宿泊客との接触
同じ頃、陰雷館の廊下を合田警部と鮫崎警部は歩いていた。彼らは三号室の前で立ち止まり、互いの顔を見合わせた。
鮫崎が三号室のドアをノックすると、そこから若い男が姿を見せた。二人はその男に対し、警察手帳を見せる。
「警視庁の合田だが、少しお話を伺いたい。主催者の朝日奈恵子さんとは、どのような関係だったのか? 答えてほしい」
その男、国枝博は突然の警察官の登場に、目を白黒させた。
「主催者の朝日奈恵子さんがどうかされたのですか?」
「ここだけの話。東京で発生した殺人事件の犯行動機に、朝日奈恵子という女性が絡んでいる可能性があるんだ」
「北村先生の新作出版記念パーティーで何回か会ったことがあるだけですよ。それなのに、なぜかこんな晩餐会に招待されるなんて、思いませんでした。でも朝日奈さんは、七年くらい前に自殺されたんですよね?」
「確かにそうだ。だから彼女の自殺に意を唱える人物が、犯行の及んだとみて警察は捜査している」
「なるほど」
国枝が納得を示すと、合田の隣に立つ鮫崎は彼に尋ねる。
「昨晩はどこにいましたか?」
「牧田編集部に停まり込んで、現行のチェックをしていましたよ。もちろん一人で」
次に合田達は隣の四号室のドアをノックした。中からは、売れない小説家のような男が出てきた。
「警視庁捜査一課の合田だが、少々お話をお聞きしたい」
「ちょうどよかった。現実逃避がしたかった所だ」
その男、北村聡は豪快に笑う。
「現実逃避が好きなのですか?」
鮫崎が尋ねると北村は笑みを浮かべる。
「はい。一つの部屋に籠って十時間以上に及ぶ執筆活動を十年以上続けていたら、現実逃避がしたくなりますよ」
一方で合田は咳払いしてから、北村に尋ねる。
「主催者の朝日奈恵子さんとの関係は?」
「パーティーで知り合って、家に泊めただけの関係だ。もちろん浮気じゃないぞ。独身だからな!」
「昨晩はどこで何をしていた?」
「自宅で眠っていたよ」
二人の刑事は、食堂の前の通路を通過して、通路を挟んだ先にある八号室へと向かう。
八号室には、斎藤一成が宿泊している。
鮫崎は斎藤と顔を合わせ、警察手帳を見せると、早速彼に尋ねた。
「麻生さんと面会した理由は?」
「麻生さんはおまけです。あの病院には息子が入院していました」
「ではなぜ西野さんに電話したのですか?」
度重なる鮫崎方の質問に、斎藤は突然怒りを露わにする。
「お金を借りようと電話しました。息子の手術費を払うために。息子の手術をするはずだった執刀医が横領の疑いで逮捕されたと知ったときは、怒ったよ。先に支払った手術費が返還されないという病院側の説明があった。それで金が欲しくなって、頼んだのですが、断られました。まあ、その時間にアリバイはないから、疑われても仕方ないけどね」
斎藤との聴取を終わらせた二人の刑事は、七号室を訪れ、同室に宿泊する高崎一と顔を合わせた。
警察手帳を鮫崎が見せた後で、所轄署の警部は尋ねる。
「麻生さんと面会した理由は?」
「依頼の報告です。友人を探す依頼だったのですが妙なことに若すぎるのです。探し出す友人が。これがその写真です」
高崎は鮫崎に写真を手渡す。その写真を盗み見た合田は、目を大きく見開いた。漆黒の髪を肩の高さまで伸ばした、可愛らしい丸い瞳が特徴的な女。それは朝日奈恵子だった。
「朝日奈恵子」
合田が呟くと、高崎は女の名前に反応する。
「朝日奈恵子さんを探してほしいと依頼されました。彼が病死する三か月くらい前のことです。それと同時期に、西野君からも同じ女性を探してほしいと依頼されました。驚きましたよ。同時期に同じ女性を探してほしいという依頼を受けたからね。彼が殺される直後に電話した理由は、その調査報告のためです」
高崎は一通り事情を説明した。それから鮫崎は彼に尋ねる。
「では犯行当時のアリバイはありますか」
