ブラッドレッド

 ミーリがウィンを助けに行き、シモ・ヘイへを打倒したその直後、サクラの屋敷は、悪魔の軍団によって襲われていた。屋敷の上空を覆い尽す数の悪魔達が、ただでさえ暗い夜をさらに漆黒に沈める。

 その大群を相手にするのは、リエンと玲音れおんだった。

 魔剣と聖剣、二つの神霊武装ティア・フォリマの上位契約を結び、最上位契約・円卓の聖騎士ラウンドテーブル・ナイトとなって上空を駆ける。そして周囲が暗ければ暗いほど威力の上がる聖剣にさらに漆黒の霧をまとわせ、大きく振り払った。

 数十体の悪魔が、一斉に消え去る。一瞬で上空を埋め尽くしていた悪魔達を薙ぎ払ったが、一体だけ残っていた。名前も知らない、全身をマントで覆い隠した一つ目の悪魔。そいつだけが生き残っていた。

「“聖騎士王の審判カリバーン・ブラスト”!!!」

 一つ目の悪魔を消し去る、正拳突きによる閃光。白夜をも思わせる光でその場を満たしたリエンだったが、次の瞬間、上空が再び漆黒に染まる。それはマントを広げ、漆黒の四肢を出した、一つ目悪魔の群れだった。

 今の一撃で砕け散ったのではなく、分散したようだ。分散能力に長けた悪魔は数いるが、死をも無効とする悪魔となればかなりの上級である。例えるなら、七つの大罪と同格の。

「メフィスト、命令じゃ。殺せ……! 跡形もなく!!」

 空に浮かぶ白衣の言葉が、その場の全員の頭に鈍く、深く響く。ただしその命令は一つ目の悪魔だけにされたものであり、反応するのはその悪魔だけでいい。

 だが当の悪魔はただ首を傾げるだけで、聞いている気はないらしい。上空の白衣がもう一度、上からのしかかってくるような声で命令しようとしたそのとき、悪魔は動いた。

 悪魔のうちの一体が動くと、他の分散した個体も動く。漆黒の四肢に黒炎を宿し、リエンに襲い掛かった。

「“聖騎士王の審判”!!!」

 再び正拳で繰り出す光線で、塵も残さず跡形もなく消し去る。だがほんのわずかな――ミクロン単位の塵が残り、それが集まって悪魔の形となる。しかもそれによって再生される数は倍。つまりは増えていた。

「“聖騎士王の初撃カリバーン・ストライク”!!!」

 聖剣によって繰り出される突きの一撃で、螺旋の光線が放たれる。それを連続で放ったリエンだったが、ダメだった。悪魔は数を増すばかり。そして霊力は、減る一方だった。

『リエン、眠たいよ……僕にも攻めさせてよ』

「わかっている!」

 魔剣湖の乙女の剣アロンダイトの厄介な部分がここで出る。魔剣で攻めなければ、エレインが睡眠を求めて暴走する。それはリエンの望むところではない。だが仕方ない。

 リエンは聖剣から魔剣に持ち替え、漆黒の霧を放った。

「“狂気の霧インサニティ・ブレイヴ”!!!」

 上空を駆け抜ける霧の剣閃が、悪魔の体を真っ二つに斬り裂く。だが魔剣の攻撃力は、聖剣よりもずっと劣る。故に塵にすることは叶わず、ただ真っ二つにしただけだった。

 おかげでその二つに分かれた体がそれぞれ再生し、また倍に増える。

「キリがない……」

「ウォルワナ!」

 リエンのと同じく、光をまとう聖剣が光る。それは刀身を滑り、あらゆる防御を抉り斬る斬撃。大きく大地を踏み締めて、強く大きく振りかぶった。

「“断魔斬首ガラティーン・ソード”!!!」

 天地を抉り斬る一撃が、悪魔の軍団を断ち斬る。さらに追撃の光線が、悪魔の体を塵に変えた。

 だがまた、悪魔はミクロン単位の塵から数を倍にして復活する。キリがないこの攻防に、二人はなんとか終結を求めて頭を働かせる。

 だが目にも見えないレベルの塵から復活する悪魔相手に、正直打つ手がなかった。生憎と、こちらには不死身殺しの能力を持った武装がない。あるとすれば、ミーリの死後流血ロンギヌスの槍だけだった。が、今ここにミーリはいない。

