神vs召喚獣
彼は彼女に
それが彼らの毎晩の日課。だが彼女が求めているのは、童話や神話などの他の誰かの昔話ではない。他でもない、彼自身の昔話だ。
とは言っても、彼の昔話は今までも何度も話してきたし、正直そこまで鮮明に憶えていない部分もある。
だが彼女の命令は彼にとっては絶対だった。彼にとって、彼女は一国のお姫様よりも大切な存在だ。
故に今日も話をする。いつの日かも話したと思う話を、彼は新しい話をするかのように話し始めた。
出だしの言葉は決まって、前に話したかもしれないけれど――
元の世界では当たり前だった、街中での交戦。
人肉を喰らう神獣の類が時折街に下りてくることもあるし、名を持たない下級の神々の軍勢が、襲ってくることもある。
億を超える天使の軍勢と戦い、世界を守った経験もあるミーリからしてみれば、ごくごく当然である。
が、どうやらその当然は魔法世界では通じないらしい。公園での戦闘に一般人は逃げ惑い、幾人かの人は電話で何か助けを求めているようだ。おそらくはこの世界の警察機関だろう。
だとするとマズイ、非常に。自分達が被害者側だとしても、騒動を起こしていることに変わりはないだろう。そうなれば、最悪ケットシーの魔法戦争出場停止なんてなるかもしれない。
この世界での対処は知らないが、一応それも視野に入れて、なんとか逃げ切ることを優先に戦った方がいいだろう。
とまぁ、先ほどからそんなことを考えてミーリは戦っている。本当は一撃で仕留めるつもりだったのに、その一撃が軽々と防がれてしまったからだ。
振りかぶった槍の一撃を、何重にも
ちなみにその現状を説明すると、頭のイってる彼女の召喚獣から放たれる氷柱を、芝生を縦横無尽に駆け巡りながら回避している。
本来ならただの氷の塊など怖くはないのだが、霊力を温存したい今、むやみな突撃による霊力消費は避けたい。故に避け続けている。
隙を見つけて突っ込みたいが、次の氷柱の発射ラグが一秒を切っているので、なかなか突っ込めない。
ミーリの防御力が召喚獣の攻撃力よりも勝っているのだが、急所に当たれば致命傷になるくらいの威力はある。故に回避することが、この場合の得策だ。
故に躱し続ける。
だが氷柱の連射では捉えきれないとイってる頭で悟ったか、緑の頭を掻き
それが何かしらの指示なのか、召喚獣は顔を三六〇度回して無言で応える。両の掌から細く鋭い氷柱を生やすと、それを弾丸のごとく射出した。
馬鹿でかい氷柱とはわけが違い、四倍以上速い。しかも体を
槍で振り払うことを余儀なくされ、ミーリは応戦した。だがそれを見て、イかれた主人はまた奇声を上げる。
それに応えた召喚獣の攻撃が、ケットシーへと放たれた。一切の迷いなく、首筋へと鋭い氷柱が走る。
ミーリはそれを一瞬だけ加速して回り込むと、掌を氷柱に切らせながらケットシーの目の前で止めた。
あと一ミリ長かったら、ケットシーの翡翠の瞳は血飛沫を上げていただろう。その恐怖に怯え、ケットシーは力なく尻餅をつく。
「魔法使いは狙わないのがルールじゃなかったの?」
ミーリが愚痴交じりに訊くと、彼女は全身をくすぐられているように全身をくねらせながら笑う。そして自らの下顎を下に引っ張り、歯と歯茎とを剥き出しにした状態で瞳孔を縮めた。
「ハァ? てめぇを殺すのが目的なんだよぉ? そこに使えない能無しの仲間がいるんなら、そっち狙って庇ったところぶっ刺すのが手っ取り早くね?」
なるほど正論。思えば自分の世界では当たり前の兵法だった。聞くまでもない。この世界では彼女が狂っているのかもしれないが、それでもなるほどこの場合の戦術としては利点が多くて納得した。
だがやはり、彼女の方が狂っているらしい――いや、確認する間でもなく目と行動が異常者のそれなのだが、それは置いといて――ケットシーはもちろん、遠くからこの戦いを見ているやじ馬が、彼女を狂っていると断定している目で見つめている。ケットシーが狙われたことで、彼女に対しての恐怖心を覚えている感じだった。
だが彼女は気にしていない。その証拠に彼女の白が多い目は、たった今ミーリに付けた傷を見て嘲笑していた。
傷は、今ケットシーを守るために氷柱を掴む際に切った掌ではない。ミーリがそこに足を踏み出すとわかっていたのだろう。地を這う霜柱がミーリの脚を捕まえ、氷結させていた。
