天を仰いで地を歩む

 女神は天を仰ぐ。

 美と豊穣、愛と戦。

 可憐で過激な美の具現となった妹を羨み、地の底からは見えない蒼天を想像しながら仰ぐ。

 無限の静寂と冷たさで満ちる冥府には、地上にはあって然るべきものが何もない。

 命を育む太陽も、青々と茂る緑も、せせらぎを奏でる水もない。

 冥府は命を育む場所ではなく、終わってしまった命に安らかな永遠を与えるための場所だからだ。

 それは、冥府の女主人と謳われる女神も理解している。

 しかしそれでも、羨まずにはいられない。

 常に世界のどこかに温かな光があって、水けのある風に吹かれる緑があって、何より生きている命があることに、羨みを持たずにはいられない。

 だからこそ、エレシュキガル個人としても負けられない戦いでもあった。

 天を司る女神すらも吸収し、世界そのものを変質しかねない存在へと昇華した少女を倒すことで、間接的にではあるが、自分は遥か上空を舞う妹を超えるのだ。

 故に空虚うつろに力を貸すことに異論はなかったし、むしろ彼女には好感すら持っていた。

 同じ最強とされながら、他の強者とは天地の差を見せつけられて、さらにその上を行く彼に一線を引こうとしていた彼女には、同じ女神でありながら天地に隔たれた自分達姉妹と同じ境遇を重ねてしまう。