獅子谷ししや、こいつらの狙いはサクラ嬢だ。おまえは執事と共に彼女を連れて――!?」

 悪魔の腕が、リエンの頭蓋を砕こうと伸ばされる。リエンの剣撃では間に合わない。

 だがリエンの頭蓋よりも先に、悪魔の頭蓋が砕かれた。砕いたのは、青白い矢。それは屋敷から飛び出した空虚うつろが放った矢だった。だが折れた腕で放ったため、激痛が襲う。

「ウツロ! 何をしている!」

「おまえが、危なかったのでな……それに、私だって彼女を守る依頼を受けた。最後までやり遂げなければならない!」

「ウツロ……獅子谷! すぐにサクラを連れていけ! ここは私が食い止める!」

「は、はい! ウォルワナ!」

 ウォルワナの武装を解き、屋敷に戻ろうとする。だが次の瞬間、玲音を遮るように雷撃が襲い掛かった。当たりはしなかったが、地面を抉る。

 上空を見ると、今の雷撃を放ったと思われる男が霊力を足場にして立っていた。隣には、全身を黒のドレスで着飾った女性もいる。

 それは貴族、アルカ・バッドロードその人だったが、リエンと玲音の二人は会ってないのでわからない。だが空虚は見覚えがあった。公務初日、ミーリと話していたのが彼女だ。

 だが隣の男――おそらく神の類なのだろうが、ただのボディーガードだと思っていた。そのときは霊力なんて、常人レベルの量しか感じられなかったのだ。だが今は違う。尋常じゃない霊力量、そして質だ。ミーリといい勝負かもしれない。

 自分が相打ったアスモデウスとは比べ物にならない霊力に、空虚は思わず飛び出したばかりの足で一歩引いた。

 男は片腕を持ち上げ、大気を掴む。すると男の腕から雷電が駆け抜け、轟音を宿して大気を燃やした。そして降ろす。雷電の一撃を。

「“雷電裁定セキック・オド・グロウマ”」

 圧力のある雷電が降り注ぐ。時速にして七二万キロ。常人では躱すことが不可能な攻撃を、リエンと玲音はとっさの反射でなんとか回避した。

 だが躱しきれなかった悪魔と、屋敷が燃える。悪魔達はすぐさま火を呑み込んで再生したが、屋敷は当然戻らない。一瞬で炎に包まれる。空虚もなんとか回避したが、脚に火傷を負ってしまった。

 燃え盛る屋敷の中から、ずっとサクラについていた近藤こんどうが現れる。自身は全身傷だらけで、眠るサクラを抱きかかえていた。サクラ自身は無傷である。一緒に出てきたヘレンが守ったのだろう。

「サクラ様! 近藤さん!」

 雷電から逃れていた土方ひじかた沖田おきたが駆け寄る。近藤はその場で崩れ、片膝をついた。

「おまえ達……サクラ様を連れていけ。ここから早く逃げるのだ。私は残り、奴らを食い止める!」

「何言ってんだ! ここはあいつらに任せて、さっさと逃げよう! 近藤さん!」

「土方! ……本来、サクラ様を守るのは我々の役目だ。わかるだろう……」

 サクラを近藤から受け取り、沖田は背負う。そして自慢の愛刀を腰に下げ、先に走り出した。

「……リスト!」

 瓦礫を押し退け、燃え盛る屋敷からリストが飛び出す。雷撃を喰らったらしくダメージを負い、少し吐血していた。

「来い!」

「来てやるのは構ない……だがおまえ、果たして戦えるのか?」

「何?」

「あのときだって……おまえは一歩も動けなかった」

 あのとき、それはおよそ二日というときを遡る。アスモデウスが城を強襲し、外にいた空虚と戦ったその結果、空虚はゼロ距離から国崩しによる砲撃を行った。

 それで決着した――と、ミーリを含めた全員の記憶はそうなっている。だがリストは違った。あのときの空虚の砲撃で、たしかにアスモデウスは致命傷を負った。

 しかしそれで倒れてはいなかった。アスモデウスは暴走し、その姿を変えていた。羊の胴体から生えた猛禽もうきんの脚、大蛇の尾。その首は三つで、黒い獅子の頭をしている。そして口から炎を吐き、龍のごとき咆哮で、大気を轟かせた。

「俺に傷をつけるとは、人間のクセにやるな! だが貴様では、俺を倒すことはできん!!」

 猛禽の脚が空虚を捕らえ、その鋭い爪でズタズタに斬り裂く――はずだった。

「止まれ」

 獅子の咆哮を掻き消した、声。それは大声でも咆哮でもなく、ただボソリと小さく呟かれた、吐息のようなものだった。

 そして止まる。ただしアスモデウスがじゃない。時間が、だ。

 世界を平等に進めるもの、それが時間。星の回転によって生まれる昼夜の逆転、それが時間だ。その時間を、星の回転を、言葉はその言葉一つで止めてしまった。それは無論、禁術にもっとも近い霊術の類。

