本悪質・拡散不浄
人類軍と人類悪が衝突し、五時間強。
このわずかな時間の間に、人類軍の一三分の一が壊滅。部隊にしておよそ三部隊分の人間が死んでしまった。
しかし悲しみに暮れる時間はまるでなく、死体を持ち帰ろうとすれば自らの死ぬ確率が跳ね上がるため捨てるしかない状況。そのため死体の回収率はとても低く、持って帰れれば奇跡と言えるほどで、妹の亡骸をヘラクレスの協力によって持ち帰ることが叶ったミストは、自らの武装の能力で瞬間凍結。死体とはいえ妹を凍らせることに躊躇はあったが、しかし親の元へ持ち帰って供養したいと、ミストは未来に希望を繋げるかのように凍らせた。
「妹の供養、済んだか」
出ると、そこにはヘラクレス。ミストの憤怒も悲哀もすべて見るまいと、テントの外で待機していた彼は、ずっと周囲を警戒し、ミストの妹を含める持ち帰れたわずかな死体を護っていた。
現在二人がいるのは、奇跡的に生き残っていた医療部隊を中心とした即席部隊が立てた、臨時待機場所。一度体勢を立て直して再びダエーワの群れと相対するため、皆が傷を癒している場所である。
現在はヘラクレスを筆頭にミスト。
若干涙を拭って目が腫れているミストは、ヘラクレスに冷たく返す。
「デリカシーがないわね」
「……すまない」
「でも、ありがとう。妹を連れて帰れたのは、あなたのお陰よ」
「構わない」
「?」
「どうしたのですか、アスタ」
「誰かが来る……神、魔神……? まだ土煙で見えない……だけど、このシルエットは――」
そこまで言ったところで、未来視によって視たのと同じ誰かが落ちてくる。アスタが視た通り土煙で見えないが、その霊力を感じて魔神だと判断した皆が構えたところで、ミストと次の土煙が晴れた後の未来を視たアストが、同時に叫んだ。
「「待って! 違う! 彼女は味方よ(です)!」」
土煙が晴れると同時、見えたのは漆黒の御旗。血色の剣と龍が描かれたその旗を翻し、真っ赤な銀髪魔神は声を張り上げた。
「問おう! 神とは何ぞや! 神、それは無慈悲なる者! 信じる者すら救わず、傍観し、玩弄する非道なる者! ならばこの窮地に立つのは果たして何か! 神か、否! 救済の徒は必ずや人間である! 今ここにおられるは、汝らを導く守護の聖人! 聖処女ジャンヌ・ダルクで――!!!」
「処女言わない!」
「あらせっ!!!」
なんだかすごい登場文句を用意されていたのに、それをあっけなく壊した聖女ジャンヌ・ダルクことオルア・ファブニル。何度言われてもオルアを聖処女と呼ぶジルダ・レィは、わざわざ垂直に跳んでツッコまれた頭をさすりながらしかしですね……とまだ懲りていない様子だ。
オルアももう何回もやり取りをしているし、生前からずっとジルダの性格は知っているから、何度注意しても繰り返すのだろうとはわかっているのだが。しかし人前で処女と公言されるのはとても恥ずかしかった。特に見知った顔相手だと、尚更。
「オルア! あなた、どこから……」
「あぁ……その話はすこぉし長くなるので、割愛させていただきます。ミスト先輩……イリス先輩、は?」
普段から二人でいるのに、このときイリスを見つけられなかったオルアは訊いてしまった。ミストと周囲の反応から、その答えを悟る。隣で泣きそうなオルアの肩に手を置き、気遣うジルダの優しさでなんとか平静を保ち、そうですか……とだけなんとか返した。
だが辛い。とても辛い。ミーリによってここに派遣されたが、派遣される時に辛いこともあると思うけどごめんねと謝られたのがよくわかる。そう言われていたから心の準備もしていて、だから少し強かったというのも、耐えられた要因だろう。
周囲の自分達を知らない対神軍の人々が警戒態勢でいるのに気付いたオルアは、ミーリから託された仕事をしなくてはと頭を振るい、思考を切り替えた。
「聞け! 僕はミーリ・ウートガルド率いる
「オルア、ここに滅神者様は……」
