あいつ

 選抜試験第六戦。第二闘技場・ムスペルにて、ミーリ・ウートガルドの戦いが始まっていた。相手は、風紀委員の上級生。

「レーちゃん、お願い」

「はい、マスター」

 ロンゴミアントを下げて、レーギャルンの手を取る。その手の甲に口づけをして姿を消した少女が残した箱を足元に、手を前に差し出した。

害なす魔剣レーヴァテイン

 宙に現出される、複数の黒剣。熱のこもった刃を向けて、発射のときを待つ。その数を見て、霊力を感じて、対戦相手は戦う意欲を削がれてしまった。

「ま、参りました……」

 一歩も動かないどころか、一秒の戦闘もなく試験が終わる。レーギャルンを手にしたことで、ミーリの勝利はさらに揺るぎにくいものとなっていた。大体の人はミーリの膨大な霊力で複製される圧倒的数の剣を恐れ、戦う意欲さえ湧きはしない。

「ミーリ殿、我が秘剣の十一連以上に挑戦したいのだ。付き合ってくれないか?」

「十連もできればもういいんじゃない? あまり限界を超えてこうとしてると、無理して体痛めるよぉ?」

「そうか? うぅん……」

 庭園のベンチで、時蒼燕ときそうえんはそう言って悩む。彼はミーリとの対戦で負けてしまったが、その後は連勝を決めて、先行する神討伐の選抜メンバーに選ばれた。速度のある攻撃力が、生徒会の目に留まったようだ。出発は一週間後である。

「ところでミーリ殿、ちょっとした質問なのだが……いいか?」

「どうぞぉ」

「ミーリ殿は、何故この学園に入った。あまり神を敵視しているようにも見えないし、戦いに意欲があるわけでもなさそうだし」

「そだな……あおくんは?」

「私は、自分の剣術を磨きたいというのがあって……それがもし人々の役に立つなら、これ以上のことはないと思った次第だ。神々を相手にするというのも、まぁ興味があったが」

「ふぅん……」

「それで、ミーリ殿は?」

 何故、この学園に来たか。その答えをミーリに求めると、数が多い。

 師匠に言われたからというのもあるし、戦いが得意だったからということもある。神々が人類を全滅させるのを食い止めたいという、一応それっぽい理由もなくはない。だが理由としてはどれも不足で、これというものではなかった。

「そだなぁ……会いたい子がいるんだよ。そいつは人間かもしれないし、神霊武装ティア・フォリマかもしれないし、神様なのかもしれない。そんなよくわからない奴でさ。とにかく、そいつにもう一度会いたい。それが理由かもしれない」

「想い人、という奴か?」

「まぁね。あいつが俺のことどう思ってるのとか、知らないけどさ」

 何だかあまり知ってはいけないところを聞いてしまった気がする。本人は興味がないから知らないが、ミーリという男は結構人気で、思いを寄せる女子生徒も多い。一年下の蒼燕のクラスでも、ミーリのファンクラブがあるくらいだ。

 まぁ見た目も全然悪くないし、学内最強の強さだし、女子にも基本優しい。しかもそこまで完璧じゃなく、非の打ち所があるというところが逆にいいらしくて、ミーリは女性に人気だった。本人が知らないのが不思議なくらいである。

 だが今聞いた話を一番聞かせてはいけないのは、ミーリの今のパートナー二人だろう。絶対に言わないようにしなければ。

「どしたの蒼くん」

「い、いや、なんでも……そうか。会えるといいですなぁ!」

「そだね」

「ミーリ!」

「マスター!」

「蒼燕様!」

 庭園の売店で飲み物を買っていた三人が戻ってきた。あいつの話をして少し沈んだ気分を、やや強引に口角と共に持ち上げる。そうでもしないと、ロンゴミアントが感付いて心配させてしまう。それだけは避けたかった。

「ミーリ?」

「ん? いやぁ、眠くてさぁ……」

「そう、なら安心だわ」

 ミーリの頬に口づけして、飲み物を手渡す。彼女が武器化するとき以外にもこうして口づけするようになったのも、ある日そのときからだった。

――ミーリ! ミーリ! みぃりぃぃぃ……

 あの日流した彼女の涙を、忘れることはできない。いや、忘れてはいけない。あいつとの思い出と同じくらいに。

 そんなロンゴミアントを心配にさせるようなことを、無論彼女の知らないところでしているミーリは、嘘をつくのは苦手なので色々と理由をつけて一人外出していた。

 来たのはもう随分久しぶりとなる、街の中でポツンと立っている稲成いなり神社。鳥居をくぐって手を清め、そして賽銭箱にコインをトスした。

「狐登場! ですわ!」

 賽銭箱から金銭の入った音が聞こえて、奥から扉を開けて現れた女神様。お賽銭がなければ死んでしまう九尾の狐は、久々のお賽銭に九つある尻尾をユラユラと揺らした。耳までピクピク震わせる。

