裏窓の怪老人
あやしげな紙芝居男のもとをあとにした舞木君は、その後はみちくさをすることなく、まっすぐ帰宅しました。そして、いつものように夕飯のキムチを食べ、あかすりで体をきよめ、朝鮮半島の方角へ向かってふかぶかと土下座をすると、自分の部屋にこもって、買ったばかりの韓流映画のDVDをプレーヤーにセットしました。
「まったく、あの
舞木君は、うれしさのあまり、パジャマのえりをジョン・トラボルタのようにピンと立てると、ベッドのうえに立ち上がり、両手を糸まきぐるまのようにくるくる回転させたり、テンポよく前後に腰を振ったり、両ひざを内側に折って床につけ、それをまた元にもどす、といった動作を繰り返すことによって前方へ移動したりと、たいへんじょうずにビー・ジーズの「You Should Be Dancing」を踊りたおしました。今でこそ韓流ひとすじの舞木君ですが、ディスコ世代のお父さんの影響で、赤ん坊のころから『サタデー・ナイト・フィーバー』を何百回となく観ていて、映画のなかでトラボルタがおどるダンスはほぼ完ぺきに再現することができたのです。そうして今でも、何かうれしいことがあると、体がかってにフィーバーしてしまうのでした。
「ワハハハハ、うまいうまい」
とつぜん、じぶんしかいないはずの部屋に人の声がひびいたので、舞木少年は、『パルプ・フィクション』でギャング団のボスの若妻が麻薬の吸いすぎで心肺停止してしまったときのトラボルタのように、あわをくってしまいました。
「ななな、なにものだーっ!?」
「ウフフ……お父さまのお仕込みがよいのね。腰づかいがいいわ」
「まきのオーブンでにしんのパイを焼くキキを見まもる老婦人のモノマネで、ぼくをおちょくっているのは、だれだっ、だれなんだっ!?」
「ここさ。ここにいるよ。ワハハハハ……」
「アッ、あなたは……」
カーテンのかげからヌッと現れたのは、なんと、れいの紙芝居師ではありませんか。この男は、いつからかカーテンのかげにかくれ、舞木君のワンマンライブショーをずっとぬすみ見ていたのです。
「こんばんは、舞木君。いや、じつによいものを見せてもらったよ。気分は『裏窓』のジェームズ・ステュアートじゃわい」
「さては、ただの紙芝居屋ではないな。おじいさんは一体なにものです!?」
「何をかくそう、わしは人外の存在、つまり妖怪なのさ。どうだね。わしの侵入にぜんぜん気づかなかっただろう? わしの妖術にかかっては、他人の家にあがりこむことなど造作もないことなのじゃ……おっと、そんな『ホーム・アローン』みたいな大声でさわいでもむだじゃぞ。家族は全員ねむりぐすりで眠らせてあるからね」
「そんな……お願いです! 見逃してください!」
舞木少年は、立てていたパジャマのえりをただすと、怪老人のあしもとにバッタリとひれ伏して、土下座をしました。かれは毎日、朝鮮半島のほうに向かって土下座をするという習慣があるため、人に頭を下げることに対してなんのためらいもないのです。
「お願いです、見のがして下さい! あなたは泥棒で、僕の部屋に盗みに押し入ったのでしょう? 僕がいままで必死にあつめたお宝を盗むだなんて、そんなひどいことは、どうかかんべんしてください!」
「ふん。きみの部屋のいったいどこにお宝なんてあるというんだね」
「エッ……?」
「どれもこれも、くだらない韓流アイドルのグッズばかりじゃないか。まるでそびえたつウンチョスじゃ。ゴミじゃ。みんな等しく価値がない」
老人は身なりに似つかわしいらんぼうな言葉づかいになり、舞木君のお宝の山をののしりながら、チョッキのふところからギラギラと光る大きなマチェーテ(山刀)を取り出し、舞木君にじりじりとせまりました。
「ワハハハハ……おとなしく言うことを聞けば、いのちだけは助けてやろう」
本性をあらわした怪老人は、舞木君にとびかかり、ほそびきで手足をしばりあげました。そして、何をするかと思えば、ざぶとんにあぐらをかいて座り、むかいに舞木君を正座させて、彼の韓流ぐるいについて、こんこんとお説教を始めたのです。ああ、なんということでしょう。こんなことをする強盗なんて、いったいぜんたい、はたしてあるものでしょうか。盗っ人たけだけしいとは、まさにこのようなことを言うのではないでしょうか。
