vs スノーホワイト Ⅱ

 ミーリがようやく空中に立って戦いだしたのを視認したスカーレットは、安堵の吐息を漏らす。もっとも大部分信じていたために、そこまで心配していたわけではないのだが。

 襲い掛かる剣を薙ぎ払い、弾き、作ったスキを貫き穿うがつ。空中で戦える術を得て、いつもの調子を取り戻した弟子を心の底で応援する。ただ決して何も言わない代わり、思い切り表情に出ていた。視線も、ミーリに釘付けである。

 切り払い、薙ぎ払い、貫き、斬りつける。それら動作の一つ一つが鋭く、速く、美しく、異性が見れば見惚れてしまうほどの格好良さだった。それは、本人情報では一一六歳の師匠の目にも同じ。

 やっと調子が戻ったな。頑張れ、ミーリ。もう少しだ。

 対する黒尽くめの魔神は気が気でない。集めた魔神の中では最強のスノーホワイトが、ただ足場を得たという理由だけで押されている。そこまで実力差があるとは、思っていなかった。

 すぐにでも加勢したいところだが、それを今視線で応援しているスカーレットが許さない。余所見をしているようではあるが、彼女には余所見している最中だろうと止めに行ける余裕があることを、感じ取っていた。

 そして今となっては、スノーホワイトを圧倒しているミーリのことも軽視できない。仮に加勢が許されたとしても、相当に苦戦するだろう。

 そんなことを考えている間に、二人の戦いが動く。ほんのわずか、軽くだが、ミーリの一撃が逸れた先で、スノーホワイトの背中を切っていた。切り傷から血を吸って、聖槍は色を増す。

「“毒櫛カム・ヴァン・ギフト”!!!」

 四つの閃光が大気を射抜く。だがその攻撃を跳んで躱したミーリは、頭上から振り下ろす形で斬りかかった。剣で受けたスノーホワイトを、地上まで押していく。そうしてそのまま地面に叩きつけ、剣に一筋のヒビを入れた。

「“毒林檎ヴァーギフティテン・アプフル”!!!」

 炸裂する光球に吹き飛ばされる。だがミーリは距離を取ると、槍を高く掲げるように構えた。

 ここまで一進一退を繰り返す攻防。お互い、やってはやられる展開。お互い軽い傷ならすぐに回復し、決定打に至らない。必要なのは、相手を一気に追い詰める、最強の一撃だった。それも直撃の。

 それを狙って、お互い同時に踏み込む。地面を蹴って肉薄すると、お互い武器を引いた。

「“儚きは白雪の花スニーウィッツェン”!!!」

「“槍持つ者の投擲ロンギヌス・ランス”……!」

 高まる霊力が、地面をめくる。木々を折り曲げる。すべてを込めた一撃が、ぶつかる。

「“ゼロ”!!!」

 純白の剣撃と、紅の一撃がぶつかる。すべての物体はその場から排除され、ティアもまたずっと遠くの木の後ろに隠れていた。

 負けられない。負けるわけにはいかない。人間ごときに、人間なんかに。

 人間は誰よりも強欲で、貪欲で、汚い生き物だ。誰よりも自身が優れている点を求め、見つけては威張り散らす。皆、自身のためなら手段を選ばない穢れた獣。

 そんな人間に、負けるわけにいかない。負けられない。白雪姫は誰よりも美しく、強く、気高い神になるのだ。

 人間達を、悲劇のヒロインとして私を生み出した人間達を、今度は悲劇に引きずり込む。それは復讐。ただ最後に幸せさえ用意されていれば許されると思っている、人間達への復讐劇。

「こんなところで、負けるわけにはいかないのよ!!!」

 こんなところで、負けるわけにはいかない……? それはこっちの台詞だよ、白雪姫。

 俺だって、負けるわけにはいかない。負けられない。こんなところで負けたら、あいつに笑われる。あいつの笑顔は好きだけど、そんなことで笑われたくない。

 それに、こちらはこの槍を持っている。必ず勝たせてみせると、約束してくれる聖槍を。彼女のためにも、絶対に――

「ごめん。俺も負けらんない……!」 

 紅色の霊力が、槍を握るミーリの右腕にまとわれる。それはやがて腕を覆う紅の鎧となり、肩から大量の霊力を噴出し始めた。ブースターのように突撃の威力を上げる。

「“槍持つ者の投擲ロンギヌス・ランス猛進レイジ!!!」

 純白の剣も光も射貫き、砕く。その一撃はスノーホワイトの全身を覆う霊力の装甲をも貫き、紅の閃光と共に吹き飛ばした。

 大木を数十本、数百本とへし折り、山肌の岩の壁にぶつかる。数メートルの洞窟を作って、スノーホワイトはくの字に曲がったまま減り込んだ。腹部の大穴と口から、大量に吐血する。

