襲撃

 魔法戦争最後の第四陣が、今日戦う。これですべての陣からそれぞれ二名ずつが残り、合計八名が選出されるはずだ。そうして、明日の最終決戦が始まる。

 今日の勝者は知らないが、おそらくメディアと瘴気くんが勝ってくるはずだ。気は抜けない。

 それにここまで勝ち上がってきたのも、スネークにクンシー。さらにメディアの手先であるホークまでいる。油断大敵。まさにその言葉が似あう相手だろう。

 まぁ、負ける気などさらさらないのだが。

 第四陣の結果は、クンシーが教えてくれることになった。ケットシーの携帯にメールするとのことだったが、当のケットシーが出てこない。

 彼女はまだ第一陣での心の傷を治しきれず、部屋に閉じこもっていた。

 三日間交渉に交渉を重ね、なんとか部屋からでも出るよう諭したが、結局出て来てくれなかった。

 レーギャルンにウィン、ヘレンにリスト、そして一番可能性があったネキですら、彼女を出すことは叶わなかった。

 ちなみにロンゴミアントは、昨日の朝から帰ってきていない。彼女の早期帰宅もウィンから迫られたが、ミーリは頷かなかった。

 理由は言えない。だから納得はしてもらえなかったが、何かを察したのだろうネキと、その目で事態は把握してるのかもしれないヘレンがウィンを宥め、実力行使とまでは発展しなかった。

 ロンゴミアントは大丈夫だ。根拠はない。ただ自分が、彼女のことを知っていると言うだけだ。それしか逆に、根拠はない。

 だが心配もしていなかった。彼女は大丈夫。そういう気がして、心配はしていなかった。

 だがケットシーは心配だ。彼女とはまだ十数日の仲であるから、彼女の性質をわかっていないというのもあるし、第一こちらは協力したいのに、塞ぎ込まれてはどうしようもない。

 まぁ、もし明日の戦いに彼女が出てこなかったとしても、自分達だけでやるつもりではあるが、多分それでは意味がないのだろう。

 彼女の願望と自分達の思惑とが絡んでいるこの協定、それを破って一方的に事を進めてもいけないだろう。

 それに、このままでは彼女はきっと後悔する。そう思った。これもまた、根拠はない。

 故にその日の夕方、今まで上がらなかった腰を上げた。本当は嫌だったが、やるしかないと思った。こういうことを思いつくから、本来は人間に嫌われるはずだったのだろう。そんなことすら思う。

 だがもう、思い立ったら怖くなかった。故にミーリはケットシーの部屋の扉を軽いモーションで蹴り飛ばし、ベッドで猫背をさらに丸めて驚いていたケットシーを脇に抱え、走り、窓を開け、二階のベランダから飛び出した。

「ちょ、ミーリさん! 下ろしてください!」

 そう言って、ケットシーはもがく。

 だがミーリの腕は力強く、そして固く、振りほどけない。

 入るなと言っておいたのに部屋に入ったことと、閉じ籠っていたのにこんなにも強引に引っ張り出してきたことと、自分を抱えて走っていることになんの意味があるのかということと、とにかく色々と問いただしたいが、ミーリはまったく振り向かない。

 ケットシーを小脇に抱えたまま、物凄い速さでしばらく疾走し続けた。

 が、急に止まる。やはりダメだったと思いとどまったのか、それとも道に迷ったのか、とにかく止まったと思ったら、ミーリの視線の先にあるのは一軒の店。そこの看板には漢字で、回転寿司と書いてあった。

 同時、ミーリの腹部が警鐘を鳴らす。ケットシーは部屋に籠っていて知らなかったが、この日のミーリはロンゴミアントの不在によって、朝からろくに食べていなかった。

 向こうの世界での和国のそれと同じ字なので、看板は読める。それに寿司も、まえに空虚うつろと食べに行ったことがある。あれは和国が生んだ、三大名物だ。

 寿司、天ぷら、味噌スープ。これがミーリが勝手に三大名物と言っている和国の食べ物だ。しかしまさか、その内一つがこの異世界にもあるとは思っていなかった。

 ネタはなんだろう。宝石魚はあるだろうか。鼻先が刀になっている――名前がわからないあの魚はおいしいのだが。氷の大地でのみ取れる透明魚は? 砂漠の湖にいる骨魚は? いるだろうか、いないのだろうか。

 様々な想像が膨らみ、ミーリの口の中は唾液で満ちる。腹からは早く食べようと催促の警鐘が鳴り、思わず唇を舐めた。

 が――

「っ……お金、ないか……」

 前にロンゴミアントの靴を買うときに懐中時計を換金したのがだいぶ残っているが、向こうの世界でも寿司は高かった。和国でも贅沢だと、空虚が言っていた。その常識は、果たしてこの世界でも同じだろうか。