 そしてそれを使ったのは、他の誰でもない。サクラだった。

 ミーリの腕の中で瓦礫と落下から守られたサクラは、急ぐ必要もつもりもなく、悠然と時と共に崩壊が止まった城内を歩き、外に出ていた。そしてその赤い眼光で、アスモデウスの巨体を視認する。

 そして告げた。

「消えて」

 アスモデウスの体が、その場の空間ごと折りたたまれる。血飛沫を上げ、骨を軋ませながら、いくつもの動物の体が折り重なった巨躯を折りたたみ、そして小さくして消してしまった。時間にして、一分と経たないまま。

 そして戻る。外にいたまま霊術を解いては、心配をかけてしまう。故にわざわざ時間をかけて、瓦礫を乗り越えて、崩落した箇所を跳び越えて、ミーリの胸の中に戻ろうとした。

「やっぱり時間を止めたのか、お嬢」

「リスト……」

 時間が止まった空間の中で、サクラ以外にもう一人――リストが動く。土方のいる上階から、サクラのことを見下ろしていた。

「どうして、とは言わせないぞ? 私は死神の一番弟子。死神の鎌からは誰も逃げられない。たとえ別の空間に逃げ込もうとも……何故ならば……」

 十時が描かれた眼帯を外す。そこにあったのは、金色の目。タカワシフクロウか、猛禽類と似て鋭い目で、サクラと彼女のいる空間とを見つめていた。

「死神の瞳はすべての空間を見つめ、鎌はすべての空間を貫通し、斬り裂く。故に私に、空間系統の霊術は通用しない。私の中の刃が、その空間を斬ってしまう」

「さすがですね……リスト」

「何故わざわざ助けに入った? ここから向こうの戦況は、わからなかったはずだが」

「霊力探知で気付いていました、空虚様がピンチであると。ミーリ様も気付いていたようですが、この方では間に合いません。ですので、つい」

「つい、か……土方が知ったら、心配するぞ? その力は……」

「わかっています。でも……空虚様が殺されてしまったら、ミーリ様が悲しんでしまう……だから……だから黙っていてください、リスト。おそらく私は、しばらく眠ってしまう。ミーリ様に、心配をおかけしたくないのです」

「そうか……」

 土方ではなく、か……妥当だな。

 隣で無様にも何もできず、ただサクラの身を案じている彫刻になっている土方を一瞥する。ここはおまえが動くべきだろうにと、内心呆れていた。

「いいだろう。私は死神の一番弟子、秘密を持つのも守るのも、死神の役目だ。お嬢、安心して眠るといい。土方には期待できんが、私が必ず守るからな」

「えぇ、任せましたよ、リスト……動け」

 凍結された空間が、再び動き出す。星は回りだし、人々は動き出し、城は崩壊を始めた。そしてサクラは眠る。

「大丈夫、サクラちゃ……ってあれ? 寝てる……? 気ぃ失っちゃった? あちゃぁ……」

 安心しろ、眠り姫。私が――いや、そいつが守ってくれるさ。おまえの愛する、白馬の王子様がな。

 これがことの真相である。アスモデウスは空虚ではなく、サクラが倒した。そしてその反動で、サクラは眠り続けていた。そのことを、リストはずっと黙っている。

 そして現在、その約束を憶えていたリストは、違えることをしたくなかった。故に訊く。今の仮初の主に、その覚悟はあるのかと。

「なんの話だ! さっさと来い! 逃げるぞ!」

「……わかった、信じてやる。ただし、今回きりだ」

「は?」

 もしまた逃げるのなら……動けないようだったら、そのときは……。

 武器になろうとせず、自ら鎌を持ってリストは沖田を追いかけ走る。土方は少し混乱したが、すぐさまリストを追いかけて走って行った。

 近藤はそれを見届けて、燃え盛る屋敷に戻る。そして塞がれた道をこじ開けて、地下へと潜っていった。

「これでは秘宝が燃えてしまうではありませんか!!」

 燃え盛る屋敷を見下ろして、アルカは叫ぶ。だが男に慌てる様子はなく、悠長に葉巻に自らの雷電で火を点けていた。

「いらん心配だ。秘宝ブラッドレッドがこれしきでくたばるはずがない。逆にこうすれば、燃え残ったのが秘宝だと見分けがつく。見たことのない秘宝探しには、もってこいの方法だろう?」

