英雄の過去
婚約
第一次神話大戦。
人類滅亡を目的とした神の軍と、人類存続を目的とした人間の戦争が一時停戦となってから約二〇年後のこと。つまりは現時点から、一二年前の話。
場所は東北の王国グスリカ領内、名をメルト。そこを領地にしているのは、かの最高位貴族ウートガルド家。グスリカで誰も知らない者はいないアストラル・ウートガルド——通称、“法律のアスト”が治める土地。その領がすべて見通せる丘の上に、ウートガルド家の広大な屋敷があった。
家族構成は、夫と妻、そして子供三人犬一匹の計六人家族——犬を数えるかどうかはその人次第だが――と、立場以外はごく一般的な順風満帆な暮らしぶりであった。
その一家の長男が、ミーリ・ウートガルドだった。下には一つ下の妹ルイ・ウートガルドと、三つ下のへブル・ウートガルドの二人。妹と弟に愛された、よき兄だった。
そんな兄ミーリが、七歳になった頃のこと。ある日アストことアストラルは、ミーリの部屋を訪ねていた。
「ミーリ、ちょっといいかな」
「何、父さん」
前もって言っておくと、この頃のミーリと言うのは今のような軽い性格の持ち主ではなかった。
優しくも法に厳しい父親と、心配症ではあるがキッチリした母親とで育てられた長男は、一度会ってしまえば名前と顔を確実に記憶するキッチリした少年に育っていたのである。
現在でも人の名前に関しては、面と向かって自己紹介を受ければ忘れないという少し緩くなった形で残っている。
性格も比較的大人しい方で、七歳にしてすでに普通の青年と同レベルに物事を見ている子だった。
だからこの当時のミーリも、何をなぁにぃと伸ばすことはなかった。とにかく、そんな子だった。
「ミーリ、確認だがおまえ何歳になった?」
「去年の一一月で七歳」
「そうだな。そんなおまえに報告がある。心して聞いてほしい」
このときのミーリは、何か確信していた。この次に父アストラルが何を言いだすか、予想していたと言った方が近いか。故に次のミーリの反応は、想像通りだと言わんばかりの無反応となってしまった。
アストラルは片膝をついて目線を低くし、ミーリの肩を優しく掴む。
「つい先日、おまえの婚約が決定した。まだ当分先の話だが、とりあえず決定した」
「俺、結婚するの?」
「あぁ」
そっか、結婚するんだ。
父さんみたいに母さんみたいな人と結婚して、家庭を持って、子供を作って、家庭のために仕事して、それなりの生活をしていくんだろうな。
七歳の子供は、そんなことを考えた。この先まさか、あの業火を見ることになるとは、このとき思えるはずもなく。
「相手は?」
ここで気付いてほしいのは、ミーリが結婚に関してなんの疑問も持たなかったことである。普通ならそれなりの反応を見せるし、ときに拒否することもあるだろう。それがどれだけ無駄な努力だとしてもだ。
だがミーリは違った。すんなりと、あっさりと、まるで当然のように受け入れた。それはもはや、そう仕込まれている機械のように。
「相手はトーンの領主、リースフィルト家。そこの長女だ。名前を、ユキナ・イス・リースフィルト」
「……その子と、結婚してほしいんだね」
「そうだ。リースフィルト家は貴族の中でも私達と同じく最高位貴族。グスリカ全土の人事を担っている。そこと法律を司る我がウートガルド家が結べば、将来安泰だ。これは、おまえ達のためなんだ。ミーリ、わかってくれるな」
このとき、アストラルは霊術なんて使っていない。神でも魔神でもなくただの人間であったアストラルに、霊術なんてものが使えるはずがない。
故にこの先、アストラルの瞳を見たミーリが言った言葉は、すべて彼自身の心の底から出た、本音だということを理解してほしい。それは貴族の間では言い訳の効く良い子と判断されるが、普通の家庭ではありえないとされる言葉だった。
「わかった。俺その子と結婚するよ。今はまだ会ってもいないから、顔も名前も憶えられないけれど、きっと憶える。きっと好きになる。なってみせる。この先心配なく生きられるなら、俺はその子を愛してみせるよ」
「……良い子だ」
そう言って、アストラルはまた目線を高くしてミーリの頭を撫でる。ミーリはアストラルと手を繋ぎ、部屋を出て行った。これからそのリースフィルト家の令嬢と会うのだと、察したのだ。
「可愛い子だといいな」
「安心しなさい。ルイに似て、可愛い子だ。少し大人びた子だから、きっとおまえと話が合う」
「そっか。楽しみだな」
「お兄様!」
青い髪は父の遺伝。故にミーリも、今駆けてきた妹のルイも、澄んだ青色の髪を持っていた。父と繋いでいた手を離し、飛び込んできたルイを優しく全身でキャッチする。
「どこへ行くの?」