 ならばやめた方がいい。自分は今、他に手持ちがない。これ以上換金できるものは、持ってないのだ。そんな贅沢で、身をほろぼすわけにはいかない。

 だが食べたい。口の中は、すでに寿司モードだ。だが食べられない。悔しいが、それが現実だ。

 そう、ミーリがその場から立ち去ろうとしたそのとき、ケットシーから小さな音が響いた。

 それもまた、彼女の体が出した警鐘。この三日間ろくに食べてないことで出た、空腹の証だった。

 彼女はそれを、こっ恥ずかしそうに赤面させて隠そうとしたが、隠し切れないと悟ると、何やら腹を括ったような目つきでミーリを見上げた。

「……下ろしてくださったら、ご馳走してあげますよ」

「ホント?!」

 そんなわけで、ケットシーを下ろしたミーリが二人で向かったのは、小さなお店だった。

 この世界ではコンビニと言うらしく、食べ物から日用雑貨。雑誌まで手に入る素敵な店だった。しかも二四時間営業しているというから、驚きである。

 そんな店は、ミーリの世界にはない。一日中営業している店なんて、店主が不休で働かなくてはならないではないか。

 だがその疑問をぶつけると、ケットシーにバイトの人が交代で働いているのだそうだ。なるほど、と思いつつ、でもなんだか納得できない。

 ミーリの世界では基本、店とはその店の店主を含めた家族と彼らが雇った従業員とで成り立っているわけで、そんな数のバイトを雇って店を回すということが理解できなかった。

 ――とまぁそのことは置いといて。

 ケットシーがそのコンビニ、で買ってくれたのはなんとお寿司。巻き寿司と稲荷寿司が並んだパックで、とても安かった。良心的な価格設定、という奴だ。

 ケットシーが買ってくれたそれを持って、ミーリとケットシーは少し歩く。

 少し身だしなみが乱れている少女をミーリのような成人が連れているとあって、二度ばかり警察機関に職務質問を受けたが、ケットシーがミーリの無実を証明してくれた。

 完全に嫌われたと思っていたので、このまま警察に突き出されるのではなんて捻くれたことも思ったが、ケットシーはそんなことをする素振りすらなかった。元はいい子だ、知っている。

