十分間の殺人
斎藤の遺体が転がる現場に駆け付けた鮫崎は、携帯電話を取り出し、仲間の刑事と鑑識を旅館に呼ぶ手筈を整える。
「合田警部。現場保存のために、ここで待機してくれ。俺は出入り口の様子を見てくる。もしかしたら犯人が逃走したかもしれないからな」
鮫崎は携帯電話を切り、本庁の刑事に伝えると、すぐに現場から去った。一方で現場に残った合田は、スーツのポケットから白い手袋を取り出し、床に落ちている一枚の紙を拾う。
現場に残されたメッセージを一目見た瞬間、合田の脳裏に高崎の顔が浮かぶ。それから合田は、改めて現場の状況を確認する。
斎藤の死因は、心臓を撃ち抜かれたことによる失血死。窓は合田が宿泊している二号室と同じように、填め殺しになっているため、逃走に使えない。
犯人は、まだ旅館内にいるのかという考えが合田の頭を過った頃、早くも鮫崎が現場に戻ってくる。
「合田警部。どうやら犯人は、まだこの旅館の中にいるようだ。この旅館の出入り口は一か所のみ。一応非常用の出入り口も見てみたが、そのドアが開けられた形跡はなかった。そして、俺がこの旅館を訪れてから今まで、誰一人この旅館を出入りした奴はいない。出入り口付近で掃除をしていた伊藤久美やその他の従業員の証言だから間違いない。それと、従業員に頼んで、食堂に宿泊客を集めてもらうよう指示した」
「つまり犯人は、この旅館内にいる可能性が高いということか?」
合田が尋ねると、鮫崎は頷く。それから合田は現場に落ちていた拳銃を拾い、それを観察する。
「グロッグ17。七年前の事件と同じ拳銃か」
合田はグロッグ17の弾倉を取り外す。すると、銃弾は入っていなく空っぽであることが分かった。
五分の時間が流れ、鑑識課と所轄署の刑事が旅館を訪れる。程なくして鑑識作業が始まる。鮫崎と合田は彼らに現場の状況を説明した後で、宿泊客が集まる食堂へと向かう。
五人の男達が食堂の椅子に座っている。合田は彼らの顔を見渡しながら、語り掛けた。
「皆さん。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、一時間程前に、この村の石橋が破壊されました。これによって自動車による帰宅は困難となります。また石橋の普及は二日後となっています」
「おいおい。こんな村に二日も閉じ込められるのかよ」
北村が担架を切ると、彼の隣に座る国枝は作家を宥める。
「ゆっくり小説が書けるではありませんか。幸いにもこの村には電波が届いていますから、原稿ができ次第、原稿のデータをメールに添付して編集部に送れば、問題ありません」
「それもそうだな」
北村は国枝の意見に納得を示す。その後で警視庁の刑事は、再び容疑者達の顔を見る。
「先ほど宿泊客の一人の遺体が発見されました。犯人は、この五人の中にいる」
合田の言葉を続けるように、鮫崎は五人に聞く。
「まず、午前十時二十分から三十分までの十分間、どこで何をしていたのかを一人ずつ教えてください」
「なぜその時間のアリバイを聞く?」
高崎が右手を挙げなから、鮫崎に尋ねる。すると鮫崎は、彼と顔を合わせ答えた。
「俺達が最後に被害者と話したのは、午前十時二十分頃だった。つまりその時間まで被害者は生きていたことになる。遺体を発見したのは、午前十時三十分頃。犯人は十分間の内に、被害者を殺害したと言える」
鮫崎の説明に納得した高崎は、早速刑事にアリバイを伝える。
「その時間は、部屋に籠っていました。部屋の畳の上に寝ころんで、小説を読んでいましたよ。もちろん証人はいません」
高崎の説明に続き、北村と小野もアリバイを刑事に説明した。
「こっちは部屋に籠って小説を執筆していましたよ」
「音楽プレイヤーで音楽を聞いていました。部屋に籠っていましたから、アリバイはないです」
部屋に籠り小説を書いていた北村と音楽を聞くために部屋に籠っていた小野。ここまでの三人には、明確なアリバイはないと合田は思った。
だが、小澤は右手を挙げ、刑事達へ視線を向ける。
「その時間でしたら、皆さんと同じように、部屋に籠っていましたけど、僕には証人がいますよ。十時二十五分に、国枝さんが尋ねてきましたよ。それから従業員が食堂に集まるように言ってくるまで、僕達は同じ部屋の中にいました」
そうして隣に座る国枝の顔を、小澤は見る。国枝は頷き、刑事達にアリバイを説明した。
「間違いありません。十時二十五分までは、部屋に籠って原稿のチェックをしていましたが、小澤君が言った時間に彼の部屋を訪れましたよ」
全員の主張を聞き終わった合田は、ある人物の発言に違和感を覚えた。
合田は疑念を抱き、容疑者達の顔を見つめる。すると、食堂に鑑識課の刑事が姿を現し、鮫崎に対し、小声で報告する。
「被害者の死因は拳銃で心臓を撃ち抜かれたことによる失血死で間違いないかと。傷の形状から、前方から射殺されたと思われます。それと、殺害に使用された銃弾ですが、おそらく現場に残されていた拳銃から発射された物でしょう。ヘリコプターで遺体を麓に運んで、詳しく照合しないと、正確なことは分かりませんが」
「そうか。分かった」
「それと、被害者の部屋に盗聴器が仕掛けられていました」
「盗聴器?」
「はい。盗聴器からは指紋が検出されています。さらに、現場のゴミ箱から薬莢が見つかったのですが、他にも穴の開いたビニール袋や輪ゴムが数個、使い捨ての手袋が発見されました。もちろん使い捨ての手袋からも指紋が検出されました」
鮫崎が鑑識課の刑事からの報告を受けていた隣で、合田警部の携帯電話のバイプ音が静かな食堂に響く。合田は容疑者達が集結する食堂から離れ、その電話に出た。
『葛城です。面白いことが分かりましたよ。捜査二課の話によれば、朝日奈恵子が絡む横領事件には裏があるようです。彼女の自殺と共に横領の疑いで逮捕された男達。横流しした資金は、最終的に牧田編集部に振り込まれています。現在捜査二課は、牧田編集部に家宅捜索をする手筈を整えているようです』
「なるほど」
『それと小説家の北村聡も朝日奈恵子の愛人であることが判明しました。小野次郎は朝日奈恵子の婚約者です』
「ありがとう。これで誰が犯人なのかが分かった」
合田は電話を切り、前方に広がる日本庭園を見つめた。すると、玄関先から伊藤久美が右に曲がる様子が見えた。刑事は改めて旅館の内装を思い出す。この旅館は中央の日本庭園を囲むようにガラスが貼られている。それは回廊のようで、四方がガラス張りになっているためか、ガラス越しに人々の動きを捉えることもできる。
その旅館の特徴を思い返した時、合田警部は真実を見抜く。
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