朝倉教授の殺人

朝倉教授の犯行

 都内の公立大学である東都大学の講堂の中で、ギターの音色が響いた。

 コンサートホールと同じくらいのステージを、唯一客席に座っている黒色のスーツを着た、恰幅の良い黒縁眼鏡を掛けた男だけが見ていた。

 その男、朝倉竜彦あさくらたつひこは目の前で演奏したロックバンドキュービック・ソフトの演奏を聞き、客席から立ち上がって拍手する。

「素晴らしいよ。今日の演奏も良かった。清水さんのボーカルとベースの演奏は、昨日聞いた時よりも上手くなっている」

 朝倉はステージの中央でスタンドマイクの前に立ち、ベースを肩から掛けた女子大生、清水美里に対し優しく微笑む。

「ありがとうございます」

 清水美里は頭を下げた。

次に朝倉竜彦は彼女の右側に立つギターを肩から掛けたソフトなモヒカンを派手な金色に染めた大学生、中林学なかばやしまなぶへと視線を向ける。

「中林君。昨日指摘したコードが上手くできていたよ。この調子だったら、来月のコンテストで優秀賞が狙える」

「ありがとうございます。朝倉教授に、こんなことを言われるなんて、感無量としか言えません。練習した甲斐がありましたよ」

 中林は嬉しそうにガッツポーズを取る。

最後に朝倉は、清水美里の左でドラムを叩いていた、筋肉質な体型のパンチパーマの大学生、大森敏夫おおもりとしおの顔を見る。

「最後に、大森君。君のドラムは最悪だ。リズムが悪い。これでは、清水さんのボーカルや中林君のギターの良さを殺しているような物だ。今日は、このまま講堂に残って練習してほしい。私が練習に付き合うから」

「分かったよ」

 大森が返事をした後で、朝倉はスーツのズボンのポケットに仕舞われていた財布を取り出しながら、ステージ上の中林に近づく。

 そして朝倉は財布から割引券を取り出し、それを中林に手渡した。

「中林君。夕食はまだだろう? この割引券を使って、ラーメンでも食べなさい。清水さんと一緒に行くといい。さっき言ったように、私は大森君と残って、彼のドラムの演奏をチェックするから。マンツーマンでやらないと、彼のドラムは上手くならない」

「ありがとうございます」

 中林は頭を下げ、朝倉から割引券を受け取ると、ギターをケースに仕舞い片付ける。同じように清水美里も、ベースをケースに仕舞う。それから二人は、講堂から去った。


 二人だけとなった講堂のステージに、朝倉竜彦が上がる。

「朝倉教授。具体的にどこが悪かった……」

 大森は言いかけながら、隣にいるはずの朝倉教授の顔を見た。だが、そこには朝倉の姿はない。何が起きているのかと困惑していると、朝倉竜彦は、ステージ端から異様な姿で現れた。講堂という屋根のある空間であるにも関わらず、教授は和傘を差している。

 そして教授は、和傘を差した状態で大森の正面に立ち、右手で握ったグロッグ17の銃口を教え子に向ける。

「悪いね」

 一瞬大森は、悪い冗談だと思った。だが、目の前で銃口を向けている大学教授の表情からは、本気で自分を殺そうとしている殺気が感じ取れる。

「冥土の土産に教えてあげる。この傘は硝煙反応対策。このホールは煙草一本の煙でさえも火災報知機が反応する。そうなれば警備員が来るでしょう。折角防音対策で、銃声は外に漏れないのに、拳銃の煙が原因で火災報知器が鳴ったら、元も子もないじゃない?」

 大森は目の前に立つ大学教授が怖くなり、全身を震わせた。

「なぜ俺を殺す?」

「覚えてる? 七年前の交通事故。あの時あなたが起こした罪。これは七年前の罰」

 朝倉教授は躊躇することなく、大森の心臓を狙い、グロッグ17の引き金を引く。程なくして、大森の心臓は撃ち抜かれ、一瞬の内に椅子に座っていた大森は、体勢を崩し右側臥位に倒れた。

 朝倉は、傘を差した状態で、講堂の天井をステージ上から見つめる。火災報知機は鳴っていないようだった。

 頬を緩めた朝倉教授は、傘を閉じ、拳銃をスーツに仕舞う。その後で彼は、床に転がる大森の遺体の両腕を引っ張り、遺体をステージ端に隠す。それと同時に、朝倉教授はドラムもステージ端に片付けた。

和傘を右手で持った朝倉は、客席の重厚感のあるドアを開け、赤い絨毯の敷かれた通路を歩く。一直線となっている通路の正面には、別のドアがあって、彼はそのドアも開けて、受付スペースと称される空間に出た。

 朝倉は受付スペースと客席を繋ぐドアの前で体を持たれかけさせ、深く深呼吸した。

 それから朝倉教授は、受付スペースを左に曲がった先にある男子トイレに入り、掃除用具入れから、真新しい青色のバケツを取り出す。

 そのバケツに、水を大量に注ぎ、右手で持っていた和傘を、トイレの掃除用具入れに隠す。

 水を注がれたバケツを持った教授は、再びステージに戻る。そして、朝倉教授は転がっている薬莢を目安に、バケツの水をばら撒く。

 その最中、朝倉の頬から汗が落ちた。この熱帯夜に水をステージに撒けば、一晩で乾くだろうと教授は思う。

 証拠を掻き消した朝倉教授は、バケツを男子トイレに戻し、掃除用具入れに隠した和傘を回収する。

 計画通りに事を進めた朝倉教授は、腕時計で時間を確認する。現在の時刻は午後八時五十分。おそらく教え子たちがラーメンを食べている頃だろうと教授は思った。

 早く現場から逃走したいという思いが、教授の中で強くなる。だが、このまま逃げてしまえば、都合が悪くなる。そう思った朝倉教授は、適当に時間を講堂内で潰すことにした。流石に遺体の転がる講堂内で数時間過ごせるほど、朝倉教授はメンタルが強くなかった。 

そのため彼は、講堂に二階にある音響室に向かう。


 午後九時三十分。東都大学の講堂内に、黒い影が侵入する。

 黒い影は、受付スペースを右に曲がった先にある、ロッカースペースに向かい、隠されていた映写機を取り出すと、白い歯を見せて笑った。

 そして黒い影は、映写機を設置。フィルムをセットしてから、ステージに上がる。しゃがんで右手の人差し指で床を触った影は、小さく頷く。

 黒い影はステージ端に隠された大森の遺体を見つけ、その遺体の両腕を引っ張るようにして、ステージの中央まで移動させる。

 先程設置した映写機と遺体が一直線に重なる位置に大森の遺体を仰向けの状態で寝かせた影は、何事もなかったように去る。

 謎の侵入者の存在に、朝倉教授は気が付かない。


 午後十時。朝倉教授は、講堂内のあらゆるドアを施錠してから、何事もなかったように、講堂から立ち去った。

 だが、この時の朝倉教授は知らなかった。彼が起こした殺人事件が、劇場型犯罪に利用されてしまうことに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る