暗黒の溝
「ここは、えいえんのロックラーンド」
佐竹くんの消えた公衆トイレから出てきたツインテールの美少女小学生は、流行りの歌謡曲『タフボーイ』を口ずさみながら公園内の遊歩道を歩いていました。ここは公園の東口から北口を突っ切る最短の道なのですが、両脇をうっそうとした木々が生い茂り、昼でも日が差さない薄気味の悪い場所なので、男の子はともかく、女の子が一人でここの道を通ることはほとんどありませんでした。しかし、ツインテールの女の子は気にする様子もなくトコトコと道を歩いてゆきます。
女の子はふと、道の脇のちょっとしたスペースに、自転車を停めて休んでいる老人を見つけました。女の子が軽くえしゃくをして通り過ぎようとしたところ、老人は「もし」と言って女の子を呼び止めました。女の子は立ち止まり、老人をまじまじと見ました。自転車の後ろに紙芝居の道具を積んでいるところを見ると、近ごろめっきり少なくなった紙芝居屋にちがいありませんでした。
「あら、おじいさん、私になにかご用?」
「見ての通り、わしはしがない紙芝居屋でね。最近は景気が悪くて、今日はまだお客さんが一人もいないんだ。だからお嬢さんがお客さんになってくれぬかね」
女の子は物めずらしげにしげしげと紙芝居屋のおじいさんを眺めると、心がやさしいのか、警戒心がたりないのか、ここが永遠のロックランドだとでも思っているのか、とにかく、スカートのすそを両手でつまみ、チョイとひざを曲げてオシャマにお辞儀をして、「いいですわよ」と言ってほほえみました。言うまでもなく、この紙芝居屋の正体はれいの説教入道です。果たして、このかれんな美少女も説教入道の毒牙にかかってしまうのでしょうか?
例によって、怪紙芝居師はエヘンとひとつせき払いをしてから、芝居舞台の木枠の観音びらきの扉を開きました。そこには、
「片目の魔王 北一輝 対 トランスジェンダー」
という題字が鮮血のような絵の具で描かれています。
「まあ、もしかして恐ろしいお話なのかしら。だったら私、見るのをやめようかしら」
「ワハハハ、そうはいかんよ。この紙芝居はね、女装だいすきな男の娘が、正義の魔王、北一輝の手でめちゃくちゃに引き裂かれる物語さ。君はこれから、上映時間五時間四十分という『アラビアのロレンス』よりも長いこの紙芝居を見なければならないのだ。わかったかね、佐竹武雄くん」
「えっ、私、そんな男の子みたいな名前ではなくってよ」
「ふん、そんなさる芝居はノーサンキューじゃ。君が公衆便所に入っていって、ランドセルから女の子用のワンピースとカツラを取り出して変装して、『トラック野郎』のマドンナみたいにすました顔つきで便所から出てきたことをわしは知っておるのじゃ。わしはお前のいかれた趣味に説教をしてやりたくて、ずっと機会をうかがっておったのじゃよ」
「ウーム、ばれたらしょうがない。いかにも、僕は佐竹武雄だよ」
なんと、この見目うるわしいツインテール美少女の正体は、いがぐり頭の小柄な探偵団員、佐竹くんその人だというのです。狸林団長もよく女の子に化けますが、それはあくまで変化の術を用いているのです。いっぽう、佐竹くんは手ずからのコスチューム・プレイによってその身を変じたのであり、これは一級の変態的技術といって差しつかえないでしょう。
「ワハハハ、ついに認めたな。小学生のくせに、そんな奇怪な趣味に目覚めるとは放ってはおけん。わしが一晩、いや二晩も三晩もかけてたっぷりお説教してやるわい」
怪老人はニタニタと笑い、ロメロ作品のゾンビのように両手を突き出しゆっくりと佐竹くんににじり寄ってきました。しかし、生来勇かんな性格の佐竹くんはひるむことなく、手さげポーチからあるものを取り出しました。
「むむっ、なんだそれは」
説教入道は、ピストルのような飛び道具を警戒して少し後ろにあとずさりましたが、どうやらピストルのたぐいではないようでした。銃器にしては、ずいぶんと平べったい形をしています。
「それはいったいなんじゃ」
「少年妖怪探偵団に入団するともれなく全員にもらえる十徳スマホだ!」
「なんじゃって」
「十徳スマホだ! つまり、子ども用に機能が制限された通常のスマホの機能にくわえ、十の秘密機能が……」
「なんじゃとて」
「だから十徳スマホといって、スマホに十の秘密機能が」
「スマホとはなんじゃ」
「なんだって! ぼくはそこから説明しなければならないのか」
「なんのことやらさっぱりわからん。教えておくれ」
これは大変なことになりました。デジタルデバイド問題といって、IT技術を自然に使いこなせる世代とそうではない世代の間には深くて広い溝が横たわっているといわれますが、こんな局面にまで立ち現れるとは、この社会問題の根はとても深いと言わざるをえませんね。果たして、ツインテールの佐竹少女少年は、IT革命に取り残されたこの老人に、うまくスマホの概念を説明することが出来るのでしょうか。
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