「はい、ここにいないことは知っています。ですがここの場所も現状もすべて把握しておられるはず。あの方は戦場ならばどこにだろうと目があり耳があり、いえ、もはや戦場のどこにでもいるような存在ですから」
【言ってくれるではないか。魔神の小娘が】
そう、突如この場にいないと誰もが思っていた滅神者の声が響く。
その場にいた軍の人間。まるでそれに滅神者が憑依したかのように、滅神者の口調、声音、態度で話す。
滅神者が戦場のどこにでもいるというのはつまりはこう言うことで、彼が指定した相手を介してその相手の現場の状況を把握できるという霊術が使えるのだ。対神軍ほぼ全員にこの霊術が適応されており、これで滅神者は絶えず戦場を見て、
セミラミスの鳩による情報網によって得たネタだったが、当たりだったようだ。そう確信したオルアは、滅神者に対して敬意を表しつつ、しかし屈服はしていないと首は垂れず、片膝もつかぬままに口を開いた。
「お初にお目にかかります、滅神者様。僕は魔神、ジャンヌ・ダルク。今はオルア・ファブニルという名前で、ミーリ・ウートガルド直属の部下であります」
【フン、忌まわしきあの小僧についた魔神の一体か。神ならばこの名の通り、我が宿敵として滅するのみだが、しかしわざわざ出て来た辺り何か言いたいそうだな】
「はい。ミーリ・ウートガルドより、言伝を賜っております。至急、あなたに頼みごとがあるそうです」
【人を使って頼み事とはいつからそんなに偉くなった。俺を誰だと思っているか。それに魔神の言うことなど信じられると思うか? すでに貴様らによって彼は殺されており、貴様らはその名を使って我らを混乱させんとしている悪名だと言う推測もできようが】
「貴様! 人間と神に見捨てられながらも、それでも汝らに手を差し伸べる聖処女が、そこまで愚弄と言いたいのか!」
【国一つ救った程度で英雄を気取るな。世界を救ってようやく英雄だ、貴様らなんぞ俺からしてみればただの雑兵――いや、神である分この世界にとっては穢れでしかない】
「貴様ぁ!」
「ジルダ! 落ち着いて、話が進まないから!」
「は! 面目次第もありませぬ、聖処女よ!」
「だから処女言わない!」
しかし困った。相手は話を聞く気などさらさらない。
まぁ、神を滅する者と書いて名乗っている人間が、神の言葉をはいそうですかと聞くわけもないとは思ってはいたし、ミーリも想定していたことだが。だから神々との対話役は、柔軟性に長けた/なのだろうなとも思う。
滅神者の過去はブラックボックスの中だが、神の類を相当に毛嫌いしているのは明白だろう。魔神ならば少しは違うかとも思ったが、神と名付けられた者である以上、彼の尺度では変わらないらしい。
もっとも、ミーリはそんなことも計算の内。すでに手は打たれていた。神様大嫌いと公言している人間に対して、人間から神へと昇華した魔神が嫌われるのであれば。人間そのものが行くしかないだろうという、安直な策だ。
「二人共、何してんの?」
上空を見上げると、そこには
予定では二人にしばらく交渉させてから出てくるはずだったのに、早く到着してしまったようだ。まだ交渉もほとんど始まっていなかった段階で来られて、オルアは少し焦り気味である。
もっとも滅神者との交渉など、始まるよりまず始められるかどうかという段階で止まっていて、それ以上動きそうになかったのが現状だ。ミーリはいいタイミングで、やって来たとも言える。魔剣から降りたミーリはそのまま契約を解除し、レーギャルンを側に置く。
「二人共、まだお話してなかったの?」
「ミーリくん、ちょっと早すぎない? 僕らまだ、到着して五分も経ってないんだけど」
「あれ? おかしいな……色々準備してからここに来たんだけど。まぁ、いっか」
周囲の対神軍が、一斉にミーリに銃口を向ける。滅神者の指示で一斉射撃が可能な状態だが、それよりも早くオルアが旗を突き立てて結界を張れ、ジルダが業火を放てる態勢の方が早く整った。
