竜頭竜尾――断頭

女神の聖盾

 少女はずっと遠くを見つめる。

 戦場の最中、自身もまた敵と対峙している最中だというのに、黄昏れるかのような目で遠くの空を見つめて、涼やかな、どこか寂しげな表情を浮かべていた。

「スサノオ、ベルゼビート・・・・・・情けないとは言わないわ。あなた達はよくやったもの。結局、私一人が生き残る結末だけが用意されているの。それを世界が許すか否か、これはその答えを導き出すための戦いなのよ。だから――もっと必死になりなさい?」

 荒野空虚あらやうつろは、己の双眸が映している光景を疑う。

 アテナ、アポロン、アルテミス。

 神話に名高いオリンポス一二神の中でも戦闘に特化した三柱が揃ってかかって、たった一人の少女に返り討ちにあい、倒れ伏している。

 自分が捨て身の攻撃で両脚を奪い、彼女が有していた神々の権能の大部分を削ったというのに、それでも三柱もの大神を相手に圧倒的強さを誇る彼女の強さは、どこまでいっても底が見えない。

 アテナの絶対を約束された防御力は微塵に砕ける。

 アポロンの放つ疫病は咳払い一つで払い除ける。

 アルテミスの銃撃は舞うように――どころか、実際に舞って躱す。

 神話に名高い彼らの権能さえ、嘲笑うことすらもなく、何事もなくたかが服に付いた土埃を払う程度の力であしらってしまうのだから、もはや彼らが本当にかの高名な神であるのかさえ疑ってしまう。

 疑わざるを得ないほど、ユキナ・イス・リースフィルトは圧倒的強さを誇示していた。

 空虚も対峙したが、自分との戦いでも果たして本気を出していたのか怪しいものだ。いや絶対に、彼女の本気からはほど遠い力で相手されていたに違いない。

 もしも彼女の本気の力の一端にでも触れていれば、自分など微塵に砕け散っていたことだろう。ほかの結末をまるで想像できない。

 自分の中に宿るエレシュキガルですら、妹を宿すユキナという少女の存在を軽んじていたことを隠しきれず、絶句のあまり言葉が出てこなかった。

「兄、上・・・・・・ご無事、ですか」

「見ての通りだ、妹君。肋骨は折れ、肺に刺さって呼吸もままならず、心臓は機能を低下させてしまっている。そう長く戦闘を続けられる体ではない。せめて文字通り、一矢報いる覚悟で最後の矢を放つだけだ」

「ならば、私も狩人らしく追い込んでみせましょう」

 拳銃を捨てて背筋を曲げ、目線と姿勢を低くして両手をついたアルテミスの構えはまるで獣の如く、自らを狩ろうと矢を射かける狩人に突進し、向かって行こうとする四足獣のよう。

 さらに細かく絞れば、彼女が手塩にかけて育てたかの狩人が仕留めた猪の魔獣のように、牙こそないが、牙を思わせる鋭い覇気をまとって、いついつでも突進できる体勢に入っていた。

「チャンスは一度きりです。兄様」

「構わない。私もそれが限界だ。タイミングは、君に任せる」

「では・・・・・・」

 アルテミスはタイミングを計っているようで、しかし実際にそこまで正確に計っているわけではなかった。

 何せユキナはいつでも隙だらけで、いつ突進しようが変わらないからだ。タイミングを計り、隙を窺い、ここだというときに突っ込めばいいような相手ではない。

 だが逆に言えば、いつ飛んでも結果は同じ。訪れる結末が成功になるか失敗になるかは、完全に自身の身のこなし次第ということだ。

 故に、アルテミスは完全に自分の中で最も意識と集中力が高まった瞬間のみでタイミングを計り、勢いよく飛び込んだ。

 アルテミス自身が狩人の放つ矢の如く、獲物目掛けて風切り音を立てながら駆け抜ける。

 ユキナは自慢の武脚で迎え撃ったが、咄嗟にアルテミスが軌道を変えて空振りに終わる。

 ユキナの頭上を弧を描くように跳んだアルテミスはそのまま止まることなくユキナの周囲を走り回り、跳び回り、ユキナを翻弄しようと試みる。

 ユキナの目は、本来捉えきれるはずのないアルテミスの最高速を完全に捉えており、翻弄できてはいない。だがユキナは油断故、別段追わなくてもいいかと面倒がる場面がある。アルテミスが仕掛けるとすれば、その瞬間だ。

