裏世魅魍
一ノ口 木喬
夢見せ、魔となり
知るとともに世界の矛盾を改めて感じた。
しかし、知ったところで吉野夏輝にどうしようもない。
一人の力で変わる程、世界は優しくも脆くもない。
矛盾がはびこりながらも廻る世界なのだから、ある意味強固なものである。
夕日が差し込む教室に二人の女子高校生がいた。
「ねぇねぇ、都市伝説って知ってる?」
「都市伝説……。吸血鬼とか心霊現象とか、そういう類の話?」
「そうそう」
「それがなんの?」
「最近話題になってる噂あるじゃない。……骨事件だっけ?」
「あるわね、そんな噂が。……それに、何の関係性があるの?」
「なんでも吸血鬼の仕業らしいのよね、その事件」
「へー、じゃあ血を吸い過ぎてああなったってこと?」
「いや、なんでもエナジードレインっていうのが原因らしいのよ」
「エナジードレイン? RPG系に出てくる、相手のHPを吸収するやつ?」
「そう、それ。その力によって、骨だけが残ってるって噂よ」
「ふーん。でもそれって、効率悪くない? 吸血鬼って血を吸った相手を眷属できて、その眷属から血とかを分けてもらえたりするんじゃないの?」
「それがまた議論点だったりするのよ。どうしてそんな非効率的なことをしているのかって。……第一そんなことを続けていたら人間が枯渇しちゃうし」
「じゃあ、その仮説が間違ってるとか?」
「その疑問が一番の正解かな。噂は噂でしかないしね。私たちの知らないところで、優れた技術があったりしたらこんな疑問は解決されちゃうし」
「優れた技術かぁ……。あぁ、怖い。こんな想像した自分が怖いよ」
「どんなエッチな想像したのよ」
「エロくないわよ。……いやね、骨を取り除いた人間を作りだして、抵抗できない人間に子供を産ましている永久機関が、って思ったら怖くて」
「あんたの想像力の方が怖いわよ」
教室に大きな影が落ちた。
午前七時。目覚ましの音で吉野夏輝は重い瞼を開けた。
今日は春休み前日で、学校が半日で終わるとわかっていても身体は重い。しかし、行かねばという一種の脅迫概念に駆られながら身体を起こす。
生まれてからずっと過ごしているため、慣れた足取りで一階に向かった。
「おはよう父さん、母さん」
台所で弁当を作る母、朝食を摂りながらテレビと新聞から器用に情報を得ている父に挨拶をした。母はいつもながら明るく返してくれるが、父はそっけない感じで返事をする。
朝食の時は基本喋らないため、黙々と食を進める。食べ終えた頃には父は会社へ向かっていた。
急いで学ランに着替え、旧友である
「悪い雪斗、いつもながら」
「いつもながら気にしないよ夏輝」
少し息を切らしながらやってきた吉野夏輝に対し、本当に気にしていない感じで秋朽雪斗が返答をした。最初の頃は秋朽雪斗も怒っていたのだが、だんだんと怒ることすら馬鹿らしくなってきたらしい。だからこそ、この会話は彼らにとっての挨拶なのだ。
高校までは三十分前後で到着できる。帰宅部であるために運動の機会が減ることから、吉野夏輝母の提案で徒歩で登校している。坂も多いわけではないし、道が複雑というわけでもない。だからこそ、彼らは了承し今でも続けている。
「「おはよー」」
吉野夏輝と秋朽雪斗は教室に入りながら、同時に皆へ挨拶をした。すると、皆が入口に目を向け、会話を止めて、二人におはようと返事をする。
吉野夏輝が席に着いた頃、秋朽雪斗は既に自分の席にカバンを置き、吉野夏輝の席へとやってきていた。そして、自然とクラスの連中も吉野夏輝の席へと集合する。これがいつもの朝の光景だ。
春休み前日ということもあり、春休みの予定を話している。高校生である以上、そんなにお金があるわけではない。なので、限られたお金と日数でいかにして過ごすかが重要である。だからこそ、少量の予定があっさりと決まったりする。
そして、話題は今日の午後となった。半日授業であるため、どうするか決める。結論は高校生の定番、カラオケだ。
そんな話をしていると担任がやってきた。楽しい時間程、あっさりと時間は過ぎていくものだ。
「おーいお前ら、席に着けぇ」
こうして彼らの一日は始まった。といっても、春休みということなので授業はなく、掃除がメインだ。掃除が終われば朝会。そして、クラスで一年間ありがとう等を言い合えば、この日は終了である。
昼食はファミレスで済ませた吉野夏輝ら一行は、商店街のビルにあるカラオケ店に来ていた。誰かが予約をしていたようで、大き目な部屋に通される。
人数が人数のため、一人がそう多くは歌えないが、あらゆるジャンルの曲を午後七時まで歌い尽くした。今日が終わればこうして集まることは難しくなる。二年からは文系理系に別れるためだ。だから、皆精一杯楽しんだ。
カラオケ店を出てからは、自由解散となった。何人かはまだ遊ぶそうで、そっちに流れる組と帰宅組に分かれた。吉野夏輝と秋朽雪斗と同じ方角組はいないようで、二人で帰る。
「いやー、久々に歌ったよ、こんなに」
少し掠れた声で吉野夏輝が言った。
「呼ばれてもないのにデュエットに参加しすぎ」
「いやいや、それでこそデュエット曲の醍醐味でしょ」
「そおぉ?」
「やっぱり盛り上がりが大切だよ」
カラオケの感想を言いつつ各々の家に着いた。
「じゃまた明日。……家くるでしょ?」
さも当然かのように秋朽雪斗は聞いた。
「あったり前よ。この前の負けを取り返してないんだからな」
明日の約束は即決まり、また明日ぁと挨拶し合い別れた。それからも、メッセージアプリを通じて、夜中の三時まで会話は続いた。
夕日も完全に身をひそめた頃、教室には二人の女子高生がまだ居た。
「仮に居たとして、共存ってできないものなのかな?」
「え!? あぁさっきの続きね。うーん、どうなんでしょうね」
「例えばさ、魔女狩りってあったじゃない。あれもさ、完全な終結を迎えずうやむやなまま現代まできてるじゃない。それみたく、ならないかなって」
「……つまり、魔女狩りみたいに時間が過ぎればそんなこともあったねぇ、って言われるくらい静かな争いであって欲しいと?」
「まぁ、そんな感じかな。……こんなにも大きな事件として扱われない、小さなことであって欲しいかな」
「グローバルでみればそうかもだけど、隣にいるかもって思うと怖いよ。……絶対安全なんて保障はないんだから」
「ところでさ、実はあの現場にいたんだよね」
「え!? ……ああ、骨事件の話ね。へぇー、現場にいたんだ」
「うん。……でさ、そこでおかしな私服警官みたんだよね。刑事ドラマなんかだと重要人物がそうだったりするじゃない? じゃあ、なんか大きな組織が動いていてもおかしくないよね、都市伝説だけに」
「それは夢み過ぎだってぇ。そんな組織があれば、今頃解決してるって」
「でも、都市伝説があるってことは隠蔽しきれてないってことだから、
解決できていない。こんな世の中なんだからさ、消そうなんて無理なんだよ」
「情報社会って怖いなぁ」
「私もそろそろ、身元が危ないなぁ」
「え!?」
教室は闇に包まれた。
二年に進級した。吉野夏輝と秋朽雪斗は同じクラスだった。文系理系で友人と別れたこと以外、他に変わったことはなく、一年時代と変わらない日常を送っている。
変化したことといえば、吉野夏輝の生活だ。
吉野夏輝は両親の勧めにより、塾に通うようになった。必然的に秋朽雪斗と遊ぶ時間が減ってしまった。だからだろうか、四月以降少し距離を感じる。言葉では表現ができないような、些細な違いではある。