マイナス百度は下回っているのだろう。捕まれた片脚は感覚がなく、ピクリとも動かない。完全に凍傷を負っている。
普段ならこの程度の冷気、霊力をまとって防げるのだが、その分の霊力も体内に溜めたままだったので、もろに喰らってしまった。
正直間違えた。この攻撃は霊力を消費してでも、喰らわないべきだった。おかげで速度は失われ、動くこともできない。
「ねぇえぇ、ちょぉぉっと聞きたいんだけどさぁあ? そっちの世界って、どんな感じ? 強い人いる? 君よりずぅっと強い人……もしそんな人がいたらさぁあ? アハ! 欲しいなぁ……欲ぉしぃいなぁ……そいつの体……ハハッ!」
召喚獣の体から噴き出した氷柱が、上空で固まってものすごい巨大な槍に変わる。刺されば最後、全身が凍り付き砕かれることは間違いないだろう。
霊術を使えば容易いが、霊術なんて使ったら明日勝てなくなるかもしれない。だがここで出し惜しんで負けても、意味はない。ここでの敗北は、確実に死だ。
「だぁかぁらぁ……私もそっち行きたいんだわぁぁ……俺のために死んでくれや、異世界の神様気取り」
大気との摩擦音を鳴らしながら、氷の巨槍が落ちてくる。脚を地面と縛られている今、回避する術はない。
迎撃するしかない。だが生憎と、神格化の状態で繰り出せる遠距離技はない。故に迎撃は、落ちて来た巨槍を受け止めて、斬り裂くしかないわけだが――
正直できる気がしない。横から飛んでくるならまだしも、上空から落ちてくる奴は重力加速度に応じて、一撃がずっと重く破壊力が増すのだ。
まったくもって実に、彼女はミーリの世界向きだ。敵を始末することについては、かなり頭が回る。
――と、今はそれどころではない。とにかくどうにかしなければ。
「仕方ないなぁ、もう……!」
霊術を使う。それしかない。
“
それとも“
他の霊術はダメだ、意味がない。いや、強化プラス狂化の“
どうする、どうやって切り抜ける。こうして考えてる間にも、槍は迫ってきているのだ。
取捨選択。この場における最善。考えろ、零コンマ二秒で考えて、そして決めろ。どの霊術でどう砕く、もしくは防ぐ。もう距離はメートルもない。
決めろ!
「“
文字通り、それは横槍だった。
横から飛んできた桜色の槍が氷の巨槍を貫き、木っ端微塵に粉砕する。
砕けた氷は白雪のごとく舞い散り、ミーリとケットシーに降り注ぐ。だがそれらは温度を感じるまえに溶け、消えていった。
「おいおいおぉい……誰だよてめぇぇぇ……!!!」
彼女の瞳に映ったのは、標的以外のいわば部外者。だがその部外者はおもむろにミーリと彼女の間に立ち、彼女と対峙する。
紫色の長髪と桜色の上着を風に揺らし、真っすぐに眼前の敵を見つめるのは、ミーリがよく知っている顔と、知っている姿。だがその立ち姿は脚のせいか、自分が知っているのとは違う気がしてならない。
その部外者が手を伸ばすと、周囲から何やらエネルギー的な輝きが湧き出す。それはその手に集束すると長く伸び、一本の桜色の長槍に形作られた。
その槍を見て、ミーリは思う。
槍の色こそ違えど、形はまさしくあの聖槍。槍に刻まれた文様も、長さも、そしてまとう雰囲気もまさしく、一ミリの違いもなく――
「ただのあなたの敵、彼らの味方です。それでも強いて名乗るなら……ただの槍を持った人間ですよ」
「ロン……」
「ミーリ、少しだけ待っていてくれますか? すぐに終わらせますので」
「その顔で丁寧語使われると、すっごい違和感」
「えぇ、私もです」
そう言ってロンゴミアント――ロンは槍を手に前に出る。突然出て来た乱入者によって、彼女の算段が狂ったか、緑色の頭をひたすら掻き毟り、唾液を垂れ流しながらロンを睨む。
だが彼女がおもむろに距離を詰め続けているのを見て、指示を込めた叫喚を吐き出した。
召喚獣の掌から放たれる、氷弾の嵐。だがロンはそれらを一払いで一掃する。
続いて太く巨大な氷柱が発射されたが、ロンは慌てることなくおもむろに構えた。
その構えは、まさにミーリのそれ。前方への突撃のため、石突を高く持ち上げて刃を下ろし、左足を大きく前に出して右を引く。
背筋をやや曲げての前傾姿勢から、上半身のバネと下半身の跳躍力で正面へと跳び、向かってきている氷柱を粉砕する。
さらにそのまま肉薄し、召喚獣の懐に入ると、今度は独特の構えを見せた。
体の向きを敵に向かって斜めにし、石突を握る右手は添えるだけ。左手は槍の中心を握り締め、手首を使って水平に保つ。