 故に彼女と共に勝つことで、自分という女神の存在を証明できるとエレシュキガルは空虚という少女の中で力を振るっていた。

 空を切る矢は、ユキナの漆黒の長髪に風穴を開ける。

 わずかに切れた毛先とは逆方向に飛んだユキナ目掛けて、数本の矢が撃ち込まれるがどれも最初の矢より彼女を捉えきれておらず掠りもしない。

 そのまま大外を回って、空虚目掛けて駆け抜けたユキナの回し蹴りがお返しとばかりに、咄嗟に身を屈めて躱した空虚の漆黒の長髪を切る。

 回し蹴りの余波が生み出した突風がかまいたちのように真横に薙いで、建物に亀裂を入れて並んで生える木を両断する。

 だが驚いている暇はない。

 回し蹴りの勢いを利用して、すでに再生済みの脚での裏回し蹴りが迫って来ている。

 空虚は咄嗟に剣を突き立て、ガードする。

 衝撃が剣から全身に伝わって、空虚の体が悲鳴を上げるかのように一時的な麻痺に襲われる。

「ふぅん」

 刃を蹴ったというのに、ユキナの脚には切り傷一つない。

 美しさすらある細く白い脚で跳ねて、真白の雲海へと漆黒の姿を隠す。

 次の瞬間、ユキナの武脚は広く広がる雲海を両断して落ちてきた。

 天を割る踵落としが落ちた空中庭園は衝撃に耐えかねて大きく傾き、セミラミスに操縦桿を強く握らせる。

 その脚の矛先――基、足先にいた空虚は大きく躱すこともなくわずかに体を横に逸らしただけでユキナの脚をすぐ側で抜刀の姿勢で構えていた。

 ユキナがその場から離脱しようとすると、空虚は彼女が踵落としのために繰り出してまだ引っ込み切れてない足を踏んで逃がさない。

 そのまま真横に薙ぎ払い、一閃。

 ユキナの胸を切り裂いて、赤い血飛沫を全身に浴びる。

 すぐさま血は揮発して、傷も塞がっていくが空虚としては都合がいい。

 返り血で視界が潰される心配がなかったからだ。

 すぐさま揮発した血など目もくれず、空虚は第二撃を構える。

 しかしユキナは斬られた勢いで身を大きく反り、踏まれていない方の脚で空虚の顎を蹴り上げようと振り上げる。

 無理な体勢で振り上げられた脚が空虚を捉えることはなかったが、風圧が空虚の体を吹き飛ばして拘束から解き放つ。

 互いに体制を立て直し、着地した次の瞬間には互いに踏み出した脚で地面を蹴って、地面と水平に相手へ向かって跳んでいた。

 一瞬の交錯。

 ユキナの飛び蹴りの下に滑り込んだ空虚の剣が、ユキナの手を斬り落とそうと振られて、空振りに終わる。

 直後、高く跳んだ空虚は逆さまの状態で弓を出し、駆け抜けるユキナに矢を放つ。

 漆黒の瘴気を刃にまとって走る矢を、ユキナは一本も受けることなく躱しながら駆け抜ける。

 途中、床の石板を強く踏み込んだ衝撃で引き剥がし、空虚目掛けて蹴り飛ばした。

 だが石板の陰から、四本の矢が降って来る。それらはユキナを直接狙っておらず、ユキナの行く先を想定していたかのように進行方向の目の前に悉く刺さっていく。

 そしてそれら四つの矢筈には、光沢を放つ帯が伸びていた。

「“濡絁ぬれあしぎぬ”」

 四つの帯が真っ直ぐに伸びて、ユキナの体を切り裂く。

 さらに帯が漆黒の瘴気で燃えて、体に入り込もうとしてくるのを見たユキナはすぐさまその場から飛び上がった。

 だがそれすらも読んでいたかのように、その先には空虚がいた。

 目隠しのために打ち上げた石板を両断した剣に瘴気を走らせ、大きく振りかぶっていた。

「“無銘剣・虚空レイ”!!!」

 剣術で言えば唐竹。真正面から相手の面を斬る剣撃。

 ユキナは霊力で作った足場を蹴って、膝蹴りで受ける。

 だがユキナと空虚では対格差があり、空虚の方が体重もある。さらに重力加速度も合わさって、ユキナの膝がわずかにだが割れるように切れて、そこから瘴気が入り込む。

 だがユキナの放出する霊力に弾き飛ばされ、空虚は落下しながら矢を放つ。

 放たれる矢筈を蹴って、凄まじい速度で肉薄してくるユキナに対して、空虚は下に向けて砲口を出現させて砲撃。

 その威力を推進力に変えて再び飛び上がり、抜刀の姿勢で剣を構えた。

 瘴気をまとった漆黒の抜刀に対して、ユキナは加速を続けた勢いで縦に回転し、踵落としで対抗する。

 凄まじい霊力の衝突が響いて、雷のような爆音が戦場にこだました次の瞬間に、空虚は地面に叩きつけられていた。

 先ほど腹に開けられた傷口に続き、切れた額からも血が噴き出す。

 自身に降り注いできた瓦礫をどけて、見上げた空には無傷のユキナが立っていた。

「どうしたの? 私とあなたの格の違いを見せてくれるんじゃあなかったかしら」

 上空から物を言う彼女の声は、小さくとも空虚の腹の底に重く響いた。

 実際に今、彼女達の間にある距離よりもずっと遠く、高い次元にユキナはいる。

 そんな相手に、自分が勝てるなどとは本当は思えていない。

 相手は世界そのものと戦えてしまう怪物だ。それこそ、次元が違う。

 だが自分は、彼女と戦わなければならない。空虚は自らを奮い立たせる。

 それは世界のためでもなければ、ましてやこの戦いの勝利のためでもなく、ミーリのためでもないと言ってしまっても、おそらくそうなのだろう。

 空虚は今、自分自身のために彼女と対峙している。

 それはこの先で彼女が愛した彼と自分が今愛している彼――同一であって違う人間とこれからを生きていきたいと思う中で、必要な戦いだと思ったからだ。

 ユキナがミーリ・ウートガルドという過去の少年を愛していることを愛の偶像と言い切ったが、それは否定しただけだ。

 そして自分の愛が真の愛かと問われると、自身を持って肯定してはいけないと思う。

 それは荒野あらや空虚という個人の中だけで確立されたエゴであって、世界の真理とは程遠く、誰もが納得できるような結論ではない。

 それこそ人間にも、神にも、世界の考えなど理解できるはずはなく、世界すべてが納得できる答えなど用意できない。

 それこそ、生物はいつか死ぬなどといった当然以上の摂理があっても、真理などという言葉で片付けられる壮大な考えを描こうとしたところで、人間の持ちうる許容量では妄想までにしか至らない。

