神を討つ軍・ユキナ側

 南の大陸に続くとある孤島の洞窟の中。そこにスサノオは来ていた。傍らには、薄い赤紫の羽衣に身を包んだ女性が一人。

 名をクシナダ。神話において英雄スサノオに嫁いだ女性である。黒の長髪を結んでまるでリボンのような形にして、頭を飾っている。そしてその目は、蛇のような鋭い目をしていた。

「すまないな、クシナダ」

「構いません。他でもないあなたの頼みなのですから……まぁ、まさか女性に転生していたとは、思いもしませんでしたが」

 しかも私より華奢で綺麗な人に……。

「あぁ。生前、若い頃はよく女に間違えられたものだが、まさか本当に女になるとは思いもしなかった。お陰で色々苦労したよ」

 とくにおまえを説得するのにな。

「とにかく、今は再会の余韻に浸る間も惜しい。すまないが、頼んだぞ」

「お任せください、あなた」

 洞窟の奥、そこには混沌の二つ名を与えられたナルラートホテプがいた。その細く華奢な手で、木の実を磨り潰している。

 そしてその奥に光る湖の中に、ユキナはいた。体育座りの体勢で、ブクブクと気泡を立てながら眠っている。その姿は湖の中にいるからだろう、青く透き通っているように見える。

「す、すす、スサノオ……」

「すまないな、ナルラート。遅れてしまった」

 クシナダは湖の水をすくい上げ、舌を伸ばして人舐めする。歯を使って噛み締めると、ペッとその場に吐き出した。

「いけません」

「な、なな、何が……?」

「彼女の体液が溶けだしています。おそらく大量の霊力を消費して出た排泄物……このまま行けば、彼女はお腹の子にすべての霊力を食べられてしまう」

「どうすればいい、クシナダ」

「少しお時間を」

 懐から巻物のようなものを取り出して、大きく広げる。達筆すぎて逆に普通の人では読めない字列の中から何かを見つけ出すと、蛇の瞳孔でそれを追った。

「彼女に霊力を流し込んでみましょう」

「それでなんとかなるのか?」

「わかりません。ただ、足りなくなるのなら与えてみようという簡単な考えです。輸血のようなものとお考えください」

「で、でで……ど、どう、す……どれだけ、どれだけ与え、れれば、いい?」

「かなりの霊力が必要かと。簡単に例えれば、魔神クラスの霊力丸々一体分ほど」

「なら私の霊力を与えればいいか」

「量、質共に問題ないかと。ただしあなたでも、相当の霊力を取られるでしょう」

「わかった。ならば私が一肌脱ごう」

「なんだ? この状況は。何やらコソコソとしているから来てみれば、これはこれは……素晴らしい面子だな」

 侵入者の声に、スサノオもナルラートも一瞬で臨戦態勢へと自身を持っていく。

 やって来たのは一人の男。まるで王族貴族のような全身黄色の衣装に、一本に結んだ金色の長髪。その両脇には剣を帯び、懐には銃まで忍ばせたその男は、片目を瞑ったままもう片方の青い虹彩を光らせた。

「スサノオノミコトにクシナダヒメ。混沌の魔獣・ナルラートホテプ。その名を口にするだけでも恐ろしい神々が、こうも揃っていようとは。来て正解だったかな」

「貴様は誰だ」

「これは失礼、自己紹介もせずにベラベラと。少々調子に乗りすぎたかな」

 そう言って、男は会釈する。その振る舞いもまるで高貴な貴族のよう。だがそれは当然だった。この男は人の生で、王として君臨していたのだから。

「私の名はネロ、ネロ・クラウディウス。現在で言うところのシティ五代目支配者。かの黄金劇場ドムス・アウレアを創り上げたのもこの私……今回はかの王に招待を受け、参上した次第。以後……いや、知らなくていい。一切、まったくね」

 王? ギルガメス辺りか……。

「それで貴様、なんの用だ。ここは私達以外の立ち入りを禁止している。速やかに去れ!」

「つい喋ってしまっただろう? 君達がコソコソとしているから来てみたと。そしたらまさか……フフ、このようなことになっていようとは。噂のルーキーがまさか孕んでいて、それを女手一つで産もうとしている、とはね……」

