 麻生恵一と高崎一が警視庁に連行されてから、一時間後、春野と斎藤は警察病院に搬送された清水美里へ面会する。二人の刑事は、ボイスレコーダーを使い、先程連行された高崎一と麻生恵一の声を彼女に聞かせた。

 だが、ベッド上で横になる清水美里は、首を横に振る。

「この二人ではありません」

 その清水美里の証言によって、解決すると思われた事件は急展開を迎えた。


 翌日。千間刑事部長は、捜査関係者を会議室に集めた。そこでマイクを握った刑事部長は、意外な決定事項を刑事達に報告する。

「まず高野健二が殺害された事件の被疑者、酒井は明日送検する予定だ。次に清水美里誘拐事件と中之条透殺人事件。この二つの事件の被疑者、麻生恵一と高崎一は逮捕しない。この二人は近日中に、懲戒免職で解雇する。そして田村薫が殺害された事件は、中之条透の被疑者死亡で書類送検。これで捜査本部は解散だ」

 一連の事件の裏付け捜査は、千間刑事部長の蔓の一声で、打ち切られた。それを良しと思わない合田警部は、会議室から立ち去ろうとする刑事部長の前に立ち塞がる。

「なぜ今回の事件を握り潰した? なぜ高崎と麻生を辞職させた?」

 怒りを露わにする合田に対し、千間刑事部長は冷徹に答える。

「警察の面子に関わるからだ。二人の警察官が劇場型犯罪を演出したとマスコミに知られたら、責任問題だろう。不祥事を起こせば、国民は警察を信用しなくなる。それでは治安は悪くなる一方だ。だから事件を握り潰した」

 刑事部長の隣に立つ喜田参事官が言葉を続ける。

「これでも良い方ですよ。酒井忠次の父親はそれなりの権力があったにも関わらず、息子の犯した殺人を握り潰さなかったから」

合田警部は、刑事部長と参事官の話に反論することができなかった。


 事件発生から四十八時間が経過した頃、黒い影は高層マンションの一室の机の上に一枚のカードを置いた。そのカードには、純白の羽を纏った天使のイラストが印刷されている。

 それから黒い影は、夜景を見下ろしながら、別の男に携帯電話で連絡を入れる。

「なぜ今回は変装しなかったのですか? 報告によると目出し帽を被った男が捕まっていないと書いてありますが」

 単刀直入に疑問を口にした影に対し、電話の相手は苦笑いする。

『そういう気分だったからでしょうかね? ところで警察はどこまで掴んでいますか?』

「安心してくださいよ。あなたは捜査線上には浮上していませんから」

『それは良かったです』

「身代金は回収できたようですね。調書によると、身代金は発見されなかったって書いてありますから」

『もちろん。警察の調書に、その記載があったということは、黙秘しているんでしょうか?』

「そうですよ。身代金の行方については言及しませんでした。それと、警視庁から逃亡後、あなたに匿われていたこととも。あなたという黒幕の存在も語りませんでしたよ」

『そうでしたか。それではまた会いましょう』

 前髪を七三分けにした男は、路上駐車した車内で安心して電話を切る。そして彼は、助手席に置かれたアタッシュケースを、優しく撫でた。

 そうして彼は、運転席で瞳を閉じ、過去を思い出す。


 午前十一時五分。東京湾の第二コンビナート前に、一台の自動車が停まった。それから遅れて、白色のランボルギーニ・ガヤンドが高崎の運転するスカイラインの後ろに停車した。

 彼は頷き、白い自動車の助手席に乗り込んだ。

 そして彼は、運転席に座る前髪を七三分けにした喪服の男に頭を下げる。

「ありがとう」

「計画通りでしょう。感謝される筋合いはないですよ。ところで警察は?」

「もちろん尾行されていない」

「それは良かった。制限時間は十三時間一分一秒。とりあえず警察が来る前に、ここから逃げて、お台場の廃ビルに隠れてください」

「了解」

 間もなくして、喪服の男が運転する自動車が走り始め、十五分程でお台場の廃ビルの裏口の前に自動車が停まった。

 喪服の男はエンジンを止め、助手席に座る高崎の顔を見た。

「グローブボックスにグロッグ17が隠されているから、それを使って中之条を殺してくださいね」

「了解」

 高崎は喪服の男の指示通り、グローブボックスを開け、拳銃を手にした。そして助手席のドアを開けると、喪服の男は彼を呼び止める。

「午後一時三十分頃、この場所でお待ちしています」

 喪服の男は、高崎を潜伏先に送り届けると、すぐに清水美里を監禁している東都映画館に向かう。


 午後一時三十分。再び白色のランボルギーニ・ガヤンドが廃ビルの裏口の前に停まる。それと同じくして、裏口のドアが開き、アタッシュケースとグロッグ17を持った高崎一が顔を出す。

 高崎はトランクルームを開け、身代金を持ったアタッシュケースをそこに隠した。その後で彼は助手席に乗り込む。

「ご苦労様。田村薫はどうしましたか?」

「中之条透に殺された」

 喪服の男は高崎の発言を聞き、頬を緩める。

「なるほど。プランBを実行する必要はなかったということですね。彼女は裏切って、中之条に殺されるという読みが当たりました。

どちらにしても同じ結果だけど、中之条に殺されて正解ですよ。ここまで生き残ったら、周囲に潜む暗殺者に殺されますから」

 喪服の男は冷たい視線で運転席側の車窓から、周囲を見渡すと、エンジンを掛け、白色の外国車を走らせた。

 それから二人は、東都映画館へ向かい、あの時間が来るまで、一緒に身を潜めていた。


『それは秘書と不倫関係だったいう解釈でよろしいですか?』

『はい。妻には申し訳ないことをしました。妻とは離婚……』

 監禁場所で大工健一郎衆議院議員の辞職を知った喪服の男は、清水美里の携帯電話で、監禁場所を知らせるメールを打ち、少女の前から姿を消した。

 十五年前の映画のチラシがばら撒かれた部屋のドアの前には、周囲を警戒する高崎一が立っている。そんな彼に喪服の男は笑顔を見せ、語り掛けた。

「ご存じですか? 計画通り大工健一郎衆議院議員が辞任しましたよ。もうすぐこの映画館に警察が到着します。残り二時間。別の潜伏先で過ごしてください。そして、二時間後、絶対に許せない最後の一人を殺しましょう」

 喪服の男は、高崎の肩を叩き、廃墟を走り始めた。高崎も警察が到着する前に、監禁場所から逃げ出した。それ以来高崎一と喪服の男は顔を合わせていない。


 赤い落書き殺人事件が発生してから、四十八時間が経過した頃、前髪を七三分けにした男は、自身が着用している喪服のネクタイを緩め、自身が愛用する白色のランボルギーニ・ガヤンドを、摩天楼に走らせた。

 この事件から七年。まさかこの事件が新たなる悲劇を生み、前代未聞の劇場型犯罪にまで発展するとはこの時は誰も知らなかった。


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