【ミーリ・ウートガルド、こうして会うのは初めてだな。まぁ実際に会っているわけではないが、どうでもいい。俺が滅神者だ】
「神を討つ軍、リーダーのミーリ・ウートガルド。こうして会えて嬉しいですよ、滅神者様」
【それで? 神々と手を組んだ罪に対する釈明はいいか。弁解の余地なく、脳天を射抜いてやろう】
「残念だけど、そういうわけにもいきませんので」
浮遊している八つと握っている一つとで射撃。軍の銃をすべてその手から撃ち落とす。
そして最後に銃口を突き付けて来た滅神者と相対し、互いに互いの眉間に銃口を突き付けた。が、滅神者は憑依者を介してであって、本体ではない。故にもしも相討ちだったとしても、死ぬのはミーリだけだ。もっともミーリにも、不死身の能力があるが。
【このまま撃ち合って死なない自信がおまえにはあるか、小僧】
確かに相手は人類の三柱と呼ばれる男。戦闘経験値の差は否めない。このまま撃ち合えば、不死身とはいえ殺されるかもしれない。だが――
「ここで死ぬようじゃ、あいつは倒せないんでね」
【……身の程を知らぬ愚か者か。ならば――死ね】
確かに一人ならば勝算はないかもしれない。が、生憎とこちらは一人ではない。
滅神者が引き金に指をかけ、その指先が動くのに意識を向ける。第一関節がゆっくりと引っかかり、ゆっくりとその眉間に弾丸をぶち込もうとしたそのとき、ミーリの周囲で浮遊する銃の一つが先に、滅神者の腕目掛けて発砲した。
鳴り響く銃声。周囲はミーリの不意をついた銃撃が、滅神者の腕を撃ち抜いて、拳銃を落とさせたと、一瞬だが誤認した。
実際、滅神者は拳銃を落とした。しかしそれは自ら手を滑らせて落としたからだ。銃弾は滅神者の腕を掠めることもなく、それが当然と言えるくらいになんなく躱されてしまった。
そして滑り落とした拳銃を改めて握り直した滅神者が、ミーリの腹部を狙う。正確には肝臓を射抜き、失血死させるつもりだ。そうはさせまいとミーリが体を捻ろうとするが、股下に脚を入れて腹部に直接銃口を突き付けられ、避けられない。
そしてそのまま引き金を引かれるとなったそのとき、再び浮遊する銃の一つが動き、滅神者のコメカミに銃口を当て、引き金を引く。
だがまた、身を引かれ躱される。しかしそれによって滅神者の銃とミーリの体との間に隙間が生まれ、ミーリはそこに手を潜り込ませて銃口を掴み取り、大きく身を振る勢いで銃口の向きを変え、そして今度は自分が滅神者の脇腹に銃口を突き付けた。
そして、放つ。無論、躱される。だがその弾丸は、滅神者の脇の下を抉り切り、大量の出血を促した。脇は多数の血管が集まる場所。意外と知られていないが、ここを切られると出血多量で死ぬことだってある。要はミーリも、出血を狙っていたのだった。
大量の出血によって一気に体力を削ぎ落される。元々借り物の体、本体が遠距離から操作するのに、大量出血による体力低下が起きた体など操作しづらいにも程がある。
故にその後はミーリの早業で、銃でそのまま脇腹を殴打すると横に倒し、そして素早くウィンの武装を解除して、二人で取り押さえた。
誰もが予想できなかった滅神者の敗北に、皆が信じられないという目を見開く。だが誰よりも信じられず、また受け入れられなかったのは、滅神者本人だった。
体を操ってでのやり取りで、実際に自分がやっているわけではないにしろ、動きはすべて自分のもの。確実にミーリよりも上を行き、その眉間もしくは体を撃ち抜けると踏んでいた。
だが負けた。傷一つ付けること叶わず、あっという間の敗北。
実力の二割程度しか出せていないとか、そういう言い訳じみたことはいくらでも思いつくが、しかしだからと言ってしようとは思わない。すればするだけ自分の株が、大暴落していくだけだ。否定しても肯定してもプライドが傷付くのなら、肯定したときのダメージの方がまだ少ない。故にこれは自分自身の面目を保つためと言い聞かせて、激昂する自分を押さえ込んで、滅神者は渋々負けを認めることにするしかなかった。