 ネロはおもむろに剣を抜く。そして自らの髪を留めているゴムを切り、霊力を爆発させた。空間が振動し、洞窟中が震撼する。

「絶好の機会だ。ユキナ・イス・リースフィルト、彼女を殺すのにね」

「なんだと……貴様、誘いに乗ったのはそれが狙いか!」

「あぁ、語ると長くなるがね。とにかく戦争を起こされては困るんだよ。私は再び王座に立ち、民を平穏に導きたいんだ。そのためには諸悪の根源を潰さなければならない。よって、彼女を斬らせてもらう」

「我々が阻止するというのに、偉く余裕だな」

「たしかに、名のある神々の妨害を掻い潜りながらは、酷く困難だ。が、不可能ではない。動かぬ標的を斬り捨てるなど、私にしてみれば造作もないことだよ」

 スサノオは刀を抜き、ナルラートは口に光線を溜める。ネロがいつ肉薄してきても対応できるよう構え、その体勢のまま固まった。

 対するネロは首を鳴らし、剣を構える。鋭い突きの構えで霊力を放出し、剣の鋭さを増した。

 お互い、スキをうかがい合う。その指が一本でも一ミリでも動けば、お互い相手を攻撃するだろう。それほどの緊張状態が、体感時間で丸一日。実際の時間でわずか四秒ほど経ったとき、湖から、間欠泉のように水柱が立ち上がった。

 そしてそこから、ユキナが姿を現す。ずっと水の中にいたというのに着ている黒のドレスワンピースは濡れておらず、その白肌だけが水を弾いていた。

 ペタペタと濡れた足音を立てながら、ユキナはおもむろにスサノオとナルラートのまえに出る。そしてネロの真似か首を鳴らし、鋭い霊力を放出した。

「困難だが不可能ではない? 造作もない? ただの王様が粋がらないで。私を殺せるのはミーリだけ。あなたなんて、彼の足元に及びもしない」

「……おもしろい、実に。ならばご覧に入れようか? 不可能ではないということを——」

「不可能だと、言っているの」

 一瞬で、ネロの見る世界が変わる。ただそれは自分が逆さまになっているからで、特別なことが起きたわけではなかった。

 ただ単に、今の一瞬で視界から消えたユキナがネロの頭を掴み取って、逆さまにしただけのこと。そしてそのまま投げ飛ばし、青い鉱石が光る壁に叩きつけた。

 さらにユキナは止まらない。音も気配も置き去りにして肉薄すると、漆黒をまとった脚で蹴り飛ばした。

 ユキナの一.五倍はある長身が軽く吹き飛び、湖の水面を滑空する。なんとか体勢を立て直して水面に立とうとしたネロだったが、横にまたユキナが移動してきて蹴り飛ばされた。

 大きな水柱が巻き上がり、スサノオ達を濡らす。ユキナも濡れたが、片脚を軸に水面で回ると、すべての水が飛沫となって弾け飛んだ。

「理解した? ネロ・クラウディウス。たかが王の魔神で落とせるほど、天の女王は堕ちてはいない」

 再び激しい水飛沫が上がる。蹴られた顔をさすりながら水面に剣を突き立て、ネロが立ち上がった。今の一瞬のやり取りで受けたダメージは、相当に大きい。

「まさか……まさかここまでやるとは……たしかに難しい……その腹に子がいるとは思えない強さだ。いや、子を孕んでいるから強いのか……ともかく強い。が、諦めるわけにはいかないのだよ。王座復活は、私の長年の夢だからね!」