 故に空虚の言葉もまた個人のエゴの域を出ることはなく、ユキナを納得させることが適わないのは当然。

 だから戦うのだ。

 ただし勝った方が正しいなどという単純な、原始的な戦いではない。

 同じ人間を愛した者同士、しかし同じところを見ていないことからの決別。

 ならば彼女はどこを見ていて、彼女の愛は彼のどこに向いているのか。

 これは、それを理解するための戦いだ。

 彼を殺すために世界のすべてを敵にした彼女の立場に立って、理解して、それを真っ向から否定するための戦いだ。

 結局、これもまた空虚のエゴだ。

 偽善者と呼ばれても仕方ないただの自己満足でしかない。

 だがこれから、ミーリ・ウートガルドという男を愛して共に歩いていくというのならば、かつての彼と共にあって、彼を未だに愛し続ける彼女と、自分は戦わなければならないのだ。

 意地か。怒りか。悲しみか。

 否、これは過去との決別だ。

 彼女が愛した少年の悲しい過去を、その過去そのままに生きている彼女を超えることで決別する。彼に代わって、自分がその役目を担う。

 その結果、彼にどれだけ嫌われても構わない。

 最悪、殺されようとも構わない。

 だがここまでの戦いの中で感じただけでも、彼女と彼の因縁はあまりにも悲し過ぎる。

 互いに虚構の愛で愛し合い、憎み合い、殺意と愛情を育みながら生きてきた十数年。

 あまりにも虚しく、悲しく、おぞましさすら感じる狂気さえ見える。

 それこそ学園で空虚が出会ったミーリ・ウートガルドと、ユキナと幼少期を過ごしたミーリ・ウートガルドは別人にすら思える。

 学園では同じ七騎として数えられ、周囲からは肩を並べられる数少ない存在として見られていた空虚だったが、実際には自分とミーリの間に明らかな実力差があることを感じていた。

 それこそ天地の間隔で隔たれていた。

 故にケイオスにてミーリと互角に渡り合った他校の先輩方や、決勝戦を戦ったリエンの存在には、少なからず嫉妬させられた。

 自分はいつまでこの位置から、彼らを仰いでいるのだろうと。

 いつまで、この距離を縮められぬままでいるのだろうかと。

 怖かった。

 彼が自分の届かない場所へと行ってしまいそうで、自分など辿り着けない領域の戦いの中で死に果てて、永遠に会えなくなるのではないかとさえ思ってしまった。

 これから戦おうとしている彼女の領域にまで至るのに、ミーリがミーリでなくなってしまう気がして仕方なかった。

 故に決勝戦、観客席から投げかけた応援は神の力に頼ることなくパートナーである常勝の槍を携えて、あらゆる敵に立ち向かっていく姿を見たかったが故の応援でもあったのかもしれない。

 勝ってほしかったのはもちろんのこと。

 しかし自分が憧れ、恋い焦がれた彼の姿は、常勝の槍を握っている姿だったから。

 