「奴ら、二手に分かれたの……片方はサクラ・イス・リースフィルト付、もう片方はそれを追わせんとする輩……どうする?」

 白衣の女――ファウストに訊かれる。すると男は雷電をたぎらせ、吸っていた葉巻を一瞬で燃やし尽くした。

「一瞬とはいえ、奴らはメフィストフェレスを消し去る威力を持っている。俺が相手しよう。ファウスト、あの娘を連れ去ってこい。もし秘宝が現れなかったときのため――」

「あぁ、あぁ、わかったわい。ではそうしよう。奴らは任せたぞ?」

「こちらは一分もいらん。さっさと連れて来いよ」

「わかっておるわ……!! メフィスト、行け」

 一つ目の悪魔――メフィストフェレスの軍団が、リエン達から離れて飛んでいく。その行き先がサクラ達の方だと知ると、リエンは再び聖剣を握り締めた。

「“絶対王者の剣エクスカリバー”!!!」

 最高出力、最高火力で滅する。夜の闇と霧の漆黒とで強化された閃光は、向かって行った悪魔の五体を焼いた。が、またも繰り返し、数を増やして復活する。そしてさらに速度を増し、サクラに襲い掛かった。

 だが、その手はサクラには届かなかった。たった一言の、呟きによって。

「どいて」

 メフィストフェレスの軍勢が、蜘蛛の子を散らしたように吹き飛ぶ。すぐに体勢を立て直した彼らだったが、見えない力の正体がわからず、突撃を躊躇った。

「サクラ様……まさか力を……?!」

京太郎きょうたろう総士郎そうしろう……下ろして」

 霊術ではなく、ただの制止で二人に下ろさせる。すると膝から下がないはずのサクラはまるで立つように浮き、歩くようにまえに出た。そしてメフィストフェレスの大軍を前に、対峙する。

 時間を止めることは、今の霊力では叶わない……けど――

「メフィスト、何をやっておるんじゃ。さっさと連れて来い」

 ファウストに言われ、メフィストフェレスは突っ込む。抵抗できぬようにその手をもいでやろうと腕を伸ばしたが、それよりも遅く、そしてゆっくりと手を伸ばしたサクラのまえで、全員止められた。

 不死身の悪魔……せめて、彼らだけでも……!!

「お願いです。この世から、消えてください」

 それを聞いた――いや、聞いていないはずの悪魔の群れが一瞬で消え去る。消滅でも風化でもなく、まるで瞬きを強制されたような感覚。瞬きしてしまった次の瞬間には、悪魔メフィストフェレスは一体と残らず消えていた。

「なんじゃ……メフィストが消えた……?」

「メフィスト? それは、誰のことですか?」

 再び言葉が力に変わる。だが何も変わっていない。それは至極当然で、変わったのはこの世界すべての生物の脳内だった。

 この世から、この世界から、星から、悪魔メフィストフェレスという存在が消えたのだ。

 誰のことですか? その問いに、主人であったはずのファウストすら答えられない。それは当然だった。だって知らないのだから。

 だがそれが限界だった。起きたばかりのまだ乏しい霊力では、これで精一杯。意識を保つので、浮いて――立っているのでやっとだった。

「サクラ――」

「サクラ様!」

 沖田が駆け寄り、抱き上げる。そして地面を蹴り飛ばし、走り始めた。土方とリストもあとを追いかける。

 そんな三人に守られているサクラを、男は遠目で見ていた。たった今からリエン達の相手をしてやるつもりだったが、予定変更だ。それは単に気分が変わったからではなく、標的がそこにあったからだ。

「“雷帝合掌アプラウズ・ウルリク”」

 左右から襲い掛かる雷が、リエン達を襲う。左右からの攻撃を避けきれず、三人もろに喰らってしまった。リエンと玲音は耐えるが、空虚は怪我のせいで体力をもっていかれ、気絶する。

「見つけたぞ……!! “電光石火ブルジナ”!!!」

 名の通り、電光石火の速度で迫る。リエン達が耐え抜いた電撃で痺れている間に沖田達に追いつき、電撃で吹き飛ばすと、飛ばされたサクラを捕まえて持ち上げた。

「見つけたぞ! おまえの中だな!! 秘宝、ブラッドレッド!!」

 サクラの体の中。鼓動を打つ心臓の中で、光る輝きが一つ。ハート形のその秘宝は絶えず霊力を発し、赤く煌いていた。

 

 

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