 ネロは水面に円を描く。すると円は斬られたまま脈動し、ネロを囲うほどに大きく広がった。

「開け! 輝け! 舞い踊れ! 光の天使達! 我が王者の後光を受けて、世界開闢の幕を開けよ! 顕現せよ、これぞ本物! “真黄金劇場シン・ドムス・アウレア”!!!」

 眩い閃光が辺りを照らす。それは一瞬で洞窟を包み込み、ネロとユキナの二人を別の世界へと連れ出した。

 そこは、赤い幕によって覆われた場所。その幕が開くと、姿を現したのは名の通り黄金の劇場。一面眩い光によって包まれた、金のステージだった。

「結界霊術ね……数ある霊術の中でも希少、そして貴重。使える者はごくわずかだとか……人間でこの霊術が使えるのは、滅神者スレイヤー以外にいないとか聞いたことがあるわ」

「神でも滅多に使える者がいない希少霊術だ。中でも我が黄金劇場は、最高の輝きと光を持つ最高の舞台。ここで戦えることは、将来栄光の歴史となるだろう。まぁもっとも、この霊術を見て生きていた奴はいないがね?」

「……酷い」

 ユキナは一歩。ただ一歩その場で踏む。するとそのただ一歩で、黄金劇場全体にヒビが入った。さすがのネロも、これには驚きを隠しえない。

「趣味が悪いわ。こんな金ばかりの世界。全部壊してしまいましょう」

「なんだと……?」

 ユキナがその場で回る。何度も何度も、片脚を軸にしてバレリーナのように回り続ける。するとユキナの放出する霊力が捻じれ、圧縮され、一種の竜巻となって劇場を破壊し始めた。

 ただユキナは回っているだけ。霊術でも技でもない。ただ回り続けるだけで、彼女は結界によって作られた世界を破壊しているのだ。そのことが信じられず、ネロは茫然と立ち尽くす。

 そして気付いたときには黄金劇場は跡形もなく破壊され、ユキナの手が心臓を貫通していた。ネロは吐血し、両の膝をつく。

「あなたはいらないわ。大して強くもないし、まず性格がイヤ。でもそうね。あなたの霊力だけは、もらってあげる」

 ネロの体から、心臓を抉りだす。まだかすかに動いているその心臓に、ユキナはかぶりついた。血飛沫を浴びながら、生臭い臭いに鼻を突かれながら、真っ赤な肉を霊力ごと喰らう。

 そして心臓がすべて咀嚼そしゃくされ、ユキナの胃袋に達したとき、ネロは絶命した。

「やっぱりマズイわ……生ものって」

 スサノオは刀を収め、クシナダもホッと安堵する。だがその後ろで、ナルラートはずっと吐き気と戦っていた。平気で生きてる心臓を喰らうユキナと、それを平気で見ているスサノオ達が信じられなかった。今にも吐きそうである。

 ユキナは湖に浮かぶ死体を見下ろし、口元を拭う。自分がこれから身を沈める湖に、汚い赤が入ってしまったことが許せなかった。

 が、仕方ない。今は霊力を得たことをよしとするしかない。

「……その人がクシナダなの? スサノオ」

「あ、あぁ……」

「それでクシナダ、私はどうすればいい?」

「とりあえず、運良くではありますが霊力を補充できました。今はとにかく体を休めませんと。またお腹の子が霊力を食べ始めますから」

「そう……なら私は、また寝るわ。スサノオ、ナルラート。おそらくまた霊力が必要になるでしょうから、どこかの魔物でも生け捕りにしてきて頂戴」

「わかった」

「う、うぅぅ……」

「クシナダ。あなたには私の世話を頼むわ。この子が無事産まれるよう……協力して頂戴」

「わかりました。今はどうぞおやすみなさい。あとでまた起こします」

 ゆっくりと、ユキナの体が沈んでいく。そしてまた体育座りの形になると、ゆっくりと目を閉じてそのまま眠りについた。

 目を閉じ、水の中にいると強く感じる。お腹の子が、自分の霊力を食べて成長しているのが。心臓から再び心臓に到達する血の流れの中に、子供へと流れている霊力の流れを感じる。

 それは、底なしに嬉しい。母として、女として、限りなく。愛する男性の子がスクスクと、自分の中で成長しているという実感が、喜ばしい。

 その喜びを噛み締めて、今は眠る。次に起きたそのときも、この喜びを感じられることを楽しみにして。この青い世界の中で、今はただ眠るのだった。

 

 

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