吉野夏輝が塾に通うようになってから変化したことはもう一つある。それは、睡眠時間である。高校受験まで何の苦労もなく過ごしてきたせいだろうか、塾に通いだした四月以降は日を跨ぐ前に眠ってしまう。それに伴ってだろうか、朝起きると顔がひどい。それこそ老人なのではないだろうか、というくらいに。その顔を見た両親は急いで病院へ連れて行った。しかし、どの病院に行っても言われるのは、精神的な疲れからくるものだろうと。つまりは、原因がわからないらしい。だが、身体への影響はない。時間経過と共に直るということもあり、両親は気にすることを止めた。
そして、四月から早二ヶ月が経ち、六月。
吉野夏輝は重い身体を引きずりながら一階に向かった。最近は手すりにつかまっていないと、落ちてしまいそうなため、手すりを掴んで一歩一歩踏みしめながら階段を下りた。
老けた顔を洗い、台所に向かった。席に着くと、父は入れ替わるように立ち上がった。そして、玄関で母から弁当を受け取ると出社した。
『――――続いてのニュースです。今日未明、○○区の路地裏にておもちゃの骨が人型に置かれているという事件がありました。通報を受けてやってきた警察によりますと、ここのところこういった通報が相次いている。もし続くようであれば、犯罪として検挙していくとのことです。――――』
「いやーね、物騒なことで。隣の区だからって気を付けてね夏輝」
「嫌だなー母さん。ただの悪戯だよ? 何を気をつけるのさ」
「油断は禁物よ。それが事故の元なんだから。それより夏輝、時間大丈夫?」
七時三十分を回ろうとしていた。最近の朝食は控えめだ。だから、その少量の朝食を流し込むように食べ終える。そして、今日からの夏服に袖を通して秋朽雪斗との待ち合わせ場所に急ぐ。
「悪い雪斗、いつもながら」
「いつもだから気にしないよ夏輝」
朝の定型文と化した挨拶代わりの会話をして、二人は高校へ向かう。
「ついに骨事件も全国デビューだな、雪斗」
「らしいね。そんなにメジャーじゃなかったんだね、あれ」
「そりゃ、ここ最近のトレンドだからな」
「そうか聞き過ぎたせいか、昔からあるものだと思ってたよ」
「ははは、気がはやいよ。まだ、二ヶ月くらいだよ」
「そっか。博識には勝てないなぁ」
「博識じゃないってぇの。常識だよ常識」
気さくな会話をしながら、高校に着いた。
「「おはよー」」
吉野夏輝と秋朽雪斗は教室に入りながら、皆へ挨拶をした。一年と変わらず続けている光景だ。皆も入口に目を向け暖かい声で、おはようと返す。
秋朽雪斗は自分の席にカバンを置くと、会話の中心と化している吉野夏輝の席に行き、会話に混ざる。
他愛もない会話が交わされるこの環境が、吉野夏輝と秋朽雪斗は好きだ。だからこそ、二年目も続けている。続いているというよりも、やはり自然と形成されるという方がよい。博識である吉野夏輝は、話題に事欠けることがない。そんな彼と話すことがクラス受けさる。だからこそ、自然と中心になるのだ。
程なくして、チャイムが鳴った。同時に教師もやってくる。
「はーい、席に着けー。……うん?
「なんでも、昨日のテレビが面白くて夜通ししたから、休むそうでーす」
教師を含め、全員が笑う。
「ったく……、俺が怒ってたって伝えといてくれ、
「えー、いくらの給与ですか?」
「バカかお前は。そんな金はないし、朝会を進めないと俺が怒られるだろうが」
「はいはい」
「えーそれじゃ―――」
こうして、いつもの一日が始まっていく。
夏の制服というものは、何気にエロいと授業毎に吉野夏輝は考えていた。
夏仕様で薄い制服、その薄さゆえか、前にいる女子のブラジャーの色、形、そしてその周りにできる小さな肉の凹凸を見て興奮しながら授業を受けている。……かと言って四六時中というわけではなく、授業で暇になったひと時にふと目に留まり、鑑賞して過ごす。
吉野夏輝にとってはある意味至福のひと時は、高校の終わりを告げる鐘と共に終わった。
「―――以上、最近は何かと物騒らしいので気を付けて帰るように。……日直あいさつ」
「起立、礼、さようなら」
全員一斉に「さようなら」と告げ、教室を去る者は去り、先生に用のあるものは先生の元へ、部活動のある連中や暇なやつらは三十分間を潰そうと吉野夏輝の元に集まり、雑談が始まる。
吉野夏輝の博識っぷりを発揮ながら、下世話な話から政治の話まで幅広い分野を冗談交じりで繰り広げる。
しかし、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
三十分程度過ぎた頃から、ぼちぼちと帰る者、部活に向かう者が増えたため、二人もそれに従って校舎を後にした。
「とりゃ」
帰路に着いてから数十分過ぎた頃、秋朽雪斗が突然吉野夏輝の腕にしがみ付く。
「おい、やめろって」
「はは、誰も見てないんだからいいじゃない」
「そういう問題か?」
「じゃあ、寒いの」
「はは、今は夏だ」
「気温の話じゃない。……心の問題」
「……ふ、そういうことね。ま、いつものことだからもうどうでもいいけど」
「ありがとう、夏輝」
誰もいない道沿い、人のいなくなった、人気がなくなった時、こうして肌と肌を接触させている。といっても、ある程度の度を越えない接触だ。
そんな戯れをしながら、吉野夏輝の家へと向かって行く。
吉野夏輝と秋朽雪斗はゲームをした。二人が最近ハマっているのは、FPSという銃を持ったキャラ視点で戦うシューティングゲームである。基本オンラインでやり、国内外のプレイヤーと白熱した戦いを繰り広げる。殺し方や連続して殺した数次第でポイントが変わる。そのポイントが高い方がより強いプレイヤーともいえる。毎日秋朽雪斗は吉野邸に入りびたって、吉野夏輝とポイント差で勝負している。
「ヘッドショット! やりー」
「雪斗、それ俺の獲物だったのに」
「はは、移動すのが遅いよぉ」
「スナイパー野郎が!」
秋朽雪斗はスナイパー使い。吉野夏輝はアサルト使い。現実世界においてスナイパーはかっこいい存在だ。だが、ゲームはそうもいかない。止まっているプレイヤーなど、恰好の獲物だ。だからこそ、動きながら、待ち伏せてなど多種な手段を用いて闘わなければならない。つまり、技術力を多く要する。一方アサルトライフルは違う。長距離も可能であるが、基本は中距離だ。だからこそ、こうして獲物を刈るのに時間差が生まれる。
互いの獲物を取り合ったり、背後を守りあったりしていると、吉野夏輝の母の声が聞こえてきた。
「ごはんよー」
二人は返事をし、切りのいいところで食堂に向かう。
吉野夏輝は二年になってから塾に通い始めているため、少し早めの夕食だ。
秋朽雪斗の母親は、秋朽雪斗が生まれると同時に亡くなった。そのため、今は父親と二人暮らしである。その父も帰りが遅い。だからこうして、吉野邸の夕食に同席する。
十九時になる頃には、吉野夏輝は塾に行く仕度ができている。秋朽雪斗もそのまま吉野邸に居ても仕方がないため、自分の家に帰ろうとする。
吉野邸の前で、また明日と挨拶をしあい各々の目的地に向かう。
塾は終わり、二十一時頃に吉野夏輝は帰宅した。それからは、課題をしたり、風呂に入ったり、ニュースとニュースアプリを使って幅広く情報を得たりし、時間を過ごす。
そして日を跨ごうとするとき、勉強の疲れからくるどうしようもない睡魔に従い、眠る。こうして、吉野夏輝の一日は終わった。
ある話題で盛り上がっていると、始業のチャイムが鳴った。いつもならここで教師が入ってくるのだが、今日は事情が違うようだ。
