悪意奔流

vs アンラ・マンユ『黒棺』

 生還してきたミーリに、樟葉くずはは一目散に飛びついた。

 敵前ということも忘れ、わんわん泣きつくその姿は、まだまだ幼い子供のよう。しかしいくら発育が良くて大人びていようとも、その中身はまだまだ子供であった。

 島に埋もれていたアンラ・マンユが這い出て来て、樟葉に不意打ちを喰らわせようとしたそのとき、ミーリは魔剣を複製し射出。アンラ・マンユの突撃を阻止した。

「お兄ちゃん……! ミーリお兄ちゃん……!」

「クーちゃん。みんなのとこ行ったげて」

「で、ですが……」

「大丈夫。もう、失敗はしないよ」

「……はい、樟葉は信じています。大好きです、お兄ちゃん」

 俺もだよ、と、以前ならば何も考えずに返しただろう。

 だが今は、そんな軽率に発せられる言葉でもなくなった。

 自分にはもう愛する人がいて、こうして戻って来たのも、彼女という希望を残していたがためであった。

 いや、彼女だけではない。彼女がいる。

 一生愛すると決めた、愛しい人がいる。

 一生守り抜くと決めた、仲間達がいる。

 一生共に戦うと決めた、これまでも共に戦って来た武装達がいる。

 共に戦うことはできる。互いを好きでいることもできる。

 だがどうしても、互いに愛し合うことだけはできない。してはいけない。

 誰も彼もを平等に愛してしまっていたが故に、今の今まで間違っていたのだ。それを正すためにも、空虚うつろに告白した時点で、きっぱりと、空虚を特別として優劣をつけるべきなのだ。

 だけどやっぱり思ってしまう。

 樟葉も樟葉で、可愛い女の子。何より可愛い妹弟子だ。彼女を突き放せるだけの勇気が、まだ、ない。

 故にミーリは初めて言葉を選び。

「さぁ、行っておいで」

「はい!」

 若干の心苦しさを感じながら、樟葉を見送る。

 だが樟葉を追いかけようとするアンラ・マンユの前に立ち、きっちりと進行だけは阻止した。

 これだけは阻止しなければならない。樟葉の持つ武装の力は、この戦場の要。絶対に護り切らねばならない。

「リベンジマッチって、言ったよね。ここは通さないよ」

「おまえ、どうやって私の霊術から抜け出して……いいわ、もう一度憑依して取り込んでやる!」

 “鮮黒刀シャー・ナーメ

 自らの黒髪を引き抜いて、漆黒の刃と変えて振りかぶる。

 アンラ・マンユの斬撃を複製した魔剣で受け止めると、咄嗟に片腕だけで持っていた剣を両手で持ち、腕力で斬り飛ばすと、剣を持ち直して峰で叩く。

 払われたアンラ・マンユは吹き飛ばされると、周囲に浮かんでいる瓦礫の一つを蹴って再びミーリに肉薄する。

 ミーリはその場から跳躍して離脱。執念を持って追いかけてくるアンラ・マンユを躱しながら、浮いている瓦礫という瓦礫を飛んで躱し続け、その途中で方向転換するついでにアンラ・マンユを蹴って跳躍。彼女の頭上を取る。

「“裏切りの厄災レイヴォルト”!!!」

 一番大きな島に、魔剣の群れを叩き込んでアンラ・マンユを叩きつける。

 両腕を貫いて島に張り付けると、さらに魔剣を炸裂させて焼き尽くす。

 島全体が煌々と燃え盛り、悪の権化の断末魔とも思えるような絶叫が響く。

 アンラ・マンユは自身の手を貫いている魔剣を力づくでもがいて引き抜くと、その場を跳んで離脱。比較的小さな瓦礫に逆さに止まり、半身焼け焦げた姿でミーリを仰いで、憤怒と憎悪を腹の底から感じさせる咆哮で吠えた。

