命令

 なんで俺の名前……。

 無論、面識はなかったと記憶している。

 今まで色んな天使を見てきたが、六対一二枚ともなれば最高位天使だ。天使の階級で最も上とされている熾天使セラフィムをも束ねる存在。そんな相手と対峙すれば、イヤでも憶えているはずだ。

 だが確実に、彼女はどこかでこのミーリ・ウートガルドと会っているような反応をしている。いや、彼女としても、今目の前にいるのが知人なのかどうか記憶と相談しているようだが、生憎正解だ。となれば、こちらが思い出していないだけのはず。

 だがどれだけ自分の記憶を思い起こしても、該当する女の子が見つからない。記憶力に自信があるわけではないが、ないわけではないはずだ。だがどうしたことか、まったく思い出せない。

 だがどこの誰ですかと訊くのも、なんか恥ずかしい。思い出せてないことが、かなり悔やまれる。

 そんなミーリの苦悩を知ってか知らずか、天使は自ら近付いてきて、その目を覗き込んできた。

「顔認識……目、鼻、口……自身の記憶から六年後を想定……想定した顔との一致率、約八割。確認、彼をミーリ・ウートガルドと認識します」

 六年? 六年前? 六年前って言ったら一二、三だから……えっと。

 それほど遠くない。それほど昔ではない。だから思い出すのは容易で、遡るだけなら簡単だった。だがまったく、これという人がいない。

 なんだ、そもそも六年前って、何をしていたんだろう。まだ師匠のところで修業をしていた時代だ。その頃と言えば、師匠の付き添いでよく神退治に行っていたが、その道の途中にでも会ったのだろうか。いやいや、そんな感じじゃない。

「ミーリ・ウートガルドが、何やら落ち着いていない様子です。検索、こんなとき一体どうすれば……」

 検索と言ってから、彼女は少し固まる。そうしてしばらく考えている雰囲気を醸し出すと、ミーリの肩を掴んで揺らしだした。

「元気を出してください。ミーリ・ウートガルドはやればできる子です。私はそう信じています」

 なんか励まされてる……!?

 ミーリは少々困惑である。今から倒そうという天使に励まされている。そんなことは初めて――いや、ユキナがいるか。ともかく、こんな事態はユキナ以外なかった。

 まったくもって、この子は一体何なんだろうか。

「どうやら違った様子です。再度検索します……この様子は……もしかして……ミーリ・ウートガルドが、私に関する記憶を忘却していると推定します」

「え、いや、えっとね……」

「六年前、あなたは飛べなくなっていた私を助けてくださいました。当時私は言葉を知らず、何も言えませんでした……記憶にありませんか?」

 大木の、下敷き……?

 記憶は六年前。当時ロンゴミアントがいたなら、雷に怯えていただろうそんな嵐の過ぎ去った翌日の話だ。

 嵐の前に仕掛けた獣用の罠を確かめるため、ミーリはエリエステルと樟葉くずはの二人と一緒に森に出かけていた。森とはもちろん最高位度危険地域、クラウン・メイヴの森だ。

魔猪イノシシとかかかってないかしら」

「あまり期待しすぎるのもいけないよ、エリ姉」

「でも何かかかっていて欲しいのです。嵐でずぶ濡れだと思いますが」

 三人はスカーレットから狩りを任されていて、取れなければその日の食卓に肉がないという状況だった。育ちざかり三人はそれだけはどうしても避けたくて、狩りに必死だった。

 そのとき仕掛けた罠は計十か所。だが九か所を見ても罠は空で、三人は残り一か所にかけていた。

 それは、城からずっと遠い山道近く。そこは土砂崩れが酷くて周囲の木々は薙ぎ倒され、もう滅茶苦茶になっていた。これでは、罠など確認するだけ無駄である。かかっていたとしても、一緒に土砂に呑まれていた。

「うぅ……しばらくお肉はなしかぁ」

「仕方ないのです。今回は運が悪かった――」

「どしたの」

 霊力探知がずば抜けて長けていた樟葉のみが、その霊力に気付いた。もはや風前の灯火という表現が妥当なくらいにまで弱ったその霊力を、ミーリとエリエステルは気付くことができなかった。故に二人は突然駆け出した樟葉に続いて、森の中を疾走した。

