猫の魔女

 今回の新宿駅の戦いで、わかったことは主に二つ。

 ミーリ・ウートガルドを狙っている何者かがいるということと、神霊武装ティア・フォリマの武装化が使えるということだ。

 前者は面倒なことだが、後者は救いの情報だ。正直神格化だけでは、体への負担が大きすぎて参っていた。ロンゴミアント達にはバレているかもしれないが、あれはかなり辛いのだ。やせ我慢も限りがある。

 だから武装が使えることには本当に助かった。これで思う存分戦える——と言いたいところだが、どうやらそうもいかないようだ。

『戦って実感したが、魔弾を作るのに時間かかり過ぎだな。どうやらこの世界じゃ、武装おれたちの能力は幾分か下がるみてぇだ。周りの霊力が薄すぎて、充分に力が出せねぇ』

 ウィンの言う通りだ。

 魔弾を作るのに時間がかかるのは元からだが、あそこまで大きなスキができるほどではなかった。明らかに能力が落ちている。ウィンの言う通り、大気に含まれる霊力が薄いからかもしれない。

 だとしたら厄介だ。

 武装なら体への負担はないが、能力が落ちる。神格化なら能力はそのままのようだが、体に負担がかかる。どちらにせよ、デメリットを抱えなければならない。この魔法世界という実力がまだわかり切っていない世界で、かなりのハンデだ。

 まぁ元より負ける気などないし、死ぬつもりもないのだが。それでも、最悪の事態は考慮しなければならない。だが戦いの最中は、絶対最悪の事態など考えない。

 無駄だからだ。考えてしまうとそのせいで怯え、怯み、体の動きがドッと遅くなる。それが最悪の事態を招く。だから戦闘中は考えない。そう、玲音れおんにも教えた。

 だから最悪の事態なんて考えている暇はないのだが、どうしても考えたくなってしまう今の状況。まだ来て一日の世界で、果たして勝ち抜けるのか。

 いつもは自信を持っておくミーリでも、今回ばかりは楽観的にとはいかないのだ。そういう状態だ、今は。

 とにかく、今やれることは普段から霊力を溜めて温存しておくことだ。大気中の薄い霊力を掻き集められるだけ集めて、戦闘力に変えるしかない。それしかできなかった。

「とりあえず、今日から霊力を溜め込まないと。みんなにはかなり辛いと思うけど……」

『そうだな……俺達はときどき、霊力パスを繋がなきゃいけねぇ。溜めるにも使うにも、てめぇ頼りだ。悪いがな』

「……そういえば」

『なんだ?』

「ボーイッシュって、パートナーいない間長かったけど、霊力パスはどうしてたの?」

『は? どうって、学園長と仮契約してたんだよ。ときどきパス繋げるためだけに行かなきゃならねぇから、面倒だなんだって』

「ふぅん……そっか……」

 もしウィンが独立して霊力を供給できていたのだとしたら、ロンゴミアント達武装が一人でも霊力を保つ方法があると思ったのだが、どうやらそれは無理らしい。

 神霊武装が人の姿を保つのにも、霊力がいる。故に彼女達には消費はあれど、貯蓄はない。唯一の貯蓄の方法が、霊力パスを繋いでその相手から貰うこと。それだけなのだ。

 つまり彼女達六人の命は、ミーリ一人にかかっているということ。いつものことだが、それがこの世界ではより重く感じられる。自分が一度霊力の量を調節し損ねれば、致命的なのだから。

 とにかくしっかりせねば。自分の肩に、みんなの命がかかっているのだ。

『まぁ気負うな。俺達も調整に気を遣えばいいんだ。てめぇ一人の責任じゃねぇ。俺達の命は、俺達が繋ぐ』

「……うん、ありがと。ボーイッシュ」

 霊力温存のために速度を落とし、日が昇った頃に帰宅する。窓からそっと音を立てないよう入り込んだのだが、彼女にはバレていた。

「やっと帰ってきた」

 待っていたのはロンゴミアント。寝ていろとウィンに言われていたが、寝ずに待っていたらしい。

 出掛ける予定があったわけではなかったから、寝るまえに様子を見に来たらいなくて察したというところか。だから待っていたのだ。彼女は決して、マスターを置いて寝るような性格じゃない。