 そんなケットシーがここにしましょうと言ったのは、新宿駅からしばらく西に歩いた先にあった中央公園だった。

 遊具などはないが、スポーツができる場所もあってとても広い。その中でも芝生が広がっている場所があって、ケットシーはそこに寝転んだ。

「こうしてると、猫の時むかしを思い出して落ち着くんです……」

「……そっか。俺も、草の上で寝るのは大好き。学園の敷地にそういう場所があって、よく寝転んだな。でもそしたら、リエンに怒られちゃって……」

「リエン?」

「あぁ……友達。風紀委員長やってるの。戦姫なんて呼ばれててさぁ」

「戦姫……って、クンちゃんと同じ……」

「……ちょぉっと話そうか。俺達の世界の話。今度はゆっくり、ね」

 ミーリ達の世界。

 人類と神々が、人類の存亡をかけた戦争をし、三一年の停戦状態にある現在。

 次の戦争に対する人類の対策。人類に牙を剥く神々の討伐。

 そのために召喚され、人類と共に神々と戦う神霊武装ティア・フォリマ達の存在。

 その世界で今まで自分がしてきた戦いの数々。

 そうして築いてきた、人間や神との関係。

 そして、因縁の相手とのいずれ着けなければいけない決着。

 この約一年でしてきた日々を語る。説明するのが難しいこともあったが、そこは自分でも理解できるようにゆっくりと話した。

 寿司を買ったことなど忘れてミーリは語り、ケットシーは聞く。気が付けば横になっていた彼女は上半身を起こし、聞き入っていた。

 そうして話し終えた頃にはすでに太陽は沈み切っていて、公園の街灯が光を灯し始めていた。

 春の虫が鳴く声が、小さく響く。だがそんな小さな響音など耳にも入って来ず、話を終えた二人の間には静寂が行き交っていた。

 お互いに、次に何を言えばいいのかわからないと言った風で口を紡ぐ。その静寂をしばらくして少しずつ破ったのは、ケットシーの静謐なすすり泣く声だった。

「ケットちゃん……?」

「……ごめんなさい。少し、想像と違ったから……そう、ですか……そんな、命がけの生活を……」

 今のケットシーの心情を簡潔に表すのなら、衝撃という単語が相応しい。

 本来召喚するはずだった戦士は異世界の騎士であり、幾千もの戦場を駆け抜けた勇者だった。だがそれは空想の物語であり、実際には存在しない世界の話だった。

 だからもしそんな騎士を召喚したとしても、いくら戦場の話を語られたところで同情しなかっただろう。だって、すべてが嘘なのだから。

 だが今のミーリは違う。

 彼は異世界でミーリ・ウートガルドという一人の青年でありながら、神と戦う戦士だった。それは事実であり、紛れもないこことは別の世界の話だ。

 実際、最初呼ぶはずだった騎士と彼にそこまでの違いはないかもしれない。だがその唯一の違いが決定的だ。

 召喚獣は主の命令によって動く。故に異世界の騎士が昔話をしたときは、ケットシー自身が命令したときだ。つまりは自作自演である。

 だがミーリは、命令だけで動かない。自らの意思で動き、話す。だから今、ミーリが自分から話した話は事実だと感じるしかなく、彼の口から出た嘘だとは思えなかった。

 だからこその衝撃だ。こんな異世界が存在し、その異世界で戦った戦士が今、目の前にいる。興奮なんてしない。冷めもしない。だが衝撃を受けた。驚愕し、困惑した。

 自分はこんな人を従えて、儀式に参加していたのか。

 ずっと命懸けの戦いをしてきた彼に、こんなバカげた儀式に付き合わせていたのか。

 申し訳ないなんて思わないし、魔法使いを傷付けてはならないという思いも変わらない。彼が異世界でどれだけ熾烈な戦いをしようとも、この世界のルールには従ってほしい。

 が、言えない。

 別段、そんなことが言えないほど臆病なわけでも、気が小さいわけでも、引っ込み思案なわけでもないと自負している。

 だが言えなかった。彼に、敵を傷付けるなという甘い戦いを命じられない。

 それを優しさと履き違えるほど馬鹿ではないが、それでもこんなにも気持ちから言葉が出ないのは、自身が猫であるという秘密以外になかった。

 でも言わなければならない。

 あなたの世界の戦いを、この世界でもする必要はないのだと。ここにあなたの敵はいないのだと。

 だが次の瞬間、ミーリは突如ケットシーの体を夕方と同じように持ち上げて、空高く跳躍する。

 そして二人がいた場所には巨大な氷柱が刺さり、二人を仕留め損ねると同時に蒸発し、大気に溶けて消えていった。

「この世界でも言うのかな、マジKYって感じ」

 言っていることは軽快そのものだが、そう語るミーリの眼光からは、もはや眠気はない。

 この数日――厳密にいえば試験と第一陣のときに知ったが、これは敵を見る目だ。自身が把握できる圏内に、敵を入れたときの目だ。

 だから察した。今彼の感知圏内に、彼にとっての敵がいる。その正体までは知らぬところだが、彼の命を狙う敵だと言うのは間違いない。

「出て来たら? そこにいるのはわかってるよ」

 敵をあえて挑発するのは、敵が目の前にいた方が攻撃を躱しやすく、ケットシーを守れるからだ。自分だけならまるで問題ないが、神霊武装パートナーもいない今、彼女を守るのは少し難しい。

 それをわかっていないのか、敵はおもむろに姿を現した。背中に四つもの氷柱を生やした色白の高身長女性を引き連れて、彼女は嘲笑を浮かべる。

「見つけた見つけた見つけた見つけた……見ぃつっけたぁぁ。アハハ!」

 完全にイっている目と舌を出し、彼女はミーリを指差す。さらにその指先をねぶった彼女は、その手で放った指揮で背後の召喚獣に氷柱を射出させた。

 だがそれを、ミーリは今度は片手で受け止める。

 冷たっ――!

 抱えていたケットシーをすかさず下ろし、その手で氷柱を粉砕する。砕け散った破片はすぐさま溶け、再び大気に帰っていった。

「なぁにカッコよく避けてんだ、殺すぞてめぇ……! ってかカッコ悪くても殺すけど? アハハ!」

 完全な麻薬常習犯だろと思うくらい、彼女は目がイっている。だが彼女以上に頭がイっているどころかバグっている悪魔や邪悪の子を相手にしてきたミーリにとって、そんなものは恐怖の対象ではなかった。

「ケットちゃん、ちょぉっと待ってて。すぐに、片付けるから」

 ミーリの姿が変わる。

 白銀色をまとった青い長髪。そのせいでさらにスラっとして見える男性の平均身長の背丈。そして、さらに鋭くなった眼光に宿る二つの時計。

 神格化したミーリは、長槍と短槍を現出し握り締める。

 無論本気は明日の最終戦に取っておくが、戦わなければここは打破できない。故に牽制した後に即座撤退する姿勢だ。生憎と、頭のイった人間を相手にするのは好きじゃない。

 故に簡単に相手してやるつもりで、ミーリは彼女とその背後の召喚獣に肉薄した。

 

 

 

 

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