 人間……ごと、きに……この、私が……負ける……なん、て……。

 霊力も尽き、限界を迎えた体は脚から雪のように白さを増して崩れていく。その様を薄れゆく意識の中で見つめたスノーホワイトは、静かに、小さく舌打ちした。

「クソ……」

 スノーホワイトの消失を感知し、ミーリは背中から倒れる。最後の一撃ですべてを絞り尽して、もう立つこともできなかった。

 そんなミーリの側に、槍から人に戻ったロンゴミアントが立つ。ミーリの顔の隣に座ると、おもむろに前髪をどけておでこを撫でた。

「お疲れ、ミーリ」

「うん……悪いけど、ロン……すっごい眠いの。ちょっと、寝かせて……」

「えぇ、後で起こしてあげる」

 ロンゴミアントに撫でられながら、ミーリはゆっくり眠りにつく。寝息を立てたのを確認すると、ロンゴミアントは優しく撫でていた額に口づけした。

 そこにティアがおそるおそるやってくる。両手両足を地面について、倒れたミーリを心配してきた。ロンゴミアントがどくと近付き、覆い被さる。そしてそのままミーリの胸を枕にして、寝息を立て始めた。

 そんなティアの頭も、ロンゴミアントは撫でる。するとティアは寝たまま顔をとろけさせ、小さい声で鳴いた。

 そんな戦いを終えた戦士の休息を見て、またスノーホワイトの消失を感知して、黒尽くめの魔神は言葉を失う。加勢しようとは思っていたものの、彼女が本当に負けるとは思ってもみなかった。

 それに対し、スカーレットは優しい瞳でミーリを一瞥する。ねぎらいの言葉も含んだその眼差しを一瞬向けると、今度は目つきを鋭くして魔神を睨んだ。

「さて、これで本当に残るはおまえ一人だな。魔神。そうかたくなにならないで、そろそろ名乗ったらどうだ」

 ずっと片目を閉じていた魔神は、その目を開く。ずっと閉じていたために隻眼だと思われていたが、その目は開くと同時に大量の霊力を発する魔眼だった。黒の中に、赤が混じった虹彩が光る。

 その霊力は元から強大で厖大ぼうだいな量だったが、目を開くと同時にさらに膨れ上がり、名のある神と同等以上、それよりもずっと上のレベルに近付いた。スノーホワイトを含む今までの魔神など、目でもない。

 彼女が一歩踏み出すと、その霊力で遥か下の木々は一斉に折れ曲げられた。たったの一歩が、地形を変える。

「名は存在を示すもの。名は存在を明かすもの。自身を証明するもの。故に私は、この場における自身を確立するために、名乗りましょう。黒の龍魔女、マレフィセント」

 魔神が――マレフィセントが名乗った瞬間、その場一帯に霊力ではない力が重力に変わってし掛かる。ロンゴミアント達はその圧に負け、伏せさせられた。立ち上がることも許されない。

 だがスカーレットは唯一、目の前にいて平然と立っていた。強大な敵をまえにして、むしろ嬉しそうに笑みを浮かべる。

「さて、名乗ったところで早速ですが、開闢龍を頂きましょう。私にも、果たしたい夢があるので」

「夢、とはまたキラキラしたものの言い方だな。もっと純粋に、飾らず言ったらどうだ。野望、と。おまえの野望はなんだ」

「三〇年前に唐突に停戦した戦争を、再び引き起こします。神々は停戦などせず、人間達を滅ぼしてしまうべきだった。そうすれば、この世界を我々神のものとすることができたというのに」

「支配欲か。一体の魔神が抱くには、少し大きすぎるな。その野望は」

「ですが私自身が引き金を引き、戦争を終結へと導けば、私は一体の神として神々の歴史に名を刻める。そうすれば、これもまたただの妄想ではなく、一つの現実めいた夢ではないですか」

「なるほど。だがその野望には、一つ大きな誤算があるぞ、龍の魔女。人間は、そう易々と狩られはしない」

 城から一つの緋色が光る。輝きを持って飛んできたのは長槍で、スカーレットの手に吸い込まれるように握られた。

 全身で槍を振り回し、宙を掻き回す。その姿もかたもさすが師匠で、三人の愛弟子の動きのすべてをより、強く鋭く美しく体現していた。

 それをなんとか見上げたロンゴミアントは、純粋に思う。一つの槍として、聖槍として、彼女のような使い手の手に使われることに憧れを持った。

 同時、それにもっとも近いのがミーリであることに安堵する。あの憧れの形にもっとも近く、強いのが今の自分の主人であることに、とてつもない幸福感を感じた。

 その幸福感に身をゆだねて――実際はマレフィセントの放つ圧に流されるまま、ロンゴミアントはミーリの上に被さるようにして寝そべった。

 全員がまともに立てない圧の中、スカーレットは笑う。彼女は嬉しかったのだ。ちゃんとした理由でもって、強敵と戦うことができることが。弟子たちのまえで、カッコいい姿を見せられることが。

 スカーレットが女性の中で一番強いのは、決して聖者のような人だからではない。人類を守ってみせるという、明確で守護者的な理由があったからでもない。

 それはただ純粋に、彼女が誰よりも好戦的で、敵が強敵であればあるほどに、気持ちがたかぶる性格であったからに違いない。

 それを知るのは、彼女と五年もの間生活を共にしたことのある、弟子達三人しか知らないことであった。

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