「倒せたの?」

「いやぁ、逃げられちゃった」

「そう、でも無事でよかった。どうする? 少し寝る?」

「いや、もう起きてる。ちょっと話があるし……ボーイッシュは少し寝たら? 疲れたでしょ」

「あぁ、そうだな。じゃあ寝させてもらう」

「うん、おやすみぃ」

 霊力の温存のためってか。しかも他の奴らの調子も見て来いってんだろ? まったく、武器使いの荒い奴だぜ。

 ウィンは隣のレーギャルン達が寝ている部屋へ。ミーリはソファに深く座り、大きく首を持ち上げて天井を仰いだ。

 正直疲れた。武装の能力低下のせいで、思うような攻撃力が出せない。つまりはいつも通りの戦闘ができないのだ。精神的にも体力的にも、かなり疲れる。

「どうしたの?」

「うん、いやね?」

 新宿駅での戦い。そこで気付いたこと、今後のこと、それらすべてをロンゴミアントに話した。

 彼女は最後まで口を挟まず、目の前で黙って聞いてくれた。そして話を聞き終えると、まずミーリの頭に手を置いて、そのまま体重を前のめりにかけてもう片方の手をミーリの胸元に置いた。

「お疲れ様でした。そしてわかったわ。要は私達も、霊力の調節を気を付けなきゃならないってことでしょ? 任せて、大丈夫。私達もできる限りのことはする。だから……無理をしないでね」

「うん、そだね。ありがと、ロン」

 ロンゴミアントに相談すると、少しだけ落ち着ける。自分が背負っていた荷が、少しだけ降りたような気になるのだ。だから安心する。

 それは今も変わらないのだが、このときは少しだけ違和感を感じた。脚のせいだろうか、まるでロンゴミアントではない別人と話しているような気がしてならない。

「どうしたの?」

 そんなことを彼女本人に言えるわけもなく、ミーリは返答を詰まらせる。その目はロンゴミアントの脚に行き、別の台詞を思い浮かばせた。

「……少し落ち着いたら、靴買いに行こっか」

「でも……」

「行こうよ。靴履くの、憧れたじゃん。こんな機会もうないかもしれないしさ」

「……いいの?」

「今はお金持ってないけどね。和国と同じ単位だったけど、まったく別物みたいだし……まずは働かなきゃか」

「……ありがとう、ミーリ。大好き」

「じゃ、どんな靴がいい?」

「そうねぇ……」

 その後は靴の話で、少しばかり盛り上がった。ロンゴミアントはブーツが履きたいということで落ち着いたが、それでも具体的にどんな靴になるかは、店で見てからの話になりそうだ。

 その話が終わると、ミーリは少しだけ眠ってしまった。戦闘の疲れが出たらしい。ずっと起きているつもりだったが、睡魔に耐え切れなかった。

 ロンゴミアントを側に置き、静かに眠る。目を覚ましたのは四時間くらいしてからで、ソファで寝たせいで背筋が痛くなったからだった。

 そろそろケットシーが起きてくる頃である。学校は今日もあるはずだ。

「私、ちょっと見てくるわ。夜のことがバレてたら、ミーリ動きづらいでしょ?」

「そだね、お願い」

 ミーリを狙って何者かが動いている。そのことは一応、ケットシーには内緒にしておいた方がいいだろう。

 伝えれば余計な心配をさせてしまうし、メリットはない。伝えずにこっそり処理する方が得策だ。そのことを、ロンゴミアントは理解しているようだ。さすがは一番の付き合い。

 そうしてロンゴミアントがケットシーの部屋を覗きに行ったのだが、なかなか帰ってこない。十分くらいしてからようやく帰ってくると、ロンゴミアントは少し困った様子だった。