 アルテミスが仕掛ける。ユキナはそれを反射的に繰り出した脚で応じる。

 が、小柄故に低い位置から繰り出される蹴りよりもさらに低い姿勢でアルテミスは飛び込んで、もう片方の脚にタックルを仕掛けてユキナの脚を払う。

 体勢を崩されたユキナは前のめりによろめき、振りかぶられた拳をまともに腹に喰らって打ち上げられる。

 縦に横に体が空中で回転し、ユキナは自由を奪われる。だがまだ、自ら勢いを殺して体勢を立て直すことが可能な程度の勢いだ。

 故にアルテミスは追い打ちをかける。

 猪突猛進。猪の突進力で以て右から左から、落下してくるユキナ目掛けて突進を繰り返し、回転する力を加速させ続けてユキナに体勢を立て直させる隙も力も奪っていく。

 最後にユキナの真下に潜ったアルテミスがユキナの腹を蹴り上げて空高く打ち上がったところで、アポロンは最後の霊力を込めた矢を放った。

 かの大英雄が太陽を撃ち落としたとさえ謳う、炎と疫病を司る破壊の矢。命を育む太陽さえも殺した破滅の矢。

 名はない。名を与えれば、矢は世界そのものをも破壊し、破滅を引き起こす最悪最凶の矢となりかねない。故に名のないことは枷であり、そうでもしなければ、今放ったこの一撃は、ユキナだけでなく空中庭園も、さらには真下の戦場すらも塵も残さず滅したことだろう。

 だがそれでは誰の勝利でもなく、ただの破壊だ。戦いですらない。故にアポロンは無言のまま、名を与えぬままに全霊を込めた無名にせざるを得ない最強の矢を放つ。

 ユキナは両脚で矢を受け止めるが、勢いを殺せずそのまま飛ばされる。

 数キロ、数十キロと遙か遠方まで飛ばされて、戦場からも遠ざかっていき、ユキナが両脚に霊力を収束させて矢を相殺しようとしたとき、矢は煌めく紅蓮の炎で輝いて、爆ぜた。

 紅蓮色の灼熱が、漆黒の核を中心に抱いた禍々しい炎の塊となって一瞬膨張し、一瞬で漆黒の核諸共に収縮。直後、音を置き去りにした赤雷が広がったかと思えば、人の目には追いきれない速度で群れる雲を蹴散らし、青空を紅蓮に染め上げる。

 太陽も月も地上へと落ちて、訪れた宵闇の世界に落ちた太陽が爆ぜて広がった紅蓮の世界は、まるで終焉の序幕。

 これから訪れる終焉に怯える生物の声がすべて聞こえそうなほどの静寂を、紅蓮がもたらす灼熱と衝撃、炸裂音が同時に突き破る。

 命は尽き、生物は死に絶え、光は途絶えて楽園は崩壊を迎える。

 それら、世界の終焉を想起させる凄まじい炎熱と衝撃音を炸裂させる破滅の矢が、戦場より遙か遠方のさらに空高い上空で巻き起こる。

 たった一人の少女に向けて放つには過ぎる代物ではあるが、相手は普通の少女ではない。現にここで滅ぼさなければ、彼女自身が世界を滅ぼしかねない存在なのだから。

 今の自身に残っている霊力のほぼすべてを一撃に込めたアポロンは、おもむろに片膝をついてから大気に圧されたかのように崩れ落ちて、そのまま眠るように気を失ってしまう。

 アルテミスもまた動けるだけの力は残っていたが、ユキナを追い詰めるだけの機動力を発揮できるだけの力はなく、立っているのがやっとの状態。

 力尽きて前のめりに倒れる兄の側に歩み寄って息があるのを確認すると、わずかばかりに安堵した様子で微笑の中で吐息を漏らし、アテナの盾――ヘレンが今のアポロンの一撃の余波から、空虚を護りきったことを確認した。