「すまんすまん遅れた」
謝りながら教師がやってきた。
「あれ? 今日は優奈も休みか?」
教師は二つの空席をみてそう言う。
「二人して、一昨日の面白かったテレビでも観て、サボったんじゃないですかあ?」
クラスの誰かが茶々を入れ、笑いが起きる。
「あいつらには反省文だな。……ああ、そんなことより、今日からクラスの一員になる転校生を紹介する」
騒がしかった教室がさらに盛り上がる。
「やっぱ、かわいい女子いいなぁ」「いやいやイケメンでしょ」
など、予想を立てる。今日の朝の話題は、この転校生である。昨日までと違い席が一つ増えていたため、各々で予想を立てて盛り上がっていた。
教師が手を叩くと、クラスは静まった。入ってきてくれ、という教師の合図で一人の生徒がやってきた。
「自己紹介してくれ」
担任は窓側に数歩ずれて、転校生が教壇の真ん中に立つように仕向けると、自己紹介するように勧める。
「
静寂だった教室が、お通夜のような静寂に包まれた。輝かしく目を光らしていた女子でさえ、豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔をしている。頼りになるはずの教師ですら、黒板に転校生の名前を書く手を止め、口をポカンと開けて、転校生を見つめている。すると、転校生は担任からチョークを奪うと、サラサラッと自分の名前を書いていった。
転校生が名前を書き終えた頃、教室は時間を取り戻した。
「き、菊池は口ではこう言っているが、仲良くしてやってくれ。引っ越ししてきて日が浅いせいでいろいろと気苦労しているだろうから、その緊張もほぐしてやってくれ」
そんな教師の必死のフォローを受け、まばらな拍手が発生した。
こんな自己紹介をされれば、クラスとしてもどう反応したらよいかわからない。ただ、クラス全員が、
――まぁ、なんとかなるだろう――
と、何となくそう思った。
転校生はそそくさと教壇を降りると、迷うことなく席に向かった。事前に教師から自分の席の位置を聞かされていたようだ。
「秋朽、急事の際は頼んだぞ。それと、教科書は持っているらしいか大丈夫だそうだ」
教師は要点をまとめて伝えた。それを秋朽雪斗は首肯で答える。
朝会はそのまま流れて行った。
朝会が終わり、一時限目までの僅かな時間。秋朽雪斗は隣の席にやってきた菊池一に挨拶をした。
「秋朽雪斗。よろしくね、菊池君」
至ってシンプルな挨拶と右手を出した。しかし、その右手は握られることはなく、
「うっせぇ! 関わんじゃねぇ!!」
と、怒声を上げた。菊池一と話そうと近寄ろうとしていたクラスの連中も動きを止める。つまり、このクラスの時間が止まった。
一時限目の教師が早めに教室に来た。そして、教室の空気を感じ「お前たち大丈夫か?」とすごく心配した。その一言でクラスは時間を取り戻した。各々に、大丈夫でぇすと申し訳程度に発し自分の席に着く。
こうして、一名の心が折られながらも、一日は始まる。
その日の休み時間は、とても暗かった。いつも元気が嘘のような空気だった。この日に体育が無くてよかったとすら、クラス中が思った。こんなにも孤独な空間を作れる人をみたことがないからだ。
こうして、菊池一の初登校日は孤独で終わった。だが、本人が望んだ空間なのだから、仕方がないかもしれない。
次の日。菊池一は学校に来なかった。
担任から「お前ら、仲良くしてやってくれよ。怒られるのは俺なんだからな」と、至って保身的かつ自己中心的な発言をした。だからと言って、クラス全体としてはどうしようもない。会話をしようにも怒られ、翌日は休む。コミュニケ―ションを取れという方が、困難である。
結局一週間、菊池一は学校に来なかった。その間、クラスはいつもの雰囲気を取り戻し、和気藹々と過ごした。
月曜日。週の始めがやってきた。
月曜日と聞くだけで、どこか憂鬱な感じがする。
なにせ、月曜日が来れば五日連続で必ずと言って言い程学校に行かなければならいからである。
つまらなかったり退屈な授業、嫌いな教師に会わなければならない。
学校に行くという行為に何も良いことが含まれない。友達に会えたり、遊んだりすることはプラスだが、相対的に見ればマイナスが大きい。
結果的に、学校は好かれることもなく、月曜日が好かれることもなかなかにないのである。そうはいっても、学校に行かなければならないし、行かなければ何も前には進まない。
吉野夏輝と秋朽雪斗が学校に着きいつものようなとりとめのない会話をしていると、朝会ギリギリの時間に菊池一がやってきた。
暗い一日が始まるのだろうかとクラスの皆が思った。
事件。いや、クラスの暗い雰囲気と菊池一にとってはきっかけとなった出来事は、四時限目に発生した。
その授業中、菊池一は消しゴムを落とした。落ちた消しゴムはそのまま転がって、秋朽雪斗の机近くに着地した。それを秋朽雪斗が拾ってあげようとする。必然、菊池一の手も伸びてきた。そして、手と手がぶつかりそうになる。その時、何かが弾けるような大きな音がした。
解説途中だった教師、クラスの皆もその大きな音に反応した。
秋朽雪斗は右手を擦りながら、はにかんでクラスの皆に反応を返す。
授業は何事もなかったかのように再開され、やがて終了した。
昼休みなり、さっき起きた事を聞こうとクラスの大半が秋朽雪斗の周りに集まってくる。大丈夫だったか? など当たり障りもない質問をされ、その解答を返していると、菊池一が椅子を勢いよく下げる。そして、九十度近くに腰を曲げた。
「先ほどはすみませんでした」
初日以来とも言える菊池一の発言にクラスは静かになる。
「それと皆さんも、すみませんでした。……その、なんかもうむしゃくしゃとしていたというか……俺、転校続きでいまいち心の安寧を得れていないというか…………本当にすみませんでした。もう辛くて辛くて仕方ないんです。親とも最近うまくいってなくて、家に居れば両親に罵詈雑言で居場所がないし、学校に来ても初日にあんな事言って居場所無くしてしまって、もうもう―――」
切羽詰まった感のある菊池一の発言を、皆まで言わせずとばかりに、吉野夏輝が菊池一の頭を自分の胸に押し当てた。
「もういいよ、菊池君。……辛かっただろうに。もう、俺らが居場所だ。少なくとも俺は、お前の居場所になるよ」
そういって、吉野夏輝はより強く菊池一の頭を抱いた。
こういったことを自然にできるからこそ、吉野夏輝は誰からも好かれクラスの中心たらしめしているのである。
吉野夏輝が菊池一の頭を離した後は、クラスの皆が菊池一を囲んで昼食を取り、親睦を深めていった。菊池一も吉野夏輝同様に知見が広いようで、会話に適当なツッコミを入れ盛り上がった。ただ一人、秋朽雪斗だけが面白くないような顔をしていた。それもそのはずだろう。最初に打ち解けようと話掛けたにも関わらず、それを拒否したのだから。それなに、いとも簡単にこんな打ち解けるなど面白いはずがない。
そんな、秋朽雪斗の心はいざ知らず時間は過ぎていった。
クラスは明るくなり、あっという間に五日が過ぎた。菊池一は運動もできるようで、体育の時間は輝かしかった。陰鬱の要素となると思っていた人物が、思わぬ光源と化したのである。
秋朽雪斗はやはり、裏では菊池一に対して面白くないと思っている。五日間、吉野夏輝に帰り道などで説得をされるもののうまく呑み込めずいた。
ただ一人の反発など小さなもので、クラスは明るく五日が過ぎたのであった。
日曜日。