「どしたの」

「……いないの、あの子。家中見て回ったんだけど、どこにも」

「え? 出てったの?」

「そんなはず、ないとは思うんだけど……でも、あの子の部屋にちょっと気になるものが……」

「何々?」

「……ちょっと来てもらえる?」

 ロンゴミアントにそう言われてついて行くと、ケットシーの部屋で——女の子の部屋に無断で入ったことは、あとで彼女に謝るつもりだが――あるものを見た。

 ベッドで丸くなって眠っている、一匹の猫。全身栗色の毛並みをしているのに、頭部だけが何故か黒い。そういう柄ではなく、染めているようだ。

「猫だね」

「猫ね」

「こんな子、この家にいたっけ」

「あの子は何も言ってなかったけど……でもそれより気になるのは、ミーリ——」

「うん、改めて感知すると、この子……」

 ケットちゃんと同じ霊力だ。

 相変わらず魔力と呼ばれる別の力のせいで感知がうまくできないが、それでもわかる。この猫、ケットシーと同じ霊力を持っている。

 霊力は指紋と同じだ。同じ質と形は存在せず、それぞれ違う。一卵性双生児だろうと同じになることはなく、それぞれの霊力にあった戦闘スタイルも変わってくる。

 だから同じということは、姿形を変えたその人だと言うことだ。もし霊力の質を変える擬態や模倣の霊術を使っていないとすれば、そうなる。

「ケットちゃん……? おぉい」

 黒く染まった耳をピクリと動かし、うんと背筋を伸ばして起きる。まだ寝ぼけているのか周囲を二度ばかり見渡し、ミーリ達を見つけてようやく状況を把握した。

 飛び上がり、駆け出し、散らかった机の上に跳んで隅へと逃げる。そしてカーテンにくるまって、隠れてしまった。

「あ、ケットちゃん? ケットちゃんだよね?」

 ケットシーからしてみれば、何故ミーリ達が自分の部屋にいるのか、そして何故彼らが何かしらの確信を持って、今の自分をケットシーだと言っているのか。その双方が一切不明だ。

「ケットちゃん? そんな、隠れなくても……」

 猫として誤魔化したいところだが、ミーリは確信している。決して知られたくなかったケットシー・クロニカの秘密が、ついに——というかあっけなくバレてしまった。

 まさか彼が、容赦なく女子の部屋に入って来るとは思っていなかった。周囲に女性がいるから、抵抗がないのだろうか。ともかく油断していた。

「……とりあえず、着替えますから……部屋を出てください」

「あぁぁ、うん。わかった」

 ミーリとロンゴミアントが部屋から出て行くと、猫はカーテンの後ろからゆっくりと机伝いに床に降りる。その体に薄いピンク色の煌きをまとうと、徐々にその姿を女子高生の裸体へと変えていった。

 体毛は人の皮膚の下へと消え、髭も尻尾も縮んで消える。指は三本から五本に増え、筋力が増えた二足でおもむろに立ち上がる。

 碧色の瞳は鋭く光り、朝日の差し込む少し眩しい部屋で半分だけ開く。そして唯一引っ込まなかった猫の耳を手で押さえ込み、無理矢理髪の毛の中に閉じ込めた。

 猫の姿を見られたショックから、制服を着るのに少しばかり時間を取られる。ネクタイを締めるまでに、いつもの三倍はかかった。

 居間に行くと、そこにはミーリとロンゴミアントの二人が待っていた。改めておはようなんて言ってくるが、そんなことより言いたいこと——いや、言わせたいことがあった。

「……勝手に部屋に入らないでください、ミーリさん」

「いやぁごめんごめん。いやぁ起きてこないからさぁ、何かあったのかと思って」

「女子の部屋に入るのに、抵抗とかないんですか?」

「抵抗? なんで?」

「……とにかく、もう入らないでください。嫌われますよ」

 ま、元々そういう人間なんだけどさ。嫌われないのは、魅了チャーム様様なわけで。

「……朝ごはんにしましょう。食べますよね」

「うん。ロンも食べる?」

「えぇ、お腹空いたわ」

 他の神霊武装は寝かせて、三人だけで簡単な食事を取る。

 と言っても見事な目利きで半熟に焼かれた目玉焼きと、油滴るベーコンを乗せたバタートーストだ。朝から手が込んでいる。怒っている割には、ちゃんと作ってくれた。

「……それで、み、見ましたよね?」

「え? いや、さすがに見てないよ。女の子の着替えなんて」

「違います! そっちじゃなくて……」

「猫だったこと?」

「……そうです」

 ケットシー、なんだか泣きそうだ。ここに来てようやく、罪悪感が湧いてきた。これからは女子の部屋に行くときは気を付けよう。例えロンゴミアントに呼ばれてもだ。

「あぁぁ……まぁ、その……なんかごめんね? いや、そりゃあ驚いたけど……この世界じゃ普通なのかなぁ、とか思ったりして」

「……そんなことはありません。校長のように、趣味趣向で獣の特性を身に宿している方はいらっしゃいますが、私は別です。私は、人間じゃありませんから」

 召喚獣や魔法使いがいるこの世界で、ケットシーのような存在がどれほど希少なのかは正直わからない。だが神や悪魔、天使がいるミーリ達の世界ではあまり希少ではない。むしろ普通だ。喋る猫も、人の姿に変わる猫も、普通にいる。

