少女との出会いと別れ 後編
それから十五年の時が立ち、麻生恵一は思わぬ形で桜井真と再会することになる。
それは警視庁の捜査一課の一室で、朝刊を読んでいた時だった。
『大工健一郎衆議院議員の秘書、脱税疑惑』
センセーショナルな見出しが飛び込んできて、麻生は思わず新聞記事を読み進めた。すると、そこに思いがけない名前が記されていることに気が付く。
『大工健一郎衆議院議員の秘書、桜井真に脱税の疑惑がある。調べによると……』
同姓同名の可能性も否めなかったが、この瞬間、麻生恵一の頭には十五年前に振った少女の顔が浮かんでいた。
そのスクープ記事が掲載されてから、数日後、彼は昼食のためラーメン店を訪れた。そこで偶然、彼はテレビのニュース映像を目にする。
『国税局は脱税の疑いのある桜井真容疑者の自宅を家宅捜索しました』
その映像に映っていたのは、間違いなく麻生恵一が知っている桜井真の姿だった。髪の毛は茶色く染まっているが、彼女で間違いないと恵一は思う。
それから数週間、桜井真と大工健一郎衆議院議員との不倫疑惑まで浮上して、報道は加熱していった。それを麻生恵一は止めることもできず、ただ成り行きを見守っていた。
そうして半年前、その悲劇は起きた。あの日の夕暮れ時、麻生恵一は仕事を定時で終わらせ、多くの会社員達が帰宅を急ぐ街並みを歩いていた。そんな時、彼の携帯電話に思わぬ相手から電話が掛かってきた。
『麻生君?』
立ち止まり電話に出た瞬間、麻生恵一は女の声を聞いた。それは、十五年前に振った少女の声。
「桜井か?」
『うん。知っているでしょ? 今大変なことになっているって。私は脱税なんてやっていないから。それに不倫なんて知らない』
十五年ぶりの彼女からの電話。その声は、切羽詰まっているように感じられた。
「落ち着いてください。今どこにいますか? 会って話がしたい」
『ダメ。そんなことしたら、あなたと私の関係がバレちゃう。そうなったら、あなたの婚約者の存在を聞いて、諦めた私の過去が無駄になるから』
「違う……」
麻生恵一は真実を打ち明けようとした。だが、桜井真はそれを拒み、電話越しに涙を流す。
『さようなら。最期にあなたの声を聞けて良かった。十五年前と同じ電話番号で良かったよ』
通話が途切れてから数分後、桜井真はマンションの屋上から飛び降り、自ら命を絶った。
彼女の自殺から一カ月間、麻生恵一は後悔という深い闇の中で生きて来た。もしも婚約者より早く、桜井真にプロポーズしていたら。もしもあの時、婚約者と別れたという事実を伝えることができたら。もしも彼女の自殺を止めることができたら。様々な仮定によって生じるはずだった未来が頭を流れていく。
そんな中、麻生恵一は特殊捜査班に所属していた高校時代の後輩、高崎一にロゼッタハウスというカフェに呼び出された。
高崎は、アールグレイという紅茶が注がれたティーカップを持ち上げた。それを表面の席に座り見ていた恵一は、店内の様子を見渡す。
「それで話とは何でしょうか?」
恵一が尋ねると、高崎はティーカップを机の上に置く。
「来た事ないのか? 桜井真が生前通っていた紅茶が美味しいカフェ」
「来たことはないな。そんなことより本題を話してくれないか?」
先輩に急かされた後輩は呼吸を整え、意外な事実を口にする。
「桜井真が自殺した事件の真相だよ。実は桜井真は助かったかもしれないんだ」
「どういうことですか?」
「知っているでしょう。桜井が自殺した日と同じ時間帯に、菅野邸を凶悪犯が襲撃した事件が起きたって。あの事件の被害者は、全員病院に搬送されたが、間もなく死亡した」
「それは周知の事実ですね。それがどうしたのでしょう?」
「知っているか? 桜井真がどこで亡くなったのか? 救急車の中で息を引き取った。受け入れ先の病院が見つからなくて。中之条透が事件を起こさなかったら、助かったかもしれないんだよ」
後輩から聞かされた真実を聞き、麻生恵一の中で復讐の鬼が目を覚ました。
桜井真を殺したのは、彼女と不倫して、脱税に濡れ衣を着せた大工健一郎。
桜井真を殺したのは、脱税疑惑のスクープ記事を書いて、世間に彼女を注目させた高野健二。
桜井真を殺したのは、同時刻に重大事件を起こし、被害者達を救急車で緊急搬送させた中之条透。
そして桜井真を殺したのは……
この日から麻生恵一は、桜井真を殺した全ての人物に復讐することを決意した。
壮絶な犯行動機を語りながら、麻生恵一は涙を流す。そうして語り終ると、今度は高崎一に促した。
「高崎君。桜井真を殺した人物は、もう一人残っていますよ。それは目の前にいる麻生恵一。彼女の自殺を止めることができなかった僕を殺してください。それで復讐は終わります」
「まだそんなことを言っているのか!」
合田の雷撃が、自殺を望む犯罪者に落ちる。
「麻生恵一。お前のメッセージは分かっている。まず高野健二が殺害された第一の事件現場に残されていた落書きは、タイホシロ。それはこれまで警察が逃していた中之条透を逮捕しろという怒りのメッセージ。次に中之条透が殺害された現場に残されていたのは、ユルサナイという落書き。この落書きからは桜井真を殺した全ての者に復讐したいという強い意志が感じられる。だが、清水美里が監禁されていた部屋に残された落書きからは、負の感情が感じられなかった。監禁部屋の壁に落書きされていたのは、赤色の文字でオモイデ。その思い出を象徴するように、監禁場所特定の目印として、十五年前の映画のチラシがばら撒かれていた。お前はあの映画館で過ごした桜井真のことを思い出しながら、あの落書きを壁に記した。そうじゃないと、負の感情が籠った文字になるはずだ!」
合田警部の怒りを受け、麻生恵一は夕暮れ時の景色を見下ろしながら、涙を流した。
「監禁場所に東都映画館を選んだのも、復讐するなっていう彼女のメッセージだったのかもしれない」
麻生恵一は一言呟き、両手を刑事に差し出す。同じように高崎一も両手を差し出した。
二人の犯人の逮捕によって、赤い落書き殺人事件は解決するはずだった。
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