氷の女王

 ヘラクレス戦が終わったその日の夜、ミーリはオルアと空虚うつろの二人に誘われて食事に出かけた。場所はシティでも大きなショッピングモールだ。ラグナロクのある街のよりも大きい。

 そこの焼肉屋で、ミーリの準決勝進出を祝った祝勝会をあげた。

 なので、文字通り肉ばかりを頼む。野菜も頼めよと言う空虚だが、そんなに野菜を食べたいなら焼野菜屋に行けばいいというミーリの自論で押し通した。

 ちなみに周囲の注目が集まらないよう変装して、さらに個室である。

「おめでとう、ミーリくん」

「少しヒヤヒヤさせられた部分もあったが、よく勝ったな」

「ふぉふぁ、ふぁひはほへありがとね

 どんどん焼き、どんどん食べる。ミーリの食欲は旺盛で、つられて二人も箸が進んだ。結局肉ばかりを平らげ、一度休憩に入る。

「ふぅ……食べた、食べた」

「本当、よく食べるよね。食べ放題じゃなかったら、絶対に奢らなかったよ」

「え、奢ってくれるの? いいじゃん、割り勘で。なんだったら俺奢るし」

「いいんだ、奢らせてくれ。普段できていない、日ごろの礼も含めてるんだ」

「でも最近神様討伐してなかったから、収入なかったでしょ。いいんだよ、収入ないのは俺も同じだから」

 ミーリは知らない。

 神様討伐が三ヶ月間禁止になったため、対神学園に通う多くの生徒達が短気のバイトを始めたことを。オルアと空虚も、その中の一人だということを。故に収入はあるし、これからもしばらくは入るのだ。

 ちなみにオルアは小さな病院の受付で、空虚はケーキ屋でケーキ作りである。額はどちらも、悪くはない。

「でもなぁ、女子に奢らせるってのも……俺結構ガッツリ食べてるし」

「いいんだ。それにこれから私達はお願いをしようと思っている。その先払いの報酬と思ってくれればいい」

「お願い?」

「リエンのことだよ」

 今日のこの祝勝会。本当は明日のリエンの試合結果が出てから行うつもりだった。

 しかし、リエンは今でもメディアにマークされている。空虚達ですら、部屋に行くこともできない。そんな状態では行けないし行かないだろうと、悪いとは思いつつ今日来た次第である。

 そして二人のお願いとは、そのリエンに関することだった。

「リエンにはこの大会中、もうあの神霊武装ティア・フォリマを使わないよう言ってほしいんだ」

「僕達話し合ったんだけどさ、リエンはもうあの剣を使わない方がいいと思うんだよ。そりゃ、あの剣を制御してみせた方が疑惑は晴れるだろうけど……」

 難しい話だ。

 いや、あの神霊武装を隠してしまうとかどこかに閉じ込めてしまうとか、そういう物理的な方法なら簡単だ。難しいというのは、リエンを説得して、説き伏せることにある。

 彼女だってラグナロク最強の七騎にして貴族の長女。さらに言えば、今は学園の代表だ。プライドはより厚く高い層となって、彼女を頑固にしているだろう。

「明日のリエンの相手、僕の元先輩なんだ。ミスト・フィースリルト。あの人は強い。氷の女王って呼ばれてるくらいなんだ。そんな人に、慣れない神霊武装で挑んで勝てる保証がない」

 元ミョルニルの学生ならではの情報である。なるほどミストという先輩は、かなり強いらしい。一回戦も一撃で勝利したようだし、リエンが苦戦することは想像できた。

 なるほど、制御もままならない神霊武装で挑むには、強敵過ぎるかもしれない。

 だが、もしミーリが同じ立場だったなら、ますますこの状況を跳ねのけようとするだろう。制御もままならない神霊武装で挑む、上等ではないか。

 だがそれは、自分自身だから言えること。他人のこととなれば、話は違う。

「一応、行ってはみるけど、多分会えないよ? 会えても今、説得に応じるかなぁ……」

「私達も、何度か部屋を訪ねたんだが……だがミーリなら、リエンも部屋に入れてくれると思うんだ。きっと話だって、聞いてくれる……頼む、ミーリ」

 肉の焦げる臭いがする。ミーリは少し苦みの混じった肉を噛み、そして目の前に置いてあったジョッキで流し込んだ。

 のだが――

「ミーリ、それ……私のジョッキなんだが……」

「……ヒック」

 ロンゴミアントは一人、お茶を飲んでミーリの帰りを待っていた。

 レーギャルンはいつも早く寝てしまうし、ネキは本を読んでいる途中で力尽きてしまったよう。ウィンも早く帰って来てから酒を飲み、酔いつぶれて寝てしまった。

 食事はすでに済ませている。だから特別、やることはない。読書をしようにも、部屋に備え付けてあった本はすべて読破してしまった。もう一度読むのも、少し乗らない。

 故にロンゴミアントは、ずっとちびちびお茶を飲んで待っていた。自分が寝てしまうと、部屋の鍵を誰も開けられなくなってしまう。帰りはかなり遅くなるだろうが、パートナーを思えばどうということもなかった。