 だからケットシーのことを、ミーリ達は特別視できない。蔑視することもできない。何故ならそんな存在と、戦い続けてきたからだ。

 だから人間じゃないと告白したケットシーに対して、ただふぅんとだけ軽く返事したミーリの反応に、ケットシーは逆に驚いた。今まで誰にも言ったことはないが、言ったらされるだろうなと思っていたどの反応とも違ったからだ。

 だからこの先を話すべきかそうしないべきか、一瞬の間にかなり迷った。この人なら話しても平気かもしれない。でも、もしかしたら……そんな迷いが生じる。

「ま、別になんでもいいよ。ようは内緒にしてればいいんでしょ? 本当はそんなことも話せる友達とかいればいいんだけどさ、まぁ余計なことはしないようにするよ。俺にも君に話したくないことの一つや二つ、あるからさ」

「……約束ですよ? 絶対に、話さないでくださいね?」

「うん、約束ぅ」

 そう言って、ミーリは小指を立てて差し出す。ケットシーにも出させると、その手を取って指切りを交わした。

「ゆぅび切ぃりげぇんまぁん、嘘ついたぁらこの指斬りおぉとす、指切った」

 こわっ!

「ふ、普通は針千本飲ます、ですよ」

「え、そうなの? おかしいな、ウッチーはそう言ってたのに……」

「ウッチー?」

「友達だよ。俺の大事な友達」

「そう、ですか……」

 だが不思議と、約束を守ってくれる気がする。なんとなく、なんとなくだが、この人は一度した約束は破らない気がするのだ。

 そう思うと安心できた。さっきまでの不安も、すっかり消えてしまった。自分は猫、そんな事実を受け止めてくれる人に出会えるなんて、思ってもみなかった。それが今になって、たまらなく嬉しい。

 あの日、あのゴミ捨て場で、泣いていたとき以来だ。

——あらあら、こんなところにまぁ魔力の高い猫がいるなんて……このまま死ぬなんて、もったいない。君、よかったら人として生きてみるか?

 あの日あの人に貰った、人としての生。それでも自分はただの魔力の高い猫であり、それ以外の何者でもない。

 一人の魔法使いとして認められたいケットシーは、今までそのことを隠してきた。猫だと知られれば、ますます魔法使いとして認められなくなってしまう。それでは意味がない。

 だからこれからも隠し通す。猫の魔女なんて、絶対に認められることはないのだから。

「ところでそういえば、ケットちゃんに相談があるんだけど」

「相談、ですか?」

「魔法戦争、だっけ。それ、俺達参戦するから」

「え?」

「参戦する目的ができたの。本当は死ぬかもしれないから、避けたいけどね。どう? 君は確か召喚獣がいなくて困ってる。俺を使えば、君も参戦できるんじゃない?」

「それは、そうですけど……でも……」

「大丈夫よ、猫ちゃん。ミーリは私達の世界の学園では、自他共に認める実力者。その強さは、私達が保証するわ」

「俺が勝てば、君は周囲に認められる。俺も勝てば、目的を達成できる。お互いに得があるんだしさ、組まない手はなくない?」

 ケットシーは気絶していたため、ドレッドヘアーの佐久間さくまとの対戦を見ていない。故にミーリの実力がわからない。今ここでうんと頷けないのは、それが理由だ。

 だが戦ってくれると言ってくれるのは素直に嬉しい。自分にも今、わずかながらチャンスが舞い込んできたのだ。逃す手は確かにない。

 だが同時、勝てるという確証もない。ミーリの実力が他より劣れば、ただの無謀だ。

「本当に、勝てるのですか?」

「うん、勝つよ。勝ってみせる。でなきゃ俺は、この先戦えないからね」

「……わかりました……その提案に乗りましょう」

「そう来なくっちゃ。じゃ、改めてよろしくぅってことで」

「は、はい」

 こうして、ミーリ・ウートガルド一行の魔法戦争参戦が、決定した。

 


  

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