「まぁまぁミーリ様、なんとお久しぶり。私に頼みごとをして以来まったく訪れませんので、忘れられてたのかと思いましたわ」

 まぁずっと存在忘れてたんだけど。

「そんな短期間で見つかるとか思ってないからさ。一応ひと月待ってみた。で、結果は?」

「全然、ダメでしたわ」

 狐の耳がヘタリと折れる。そこまで期待をしていたわけではなかったが、ミーリもそれなりに落ち込んだ。

「せめて名前を教えてくださいな。いくら狐がこの身を分かれて探しても、その人かどうかわかりませんわ」

「ごめん、それは無理。探してって頼んでおいてなんだけど、あいつの名前はそう知られたくないんだよね」

「まさか札付きですの? それとも神ですの?」

「さぁね、それは知らない。だからこそ、見つけて聞き出したいんだよね。あいつが今、どこで何してて何者やってるのか」

 ミーリのことをあまりよく知らない狐だが、彼が真剣なのはなんとなくわかった。眠気でまぶたを重くしていた目の力が、一瞬で強くなったように見えたからだ。

「まぁ、約束は約束。これからも探し続けますわ。でも何かヒントを下さらない? さすがにノーヒントでこれ以上は難しくてよ」

「……じゃあヒントね。あいつと最後に会った日、あいつは神霊武装と契約をした。あいつが持ってたのは、箱型の立体パズルみたいなものだった」

「それが武器なんですの? そんなの、神が持ってらしたかしら……まぁそれだけ特徴のあるものなら、見つかるでしょう。では、また探しに行ってきますわ」

 狐は立ち上がり、その身を九匹の半透明な狐に分かれる。うち八匹が先に跳んでいき、一匹がミーリの足にすりついた。

「またお賽銭、よろしくお願いしますね」

 狐の頭を、ミーリが撫でる。先に炎がついた尻尾を振って、甘える声で鳴いた。

「約束は守るよ」

「では」

 狐が跳んでいった空を見上げる。夕焼け空を走る雲は濃くて速く、夜にはその晴れ空が嘘のように雨が降りそうだった。湿気のある風が、なんとなくそんな予感を強める。

「……帰ろ」

 雨が降る前に帰ろう。そう思って、鳥居をくぐる。だが帰ろうとする足取りを、一人の人物を見つけた目が止めた。荒野空虚あらやうつろだ。鳥居の前で、何やら深刻そうな顔で俯いていた。

「どうしたの、ウッチー」

「……ミーリ、少しいいか?」

 空虚に誘われて行ったのは、そこから遠くない大きな植物園だった。学生は入場無料なので、金銭面で困っている生徒も気にせず立ち寄ることができる。中には世界各地から集めた草花が元気にしているが、空虚は中には入らず、外の噴水がある公園の方に誘った。

 噴水の側にあるベンチに隣同士で座るが、その距離はやや遠い。いつもよりもずっとよそよそしいというか、避けられている感じだ。

「それで? 話って何」

 そんな悪い雰囲気からは早く抜け出したくて、ミーリは用件をつい急いでしまった。あとあと考えれば、それは失敗だったのだろう。

「ま、まず、昨日はありがとう助かった……礼を言う」

「うん」

「……以前、おまえとギッシュ・スルトの戦いがあって。そのとき、私とリエンの試合もあったろう……あれから、その、リエンがおまえに何か言ったか?」

「リエン……いや、何も?」

「そ、そうか。なら、よかった」

「何が」

「いや、なんでもない」

 二人の間が沈黙する。周囲は歩いてる人々やデート中のカップルなどでそれなりに賑わっていたが、二人の間だけは物凄く静かだった。こういう重い空気は、ミーリが不得意とするところである。

 その沈黙を破ろうとしたが、話では破る方法が思いつかない。結果立ち上がり、その場から離れようとした。だがそれを止めたのは、先に沈黙を破った空虚の声だった。

「ミーリは……!」

「何?」

 そのときの空虚は全然らしくなかったというか、変だった気がした。いつもの堂々とした態度も何もなくて、元気がないというか、しおらしい。もはや表情の変化を悟らせないとかそういうのもできてなくて、言うならば、か弱い女の子になっていた。

「もし、もし、仮の話だ。今おまえに異性が交際してほしいと、付き合ってほしいと言って来たら、おまえは……おまえは、どう、するんだ」

 ずっと静かだったその場に風が吹く。

 黒い髪が舞い、彼女の赤くなっている顔を度々隠す。そんな顔を、あいつは一度もしたことがなかった。あいつはいつも笑ってて――

「……俺、好きな奴いるからさ。ずっとずっと好きだった奴がいるからさ。多分今は、誰が告白してきても、断ると思う。たとえばそいつが死ぬって言っても、俺は断ると思う。それくらい、好きな奴がいるんだ」

「……そうか。へ、変なことを訊いて悪かった。連れ出して、悪かった。それだけだ」

「ウッチー?」

 空虚は泣いていた。聞かなければよかったと、後悔している顔をしていた。涙で濡らした真っ赤な顔を、手で強引に拭い取った。

「み、見苦しいものを見せた! じゃあ、またな!」

 待ってと手を伸ばしかけたが、言葉が出てこなかった。仮に出たとしても、彼女を止められなかっただろう。たとえ止められたとしても、その後がない。

 結局空虚はそのまま走り去ってしまった。

 本当の気持ちとはいえ、答え方が悪かっただろうか。とにかく友達を泣かせてしまった。さすがの能天気にも、今回は応える。

 周囲を歩いていた人々もみんないなくなって、噴水は誰のために水を出しているのかがわからなくなる。唯一そこにいるミーリも元から噴水などに興味はなくて、見る気もしなかった。

 だがその噴水の上からだった。声がしたのは。

「あぁあ、女の子泣かせちゃったね。ミーリ」

 噴水はいつの間にか止まっていた。まるで彼女を濡らさないように。

 風はいつの間にか止んでいた。彼女の髪を乱さないように。

 だがそいつは濡れることも乱れることもどちらかというと喜ぶ子供のような奴だということを、ミーリは知っていた。

 噴水を照らす水場のライトが、彼女を照らす。

 夜空よりも黒い長髪。あらゆる白より白いのではないかという肌。小さな体を隠している黒のドレスワンピース。小さな足は裸足で、ブラブラと揺らしていた。

「ユキナ……?」

「久しぶり! ミーリ!」

 彼女の赤い虹彩が、喜々として光った。





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