 ちなみにTVは、話題がケイオスのことばかりなのでつまらないのである。とくにミーリのことなど放送されても、本人とそのパートナーから直接聞けるので、TVの方が情報がないし、ときに間違っているのだ。そんなのを見ててもしょうがない。

 だが暇である。暇の極みである。

 やっぱりTVでも見ようか。ウィンの生徒証を借りてゲームでもしようか。色々悩む。おそらくそろそろ帰ってくる頃だと思うのだが。

 そんなとき、ドアがノックされる。

 帰ってきた。

 ロンゴミアントは扉を開ける。するとミーリは空虚とオルアの二人の肩を借りていて、フラついていた。

「……どうしたの?」

「それが、ミーリの奴、私の梅酒を間違って飲んでしまって……!」

 二人から離れ、ミーリはロンゴミアントを倒す。そしてその上に覆い被さるようにして、その顔の側に手を置いた。

 いわゆる、床ドンである。もう一方の手の指と指の間に、ロンゴミアントの髪を通して掻き上げた。

「ロン、俺の神霊武装……やっと会えたね」

「ミーリ……また酔っぱらっちゃったのね」

「あぁ、何せ両手に華だったからね。ごめんね、ロン。独りで待たせちゃって」

「いいのよ。私はあなたの槍なんだもの」

 空虚とオルアを見ると、この泥酔ミーリにかなりドキドキくせんさせられた様子。体と顔が火照りすぎて、かなり疲れていた。

「二人共、ご苦労様。水でも飲んでく?」

「あぁ、もらうよ。ありがとう、ロンゴミアント」

「ってわけで、ミーリどいてくれる?」

「俺はもう少しこうしてたいよ……君とこうして、距離を近付けていたい」

「私もよ。でもそれは、また今度にしましょう? あなたも疲れてるだろうから、寝ないといけないわ」

「まったく、君はじらせ上手だね」

「でしょ? あなたが好きだからよ、ミーリ」

 熱く濃厚な口づけを交わし、ミーリはレーギャルンとウィンの寝ているベッドに倒れてそのまま寝てしまった。

 ロンゴミアントは二人に水を入れたコップを渡す。

「大変だったわね、二人共」

「本当、ロンゴミアントみたいな対処はできないから、困ったよ。ミーリくん酔うとあぁなるんだね」

「だが本当に困ったことになった……」

「もしかして、何かやらかしたの?」

「まぁ、そうだな。やらかした」

 時間を少々、正確には一時間ほど遡る。

 空虚の酒を飲んでしまったミーリは、また口説き魔になって、空虚とオルアを口説いていた。

……」

「ミーリ、近い、近い……」

 自身と壁とで、空虚を挟み込む。いわゆる壁ドンで、ミーリは迫っていた。個室を出てしまっていて、周囲がもうミーリに気付いている。

「空虚、こんなに綺麗な人が側にいたのに、俺は気付けなかった。悪かったね、寂しい思いをさせて。だけどもう大丈夫、俺がずっと側にいるよ」

「み、ミーリ……」

 言ってしまえば臭い台詞を、ミーリは恥ずかしがる様子もなく言いまくる。逆に言われている空虚の方が恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしながら唇をワナワナと震えさせた。

 手で追い払おうにも、恥ずかしさが力にブレーキをかける。故に手は弱弱しく、ミーリの胸に猫の手のようになってへばりつくのが精一杯で、なんとか距離を離そうとした。

 が、感じる熱、吐息、匂い。すべてが空虚の呼吸を乱す。力はますます削がれていって、もはや赤子のそれよりも弱弱しくなっていった。

 それもこれもすべて、彼女がミーリに好意を寄せているからこそである。そしてそれは、止めるために間に入ったオルアもまた同じだった。

「ミーリくん、落ち着いて。ホラ、席ついて、水飲もう?」

「……俺は落ち着いてるよ? 俺は落ち着いてる。でもそれでも俺が落ち着いてないのなら、それは君のせいだ。可愛い聖女様」

 オルアの顎を持ち上げ、そして額に口づけする。周囲のミーリファンからは声を奪い、オルアからは意識を奪った。勢いよく上がった熱で頭がやられ、脚から力が抜ける。

 だが当の本人であるところのミーリは、まったく恥ずかしがることはない。脚の力が抜けたのなら、お姫様抱っこで抱き上げるだけだった。

「み、ミーリきゅ……」

「可愛いな、お姫様。噛んじゃって」

 全員、羨ましくオルアを見る。だがされている方としては恥ずかしいばかりで、ミーリにさっさと下ろさせた。

「恥ずかしがり屋のお姫様だなぁ。ね、空虚」

 同意を求められても困るのだが……。

 泥酔ミーリに完全に振り回されている。というかここまでで疲れた。操作の仕方がわからない。

 そんな二人のまえに、彼女が現れた。対神学園・ミョルニルのエース、氷の女王、ミスト・フィースリルト。妹のイリス・フィースリルトを連れて、これから帰るところのようだった。