 女とは微塵も思わせない、獣の咆哮を轟かせたアンラ・マンユは、血走った瞳を自身の右腕、そして左腕と呼べる二体の大悪魔へと向けて。

「アジ・ダハーカ! アエシュマ! 力を解放なさい! もう私に遠慮することなどないわ! 言語! 意思! 霊力! 三つの禁止を解いてあげるわ!」

 アンラ・マンユが、両手に首輪のようなものを握り締める。

 双方とも、二体の悪魔の首には決して入らないサイズだったが、しかしそれらを握られて、二体は一瞬だけ苦しそうに呻いた。

 そして次の瞬間。アンラ・マンユが首輪を砕くと、二体が自由を誇示するが如く、その場で物凄い声量で吠えだした。

 対峙していたディアナとイア、そしてリエンの三人を始めに、人類軍の皆がその音の凄まじさに耐え切れずに耳を塞ぐ。

 軍としては大きな隙が出来てしまい、指揮をしていたスラッシュ滅神者スレイヤーは一方的な殲滅を覚悟した。

 が、ダエーワ達が襲い掛かって来る様子はない。だが、その生卵の白身のような部分が気泡を立てて、膨らみ始めている。まるで、二体の声の震動から発生する熱に、当てられているようだった。

 するとどうだ。ダエーワ達に変化を齎していた二体にも、変化が現れ始める。

 アジ・ダハーカの背中に毛のようなものがびっしりと生えて来たかと思えば、それはヌメヌメとした粘着質をまとい、気色悪い動きをする触手。

 さらに元々でかい口がさらに避けて巨大化し、目の数も尋常ないほどに増えた。アジ・ダハーカの長い胴体を、一直線に赤い目という目が並んで周囲を見回している。

 そしてアエシュマもまた、体を大きく肥大化させていた。

 右腕が棍棒と一体化し、充分にでかい図体にすら合わないほど膨れ上がって、その右腕を出して威圧、威嚇する。四つに分かれた目と鋭く並んだ牙とを合わせ、まるで獣のような血の気を感じさせる咆哮を飛ばす。

 さらに化け物じみた姿になった二体だが、人類軍の士気に影響を与えたのは、彼らの変化ではなかった。

 半分液体の卵の白身のようだったダエーワの体が、膨れたままに固まり、卵で言えば半熟。さらに完熟まで熱せられたが如く固まり、変化するまえのアエシュマくらいの大きさになっていた。

 ただでかくなっただけじゃねぇかと、特攻していった者はすぐさま、その巨体から繰り出されるパワーに潰される。武装による攻撃も霊力が足りなければ刺さることすらなく弾かれて、一撃で屠られる始末である。

 明らかに強化された悪魔達だが、アンラ・マンユはさらに髪の毛から杭を出す。そしてあろうことかそれで自らの両手をそれぞれ貫くと、その手から滴る血が重力に逆らって彼女の足元に落ち、二つの陣を描いて光る。

「さぁ、狂いなさい!」

 術式が、アンラ・マンユの手の中へと戻ったその直後、アジ・ダハーカとアエシュマの瞳が真っ赤に輝き、暴れ出した。

 強化に続いて狂化までされた二体は、先ほどまで相手をしていたイアとディアナを見失ったかのように、人類軍へと突っ込んでいく。

 そして先に飛んだアエシュマが、その丸々と膨れ上がった右腕で、軍人らを圧殺し、握り殺し、殴り殺していく。

 次々と大人達が殺されていく様を見て、対神学園から派遣された生徒達は、硬直してしまうか逃げ出した。彼らも学園では相応の実力者だが、まだ学生。絶えず繰り返される断末魔と目の前の光景の刺激に、耐え切れなかった様子だ。

 逃げていく生徒達。潰されていく大人達。

 そんな光景を上から見て、アンラ・マンユは自らも狂ったか、狂喜乱舞の様子で高笑う。

 自分が見たかった光景はこれだ、と言わんばかりに笑い声を響かせるアンラ・マンユに、ミーリは魔剣を持って斬りかかるが、アンラ・マンユに杭が刺さったままの手で受け止められ、思い切り蹴り飛ばされた。