秋朽雪斗はいつも、土日を吉野夏輝宅で過ごすのが日課だ。しかし、菊池一と打ち解けた週の日曜日は違う。
いつものように秋朽雪斗が吉野宅のチャイムを押すと、吉野夏輝ではなく、吉野夏輝の母が応答し「今日はクラスの友達とお出掛けするって聞いてたけど」と言われた。だが、秋朽雪斗はそんな話は聞いていないし、連絡がきたたわけでもない。そうですか、とだけ告げて秋朽雪斗は吉野宅を後にした。
深追いしすぎるのも良くないと考え、秋朽雪斗は自宅で本を読んで夕方になるのを待った。夕方になれば、帰宅するなり何らかの情報が回ってくるだろうと考えたからだ。
しかし、何も情報は来なかった。
来なかったならまだしも、吉野宅に行っても帰ってきていないと言われた。
心配になった秋朽雪斗は、クラス全体に連絡を取り、吉野夏輝が誰といるのかを調べた。
結果、誰も知らないという返信が帰ってきた。
一人を残して。
ほぼ不眠不休で秋朽雪斗は吉野夏輝の捜索にあたっている。吉野夏輝の両親には、秋朽雪斗の家に泊まるという嘘を告げてある。心配を掛けたクラスの連中にも、同意の返答をしてある。
現時刻は午前三時四十四分。
一通のメールを受信した。
画面に表示されたものは、登録されていないメールアドレスのために名前が表示されず、短い英文が表示された。いたずらメールかと秋朽雪斗は無視をしようとしたが、@マーク以下のローマ字が正しい携帯会社の名前を示していたため、閉じずにそのメールを開いた。
内容はシンプルで、たった一行と二枚の画像。
だが、それだけあれば秋朽雪斗は十分だった。
今の状況がいかなるものなかを理解するうえでは。
送られてきた内容は以下である。
吉野夏輝は預かった
一枚目の画像には、椅子に縛られボロボロの吉野夏輝。
二枚目の画像には、居場所を示す地図。
秋朽雪斗はその場所がどこか理解すると、死にもの狂いで走った。
少し道を間違えつつも、全力疾走で二十分近く掛け、目的である廃倉庫までやってきた。
正面にある金属でできた大きな扉以外にないかと、軽く周囲を見渡したがなかった。時間を掛け過ぎると吉野夏輝が危ない。得策ではないが、秋朽雪斗は別の入口を諦めて、大きな扉を開く。
金属と金属が擦れる音と重いスライドドアを開く音が響いた。
秋朽雪斗が足を踏み入れて感じた匂いは、埃の匂いと鉄の匂いだった。
秋朽雪斗は息を殺しながらすり足で、倉庫内の中央近くまで歩を進める。
すると、秋朽雪斗の右方向から何かが振り下ろされた。
それを秋朽雪斗はとっさに右腕で防いだ。鈍い痛みが走る。
「不意の一撃を防ぐとは、さすが」
右側に気を取られていると、逆側から声がした。だが、その声に反応している暇はなく蹴り飛ばされた。
数メートル滑り秋朽雪斗の身体は止まる。そして、片膝を立てた状態になり、顔を上げると同時に倉庫内に照明が灯された。
とっさに顔を伏せる。数秒後には目がそれなりに慣れたため、顔を上げた秋朽雪斗の顔には驚きと怒りの表情が浮かんでいた。
「菊池ィ!!」
秋朽雪斗の視線の先に居たのは、転校生の菊池一と白皮白髪の吉野夏輝だった。
「下等生物ごときが、頭が高いぞ!」
声を発した菊池一ではなく、刀を構えた吉野夏輝が秋朽雪斗に襲い掛かった。
時間は遡ること、午前七時。
吉野夏輝のもとに一通のメールが届いた。差出人は菊池一であった。
内容は至って簡単だ。秋朽雪斗との間に距離感を感じるため、プレゼントを贈りたい。そのプレゼントに何が良いかを一緒に考えて欲しい、とのことだった。
ちょうどいい機会だと吉野夏輝は思い、秋朽雪斗が家を訪ねてくる時間帯より早い時間に、親にも都合の良い言い訳として友達と遊んでくる、とだけ告げて家を出た。
秋朽雪斗が家を訪ねてくるのはいつも午前十~十一時頃のため、九時頃に家を出たのはいいが、菊池一との待ち合わせ時間は午後二時である。そのため、残りの時間つぶしのためにマンガ喫茶に入り、店の情報や時事ネタを手にいれたり、昼を食べたり短い仮眠をとったりして時間を過ごした。
午後二時になり集合場所である駅に行くと、すでに菊池一が待っていた。
下調べは菊池一もしてあったそうで、互いの情報を基にして店を回った。吉野夏輝は秋朽雪斗との過去話など菊池一から聞かれた事に適宜答える。そうすることにより、いかに秋朽雪斗がいいやつかということを菊池一に教えたがったのだ。
途中休憩を挟みつつ、菊池一の財布と相談しながら一番何がいいか互いに悩みながら買うものを決めていった。
買い物を終えた時刻は、午後六時を少し過ぎた頃だった。
吉野夏輝と菊池一は今、菊池一の最近のお気に入りという喫茶店に来ていた。
路地裏にあったそこは、建物の作りは昔ながらの家をモチーフにしており、外に看板が置いてなければ店だとは思わない風貌だった。それを示すかのように、この店に客が一,二人しかいなかった。この雰囲気とレアリティ感が堪らないと菊池一は語った。
店に入りに好きな席に座ると、吉野夏輝はコーヒーを、菊池一は紅茶を頼んだ。
届いたコーヒーには苦みというものがなく、砂糖をいれたわけでもないのにそこはかとしれない甘味を感じた。
吉野夏輝が関心しながら飲んでいると、菊池一は不敵な笑みを浮かべた。
しかし、そんな顔を見ている吉野夏輝の視界は次第に焦点を失っていった。
吉野夏輝が目を覚ますと、そこは知らない倉庫の中だった。
天井に向かって伸びた等間隔に配置された柱、ところどころひびが入り雑草が伸びているコンクリートの床。そして、そんな殺風景の中で異色を発揮しているのが、吉野夏輝の周囲に置かれた二台のスタンド型ランプと、ワゴン型の台車である。より一層に異色を発しているのは、台車の上に置かれた物だ。置かれていたのは、食事ではなく、むしろ、吉野夏輝を食材として捌いて食事にしようではないかと言わんばかりの禍々しい物であった。
辺りを見渡し、菊池一がいるか確かめるために声を出そうとする。しかし、声はでなかった。なぜならば、口にはボールギャグが噛まされていたのだから。
声にもならない唸りを上げていると、柱の陰から菊池一が現れた。
「ようやくお目覚めかね。後で薬の盛り過ぎだときつく言っておかねばならいね」
嘲笑うかのように言い、菊池一は吉野夏輝の近くにやってくる。
「これから君には僕の仲間になってもらう。……拒否権はないに等しいと、言っておこう」
そんな横暴が許されないとばかりに、吉野夏輝は声にならない唸りを必死に上げた。ボールギャグを噛まされているため、反論できそうでできない。菊池一の狙いの一つでもある。どちらが今、上の立場かという。
「まあまあ落ち着きたまえ。この世界の有り方を知ればきっと君も考え方を変えてくれると信じてるよ。……それに、君の置かれていた状況を鑑みればきっとわかってくれるよ」
こいつは何を言ってるのかと真剣に悩んだ吉野夏輝は、ひとまず黙ることにした。
そして菊池一は語り始めた。
この世界の裏側を。
決して一般人には知りえない世界を。
菊池一は
この組織は昔から存在していた。はるか昔から。
昔から存在していたのになぜ今まで、表沙汰になっていなかったか。
理由は至って簡単である。
今ほどの数、裏世魅魍が居なかったからだ。
古き時代は人間の数は少なく、また医学や科学の知識には乏しかった。
だからこそ、現代でいう都市伝説という形で処理され、変死体があがろうが神の啓示などと称して処理してきた。
しかし、時代が過ぎて行くに連れて人間の数は増えていった。