「邪魔……どいて」

 これも氷の女王と呼ばれる所以か、冷たい言葉でミーリをどかそうとする。だが泥酔ミーリには効果がいまひとつ、というか効かなかった。

 女王のまえに片膝をつき、手を差し出す。

「これはこれは見知らぬ女王様、申し訳ない。お詫びにエスコートいたしましょう」

 その手を、ミストははたく。冷たく、鋭く、その場の空気ごと一蹴した。

「邪魔って言ってるのがわからないの? さっさとどいて」

「ヒック……これはこれは、困ったお嬢さんだ。そんなに険しい顔をされては、美しいのにもったいないですよ」

「邪魔って、言ってるでしょ……!」

 さらに空気を裂く、平手打ち。だがその一撃はミーリには当たらず、受け止められて、さらに手の甲に口づけされた。

「乱暴はいけないな、お嬢さん」

「舐めた真似を……! ラグナロクのミーリ・ウートガルド! あなたはいつか、私が倒す!」

「残念ですが、この大会では無理です。あなたは負けてしまう。我らが戦姫いくさひめに」

 その場が凍ったような空気に包まれる。それは比喩表現ではなく、本当に店全体の温度が一〇度ばかし下がっていた。ミストの霊力だ。

「私が、彼女に負ける……? 何を根拠に言ってるの」

「根拠は、正直ありません。強いて言うなら、彼女は強い。だからです」

 ミストも自論ではあるが、前回のリエンの試合を神霊武装の暴走と結論付けていた。だから負ける気などしなかった。自らの神霊武装を御し切れない相手になど、負けるわけがないと思っていた。

 だから思わず笑ってしまいそうになった。氷の女王と呼ばれるほど笑顔の少ないミスト・フィースリルトが、笑ってしまいそうになってしまった。

 そこはグッと、堪えたが。

「まったく、こんな人達が今のオルアの同級生だなんて……彼女とは仲良くしていたの。彼女の防御結界には、とても助けられた。でも人がいいから、心配していたの。いいように利用されてしまわないか」

 ミストの視線が個室に隠れていたオルアに向けられる。ここで見つかってはさらに話がややこしくなると思って隠れていたが、ちょっと覗いた隙に見つかってしまった。

「その不安は的中したみたい。学園長に頼んで、オルアは返してもらう。あなたたちといても、彼女は成長できない」

 行こうとするミストのまえに、ミーリが手を伸ばす。そしてそこから一歩踏み込み、ミストと顔を近付けた。

「お姫様、それは少しわがままが過ぎる。オルアの意見も聞かないで、勝手に話を進めるべきじゃあない。それに今もこうして、俺達楽しくやってるんだ。そういう話をいきなりされても、困るんですよ」

「そんなの知らない。オルアは私達といる方が成長できる。成長することの方が楽しく過ごすことより、大事なのよ」

「大事なのは両方ですよ、お姫様。楽しく過ごしながら、楽しくやりながら成長できるのがいいに決まってる。そして今、オルアはその両立が成っている。移動する必要性は、ありはしない」

 別の話題に変わっても、泥酔と冷酷の衝突は止まらない。多分このまま他の話題に変えたところで、この二人は衝突するだろう。この二人は根本から、性根から、息が合わない。

 そんな平行線を行き続ける二人の間に入ったのは、ミストの妹イリスと、空虚だった。

「落ち着けミーリ、ここは下がれ。他のお客の迷惑になる」

「お姉様、ここは早く行きましょう? オルアのことはともかく、勝負については明日決着するではないですか」

 そう、ここで議論していても、決着するのは明日だ。そしてその相手は、生憎このミーリではない。戦姫、リエン・クーヴォだ。

「……いいでしょう。なら、明日すべて決着しましょう。ミーリ・ウートガルド。もし明日私が勝てば、オルアをミョルニルに返してもらいます。ですが彼女が勝てばあなた達の実力を認め、この場は引きましょう」

「ミスト先輩、それは――」

「構いませんよ」

「ミーリ!」

 とまぁそんなわけで、戦うリエンがまったく関係していないところで、オルアを賭けた勝負が決定してしまったのであった。

「オルア、大変なことになったわね……うちの主人が、申し訳ないわ」

「本当だよぉ……僕の意見完全無視で進むんだもん」

「だからここに寄るまえも、リエンの部屋に行ったんだ。だがやっぱり、出てくれなかった。ミーリでもダメだった……」

 まぁ、もう半分力尽きてはいたが。

「まぁ、リエンのことはしょうがないわ。ミーリだって毎朝早く会いに行ってるけど、未だ会えてないもの。彼女には、明日本番に期待しましょう」

 そんなわけで、リエンの勝負はまた一層のややこしさをまとって、当日を迎えることとなった。

 余談ではあるが、焼肉屋の会計は泥酔ミーリがトイレに行くと嘘を言って払いに行くという技を使い、レシートを勝ち取ったのであった。

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