 荒野空虚が愛した人間のままでいて欲しかった。

 例え実力に天地の差があろうとも、人のままで愛情を受け取って欲しかった。

 もしも神だなんて遥か遠い存在になってしまったら、自分には追いかける術がない。

 自分という非力な存在には、彼を追いかける術がない。

 彼と彼女の虚しいだけの戦いを、止める術が見つけられない。

 だから願い、焦がれ、祈った。

 神を敵対視するこの世界で、一体何に祈ったのかと問われるとわからない。

 しかし彼が人間のまま、人間としての幸せに恵まれますようにと祈ったことは確かだ。

 そして異世界にて冥府の力に侵食されて、神の力というものの正体に触れた。

 こんなものをずっと宿していたら、人でなくなってしまう。

 それこそこの力を完全に取り込んだりしたら、その人は果たして人と呼べるのか。

 もはや人の皮を被った怪物だ。こんな力をずっと使っていたら、それこそ人でなくなってしまう。神などという、人間の理性を超えた存在になってしまう。

 ミーリ・ウートガルドという、自分が愛した人間が死んでしまう。

――私は、おまえに背中を預けてもらえないままでいるのは嫌なんだ……イヤなんだよ、ミーリ

 だからあんなことを言ったのかもしれない。

 ミーリと彼女の戦いを止めることはできないだろう。

 しかし神の力の一端を引き継いで、それで彼の人としての理性が少しでも保てるのなら、それで自壊してしまっても構わない。

 故にこれは彼女を理解するため、そして、彼を護るための戦いだ。

 引くわけにはいかない。

 引いては何も残らない。何も得られない。

 ここで引いたらまた、彼が遠い存在になってしまう。

 そうしたら自分は、一生彼に近付けない。彼と共に生きることができない。

 例え彼が遥か空高くに上り詰めたとしても、それを仰いで地を進むことができるのならば、荒野空虚はどこまでも仰ぎ続けながら、それでもいつか遥か上空へと辿り着けることを夢見て共に歩こう。