 そこにいたのは、女の子だった。大木と地面とのわずかな隙間に入ってしまっていた、白髪の小さな女の子。見るからに、今にも潰れてしまいそうだった。

「大変!助けなきゃ!」

「待ってくださいエリ姉ちゃん。助けるとは、具体的にどうするのですか。こんな大木、樟葉達の力ではどうにもできませんよ」

「でも放っておけないでしょ? ねぇミーリ」

「そだね。でもどうしよっか。下手に木を動かしたら、あの子潰れちゃう」

 目の前で少女が潰れる瞬間など、見たくもない。だがどうすればいいのか、わからない。三人、途方に暮れる。

 だがそこにスカーレットがくれば、話はべつであった。

「随分遅いと思って来てみれば、なんだ困った状況だな」

「師匠!」

「さて、どうしたものか。エリエステル、ミーリ、樟葉。おまえ達どうしたい」

「そりゃもちろん助けなきゃ! こんなところで死ぬなんて可哀想だもの!」

「だがそいつ、間違いなく神の類だ。ここで助けて野に放てば、人を襲う可能性もありえる。ならばここで見殺しにするのがためだと思うが」

 スカーレットの問いは実に正当で、まったくその通りだった。ここで見捨ててしまった方が、今後人類のためになる。それは、誰もが思う正論だ。

 だが彼は、ミーリは迷うことなく首を横に振った。すでにもうこの頃から、ミーリの考え方は決まっていたのである。

「そのときは俺達が狩ればいい。俺達が、その責任を果たせばいい。こうなるかもしれないからとか、結局こうなるからだとか、そういう理由で自分の正当性を曲げるのは、よくないと思う。その場で正しいと思ったなら、正しいと思ったことをやるべきだよ。違うかな、師匠」

「二人はどうだ?」

「……私もミーリの意見に賛成! 天使でも神様でも、助けてあげたいと思ったら助けなきゃ!」

「く、樟葉もそう思います。樟葉達人間だって助け合ってるのです。神様と助け合ったって、バチにはならないと思うのです」

「……決まりだな」

 思い切り大木を蹴り上げる。スカーレットの脚力は一トンは軽く超える大木を、土砂崩れを起こした山肌まで蹴り飛ばした。

 倒れていた少女の背には翼が生えていて、グチャグチャに折れ曲がってしまってとても飛べそうにない状態。その様に、樟葉は思わずエリエステルの後ろに隠れる。

 スカーレットが見てもそれはかなり悲惨な状況だったが、回復の見込みは充分にあった。その子をミーリの背に乗せて、城まで運ばせる。

 彼女が目を覚ましたのは、城に運んでおよそ半日経ったあとで、そこにはミーリとスカーレットがいた。二人は彼女のため、薬草採取に出ているときだった。

「目を覚ましたぞ、ミーリ」

「おぉ、起きた?」

 目を覚ました少女は天井を見つめ、その次にスカーレット、ミーリの順に見つめる。隣にやってきたミーリにその頭を撫でられながら、今この状況がなんなのかを知ろうとした。

「君は木の下敷きになってたんだよ、憶えてない?」

 少女は喋らない。というより、言葉を知らないようだと、ミーリとスカーレットはすぐに感付いた。言葉を知らない神の類は、決まってする表情がある。彼女は今、その顔をしたのだ。

 もっとも天使の大多数は生まれもって言葉を知っているようなので、このとき彼女を天使だと認識することができなかったわけだが。

「俺は、ミーリ・ウートガルド。君の翼が治るまで、みんなで君のことを面倒見てあげる」

 首を傾げた少女と過ごしたのは、約四ヶ月。その期間を要して彼女は翼を治し、ミーリ達と仲良くなった――と、思う。

 人間は優しくて強くて少し怖い生き物なのだから、決して襲ってはいけない。そう教え込んで、彼女を放した。だからきっと、彼女は今も人間を襲ってはいない……予定だったのだが。

 この今目の前にいる彼女があのときの神様――実際は天使だったというのなら、願いは聞き届けられなかったということか。実に残念である。

「君にとって、人間はただ狩りやすい存在だったかな」

「否定、それはありません。ミーリ・ウートガルド達のおかげで、私は再び飛ぶことができるようになりました。とても感謝しています。ですが、私はこの術を発動しなければなりません。そう命令を受けています」

「命令しただろう人ならとっくに死んだけど?」

「承知しています。ですが命令は命令です。されたものは受けなければなりません」

「君に拒否権がないみたいな言い方だね。強制なの?」

「……強制です」

「なら君を止めるよ。君が受けた命令は、生憎世界丸ごと壊せる危険な代物なんでね」

「止めないでください、ミーリ・ウートガルド。今受けているこの命令が、私の今生きる理由です」

 ミーリから離れた彼女は翼を広げ、飛び上がる。自分の配下である天使達を整列させ、突撃の構えをさせた。

「最高位天使、ルシフェル。これより命令を遂行します」

「いいよ。俺がその命令、阻止すればいいって話なんだから」

 

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