「よくやってくれました、アテナの盾」

「・・・・・・腕が痙攣して仕方ないわ。光の幕で覆っていたのに、鋼の鎧を着ていたみたい。これでは湖を渡れないわ」

「うぅん・・・・・・アテナのものとはいえ、盾と会話するとはなんとも不思議な感覚ですね。神霊武装ティア・フォリマとは、私が思っていたよりも随分と奥が深い存在なのかもしれません」

「アルテミス、様・・・・・・」

 エレシュキガルの霊力を制御するための空虚自身の霊力が枯渇しているのだろうことは、見ただけでわかる。

 そもそも彼女は自らエレシュキガルの力を暴走させたのだから当然なのだが、空虚の体の至る部分から死の力たる瘴気が漏れ出ており、空虚の体を蝕んでいた。

 エレシュキガルにとって、瘴気は呼吸の際に吐く二酸化炭素のように自然と湧き出るもの。彼女自身、止める術はない。

 故にいくらうまく適合できたからといっても、死の力に対する適性と耐性は必要であり、それを補うための霊力もまた必要なもので、ユキナとの対戦で疲弊した空虚にはすでにそれらを補えるだけの霊力が足りなくなるまで消耗してしまっていた。

 空虚が武装しているパートナーらも、ユキナへの自爆特攻を仕掛けた空虚を護らんとした際に多くの霊力を消耗し、彼女の消耗した霊力を補えるだけの余力が残っておらず、自らが消えないよう、また空虚が死なないようになけなしの霊力を回している状態であった。

 見かねたアルテミスは吐息を漏らし、自身もまた疲弊している身でありながらわずかばかりの霊力を与えて、空虚の霊力を安定させた。

「貴女は彼の生きる糧なのでしょう? なら、自爆などしてはならないのでは? もっと自分の命の在り方について、自分が彼にとってどのような存在であるのかを考えるべきです」

「す、すみません・・・・・・」

 まさか彼女からそんなことを言われるなどとは思っておらず、反射的につい謝る。

 アルテミスのお陰で落ち着いた空虚は、ヘレンの手助けを借りて体を起こした。そして今になって、自分の体の異変に気付く。

 ユキナに折られた両腕が治っている。普段通りに動かせるし、力も入る。ただしその手は酷い火傷を負ってしまったかのようにただれて、真っ赤に変色してしまっていた。

 過ぎた力を使った代償なのだろう。冥府の女主人たるエレシュキガルの力を使って、この程度の代償で済んだのだから良い方に決まっている。

 だがそれでも、自らの腕が今までと違う色に変わってしまっていることには、何かしらの恐怖にも似た感覚を感じずにはいられなかった。

 だが腕が完治している理由は、空虚には心当たりがない。

 ずっと前、ニコラ・テスラとの戦いで生死の境を彷徨っていた空虚にミーリが施した吸血鬼、カミラ・エル・ブラドの血が未だ彼女の中に残っており、その血が持つ不死性と回復力が、アルテミスから霊力をもらい受けたことで機能したことで腕が治ったのだが、そのいきさつを知らない空虚は、ただ首を傾げるばかりだった。