【……言伝とはなんだ】
「雷帝、ゼウスがこの戦いに乗じて人類軍を滅ぼす計画です」
【なんだと……?】
半信半疑。その場にいた誰もがそうだろう。しかし姿をくらませていたミーリがわざわざ自ら赴いてまで伝えに来たというその行動が皆を、滅神者を信じさせた。
だが何より信じさせられたのは、現在彼の隣にいるのだろう/の反応を見たからだろう。すべての情報を掴んでいるとすら過言ではない男が、今のミーリの話を聞いて疑いもせず、やっぱりそうかと言ったのが目に見えるくらい、あの意固地な滅神者が素直に受け入れた。
【……雷帝と会ったのか】
「会ったし、俺に宣戦布告して来ました。だけど真の狙いはおそらく人類軍の全滅。これをきっかけに戦争を再開して、戦力が削がれた人間を一気に倒すつもりでしょうね」
【なるほどそういうことか……舐められたものだな……!】
滅神者が憑依者の顔で凄まじく怒気を孕んだ笑みを見せたその直後、どこからともなく飛んできた漆黒の蝶が、ミーリの肩に止まった。それは/がスカーレットとの間に使う、連絡手段の蝶だ。
「/さん?」
連絡用の蝶は見たことがなかったが、しかしそれから伝わる霊力を感じてそう問うと、そうだよと/の声が返って来た。とりあえず滅神者が憑依を解き、力尽きた軍人の止血をしながら、オルアと協力して回復させて、話を聞く。
『僕らが受けた傷はまだ浅い。だけど人命の喪失に、過大も過少もないだろう。家族にとって、それは大きな心の喪失を生み、それを埋めるために慟哭や憤怒を湧き上がらせる。しかし彼女にとって、その怒りや悲しみと言った負の感情こそ、エネルギー源なんだ』
『“
「なるほど、それは強力ですね。確かにそれじゃあ誰も勝てないはずだ」
『さらに彼女には、その戦場で溜めに溜めた負のエネルギーを拡散し、負の感情を誘発する能力がある。名を“
やっぱり知ってた、と思うくらい情報が飛び出してくる。まぁ当然だろう。/の知識があるからこそ、作戦を立てているはずだ。“本悪質”についても“拡散不浄”についても、彼はある程度知っている――はずなのに。
ミーリはこの状況の悪さに納得がいかない。/ならばもっと効率のいい、最良の手段を取れるはずなのだ。まだ小規模とはいえ、その小規模の被害すらも抑えられる策を、彼ならば思いつくはずなのに。
『ミーリくん。先ほどの話だけれど、雷帝の元へは誰か向かわせているのかい?』
「向かわせてはいないです。でも、心強い味方がいますので。あとは彼ら次第です。俺は即刻、あれを倒します」
そう言って、ミーリが向いた先。すでに未来視によって把握していたアスタを筆頭に全員が向いていた方向から、無数のダエーワとそれを率いるアエシュマが現れた。
ヘラクレスらがダエーワを相手取るその中で、軍人の拘束を解いたミーリはレーギャルンを下位で、ウィンを上位契約で武装して、魔剣の群れで目の前のダエーワを掃討。そして巨躯の悪魔、アエシュマと対峙した。
すでにここに来るまでに、何人もの人間を屠ったのだろう。握り締める棍棒には、滴る黒ずんだ鮮血。そこから臭う異臭は、明らかに腐敗臭。その異臭の漂う棍棒と巨大すぎる体は、人に恐怖感を与え、アンラ・マンユの“本悪質”を助長させるものであることは確かだった。
「アンラ・マンユ様の左腕、アエシュマ……ミーリ・ウートガルド、見つけたぞ」
「神を討つ軍、ミーリ・ウートガルド。君さえ倒せばみんなに負けはないらしいからね、さっさと倒させてもらうから」
「行くよ、ボーイッシュ」
『あぁ、かましてやれ、ミーリ!』
アエシュマの眉間に、ミーリが銃口を向ける。
アエシュマが棍棒を振り回し、大きく振り払ったところで、二発の銃声が鳴り響いた。
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