 魔剣を連弾射出するが、長く伸びた髪の毛に絡みついて止められる。髪を燃やしてやろうと新たに射出した魔剣を絡みついているものにぶつけて炸裂させるが、一切攻撃は通らなかった。

 人類軍の絶望が、彼女にさらなる力を与えているのだ。

 今の今までは、アンラ・マンユの能力によって、負の感情を刺激され、誘発されていた。故に樟葉の武装の能力で逆転させれば、影響を受けなくすることができた。

 だがミーリは感じ取れていた。彼女は今、今の今まで使っていた霊術を使っていない。

 負の感情の誘発を、部下たちの強化と狂化に使った。だがそれも、今まで通りに倒せないさらに強力な敵の出現という形で人類軍を恐怖させ、怯えさせ、絶望を感じ取らせることに成功している。

 大量の部下達の全体強化、及び狂化によって人類軍を脅かすどころか、全滅させる勢いの存在を作り上げたことで、これまで充分に対抗できる勢力だった人類軍の足踏みを乱し、さらに崩壊させ、その結果、絶望というエネルギー源を再度得たのである。

 アンラ・マンユに身体的な――見た目でわかる変化はない。

 だが頭髪の変化の種類が圧倒的に増えており、さらにより硬く、より速く変化して攻防し、襲って来る。刃や杭は無論のこと、髪を千切って作り出す武器の数、種類はどんどん豊富になっていく。

『マスター! 皆さんが……!』

「わかってる。だけど魔剣じゃ卵悪魔は切れても、アンラ・マンユと相性悪いみたい」

『ご、ごめんなさい……』

「俺が選んだんだから、レーちゃんが謝ることはないよ」

 それに、魔剣での攻撃も効いていないわけではない。

 ただダメージが極小なだけ。同じところを斬り続けて、ダメージを蓄積させていけばいいだろうが、おそらくそれを成し遂げる頃には、軍はほぼ全滅しているだろう。

 故にここは大きなダメージを連続で与えて、速攻で勝負をつけたいところ。このあとの戦いのためにも、霊力も体力も温存したい。

 もっともこの邪神に対して、そんな余裕はないだろうが。

『で、ではどうしたら……』

 霊力探知――アンラ・マンユが近くにいるせいで探知が難しいが、しかしミーリは自分達の方へ向かって来るロンゴミアントらの霊力を探知した。

 ロンゴミアントの霊力なら、アンラ・マンユにも太刀打ちできる可能性が高い。

 迎えに行きたい。が、それには邪魔なこの邪神。それを退けなければいけないが、退けるには迎えに行かなければいけないというこのじれったさ。

「ロン達がこっちに向かってる。戦いながらそっちに移動するよ……悟られないよう、慎重にね」

『わ、わかりました……』

 ミーリとレーギャルンが作戦を打ち合わせると同時、敵対するアンラ・マンユは自分の右手の甲――正確にはレーギャルンとコソコソと話すミーリを見て、思い出したことがあった。

 それは完全復活のそのまえ。まだ自身が蕾の中で、寝ぼけていたときだった。ふと誰かの声が、蕾の中の自分に語りかけて来たのだ。

 話の内容はほとんど憶えていなかったが、しかしうろ覚えにしていたのは――

 ミーリ・ウートガルドの聖槍には気をつけるがいい。あれは奴の武勲の象徴、常勝の槍である。

 常勝の槍……聖槍……確かに、それは嫌ねぇ……

 気色悪いくらいに柔らかく、歪んだ笑みを見せたアンラ・マンユ。

 そしてその視線は地上へと泳ぎ、人類軍を圧倒するアエシュマを見つけ出した。

「アエシュマ」

 名を呼ばれて、アエシュマは四つの目でアンラ・マンユを一瞥する。

 そして獣の咆哮を轟かせたかと思えば、アエシュマはその右腕をフルに使って跳躍し、ダエーワ達も何十体か引き連れて、駆け出して行った。

 その方向を見て、ミーリは咄嗟に追おうとする。だが背後からの斬撃を受けるのに止められ、さらに頭髪から抜き出した刃で以って斬りかかって来るアンラ・マンユをあしらうことができず、完全にその場に足止めされた。