比例して裏世魅魍の数も増していき、裏世魅魍の食料と化した被害者の数も増えた。
人間が大きく動きだしたのは、日本がちょうど平安時代の頃だと言われている。
討伐隊を組み対処に当たったのだが、相手の特性を完璧に理解していたわけではないため、敗戦を強いられることが多々あった。
だが諦めること無く対処に当たり続け、昔程ではないものの、討伐したりされたりを繰り返している。
そして、今のある意味平穏な時代がある。
これが大まかな菊池一の主張であった。
そして、菊池一はわざとらしく喉を鳴らし、
「ここからが重要だ」
と、言った。さすがにしびれを切らした吉野夏輝は大きく声にならない声を上げる。
すかさず菊池一の蹴りが吉野夏輝の脛に入る。
吉野夏輝があまりの痛さに悶絶していると、自業自得だ、とだけ告げて再び菊池一はわざとらしく喉を鳴らし、
「秋朽雪斗は
そう淡々と告げた。
そして、不敵な笑みを浮かべながら近づいてきた菊池一は吉野夏輝のボールギャグを外す。ようやく、吉野夏輝に解答の権利が与えられた。
「おまえ、頭病み過ぎだろ」
久々に発した第一声は、少し掠れていた。
さすがの菊池一も大きく声を上げて笑った。
「あーあ、……ま、そうなるよな。だけどな、いくつかの確証はある」
「ほー、その御託を聞こうじゃありませんか」
「まず決定的証拠として、俺の聖刻にあいつが反応したことだ」
「
おもむろに菊池一は左腕の皮をめくる。
「これが聖刻だ。……そんな目で見るな、この皮は特殊シリコン製だ。痛くもなんともない」
シリコン製の皮の下から現れたのは、赤黒いいくつもの線が刻まれた左腕だった。菊池一曰く、この赤黒い線が聖刻と呼ばれるもののようだ。
「……反応したっていうのは?」
「それは、月曜日のあの事件のことだよ」
月曜日の事件。
つまり、菊池一がクラスに溶け込めるようになった、あの出来事である。
「つまりは、あの破裂音みたいなのが……そうだと?」
「ご名答。正確には違うが、それのことだ。あれは、聖刻と裏世魅魍が触れ合った時に発する拒絶反応のようなものさ」
「はは、そんなのなんとだっていえるさ」
吉野夏輝は笑いながら答えたが、菊池一は冷静なまま解説をする。
「確かにそうかもな。……だが、あいつは俺に対してあからさまな拒否反応を示している。他の連中とは違い、あいつだけは冷たい態度のままだった」
「そ、それは、完全な好みの問題じゃないのか?」
「ここからが第二の確証だ。……秋朽雪斗は元々、そんな態度をとるヤツだったか?」
「……た、確かに昔とは対応が――」
「成長過程の話をしているんじゃない、ここ最近のヤツの話をしているんだ」
「………………し、四月頃からか。……雪斗の行動に不信に感じる点はあった。……で、でもそんなのなんだっていうんだよ! 新学期の始まりなんだから、キャラ変えしただけかも知れないだろ!?」
「四月頃。お前に変化はなかったか?」
「俺の話は無視かよ。……四月頃だろ…………眠気が増えたことかな?」
「それだ! お前が死なずに生きていることを考えるとそれだ。……つまり、入れ替わったのは四月か」
「ま、待て。さっきから何を言ってんだ! 入れ替わったってなんだ! 全部説明しろ!」
「安心しろ、今から全部解説してやるよ」
「……」
「四月頃、秋朽雪斗は死んだ。いや、こう言った方が伝わるか。秋朽雪斗だった人間は四月に死んだ、と」
「な、何言ってんだよ。雪斗はちゃんと生きてる!」
「だから、元々の秋朽雪斗は死んだって言ってるだろ。今生きているのは、秋朽雪斗の皮を被った別人だ」
「は、はっ!? 別人? この歳まで雪斗と関わってきたが、あいつはあいつだ」
「そりゃそうだ。夢魔はその人格もコピーすることもできるからな」
「……」
「ヤツらの能力として、大きく二つある。……一つは人間の皮の生成だ。二つ目は、その皮を着ることによってその人間になることができる」
「? なんだ、ドッペルゲンガーの話か?」
「それとは違う。……そうだな、あいつらは人間の生力を奪う」
「せいりょく?」
「生きる力で生力。いわゆる、エナジードレインだ」
「吸血鬼なんかがする?」
「残念ながら、吸血鬼伝説にエナジードレインは登場しない」
「……」
「ヤツらは生きた人間に対して、骨と皮だけを残し生力を吸い取るんだよ。そして、そのできた皮を着るんだよ。するとな、大きさが合わなくても肉体がその皮の大きさに応じて大きくなったり小さくなったりして、合うようになるんだよ。完全に着込むとヤツらは、その元皮の保持者の記憶を引き継ぐことができる。そして社会に潜りこむ。潜りこみ、食事を繰り返すんだよ」
「はは、大した妄想力だこと」
「現実とは理解されがたい物だよ。……君がどう思おうが自由だ。だが! これが現実なんだ。少なくとも、本物の秋朽雪斗は二ヶ月前に殺されて、夢魔が入れ替わったのは変わらない事実なんだ!」
「くっ……」
「だいたいの事情を説明したところで、本題に入っていこうか」
「本題だと?」
「ああ、本題だ」
そう言って菊池一は、台車の上に置かれた注射器を手に取った。注射器の先端に付いていたキャップを外し、小瓶に先端の針を刺した。小瓶の中には赤い液体が入った。
小瓶の中の液体を全て注射器に移し終えると、注射器のケツ、押し子と呼ばれる部分を軽く押し、注射器中の空気を完全に外に出した。
「すべてを素直に受け入れれば楽に済むさ」
そう笑顔で言いながら、吉野夏輝の左腕に注射器を刺し、赤い液体を流し入れた。
入れられた液体のせいか、朦朧とする意識の中、菊池一による拷問が始まった。
あれからどのくらいの時間が過ぎたのだろうか。吉野夏輝は呆然とする意識の中、思った。
痛みで手足の感覚はとうになく、菊池一の問いにひたすら否定するだけ。それだけの時間が過ぎていた。
もう何度目だろうか、
「お前の、お前の時間を奪ったヤツを許せるのか!?」
そんな言葉にタオルで猿轡をされた吉野夏輝は首を振って答える。
この数時間の拷問は執拗なまでに辛く、吉野夏輝はすっかり変貌をとげていた。
爪を剥ぐ際も、最初は小指の爪から。小指の爪を剥ぐ時は、これくらいの痛みという証を吉野夏輝に教えるために、爪を剥ぐ器具を一気に作動させて剥いだ。でも、一気に剥ぐとそんなに痛みはない。だが、自分の爪が剥がれるというイメージだけで、精神的に大きなダメージを与えれる。次に薬指、次に中指、次に人差し指、次に親指、片手が終われば逆の手、小指から順に剥されていく。だが、すべって一気にやったのでは意味がないために菊池一は、一つ指を移動させるたびに、爪を剥ぐ動作を遅くしていった。中途半端に剥がれた爪程痛い。きれいに剥がれなかったらペンチを使ってきれいに取る。そんな痛みを九回分繰り返された。
それだけでは終わらない、必要までにいろいろと試された。
例えば、頭から袋を被らされて中にゴキブリを入れられたり、口の中にミミズを入れられたり、目をテープで無理やり開かされた状態で目の前に針を置かれたりと、肉体的精神的にイジメ抜かれた。
しかし、菊池一もここまでのことがしたい訳ではない。むしろ、したくない。
打ち込んだ液体は、菊池一の血液できた特殊な液である。これを打ち込まれた対象は、液の元となった血液者の奴隷になる。奴隷というのは誇張表現ではあるが、その人物を主とし行動する。副作用として、白皮白髪――つまり、アルビノという症状が出る。これが、奴隷になった人物の見分ける一つの方法である。そして、日光を嫌うのもまた一つの特徴だ。だが、アルビノの症状が顕著に出るのは稀である。多くの場合は、互いの合意のもとでやるため、顕著に出ることはない。
