理由

 ミーリはずっと海を眺めていた。冷たい海風に頬を撫でられ、髪を掻き上げられ、上着を飛ばされそうになりながら。

 目の前に広がるのは果てしない水平線を見せる海原と、満天の星空。雲はすぐさま邪魔だと流されて、島の上を通り過ぎていく。このまま空を見上げてさえいれば、流れ星すら見れそうだった。

 九年――いや、さらにもう少しさかのぼった頃にも、こんな空を仰いだ記憶がある。

 家をこっそり抜け出して、手を繋いで、二人だけの秘密の場所で、草原に寝転んで、流れ星にお願いをしようと言って、まだかまだかと目を凝らして待ち続けていた。

 でも結局流れ星は流れなくて、二人で空を見つめたまま何かを話して、そして、その場の雰囲気でキスをした。それが人生で、初めてのキスだった。

 それが親にバレたときは相当に怒られたけれど、今でもいい思い出だ。まさかそのキスをした相手を、将来、殺すことを決心することになるだなんて、当時は思いもしなかったが。

――俺は君を愛してる。世界で一番愛してる。殺したいくらいに

――私もだよ

 あの日、燃える別荘で。

 約束するなんて思わなかった。愛しているよと言った相手に、必ず殺すからと言うなんて思ってもみなかった。

 でも今は思う。あの日のあの約束が、今の自分を作っているんだ。

 もし今、学園最強になるにはどうしたらいいかと訊かれれば、一つ約束をすることだと答えるだろう。だが決して、誰かを必ず殺すなんて約束は、他の人にはしてほしくないが。

「み、ミーリ・ウートガルド……先輩」

 そこにいたのは、リエンの妹のエリアだった。初めて名前を呼ばれた気がする。だがそれに関してはまったく思うところはなくて、ミーリは至って普通に手を振った。

「リエンの様子はどう?」

 戦いからすでに五日間が経過し、人工火山の洞窟で見つかったリエンと空虚うつろは、ホテルで応急処置を受けて眠っていた。

 リエンは怪我はしてないのだが、霊力の枯渇によって疲弊し、ずっと目を覚まさないままだったのである。

 空虚の方は目を覚ましたものの火傷が酷く、島に船が到着し次第病院に送られる予定となっていた。

「さっき目を覚ましました。意識もしっかりしていて、健康そのものです。心配はいりません」

「そっか……よかったぁ」

「そんなに心配なら、見舞いくらいしたらどうだったんですか。一度も部屋に来ないで」

「え、だって……ねぇ? ホラ、女の子の部屋だし? 入り辛いよねぇ……ロンとか連れて大勢ってのも失礼だし……」

「……意外です。先輩はそういうの気にしないと思ってました」

「気にするよ。パートナーだって女の子だよ? もうその分、かなり敏感になったよね。うん、なった……と思う」

 少し驚きというか、想像と違っていた。

 普段から緩い彼は、そういうところも緩々で、女子の人権も侵害してくる無礼な奴だと思ってた。ラッキースケベすら自発させられるほどの。

 ミーリはおもむろに、波に沿って歩き出す。それにエリアも三歩後ろからついて行った。

「そういや、やっと会いに来てくれたね」

「……姉様が、これを機会に会いに行けと。無事を報告してほしいと」

「まぁ理由はなんであれさ。よかったよ、エリちゃんと話せて」

「エリちゃんはやめてください。私の名前は、エリア・クーヴォです」

 リエンと同じこと言ってる。

 そう思うと、ちょっと微笑ましかった。それで笑ってしまうと、なんで笑うんですかとエリアにツッコまれたが、それも微笑ましくて、つい笑ってしまった。

 唐突に吹きすさぶ突風が、その場を吹き抜ける。髪型も崩れるその風に、何故袖を通していないミーリの上着が吹き飛ばないのか、というか何故戦闘中でも吹き飛ばないのか、エリアとしては疑問だった。

 だが同時、風に吹かれる横髪を耳にかける仕草に、そこから見える海を見つめる彼の横顔に、少し胸が弾んだ。それがちょっと、悔しかった。

「それで? なんか訊いておきたいこととかあるの? リエンとはどういう関係なんですか、とか。お付き合いしてるんですか、とか」

「そ、そう、ですね……」

 そう言われると、実際困る。

 元々決めつけていただけあって、訊きたいことと言われると思いつかない。だが強いて、強いてあげるとすれば、それは一つだった。

「何故姉様を選ばなかったのですか?」

「……意外だな。君は俺に、リエンとくっ付いてほしくないんだと思ってたのに」

「くっ付いてほしくはありません。が、それでも姉様は誰もが見惚れる女性です。その姉様ではなく、何故今も昔の彼女を好いているんですか。未練ですか」

「たしかに……いや、リエンは綺麗だと思うし、モテるんだろうなぁって思うけどね。それって結局、タイミングの問題だよ。俺はリエンより先にあいつにあって、あいつのことが好きになったんだ。それだけの話だよ。もし順序が逆だったら、もしかしたらっていう可能性はあったかもしれないけれどね」