 同じ人としての道ならば、例え自分と彼の間にどれだけの差があろうとも――

 エレシュキガルが、中で叫んでいるのが聞こえる。

 敵が来ている。

 今まさに彼女の脚はギロチンの如く、項垂れていた空虚の首を落とすために振り下ろされようとしていた。

 結局自分には、身に余ることだったのだろう。

 力不足としか言いようがない。

 結局自分は地上を歩く人間で、彼女は天空を司る上位の存在であったということを証明しただけで、彼の力になることも彼女に一矢報いることもできなかった。

 わずかに周囲よりも才能を認められただけの脆弱な人間が、立つべき舞台ではなかったのだ。

「結局、大口を叩いてその程度。ガッカリね」

 確かにそうだ。

 大口を叩いたのは、彼女の興味を一瞬でも自分に向けさせるため。

 本気で彼女を討ち取れるなどとは、実は思っていなかったと白状しよう。

 結局この結末は初めから、それこそ神の手によって仕組まれていた茶番に過ぎなかった。

 そう、結局は茶番だ。

 最初から真っ向勝負で彼女に敵うなどとは思っていない。

 故にもう、選択肢は決まっていた。

 空虚は最後の力を振り絞り、剣でも弓でもなく素手で彼女の脚を受け止める。

 両腕の骨が折れて砕ける中で、全身からエレシュキガルの霊力を燃やしてユキナを焼く。

「自爆する気? そんなに霊力を使っても、ただ寿命を縮めるだけよ。ただでさえ再生能力もないくせ、に――?!」

 ユキナは初めて、ミーリ以外を相手に驚愕から目を見開いた。

 空虚から放たれる霊力が、ユキナの中に浸透している神々の霊核を燃やし、溶かしていく。

 すぐさま離れようとするが、折られ、砕かれたはずの腕にはないはずの力で捕まえられて、離れることができない。

 それこそ脚を振り上げただけで風を起こせる力を持つユキナの膂力を以てしても、彼女の腕から逃れられない。

 彼女の頭蓋を踏み砕いてやろうと叩きこんだ踵から、ジワジワと漆黒の瘴気に焼かれて腐っていく。

 体だけでなく、取り込んだ神々の魂の核までもが燃えていく。

 痛みはない。熱さも、冷たさもない。

 ただ腐っていく。燃えていく。

「こ、この! 放しなさい! こんな自暴自棄の自爆攻撃!」

「言ったはずだ……格の違いを見せてやるとな!」

「放せって、言ってるでしょ?!」

 飛び上がって膝蹴りを顎に叩きこむ。

 下顎を蹴ったが故、脳が揺れて力も入らないはず。

 ただ必死に気力だけで掴んでいる腕などすぐに力を失くして、離脱出来るはず――だった。

「悪いがこの手は、離さんぞ。おまえには勝てずとも、おまえの力を削ぐくらいは私にだってできる!」

「この……死にぞこないの分際で――!?」

 さらに言葉を奪われる。

 むやみやたらに厖大な量を放ち続け、もうここで朽ち果ててもいいと思っているようにすら思える空虚の霊力が上がっている。

 エレシュキガルの霊力とのコンタクトも、霊力を放出すればするほど上がっている。

 故に溢れる瘴気はさらにユキナの体を溶かし、汚染して、ユキナの中に取り込まれた神々の霊核を次々と溶かしていく。

 自分の中にあった力の数々が、少しずつ消えていく感覚を感じたユキナは、腐りゆく掴まれた脚に自らの霊力を注ぎこんで、強化した膂力で押し潰そうとする。

 すでに満身創痍の空虚だが、あくまでもユキナの脚から手を放さない。

 厖大な霊力を放つ体は悲鳴を上げて、霊力を生み出す魂が干からびていくのを感じる。

 だがそれでも放さない。

 離せばそこまで。

 しかし天を仰ぐままでは意味がない。

 天へ羽ばたかんとして、喰らいつかなければ意味がない。

 例え太陽に近づきすぎたが故に燃え尽きても、再び地に這いつくばることになろうとも。

 空虚の本心を語れば、彼女にはやはりユキナという存在を理解し切ることはできなかった。

 というのもまず、自分には彼女を理解し切るだけの時間を作れるだけの能力と才能が、なかったというこれ以上ない単純な話だ。

 だが、それでも足掻ける。

 まだ、すがりつける。

 例えこの両手両脚が砕けようとも、この臓腑が潰れようとも、例えこの身に流れる血潮のすべてが蒸発しようとも、世界最強の敵に、一矢報いてみせる。

「ユキナ・イス・リースフィルト、おまえは過去の奴を見ていて今のおまえを見ていない。見せてやる……私がミーリ・ウートガルドのつがい、荒野空虚だぁぁっ!!!」

 漆黒の瘴気が燃え上がる。

 ユキナの体が、肉が、骨が、魂が、取り込んだ神々の霊核が溶けていく。

 空虚の魂を燃料に、冥府の女主人の霊力が漆黒に燃え上がる。

 ユキナの脚が、朽ちていく。

「いやっ! いやぁあっ!」

 ユキナは悲鳴を上げる。

 だが彼女自身わかっているはずだ。

 空虚の霊力では、ユキナを殺すまでには至らないということを。

 単純な話、霊力の差、実力の差、魂の持つ力の差だ。

 エレシュキガルの力を扱えても、空虚が本来持ちうる霊力とユキナのそれとではそもそも大きな差がある。

 どれだけエレシュキガルの力で底上げしようとも、ユキナにはさらに多数の神々の霊力が蓄えられていてその差はもはや詰めることなど適わない。

 故にユキナの体が朽ちるよりも先に、空虚が力尽きることは明白。

 だというのに、空虚の鬼気迫る迫力に今、天の女王たるユキナは気圧されていた。

 ミーリのためならば、自分だって命をかけられる覚悟くらいある。

 だが実際に、自分以外の人間が彼のために命を捧げて一矢報いようとしているのを目にして、自分以外にそこまでできる人間などいるはずがないと思っていたユキナの固定観念が破壊された。

「堕ちろ! 天の女王!」

「そのまえに、あなたが死んでしまうだろう。それは許されない」

 ふと、どちらでもない声がする。

 次の瞬間、ユキナの胸に白銀の薙刀が刺さって、その衝撃でユキナの体が飛んでいった。

「無茶をするわね、あなた。私のマスターの意志を、あなた自身が否定するつもり?」

 空虚から放たれていた瘴気が、光の膜によって内側へと押さえ込まれていく。

 霊力の過剰放出で朦朧とする意識の中、空虚は自分に霊力を与えてくれる盾の礼装の姿を見た。

「ヘレン……」

「あなたが死ねば、あなたと共に生きたいと願ったミーリの思いは消えてしまうわ。彼に尽くしたいと思うのなら、彼の子供を産んで育てながら、彼と一緒に生きることで尽くしなさい」

「だが、もう、少しで……」

「案ずるな、ミーリ・ウートガルドの奥方。ここまでくれば充分だ」

 空虚は目の前に立つ背中に驚く。

 それも一つではなく、

「――あとは、我々に任せてもらおう」

 アテナ、アポロン、アルテミス。

 オリンポス一二神、高名な戦神が三柱。空虚に変わってユキナと対峙していた。

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