普通であれば、裏世魅魍の被害者は裏世魅魍に対して恨みを持つ。その恨みが大きい程、この液は効きやすい。ただ単純に、一般人を部下として闘ったところで役には立たない。この液を打たれることで、その人物は筋力増加される。恨みが大きい人程症状は顕著に出て、力の増加量が違う。
「この手は使いたくなかったんだが、しょうがない」
二本目を使うことは禁止事項にあたる。何が起こるかわからないからだ。だが、菊池一は使う。そこまでして、吉野夏輝を自分の支配下に置き、吉野夏輝VS秋朽雪斗という状況を作りたいようだ。
菊池一は新しい注射器を取りだした。そして次に取り出した小瓶は、先ほどのものより赤黒い液体が入っていた。それを注射器の中に入れ、吉野夏輝の左腕に刺した。
拷問のせいか、左腕に刺された注射器をひどく痛がる。
「大丈夫だ、すぐに楽になる」
楽とは……。そんな考えに行きつくかつかないところで、吉野夏輝は意識を失った。
そして、時は今に至る。
菊地一の指示に従い、吉野夏輝は刀を両手で携え、秋朽雪斗に襲い掛かる。
秋朽雪斗は生力を使い戻った右手で手元にあったガラスを拾い、吉野夏輝の刀をそのガラスで受け止める。
「夏輝! 雪斗だ、目を覚ませ!!」
「……」
「なつ、き?」
吉野夏輝の耳には秋朽雪斗の声は届いていない。
「ふ、ふははは。無駄だよ、む・ま・く・ん」
「!?」
菊池一の笑い声を聞き、秋朽雪斗は力強く刀を押し返した。吉野夏輝と距離を取る。
「きさまあ!」
「夢魔ごときが、我々に触れるんじゃないよ」
秋朽雪斗が菊池一に襲い掛かろうとすると、吉野夏輝が盾となりその道を妨ぐ。
「これが! これが、人間のすることか!」
「ああそうだとも、合理的な契約のもとに成り立った関係だが?」
「笑わせんじゃねぇ! あんなにもアルビノの症状が出てる時点で、貴様の傲慢が招いた結果だろうが!!」
「いやいや、こうして彼は生きている。これは、成功例なのだから正式に契約はなされているのさ」
「結果論なんて聞いてんじゃねぇ! 俺が言いたいのは――」
その時、口論の隙を見て吉野夏輝が襲い掛かってきた。
吉野夏輝に今まで剣道の経験なんてない。そのはずなのに、吉野夏輝の太刀筋はきれいなものだ。この襲撃だって、足音を殺し間合いを詰め、秋朽雪斗の視界に入りずらい下からの逆袈裟切りだった。この芸当は、あの液の効力である。主の持つ戦闘技術の数割を受け継ぐことができる。
寸前のところで避けたものの、鼻の頭すれすれを刃先が通っていく。
「止めるんだ、夏輝!」
呼びかけても一切反応がない。
素手では不利なため、少しで対等な状態に立とうと秋朽雪斗は、柱からむき出しになった鉄網を握る。すると、その鉄網がみるみるうちに形を変えて、刀の形になった。
「おお、ようやく闘う気になってくれましたか、夢魔さん」
夢魔は生力を吸う。
ならば逆も可能である。
生力を放出する。
今の芸当がその一つである。物質変形。
対象物に触れた状態で生力を流し込むと、その対象物が自分の思った形状へと形を変化してくれる。
今回ならば、刀のイメージを持ち生力を流し込む。そして、対象物が持つ質量に担った分の大きさなどを持って具現化する。
「何度見ても大した芸当だ」
菊池一は関心しながらも動かない。やはり闘うのは、秋朽雪斗と吉野夏輝である。
それからも、数度刀を交え、呼びかけても吉野夏輝に変化はなかった。
真っ暗な空間に、誰かと秋朽雪斗が闘っている映像を映したディスカッションを見ている一つの人影がある。
「ここは?」
「やぁ吉野夏輝。ここは君の心の中さ」
「きみは?」
「僕はさしずめ、菊池一の刀心。ココロの片割れと言ったところかな?」
「おれは、しんだのか?」
「死んでないよ。確かに、打たれた液は劇物に近い。でも、取り扱いを間違えなければ死なないよ。……と言っても、二本目は僕も驚いたけどね。あの夢魔君に感謝しなきゃだね。そうでなきゃ、死んでたよ」
「おまえはなんなんだ」
「はは。僕は厳密に言うと、菊池一の昔さ。……ヤツは孤独だった。
子供の頃にヤツの両親は、裏世魅魍に殺された。唐突の死だった。討伐隊としての歴史は、菊池家は短かった。だから、辞めることもできた。だがヤツは闘う道を選んだ。両親の聖刻を無理やり受け継ぎ、ただ両親を殺した裏世魅魍を駆逐したいがために努力した。この刀だって、元は単なる無名刀さ。それをヤツは、本物に近づけたんだ。……だが、いつしかヤツのココロは理性を失った。弱い自分を認めず、泣いた過去を捨てた。それが僕であり、ヤツの強さであり、ヤツの弱さだ。何も考えず、何も得ない闘いは無意だ」
「……おれを、あっちにかえしてくれないか?」
「それは無理だ。あっちの夢魔と一緒で、ココロが二つあってはダメだ。あっちは夢魔という特殊な環境だからこそ、なんとか生きていけてるだろうが。奴隷であり、人間であるお前には無理だ」
「ゆきとのココロが二つ……。はは、バカだなあいつも」
「察しがいいのはありがたいが、お前、死ぬぞ?」
「いいさ。ゆきとをきるよりいいさ。うごかないからだだってうごかしてやる。なにがなんでも、おれはやる! やるんだ!!」
「熱き努力は好きだよ。……いいだろう、もがくだけもがけ!」
八相の構えから袈裟切りをすると読み秋朽雪斗は、防ごうと同じ打ちをする。しかし、金属のぶつかり合う音は鳴り響かず、鈍い音がした。
秋朽雪斗の刀には刃が存在していなかったことが幸いし、吉野夏輝の胴に入った刀は肋骨を多少傷つけるだけで済んだ。
「なつ、き?」
「……」
吉野夏輝は無言で微笑んだ。
「夏輝」
秋朽雪斗は刀を捨て、吉野夏輝に抱き付いた。
「バカな!? 何をしている、さっさと始末しろ!!」
起こることのない事態に焦りながらも、菊池一は変わらずに夢魔の始末を命じた。主の命令は絶対である。それは奴隷にとって不変の思考だ。いくら意識が戻ろうが実行しようとする身体の構造には逆らえない。
今までのように素早くではないが、しっかりと左手で秋朽雪斗を掴みながら、ゆっくりと吉野夏輝は右手に持った刀を振り上げた。
逃げようと思えば逃げれたのかも知れない、だが秋朽雪斗は吉野夏輝を信じることにした。
刺される! と歯を食いしばった秋朽雪斗の耳に届いたのは、金属が落ちる音だった。そして、吉野夏輝の右手が背内を強く打った。
「な゛つ゛き゛ー」
少し嗚咽の混じった声で秋朽雪斗は叫び、吉野夏輝とともに膝から崩れていく。
秋朽雪斗は頬に一筋の温かみを感じる。見ると、吉野夏輝が左目から涙を流していた。秋朽雪斗までもが嬉しすぎて泣きそうになりながら、軽く吉野夏輝の背中を叩いた。
こんな暖かな空間を良く思わない人間が一人居た。
菊池一は聖刻の刻まれた左腕を差し出す。すると、聖刻が赤く光りだした。
「主が命ずる。目の前にいる夢魔を殺せ!!」
すると、吉野夏輝の左腕に赤い線が浮かび上がり、右手を近づけていくと刀が浮かび上がってきた。浮かび上がった刀は先ほどの物より小さく、どちらかと言えば、ナイフに近い大きさだった。
その刀を逆手持ちし、そのまま秋朽雪斗の背中に差し込んだ。
「ぐっ」
秋朽雪斗は苦痛に顔を歪ませながらも、吉野夏輝の拘束を解こうとはせず、逆に強く抱き寄せた。
それをお構いなしに二回ほどさらに刺した頃、吉野夏輝の手が止まり、
「■■■■■ッ!!」