「事務所に籠っていました。つまり証人はいません」
次に二人の刑事が訪れたのは、六号室だった。その部屋をノックすると、小澤実がドアを開け、顔を出す。
鮫崎は警察手帳を六号室の宿泊客に見せ、尋ねた。
「主催者の朝日奈恵子さんとの関係は?」
「分かりませんよ」
思いがけない答えに、二人の刑事は途惑う。
「それはどういうことですか?」
再び鮫崎が尋ねると、小澤はハッキリとした口調で答えた。
「自宅に旅館の招待券が届いたから、ここにやってきただけだから。懸賞でも当たったんじゃないかって思ったけど、宛先は朝日奈恵子という名前でしょう。詐欺の匂いがするから行くのを止めろって友達に言われたけれど、やっぱりタダで飯が食えるチャンスを逃したくなかったから、来ましたよ」
「因みに、昨晩はどこにいた?」
「ネットでオンラインゲームをやっていたかな」
最後に合田達が訪れたのは、五号室だった。合田が部屋のドアをノックすると、慌てて一人の男が思い切りドアを開けた。
「恵子!」
目を輝かせ女の名前を呼ぶ男、小野次郎は、見覚えのないスーツ姿の男の前で正気を取り戻す。
「貴方は誰ですか?」
小野次郎の問いに対し、合田達は一斉に警察手帳を見せた。
「警視庁捜査一課の合田だが、恵子というのは、朝日奈恵子のことか?」
「はい。突然自殺した僕の彼女です。だけど七年くらい前に僕の前に姿を現して……」
「幻覚ではないのですか?」
鮫崎の意見を小野は真っ向から否定する。
「そんなことはありませんよ。何回も街中で見たんです。自殺したなんて嘘だったんですよ。もしかしたら恵子に会えると思って、この旅館に来ました」
「昨晩はどこで何をしていましたか?」
「家で体を休めていましたよ」
鮫崎の隣で小野の話を聞いていた合田は、室内の机に錠剤の入った瓶が置いてあるのに気が付く。その薬が気になった合田は小野に尋ねた。
「あの薬は何だ?」
「僕は精神病を患っています。これは治療薬です」
旅館の宿泊客達に話しを伺った鮫崎と合田は、二号室の合田が宿泊する部屋に戻る。合田が部屋のドアを閉めようとした瞬間、突然彼の携帯電話が鳴る。着信のある携帯電話に耳を当てると、合田の耳に葛城の声が届いた。
『葛城です。殺害された西野について面白いことが分かった。西野は勤務時間外に、七年前に自殺したとされる、朝日奈恵子について調べていたということが分かりました』
「悪いが、その情報は知っているよ。西野は一年と三か月前に高崎に、朝日奈恵子を探すよう依頼したらしい。それと同時期に、七年前の事件の主犯とされる麻生恵一も、朝日奈恵子を探すよう高崎に依頼してきた」
『それなら、これはご存じですか? 西野以外にも勤務時間外に捜査をしていた警察官が二人いたんですよ。一人は、半年前に自宅マンションの屋上から転落死した上条。もう一人は斎藤一成。その三人は、朝日奈恵子が自殺した事件を再捜査していたそうです』
合田は葛城の報告を聞き、顔を青くする。
「まさか、犯人は斎藤を殺すつもりか!」
嫌な予感が頭を過り、合田は電話を切り、斎藤が宿泊する八号室へ向かい走る。
血相を変えた合田は、思い切りドアを叩く。だが、誰も出てくる気配がしない。
ドアノブを握り、回すと部屋のドアは施錠されていないことが分かった。
合田は八号室のドアを開け、斎藤の名前を叫ぶ。だが、前方に仰向けに倒れた状態で動こうとしない人の姿を見た合田の思考は、一瞬固まる。
八号室の畳の上で絶命していたのは、斎藤一成。その遺体は心臓を撃ち抜かれていて、斎藤の近くには拳銃と一枚の紙が落ちている。
悔しさを感じた合田の視線が、遺体の傍に落ちていた一枚の紙を捉える。そこには赤色のボールペンの文字で『TA』と殴り書かれていた。
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