そして前に突き出した足首を捻った勢いで上半身を捻り、添えていた右手で槍を押し出す形で突きを繰り出した。
氷弾を射出するとき以外はダランと下がっていた両腕と、白く細い脚、そして胴体の中心に刃を突き立てる。
その五発をほぼ同時に突き、一撃へと昇華する技の名を、彼女は静かに囁いた。
「“
五発同時攻撃によって、召喚獣の華奢な
「てっめぇぇぇ……!」
桜色の長槍を掌の上で回し、切っ先を向ける。ロンの真っすぐで強い眼光に見つめられた彼女は、思わず一歩引いた。
「ここは退いていただけますか? 生憎と、彼はこれから私とデートの約束なので」
「知るかよぉぉ、んなことぉぉぉ……! てめぇら潰せって言われてんだよぉぉ!」
また爪を噛みちぎって、彼女は素手で殴りかかろうとする。だがそこに、まるで流星のような速度で何かが飛んできた。
それは灰色の馬に跨った鎧の騎士。そしてその騎士と共に馬に乗っている灰色の髪をした女子生徒が緑髪の彼女を止め、何やら魔法を駆使して気絶させる。
そしてミーリ達の方を一瞥し、彼女の召喚獣なのだろう騎士が氷の召喚獣を担ぎ上げたのを確認すると、緑髪の彼女を脇に抱えたまま馬へと跨り、騎士に手綱を引かせて走り去っていった。
敵の姿が見えなくなって、ミーリは神格化を解く。その脚を縛っている氷をロンが斬り砕き、霊力を当てて脚を回復させた。応急処置だが、まだ動けるまでに回復する。
「ありがと、ロン。ってか、ロンって呼んでいいのかな」
そう訊くと、ロンは首を傾げる。そして槍を手から消すと、少しだけ乱れたミーリの上着を直した。
「ロンゴミアントとしてなら、私はロンと呼ばれるべきじゃないのでしょう。でも、これも我儘ですが、今はあなたにそう呼ばれていたい。もう少しだけ、ロンと呼んでくださいますか、ミーリ・ウートガルド」
「わかった。じゃあ君も、今はまだ丁寧語じゃなくていいよ。それが素だったらちょっと面倒かもだけど、でもそれでも、今の君にはもっと砕けた言葉を使ってほしいな」
「えぇ、わかりました――ううん、わかったわ、ミーリ」
ロンはまた、桜色の槍を握り締める。そしてミーリから数歩距離を取ると、ミーリに切っ先を向けた。
「さてミーリ、あなた、槍の技はいくつ持っているのかしら」
「え、数えたことないけど……えぇぇっと……九個くらい?」
「そうね、そうだった。投擲から始まって、ゼロ距離攻撃に突撃、振り下ろし、押し込み、連撃……さらに漆黒をまとった槍での技。スカーレットの元で学んだあなたが編み出した、勝利のための必殺。でも、少し多いわね」
そう、彼女は笑顔で言う。軽く片手で振り回している槍は、ミーリが扱うよりもずっと軽く、踊っているように見えた。
「だから、集約しましょう。漆黒の槍でのはともかく、他の通常の技を。よりコンパクトに、そして、より強く」
「できるかな」
「できるわ。だってあなたは、私と同じ槍を持つ者。あの子のパートナーなんだから」
まだ芯が冷える脚を振るい、霊装の長槍の方だけを出す。ケットシーに目で少し離れているよう促すと、ロンに向き直った。
「じゃ、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくね、ロン」
「えぇミーリ。あまり時間がないから、ビシバシ
ケットシーを置いて、二人でビル群の間を滑空するように跳んでいく。その後来た警察にケットシーがなんと言って誤魔化してくれたのかは、知らなかった。
――そのロンって、誰なの?
話を終えた彼に、彼女は問う。
彼女の知るロンと、今彼が語ったロンとは、まるで別人のようだったからだ。
それを訊かれた彼は、少しだけ濁すようにして言った。
――そう感じるんだね。君は、ロンのことがよくわかってる。俺の次にね。
そう言って、彼女をベッドに寝かしつけて彼は行く。そして部屋を出た彼を待っていた槍脚のパートナーと共に、この日最後の巡回へと赴くのだが……
時が止まる。空間が止まる。そしてまるで氷のように、時空そのものが溶けていく。その空間はやがて消え去り、時空を司る機械仕掛けの神によって、なかったことにされた。
今を生きる彼の未来の可能性が、こうしてまた一つ、時空神の手によって掻き消された。
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