「聖槍がなきゃ、私に勝てないでしょ? え? アハハ、アハハハハっ!」

 笑いながら、満ち溢れる狂気を振り撒きながら斬りかかって来るアンラ・マンユ。

 先ほどのように自身を殺害させようとする節はまるでなく、殺意を込めた斬撃を放って来る。

 その殺気と満面の歪んだ笑みとが共存しているアンラ・マンユと対峙していると、こちらまでその狂気が両立して来そうで怖くなってしまう。

 ミーリはすかさず、押し切れると思った瞬間に押し切ると、そのまま両手に魔剣を持って十字に切り込む。

 が、その攻撃はアンラ・マンユの頭髪が垂れて防いでいる。感触で理解したミーリは身を反転させると同時に魔剣を複製、十六方向から同時に差し込み、炸裂させる。

 その身は完全にアンラ・マンユに刺さり、炎上させた。だがアンラ・マンユは恐ろしいことに、自身の目玉が焼け落ちて蒸発してしまっても、うちから漏れる炎を吐きながら、瞳の代わりに燃やしながら、狂気の笑みで笑って来る。

 そして自身の髪を伸ばしてミーリを取り囲むと、それでミーリの全身を縛り上げて動きを封じ、燃え盛る口から光球を放ち、炸裂させてきた。

 咄嗟に自分ごと縛っている髪を燃やして離脱したミーリだったが、危うく光線が掠る。さらにアンラ・マンユは回避されたことに気付くと同時に刃を持ち、瞳がまだ燃えたまま斬りかかってきた。

 全体重と腕力をかけた斬撃でミーリを地上まで叩き落とすと、自らの髪を千切って地上にバラ撒く。そして地面に根を張ったその髪の毛が一斉に伸びてミーリを捕え、地中へと引きずり込んでいった。

「“黒棺ダマーヴァンド”!!!」

 地中へと引きずり込まれたミーリ。そこに――

「潰れろぉぉっ!!!」

 巨大な寸胴に変わった頭髪が落ちる。

 もはやその大きさはちょっとした山で、落ちた瞬間に地鳴りがした。

 しかしその頭髪はあろうことか真っ二つに焼き切られ、地中へと引きずり込まれていたミーリが、背後に魔剣を複製した状態で跳躍、突進して来た。

 アンラ・マンユは喜々として、狂気的に猟奇的に瞳を燃やし、応じる。

 両腕を高々と振り上げて、そこからいつしかの仕返しにミーリの両腕を切断してやろうと刃を振るう。

「ダルマになれぇっ!」

「“巨人の国よ、煌々と燃え盛れムスペルヘイム”!!!」

 気が付くと、二人は交錯していた。

 そして宙を舞う二本の腕。

 しかしそれは黒々とした鮮血を撒き散らす、邪神の腕。

 さらに邪神の体には八本もの魔剣が刺さり、激しい炎熱でその身を焦がしている。

 背後にいるはずのミーリに頭髪を伸ばし、捕まえようとするアンラ・マンユの頬に、ミーリは拳を叩きつけ、今度はアンラ・マンユが地面へと叩きつけられた。

 ミーリが押している。だが、押しきれてはいない。

 その証拠に今殴るときに、アンラ・マンユの頭髪の一束がミーリの肩を射抜いていた。殴ったときと、ほぼ同時である。

『マスター!』

「まだ大丈夫……だけど……」

 すぐに厳しくなることは見え見えだった。

 アエシュマらは先ほど、ロンゴミアントらを妨害するために跳んでいった。

 すぐさま合流というわけにもいくまい。

 そのまえに押し切られるか。それとも押さえ込めるか。

 地面に大の字で寝転がったまま、こちらを悠々と治り切ったその双眸で仰ぐ、この狂気に満ちた邪神を。

「何回戦までが好みかしら?」

「できればすぐ死んでくれない?」

 果たして、どこまで戦えるか。

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