 無論、治っているのでそれ以上は望めないし、望まないのだが。

「あなたは少し休んだ方がいいわ。両腕も動くというだけで、戦えるまでではないもの。というより・・・・・・もう、戦えるだけの力はないわ。その両腕には」

「あぁ、そうだろうな」

 空虚も戦士だ。

 今までにたくさんの傷を負ってきた。致命傷も負ってきた。

 今まで運良くそこから助かって、こうして戦場に立ち続けてきたけれど、幸運ももう続かないらしい。

 荒野空虚の戦士としての寿命は、今、尽きたのだ。

「だけど、あなたは生きているわ」

「そう、だな」

 悔いがないと言えば、嘘になる。

 もう戦場で、彼の役に立つことはできないのだから。

 だが、まだ自分の命は尽きていない。未だ呼吸を繰り返し、心臓は鼓動を打っている。死にかけたが、死んではいない。ならばまだ、自分には役目がある。

 愛しい人が選んで与えてくれた、このうえなく大事な役目がまだ残っている。

 生き抜いて、彼がこの先生き続ける目的となることだ。このあとの一生を添い遂げることだ。故に、死ぬわけにはいかない。

 人間最大の絶望に打ち勝った彼に、生きる糧を奪わせはしない。

 すでに戦友たる武装を先の戦いで失っている彼に、これ以上の悲しみを与えたくはない。

 何より、本当は彼自身が一番疲弊しているはずなのだ。心身共に、もうズタボロのはずなのだ。なのにずっと前線に立って戦い、軍を率いている。

 すべては、彼女と決着を着けるために。

「私は治療中の者達の下へ向かう。すまないが――」

 突如、空虚の視界がブレる。

 真横から強い力で弾き飛ばされた空虚は転げ、事態を把握するために立ち上がる。

 見るとアルテミスも同じように弾き飛ばされて尻餅をついている状態で、彼女もまた事態の把握に努めて周囲に気を配ろうとしていたが、彼女も空虚自身も、目の前の光景一つを見ればある程度の理解ができた。

 槍に酷似した形状の黄金の刃が、ヘレンの胴体を貫いて地面に突き刺さり、彼女を串刺しにしていた。

 盾の起動が間に合わず、霊力も足りなかったのだろう。持ち前の高い感知能力でアルテミスより早く反応できたまではよかったが、二人を同時に助けるとなればこうするしかなかったのかもしれない。

 だがだとしても、それでも彼女がそうせざるを得ない速度で迫って来るものを感知できず、彼女がいなければ成す術もなく殺されていたことは事実。

 そして今、自分の代わりに彼女が消えてしまいそうになっていて、果てしない後悔に、それこそ絶望に襲われる。

「あら、どうした、の……? そんな、これから悲劇を、見るよう、な、目で……私、を、見、て……」

 自分の状態に気付いていないのか。いや、そんなはずはない。

 だがヘレンは自分を刺している槍を見下ろして、自分が吐いている血反吐を指につけてようやく気付いたかのように、静かに、悲壮感漂わせる吐息だけを漏らした。

「そう……そう。私の役目は、私が今回呼ばれた意味は、きっとこのときのためにあったのね。私は盾だもの。主を災厄から護るのが役目ですもの。だから、貴女を護って砕け散るのもまた、当然の運命だったの。だから、泣くことはないわ」

 空虚は涙する。

 自分の無力さ故に、彼女を死なせてしまうことに。自分の非力さが、この状況を招いたことに。自分の鈍さが、彼女にこのような結末を与えてしまったことに。

 自責の念が涙となって溢れ出ても、どんどんと湧き出て止まらない。自責をやめられず、涙も止まらず、空虚は珍しく、それこそ少女のように泣きじゃくりそうにすらなった。

 が、ヘレンは笑む。

 未だ腹の真ん中と口から大量の血を流して、自らを貫く槍を汚しながらも、涙する空虚に笑みを湛えて応えていた。

「しょうがない子。武器は消耗品、いつか壊れるものだわ……でも、そうして壊れたときに泣いてくれるくらいに愛してもらえたのだもの。これ以上は、望み過ぎね」

 どうして、こういうときに限って普通に喋る。

 どうして、こういうときに限っていつものような冗談を言ってくれない。

 あの不思議な言動は、どこか物の芯を捉えたような言葉の数々は、すべて演技だったのかと錯覚するくらいに、今の彼女はとても流暢に喋り、現実を見ている。

 だが実際、ヘレンは元々誰よりも現実をよく見ていて、的確な判断が下せる思考回路の持ち主だった。だからこうして流暢に喋れるのも、決して不自然なことではないのかもしれない。

「あぁ、でも……最後に彼に会えないのは、少し残念ね。最後に彼のベーゼくらい、望んでもよかったかもしれない……でも、それは貴女に譲ってあげる。貴女は、彼からそれを受け取るべき人として、選ばれたのだから。胸を張って、私の分まで愛されなさい」

「最後に、残す言葉はあるか……必ず、伝える」

「そうね……じゃあ追悼の代わりに、一つだけお願い――」

 彼女はそう言って、霊力の欠片となって消えかけながら満面の笑みを湛えて告げる。

「――結婚おめでとう。幸せになりなさい」

 未来がほんの少し、ちょっとだけ見える彼女からの最期の言葉は、まるでこの戦いよりもずっと先の未来にある、ミーリと空虚の二人の光景を見たかのようにハッキリと、約束されたもののようだった。