声としては捉えがたい雄叫びを上げた。その刹那、吉野夏輝の全身から血が勢いよく飛び出す。
「な、なつきぃ!」
力強く抱いていた力を弱めると、糸の切れたマリオネットのごとく吉野夏輝の身体は崩れていった。
「夏輝。夏輝。どうしたんだよ。夏輝!」
「はは、初めて見たよ。これが、命令に逆らうってことなんだよ。分かったかゴミ蟲ども!」
「わかるか!! 人間の尊厳をここまで削っておきながら、人の死をバカにするヤツがいうことなど理解できるかあ!!」
そう叫びながら、吉野夏輝の血で真っ赤に染まった秋朽雪斗は、自分で作った刀を握りしめ菊池一に突っ込んでいった。今度は、相手を生かすのではなく殺すために、刀の刃は鋭利にして。
菊池一はそれに対抗すべく、左腕から刀・菊一文字則宗を取り出した。これが、菊池家に受け継がれてきた武器である。裏世魅魍討伐隊に所属する人間は皆武器を継承し、その闘い方も継承していく。そうして彼らは裏世魅魍に対抗してきたのである。
丁々発止が鳴り響く。
防ぎ防がれ鍔ぜりあいになった。
「ははは、いいね! いいねいいね!! そうだよ、その顔! その眼だよ! それでこそ、夢魔だよ!!」
「夢魔なんて呼び方すんじゃねぇ!」
「夢魔に夢魔と言って何が悪い?」
「秋朽雪斗という名前があるんだよ!!」
「はは、夢魔ごときが人間の名を語るんじゃない!」
彼らは距離を取った。
彼らは彼ら自信の抱える主張を持って闘った。
秋朽雪斗曰く、夢魔のすべてが忌避される存在ではない。秋朽雪斗自身そうであるように、人間を骨と皮だけにする完食をメインに生力を喰っているのではない。現に、秋朽雪斗は吉野夏輝から少しずつ生力を奪うことによって、この二ヶ月間を過ごしてきた。たしかに完食をする方が効率を考えた面ではとてもよい。だが、そんなに喰わずしても、人間の身体を保つために普通の食事を摂って、夢魔としての身体を保つためにわずかな生力を喰うだけで生きいける。多少人間側に面倒を掛けるものの、共存が可能である。ましてや、全ての夢魔がそんなに食事をするわけではない。多少喰わずともやっていける。努力しだいではあるが、被害を抑えていける。
菊池一曰く、夢魔は忌避すべき存在である。吉野夏輝から生力を奪い、この二ヶ月間生きたというが、その代償はとても大きい。夜中の十二時に完全睡眠に就くのならば、普段夜中の一時まで起きていたとしたら、お前が奪った時間は約六十時間になる。貴様らより寿命の短い人間にとってこの時間は大きい。ただのドジッ子がこけて皿を割ったら弁償して買い替えればいいのとは全く違う話だ。過ぎた、奪われた時間は帰ってこない。ましてや、一歩間違えば命を簡単に奪えるような存在と共に生きて行かねばならいのか。そんな吊り橋上の生活は絶対に不可能である。だからこそ、人間の住みよい環境作りに夢魔を掃討する。そのためなら、一般人の犠牲もいとわずに闘って勝つ。
これが彼らの平行線上の主張である。
他にも彼らは語りことは山ほどある。だが、今こんな小さな闘いを通して世界が変わるわけではない。
世界は待てと言って待ってくれるほど甘くはない。
だからこそ、今やるべき目先のことを語り、明日どう生きて行くべきなのかを考え、問い、こうして闘っている。
互いに時間を忘れて打ちあった。
互いにひどく消耗しきった。
秋朽雪斗は、生力を用いて自身の身体の傷をある程度は治したり、刀のほころびを直したりして闘った。
菊池一は、自らに刻まれた聖刻で刀のほころびは直るものの、生傷はなかなかそうはいかず、軽い止血をするのがやっとだった。
お互いの能力は、一長一短である。
秋朽雪斗は生力が尽きれば何もできない。
菊池一は先代までの知恵の結晶で効率的に体力、聖刻の力を振るうことができるために、秋朽雪斗程度ではないにしろ、持久力はある。
生力がもつか、聖刻の力がもつか。これが雄雌を分ける。
互いに間合いを取りながら、すり足で円を描く様に回っている。
すると、菊池一の左足に障害物が当たる。
「ちっ、死体になっても邪魔すんのか!?」
そう言って、障害物もとい吉野夏輝を蹴飛ばした。吉野夏輝は仰向けの状態から、うつ伏せの状態になる。
「菊池、テメェ」
その行為を見た秋朽雪斗は怒りに任せ、菊池一に切りかかる。
菊池一が秋朽雪斗の刀を防ごうとした時、左足に激痛が走った。
思わず左下を見ると、顔を真っ赤に染めつつ、笑いながらガラス片を刺す吉野夏輝が居た。
「ゴミ共がぁ!」
「終わりだ、菊池ィィィ!!」
秋朽雪斗が放った袈裟切りが鮮やかに決まる。菊池一の胴から噴水のごとき勢いで血が噴き出した。
ドサッ。
菊池一の身体が強く地面を打った。自分の死を覚悟したのか菊池一は口を歪ませながら、力強く告げた。
「貴様ノ人生ニ呪イアレェッ!!」
驚き、両目を見開いた秋朽雪斗。数秒固まり、菊池一が完全に動かないことを確認してから、吉野夏輝のもとへと駆け寄った。
「夏輝!?」
片膝を立て、吉野夏輝の頭を軽く持ち上げる形にして秋朽雪斗が呼び掛けた。
「……あり……とう……な……」
「ううん。感謝するのはこっちだ」
「……ち……がう……」
「何が違うんだ?」
「……きょう……までの……」
「今日まで? 何言ってんだよ。今病院に連れて行ってやるからな」
「いい……んだ。もう……もたない……」
「あきら―――」
「にかげつかん……ありがとう…………ほんとうのあいつじゃ……なかったけど……あのじかんは……たのしかった」
「……」
「あいつの……いしじゃないかも……だけど…………俺は、雪斗を愛していたからゴホッゴホッ」
「もう喋るなって!」
「もくてきがちがっていたかもだけどゴホッゴホッ、おまえとのじかんは幸せだった」
「……なつき……。違う! お前との接触はこいつとの約束なんだ!!」
「はは、お人よしのあいつらしいや…………さいごにいいか?」
「最後と言わずに何だって言ってくれ」
「キスをしてくれないか」
「ああ。愛してたよ夏輝。……嘘偽り無く心からな……」
キスをする2人を朝日が祝福するかのように照らした。
吉野夏輝の身体が完全に灰になるまで、秋朽雪斗はキスを続けた。
秋朽雪斗の大きな嗚咽が廃工場に響いた。
世界には矛盾が運びっている。
しかし、世界はまわる。
だからこそ、その矛盾を隠そうと大きな力が働く。
それは結果として、正常という箱の中に矛盾という要素を強く硬く押し詰めた世界になった。
そんな世界に生きている。
どちらかが悪と決めた時点で、相対者も悪と決めるだろう。
共存は可能かもしれない。
しかし、不利益があれば排除という考え方が根底にある限りそれは決して覆ることはないだろう。
矛盾を抱えてまわる世界なのだから。
硬く閉ざされた箱をこじ開けることなんて今更不可能なのだから。
◆
三月の終わり。入れ替わる前の秋朽雪斗は薄着で、この時期にしては寒い夜の街を駆けていた。
「ハァッ……ハァッ……」
少し嗚咽が混じりながら、それでも一定のリズムを刻んでいた。
秋朽雪斗は父親と喧嘩した。きっかけは些細なことであった。だが、それが許せなかった。だが、父親に勝てるはずもなく裸足で薄着のまま脱兎のごとく逃げている。
ふと、秋朽雪斗は足を緩める。
先の電灯下に不思議なものを見つけたからだ。にじむ目をこすり、視界をクリアにする。そして、それを見た。
電灯下に居たのは、血だらけの女の人だった。
秋朽雪斗は目を疑いながら、介抱しなければと思い、その女性に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