「ちょっとね。俺のお嫁さんになる人に会いに行くんだ」
「お嫁さん? なんで?」
「なんでって……」
「だって変じゃない。お兄様はまだ七歳でしょ? なんでもうお嫁さんが決まってるの? ねぇなんで?」
そう、これが普通の反応だ。このときまだ五歳であるルイにとっては、結婚だなんて想像もつかないこと。故に疑問だらけ。その疑問を解消したくてしょうがなく、ルイは質問をぶつけた。
ミーリはそれに対して、自分が疑問にもしていなかったことを疑問視されて困る。答えとしては、だって父さんがもう決めたから。そう言うしかなかった。
その父アストラルが、今度はルイと目線の高さを合わせる。
「ルイ。確かにお兄さんはまだ七歳だが、結婚相手くらい決められる歳さ。ルイだって好きな男の子ができて、それが父さん母さんに認められたら、その子を結婚相手にできるんだぞ?」
「ふぅん……じゃあお父様も、お母様を結婚相手に選ばれたのは早かったのですか? お兄様と同じくらい?」
「そうだね。まぁ私は少し遅かったが……お兄さんは素敵な人を見つけられたからね。だから許したんだ」
「そうなんだ……よかったね! お兄様!」
「うん、ありがとうルイ」
父の言葉の力は、ものすごいものであった。自分の子供程度なら、こう簡単に騙せてしまう。今ルイに言った言葉の中に、一体いくつ真実があっただろう。
この巧みな話術によって、おそらく今回の政略結婚も承諾させたに違いない。決して他人には使わせる気などないだろう権力と力を言葉巧みに見せつけて。
「でもそういうことなら、私もお兄様の結婚相手に会いたいです! どんな人なのか、すごい気になります!」
「そうかそうか。じゃあルイも来るか。すぐに出るけど、大丈夫かい?」
「はい! あ、へブルを待たせていたのです! すみません、すぐに言ってきます!」
「……これは、家族全員で行くことになりそうだな」
へブルに出かけることを告げれば、必ず付いて来たがる。へブルを一人にしておけない母親も、黙ってはいないだろう。そのことを、ルイの背中を見ながらアストラルは思った。
無論、隣でミーリも同じことを思う。するとミーリも一つ、思い出したことがあった。父の上着を引っ張る。
「父さん。俺も上着を取って来るよ。さすがに少し、薄着過ぎるから」
「そうか。じゃあ待ってるから、早く戻っておいで」
「うん」
自分の部屋に戻り、クローゼットを開ける。そこに真っ先にあったのは青色の上着。父アストラルと同じ、ウートガルド家の家紋が刻まれた上着だった。
父の真似をして上着に袖を通さず、肩にかけ始めたのは、調度この頃からであった。しかもアストラルに頼んで、同じ上着のサイズ違いを作ってもらった次第だ。
「お待たせ」
「うん? それを着ていくのか?」
「だってお嫁さんに会うんだから……俺だって着飾らなきゃ」
「……そうだな。偉いぞ、ミーリ」
父に頭を撫でられる。このときの感触が心地よくて好きで、ミーリは人の頭を撫でるようになるのだが、それはもう少し先の話だ。
「あらら、みんなもう準備できたの? 早いわ。早すぎるわ」
へブルに手を引かれてきたドレスの女性。彼女がアストラルの妻にしてミーリ達の母親、ヴァナ・ウートガルド。
元はグスリカ王家に仕える侍女であったが、アストラルが一目で惚れて家族の反対を押し切って結婚してしまった。今では最高位貴族の仲間入りという、シンデレラストーリーを生きる女性である。
特徴としては高身長で、青紫の長髪を揺らした色白の美人。底がヒールの靴を履けば、男性の平均身長よりほんの少しだけ高いアストラルと並んでも同じくらいである。
この高身長を遺伝した子供達は、子供ながらスラッとしたモデルのような体系になった。ルイに至っては、同年代の子供達よりも大人びている。まだ五歳なのに。
「ヴァナ。おまえも行くだろう? 早く支度しなさい。化粧はそれでいいから」
「でも、これほぼスッピン……」
「馬車を待たせてるんだ。行くぞ」
結局化粧させる暇を与えず、そのまま馬車に乗り込んで発進させた。馬車に揺られて、およそ四時間。そんな長旅も、ミーリ達にとってはもう慣れだった。文句なんて言わない。
屋敷に着くと、待っていたのだろう執事やメイド達が出迎えてくれた。そしてその門前で待っていた男こそリースフィルト家当主、クロナ・イス・リースフィルトだ。
当時三七だったアストラルより九つ若い二八歳。その歳で、最高位貴族として素晴らしい功績を残しているやり手だった。
一九という若さのときに結婚した妻とその子供一人の三人家族で、順風満帆な暮らしをしていた。
ちなみにこのとき、妻のコスモと一人の男との間にできた子供であるサクラは父であった男を亡くしてリースフィルト家に引き取られていたが、隠し子は世間体的にマズいと危険視され、屋敷の一室に閉じ込められていた。