「よいかね。わしはなにも、きみの好きな韓国や韓流アイドルをしんから否定しておるわけではない。君のような感性の新しい若ものがそこまで入れこむのなら、韓流文化にもコンテンツとしての魅力がもしかしたらあるのかもしれん。しかし、君たち前途ある少年少女には、広告代理店が作りあげたおしきせのはやりものばかりではなく、一流の作品や文化、本や映画にふれてほしい、そして、本当に良いものを、自分のちからで探し出すよろこびを知る……そんな大人になってほしいんじゃ。仮想現実に取りこまれ、与えられたものばかりで満足する『マトリックス』の人類のようにあわれな大人になってしまうことを、わしは心からおしむのじゃ」
「お、おじいさん……そこまで他人の子どもである僕のことを考えてくれるなんて……」
怪老人の不敵なお説教は、少しだけ舞木少年の心を動かしましたが、しかしあまりに話がくどく、お説教は数時間の長きにわたって、インターミッションなしで行われたため、からだの弱い舞木君は、やがてぜんそくの発作を起こしてしまいました。
「『マトリックス』といえばSF映画の名作じゃが、そういえばきみはSF映画の金字塔ともいえる『ブレードランナー』を知らなかったな。いかんいかん。そんなことではいかん。ヨシ、今からわしと一緒に『ブレードランナー』を観ようね。ワハハハ、これを観なさい。こんなこともあろうかと、手ずからブレランのブルーレイディスクを持参してきたのじゃよ」
「ゼイ、ゼイ……」
「この映画には色んなバージョンがあるけど、どれを観ようかの。オリジナル劇場公開版? 完全版? 最終版? ファイナル・カット? それともリサーチ試写版?」
「ゼイ、ゼイ……い、息が……」
「エッ、いっき観したいとな? うならせるね。全バージョンいっき観ときたか。ワハハハハ、望むところじゃ。十時間以上かかるけどね」
「ち、ちがう……い、息が……ゼイ、ゼイ」
「ワハハハハ。楽しいのう。では、鑑賞する前に各バージョンのちがいについて簡単に説明しておくとしようかのう。そもそも本作が北米で初めて商業上映された時には……」
「きゅ……吸引器を……」
「コラッ、人が話をしているのに、なにをゼイゼイしたりキョロキョロしたりしておるのじゃ。紙芝居のときもそうだったが、ひとの話を最後まで聞かないのは君の悪いくせじゃな。三流コンテンツにばかり接しておると、こんな不作法な子どもになってしまうのじゃな、かわいそうに。わしがこれからオススメの一流コンテンツを山ほど紹介してあげるから、それらを観て人生をやり直すんじゃ」
「ゼイゼイ、お願いだから……僕を吸引器のところまで連れてって……」
「いかんいかん。そんなホイチョイなことではいかん。これから『ブレードランナー』が始まるんじゃから、テレビの前でじっとしていなさい」
舞木少年は手足をしばられているので、机の上の吸引器を取りに行くこともできません。いよいよおだぶつだ……とかんねんした時、怪老人の顔色がサッと変わりました。
「なんということじゃ、きみのDVDプレーヤーではわしが持参したブルーレイディスクが再生できんではないか。まったく、趣味が三流なら再生機器も三流じゃのう。残念ながら、『ブレードランナー』鑑賞会はまたの機会ということにしよう。……というわけで、これからはもっとわしが満足するような価値あるコンテンツを摂取しておくように。今回はわしからのせんべつとして、この本をくれてやろう。『ブレードランナー』の原作であるこの本でも読んで、もっとまっとうなコンテンツについて勉強しておくんじゃよ」
怪老人は、けもの皮のチョッキのふところから一冊のハヤカワ文庫を取り出し、それを舞木君に無理やり押しつけました。その本は、名にしおうフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でした。
「お、おじいさんは一体……だれなの……? な、なんのためにこんなことを……?」
「ワハハハハ、わしか。わしの正体はね……」
発作と寝不足ですいじゃくしきっていった舞木君は、怪老人のその先の言葉を聞くことなく、そのままスーッと意識をうしなってしまいました。
その後、ねむりぐすりの効きめが切れたお家の人が舞木君の部屋にかけこむと、こども部屋の床には舞木くんが買ったばかりの韓流DVDがこなごなにたたき割られていて、ベッドには、ほそびきで縛られた舞木君がぜんそくの吸引器をくわえたまま倒れていたのです。
これが、やがて帝都を恐怖のどん底にたたきおとすことになる連続怪奇事件「説教入道」事件、第一報のてんまつでした。
はたして、山男のようなかっこうをしたこの怪老人の正体とその目的は、いったいなんだったのでしょうか。
ああ、それにしても、我らが
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