秋朽雪斗は心配そうに聞く。そして、救急車を呼ぼうと携帯を取り出そうとする。すると、血だらけの女性は秋朽雪斗の手を止めた。
「大丈夫です。アナタが来てくれたからぁっ!」
秋朽雪斗は力が抜ける感覚に襲われる。それと同時に、女性はひどく身震いをした。
「アンタ、同種かい!?」
「え!?」
「みつけたよ、夢魔!」
数個先の電灯下にいる少女が声高々に言った。そして、その少女は弓を放ち、一筋の光が伸びる。
秋朽雪斗はこの状況が理解できなった。理解ができないが故に、女性を守ろうという心に従い、女性を右に押し倒す。すると、秋朽雪斗の右腹に、何かが刺さる鈍い感覚が広がる。
「っ……!」
「アンタ、正気かい」
「ああ……」
秋朽雪斗は痛みで顔を歪める。刺さった矢をみると、三本の矢が刺さっていた。
「引くぞアンタ」
そういうと、傷が嘘のように、女性は秋朽雪斗を担いで飛び上がった。そして、闇に消えた。
「餌を捕まえたみたいですな。……すぐに追いつきます」
弓を放った少女はそう言って、闇に消えた。
「増加の矢。それがヤツの力さ。ヤツが放った矢に当たった対象に、追加で
秋朽雪斗と女性は、古民家に居た。そして、女性は介抱しながら説明を続ける。
「私はさ、アイツに追われてて、さっきもアンタから生力を少しでもらわなきゃ、ヤバかった。……でもまさか、同種に出会うとはな」
「初めて会ったよ……」
「あらそうかい、珍しい。アンタから匂いがしないあたり、逃走かい?」
「たぶん……違う」
逃走という意味では、秋朽雪斗の今の状況は合っているだろう。しかし、女性の言いたい逃走とは意味が違う。女性の言う逃走とは、裏世魅魍討伐隊からの脱走のことである。つまり、彼らからの拷問を命からがら逃げてきたのか、という意味である。
「そうかい……、じゃあなんで匂いがしないんだい?」
「匂いというのがわからないが、こう言えば伝わるのかな? 生力を吸ったことがない、と」
女性の介抱のおかげで多少楽になった秋朽雪斗は、頭を絞って言った。すると、女性は笑った。
「聞いたことないよそんな話。良く生きていられるね」
夢魔として生まれれば、夢魔としての知識が頭の中にある。必然、秋朽雪斗にも夢魔としての知識がある。だからこそ、女性は夢魔としてエナジードレインをせずして生きていられる秋朽雪斗を不思議に思う。
秋朽雪斗の家系に元々、夢魔、裏世魅魍としての血はない。裏世魅魍は家系と突然変異の二種からなる。当然、秋朽雪斗は後者だ。夢魔の親から夢魔が生まれるのは必然である。故に、親もそれを熟知したうえで出産を行う。しかし、秋朽雪斗の親にそんな知識はない。故に、親は食事を多く摂り体力をつけて出産に挑んだ。だが結果として、胎内時は無意識のうちに働くエナジードレインの影響により母親は死んだ。このエナジードレインは成長してからの物より弱いため、骨と皮だけになることなく、衰弱しとして扱われるレベルである。
これが、秋朽雪斗にとっての最初とも言える夢魔としての生き方であった。
夢魔にとって、エナジードレインは究極の食事である。一度この味を味わえば、病みつきになり次を次をと望む。それはまさに、満たされることのない杯のごとく、欲求が満たされることはない。
しかし、秋朽雪斗は違う。この味を味わったことがない。子供の頃から、頭の中の悪魔は食べろと囁き続けた。だがそれに打ち勝ち、エナジードレインをすることなく、満たされぬ欲求に刈られることなく生きている。
だからこそ、今こうして本物の夢魔。飢えた獣に出会えたことで、秋朽雪斗は確信することができた。
「お前らってバカなんだな」
「何?」
「果てぬ欲求を追い求め続け、人間を殺し続けた。結果として駆逐される。滑稽でなければなんなんだ」
「味を知らぬものに言われたくはないわ!」
「知ったことが罪なんだろうが! 知らなければ俺みたいに生きていける。何も恐れず、何に怯えることなく」
「それが夢魔としての生き方ではない。ただの、ただの人間の生き方だ」
「人間だっていいじゃないか。耐える努力をしないで生きるよりかは、よっぽどいい。血生臭いであろう生活よりは、いいぞ」
「何も知らぬ小童がぬかせ! 我々は――」
「俺の生力をやる! それで学べ!!」
生力が無く、深手の傷。介抱されたところで、時間はそうないと悟った秋朽雪斗は、自分を差し出した。
「共食いなどしたくない」
断られることは予想の範囲内だった。
「お前も死ぬだけだぞ」
秋朽雪斗から多少生力を奪ったところで、女性の傷が完治するかといえばそうではないようだ。女性はそれなりに生力を吸っているが、連戦の影響のせいか、残量が少ないようだ。このままで、あの少女をやり過ごすのも厳しい。この居場所がバレるのも近いだろう。そして、戦闘になれば負ける。
だが、秋朽雪斗の提案通りにすれば、勝機はある。
「くっ、……不味くてやだが、やってやる」
渋々承諾した。
「そうか、じゃあ取引といこうか」
「はは、やっぱりそう来るかい」
「そりゃねぇ」
秋朽雪斗は笑顔で答える。
そして、秋朽雪斗は心中を語った。
秋朽雪斗は吉野夏輝という男性を愛したこと。秋朽雪斗が吸いたいという欲求に刈られている時、彼といた時間が安らぎだった。心の支えになった。結果、それがそういう気持ちなんだと理解した。そして今日、父親に言ったら激怒された。父親からしたら怒り狂うのもわかる。だが理解して欲しかった。ただそれだけだった。
と話したら、女性は大いに笑った。だが、理解してくれたようだ。
女性は生力を吸う事を禁ずる。そして、吉野夏輝との仲を取り持つ。
女性は納得してくれた。
古民家の居間からみえる庭に、一筋の陰が伸びる。
「やあ、殺しに来たよ」
あの少女だ。少女は左手の聖刻から、矢を取り出し、弦にセットし構えた。
「待ってたよ女」
入れ替わった秋朽雪斗が、古民家から出てくる。手には古タンスから取り出した、古刀を手に携えて。
「そんな武器で殺れると?」
「やってみなければ、わからないさ」
「それも、そうですね。では!」
少女は冷静に矢を放った。きれいに矢は、秋朽雪斗の心臓を狙っていた。だが、逆にそれは読みやすくもある。現に、秋朽雪斗は矢を刀で弾いた。衝撃で刀が折れる。しかし、秋朽雪斗は素早く折れた刀の頭部分を、空中で掴んだ。そして、少女の首に刺しこんだ。
「……!」
声が出ること無く、少女の身体は崩れていった。
「バカ正直過ぎるだろ、ド素人が」
そんなセリフを吐きながら、秋朽雪斗は自宅に帰って行った。
入れ替わった秋朽雪斗は、元の秋朽雪斗の約束を破った。
生力は吸わない。だが、あんな蜜の味を知ったモノに耐えられる訳はない。
入れ替わった秋朽雪斗は最初、吉野夏輝を殺すつもりでエナジードレインをした。だが、ある程度吸ったところで力が発動しなくなったのだ。いわゆる呪いだと思った。
だが、結果は違った。意識の奥底には、元の秋朽雪斗が居た。
居たからこそ、葛藤なりの意見を持ち、どっちつかずであった。
だが最後。元の秋朽雪斗は生き残った。半々な意識の中、菊池一と闘い勝った。二人がキスをする。それが奇跡を起こし、元の意識は完全なる意識をして存在することとなったのである。
これが、幕前にして幕後の真実だ。
裏世魅魍 一ノ口 木喬 @inokuti
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