「……姉様から聞きました。あなたはそんな彼女のことを愛しながら、殺そうともしていると。何故ですか?」

「また意外な質問――いや、当然か。俺のこの状況知って、興味のない人の方が少ないのかな。でもそうだなぁ……答えてもいいけど、あんまり他の人にペラペラ喋られるのもなぁ」

「答えたくないのなら構いません。ですがもし教えていただけるのなら、誰にも話さないと約束しましょう。姉様に話さないかどうかは、約束しかねますが」

「あっそぅ! じゃあいいよ、教えてあげる。でもそのまえにこっちも一つ、質問をしたいな」

「なんでしょう」

「クーヴォ家ってどんな感じ? 要は家族構成の話なんだけど」

 エリアは首を傾げる。

 今更何を訊くのかと思えば、いわゆるそんなことを訊いてきたので、正直クエスチョンマークが頭に浮かんだ。

「両親共に健在で、兄弟姉妹は私達二人。祖父母も四人とも元気で、かなり恵まれていると言えるでしょう。母方の祖父が最近優れないようで、少し心配ですが」

「そっか……俺はね、両親健在で兄弟姉妹は俺を含めて三人。祖父母はいなくて、代わりにパドルっていう大きな犬を飼ってたんだ。九年前まではね」

「では今は――」

「誰一人いないよ。俺以外、みんな死んだ。というか、殺されたんだ」

「! まさかそれをやったのが……あ、あなたの、彼女……?」

「まぁ半分はね。両親と妹を殺された。まぁ理由までは話せないけど、とにかくそれが理由かな」

「つまり、敵討ち……両親と妹の」

「いや? 俺がするのは、敵討ち。両親の分まで取るつもりはないよ」

「え、だって今、両親も彼女に殺されたって……」

「うん、そうだよ? でも俺、両親が殺されたことに関しては、とくに感想ないんだ」

「え?」

 何を言ってるんだ、この人は。

「まぁ両親を殺してくれたことには、感謝してるくらいなんだけどね。妹を殺されたのは、許せないかな、ホント」

 何を言ってるんだ、この人は。

 両親を殺されたことには何も思わない? それどころか、感謝している?

 何を言ってるんだ。

 自分を生んで、育ててくれただろう両親に、一体なんの恨みがあるのだろうか。でなければ、そんな言葉が出てくるはずがない。

 何かきっと彼には両親を許せない事情があって、それで感謝しているなどと言っているに違いない。

 そうでなければいけない。そうであってほしい。エリアは心中で何度もミーリに問いかける。だがそれは一つとして、口に出るものではなかった。口に出す、勇気がなかったからである。

 だが同時、エリアのミーリに対する偏見は、跡形もなく消え去った。

 こんな深い闇を抱えた、狂気の一端を持った人間がいくらチャラチャラしていても、それはただ、闇の部分を見せまいとしているのだろうという見方に変わっていた。

 彼が今、他の女性ではなくずっと同じ女性を愛している理由も、なんとなくわかる。

 彼はおそらく、自分自身の狂気をわかっている。それを他の女性に受け止めさせるわけにはいかないと、いつか殺してしまう女性に愛を捧げているのだ。

 少なくとも、エリアはそう理解した。

「まぁ両親に対してそう感じてる理由は話せないけどさ。とにかく俺があいつを殺そうとしてるのは、妹の敵討ち。それが理由。どう、結構単純だったでしょ」

 そんな、感想を求められても。

「……充分、衝撃的です。あなたが彼女を殺そうとしているということも、その理由も。私はあなたに対する見解を、改めなければならないようです。申し訳ありませんでした、ウートガルド先輩」

「いいよいいよ。きょうだいのことが心配なのは、みんな同じだもん」

 その日、島の空には一筋の流れ星が流れた。

 それを見上げたミーリはその一瞬に、三回とはいかなかったが、しっかりと願った。それは流れ星なんて奇跡に願わなくても叶うのだけれど、でも願うことで、それが少し物語にでてきそうな、綺麗なものになることを祈ったのだった。

 胸に拳を当てて、ミーリは夜風の吹き付ける砂浜で波飛沫を浴びながら願った。

 また、素敵な人に出会えますように。



 

 

 

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