 その言葉が、自責の念ばかりに駆られていた空虚に希望を見出させる。

「あぁ、あぁ……! 任せてくれ。あいつは私が、今後護っていく。私が支えていく。だから……! ありがとう……」

 最後の欠片が砕け散り、世界に溶ける。

 女神の盾、ヘレン・ウィクトーナ・リルシャナは、ミーリの盾として最後まで彼の護りたかったものを護り抜いた。彼女自身、そのことに未練はなかっただろう。

 最後の最後、ありがとうと答えた空虚に対しても、彼女はやはり微笑みを返してくれたように思える。

 故に、死ぬわけにはいかない。

 彼女が身を挺して護ってくれたこの命、必ず繋いでみせる。

「やっぱり仕留めそこなってた。悪運は強い方なのかしら?」

 誰も願っていない、ユキナの無傷の帰還。

 アポロンが最後に放った決死の一撃でさえも、彼女は復活した挙句、一人の少女の命を軽々と奪っていった彼女の姿こそ、空虚は今一番見たくなかった。

 込み上げる怒りが、空っぽに近かった空虚の霊力をみるみる増大させていく。それこそ腕の傷さえなければ、今まさに飛び掛かっていたところだ。

「まぁ、邪魔くさい盾の子は消えてくれたみたいだし、それだけでもよしとするわ。ミーリとの戦いに、あんな盾がいちいち出てきたんじゃ邪魔で仕方ないものね」

 風が小さな手の中で渦巻く。

 風はやがて黄金の色を帯びて、風切り音から金切り音に変わって鳴く風が作り上げたのは、ヘレンの体を貫いたのと同じ、槍の形状をした黄金の刃。

 今の今まで見せたことはなかったが、とにかく殺傷能力について折り紙つきであることはわかっている。防御しようなどと思えば、十中八九貫かれる。

 故に回避するしかない。腕が使えない今、逆手にとって脚に霊力を集中し、回避のための機動力に回す。タイミングさえ見逃さなければ、避けられるはずだ。

 そう、タイミングさえ見逃さなければ。

「避けるつもり? いいけど、多分無理よあなたじゃ」

「やってみなければわからんだろう」

「さっきの遠距離狙撃でも気付けなかったのに? だから死んだんでしょ、あの子」

 あろうことか、ユキナは今できたばかりの心の傷を抉って、空虚の集中力を途切れさせた瞬間に投げつけてきた。

 反応が遅れた空虚は、迫りくる刃が轟々と風を切って来る様がスローモーションのように見えて、確実に死ぬと覚悟するしかなかった。

 ヘレンの犠牲も虚しく、あっけなく殺される自分の弱さがまた嫌いになりかけたとき、空虚は見る。自分を護ってくれる、光の膜の神々しさを。ミーリが張っていた膜より強く、眩く輝く防御壁は、空虚に向かって飛んだ刃を木っ端微塵に粉砕して止めてみせた。

 潰したはずの盾の光が展開されたことに、さすがのユキナも驚きを禁じ得ない。

 だがよくよく考えればわかることだった。

 彼女が消えたということは、本来の持ち主の下に戻ったということ。そしてその持ち主は、今までそこでやられて伸びているフリをしながら、ひたすらに霊力を練り上げて、蓄積させていたこともわかっていた。

 さすがに彼女の死までは想定していなかっただろうが、それでも不幸中の幸いと言える。何せ彼女の中で最強の防御力を誇る盾が、戻って来たのだから。

「すまない。今の今まで、何もできなかった私を許して欲しい。そして、私は我が武装たるこの盾を誇りに思う。よくぞ希望を護り抜いた。あとは、私に任せるがいい」

「狸寝入りしてた割によく言うじゃない。貴女一人で、この状況をどうにかできるとでも?」

「其方こそ、私を甘く見ているようだな。私は確かに戦の神だが、戦乱の神ではない。美と純潔、あらゆる破壊から護り抜く守護神であるぞ」

 女神アテナは肩掛けを翻し、大きく振って盾に変える。

 白銀と藍色の盾は純白の鎧と金色の長髪を揺らす彼女には少し暗いイメージもあったが、どこか落ち着いた雰囲気を感じる。それこそ、ヘレンがそこにいるような雰囲気だ。

「かかってこい。オリンポス一二神柱、守護神アテナ。砕ける刃の破片一つ、この後ろの人には通さぬぞ」

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