その存在は、リースフィルト家の最高機密状態。故に当時のミーリ達ウートガルド家が、知る由もなかった。
「待ってましたよ、ウートガルドさん。今か今かと、首を長くして待っていた」
「待たせて悪かったね、リースフィルト。お詫びと言ってはなんだが、少々いい酒を持ってきたんだ。あとで飲んでくれ」
「それはありがたい。では早速、今夜どうですか?」
「いや、私はいい。生憎と酒に弱くてね。すぐ酔い潰れてしまうんだ」
ミーリの酒癖の悪さは、父親譲りである。
「そんなことより。さぁミーリ、リースフィルト家の今の当主に、ご挨拶なさい」
父の後ろから、ミーリが前に出る。いつかの父親の真似で上着を捲り上げて一礼し、大きく翻した。
「初めまして、ミーリ・ウートガルドです」
「はい、初めまして。僕がリースフィルト家当主、クロナ・イス・リースフィルトだ。今日は来てくれて嬉しいよ、ありがとうミーリくん」
そう言って、差し伸べられた手と握手する。今のやり取りで、この男の名前と顔を完全にミーリは憶えていた。
「今娘は私室にいてね。呼んでくるから、部屋で待っていてくれるかな」
メイドが扉を開け、中へと通す。玄関ホールには聖剣を握り締めた鎧の騎士が飾られており、奥に上階へと続く階段が伸びていた。
正直、ウートガルド家の玄関より少し広い。リースフィルト家の力を手に入れたい理由が、少しわかった気がした。
その階段は上らず、一階の待合室に通される。全体的に白で統一された屋敷の中で、そこはとくに白が多かった。ドアも白。家具も白。壁も床も真っ白の白銀世界。まるで雪の中に埋もれたかのようだ。
「すぐに呼んで参ります」
「頼んだよ」
メイドにユキナを呼ばせに行って、自分は客人と正面の位置にあるソファに座る。そして他のメイドが持ってきた水を、誰よりも早く口に含んだ。
「すまなかったね、全員で押しかけて。迷惑だったろう」
そんなことをアストラルが言うものだから、思わず吹き出す。
「ウートガルドさん、それはズルい。そんなことを今言われても、そんなことはないと言うしかないじゃないですか」
「おや、バレてしまったか。失礼、少々イタズラが過ぎたよ」
無論、この程度はお遊びの類。法律のアストが本気を出せば、もっと相手を追い詰める言葉を繰り出してくる。
だがこうして言葉で遊ぶことが、アストラルにとっての気分転換だった。そしてそれをするのに、クロナは最適な相手のようだ。
「いや本当に悪かった。ところで奥さんはどうした?」
「あぁ、妻はちょっと外出してまして。今はよしてくれと言ったのですが、聞かなくて」
「そうか……いや、ヴァナと気が合うんじゃないかと思っていたんでね。合わせてみたかったんだが……それは少し残念だ」
アストラルが残念がったそのタイミングで、ユキナを迎えに行っていたメイドが帰ってきた。
「旦那様」
「どうした、そんなに慌てて」
「それが、お嬢様が部屋にいなくて……」
「また抜け出したのか……あれほど待っていなさいと言ったのに……すみません、ウートガルドさん。すぐ探させますから」
「いや、構わないよ。なぁミーリ。向こうはおまえのお嫁さんを出し惜しんできたぞ? これは、ますます会うのが楽しみになったな」
「またそういう意地悪を……やめてくださいよ、ウートガルドさん」
「いや失礼。君相手だと、楽しくてついね」
メイドが探しに行き、ウートガルド夫妻の相手をクロナがする。そんな家中の人を困らせているお嬢様のことが、ミーリは気になり始めていた。一体どんな人物なのか、予想できないからである。
だがそのとき、部屋の様子が外から見れる唯一の窓に、小さな頭が飛び出してきた。それは女の子。黒い髪を揺らして一生懸命に首を伸ばし、部屋の様子を伺おうとしている女の子だった。
ミーリの視線は、その子に釘付け。そして彼女もまた、自分に気付いているミーリに釘付けになっていた。そしてニコリと笑みを浮かべ、手を振ってきた。
その彼女に、ミーリもまた手を振り返す。それに気付いた大人達が窓の外に目をやると、少女はフッと隠れてしまった。
「あぁ、外にいたのか。まったく……すぐに呼びますね」
そう言って、クロナはメイドを呼びに部屋を出て行く。そのときミーリは父の脇腹を肘で小突き、耳を傾けさせた。
「可愛い子でよかった」
「……そうか。それはよかったな」
これがミーリとユキナ。後々運命に駆られることとなる二人の出会い。その出会いはとても平凡で、普通で、地味なものだった。
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