デート・オブ・リエン

 今から四年前の話だ。

 東の国で有数の名家にして貴族の家、クーヴォ家。

 二五年前の神と人間の戦争において大きな功績を残したことで、王より勲章と貴族としての地位を与えられた、新米貴族の家である。

 当主の名は、ダレン・クーヴォ。戦争において名のある神を五体も屠った騎士であり、リエンとエリアの父親だ。

 二人の娘はそんな父親に鍛えられ、厳しく育てられた。そしてゆくゆくは再び起こるだろう神との戦争における切り札となるべく、対神学園への入学が決められていた。

「いよいよだな、リエン。対神学園では、より専門的に神と戦う術を身に着けられる。よく学び、戦い、次起こるだろう戦争に貢献できるよう努力しろ」

 リエンに放られる、一つのパンフレット。そこには元教会である対神学園の姿が、映し出されていた。

「おまえの入学先は、ラグナロク……東の学園だ。だが実力も実績も、同じ東の学園であるエデンに劣る。いいなリエン。おまえが最強となり、学園を最強にするんだ」

「はい」

 その後現在、彼女は女子最強となった。が、学園最強はまだ遠い。

 怪物である自身の彼女を追い返し、不死身の吸血鬼を殺した青年。ミーリ・ウートガルド。彼と比べれば、リエン・クーヴォなど――

 ミーリは待っていた。

 街灯の一つに寄り掛かって、腕を組んで、つま先で脚を掻いて、大あくびして、通り過ぎていく人達の流れを目で追いながら待っていた。

 人を見るとき、一番最初に見るのは腕だ。その人の腕を見れば、鍛えてるのか否か、武術の心得はあるのか否か、戦いに関することはわかると、師匠に言われたからだ。

 故にクセになっているのだが、主に二の腕部分を見るため、そのときの角度とその人の姿勢次第では、さらに女性に限って言えば、視線がそのまま胸部に移ることもある。

 特段大きい方がいいとか、小さい方がいいとか、手に納まるか余るかなんていう好みはないつもりだが、女子としては視線が胸部に行っていること自体がイヤなようで、よくロンゴミアントには怒られる。

 べつに好みはないのだからいいではないか。動くものを目で追ってしまうのは、狩猟本能から来る太古の時代からの人間のさがだ。許してほしい。

 それに強いて言うのなら、ミーリ・ウートガルドは胸よりも髪が好きだ。女性特有のツヤというか美しさというか、とくに長い髪には好意を抱く。

 このいわゆるロングヘアーフェチというのは、誰にも公言したことはない。故に誰も知らないはずなのだが、ロンゴミアントといいレーギャルンといい、リエンといい空虚うつろといい、ロングな女子が周りに多いのは、なんだ、俺に対するアピールでもしてくれているのかと……思わないが、でも思いたいときもある。

 ウィンもオルアも、一度でいいからその赤い髪のロングバージョンを見せてほしいものだ。

 あ、今の長髪の女の子、可愛いな……。

 それくらい思ってもいいではないか。それでチャラいというのなら、軽いというのなら、人類みんな軽い生き物だ。

 そうでしょ? リエンの妹。

 ミーリの視線の先で、双眼鏡が覗いている。

 気付くどころか軽く手さえ振っている標的に、エリアはまた悔しさから舌を打った。

 今日が姉とのデートであること、そのデートにお互いの神霊武装ティア・フォリマが同行しないことは、姉本人からの情報で知っている。故に奴が化けの皮の下の本性を現すと踏んでいたが、速攻で気付かれてしまった。

 夕べ遅くまで作戦を練り、今朝早くホテルを出てこの場所にスタンバイした苦労は一体何だったのか――ダメだ、それを考えてはいけない。

 それを考えると、この先の行動にも損得をつけて行動しなければならない。

 それはダメだ。行動には理念があっても、すべて価値のあるものではない。それに価値をつけてこれは無駄だったとかよかったとか言ってたら、キリがなくなる。

 そんなことを考えている間に、姉リエンが到着した。

 他の誰でもない。目の前の異性を惹くために用意しただろう洋服――水色のワンピースのような上半身に、肘まで隠れる白の長手袋。紺のスパッツの下は白のショートブーツだ――を身にまとって、姉は女としてやってきた。

 いつも頭に付けているヘルムのようなティアラのような髪留めも、このときこの場合を限っておしゃれに見える。脚にくくり付けた護身用ナイフですら、おしゃれに見える。

 いつもは下でになんて出ない姉が、下から上目遣いで、男の下心が上から覗き込んでくるように仕向けて見つめている。

 騎士とはいえ、貴族とはいえ、学園最強の一角とはいえ、リエン・クーヴォも異性を意識してしまえば、ただの女子というわけか。

 こんなザマ、父親になんて報告すればいいんだ。

「待たせたな、ミーリ・ウートガルド」

「うん、まぁちょっと待ったかな。でも待ったはあったみたい。またリエンのそういうカッコ、見られんだから」

「そんなに私がこの格好をしているのが、珍しいのか?」

「いつもの鎧姿からしたら、相当ね。でもレアなだけあって、見応えがある。いつもそういう格好したらいいのに。綺麗なんだから」

「……ありがとう。でもそれはできない。私はこれでも貴族の家系。常日頃から身を引き締め、強い存在でいなければならない。今回の修学旅行くらいだ。こんな姿でいられるのは」

「そっか。じゃあ目に焼き付けとかなきゃ」

「……そうか。では行こうか」

 どちらから、というわけでもなく、双方自分から手を伸ばして、繋ぐ。

 大きな意味はない。ただこの人ごみで溢れる観光スポットではぐれないように、一つの対抗措置として繋ぐだけだ。親が子供の手を握るのと、同じ真理だ。

 故にいつもロンゴミアントやレーギャルンと繋いでいるミーリは、リエンと繋いでもとくに何も思わなかった。

 だがリエンは即座、しまったと後悔した。

 彼女は孤児院に定期的に通い、子供達と遊んでいるのだが、たまに外出する際の手を繋ぐ行為が癖として出てきてしまった。

 だが今回は結果、それに救われた。

 二人が同時に手を伸ばして繋いだため、結果的に監視しているエリアには、姉が自ら手を伸ばして繋ぎにいったようにも見えていた。ミーリへの印象を、また悪くすることはなかった。

「どしたの?」

「あ、いや……」

 初めて繋ぐ、同い年の異性の手。成長途中である彼の手はそれでも大きくて、硬くて、しっかりしていた。普段は槍を握り、剣を握り、銃を持つ手だ。戦人の、男の手。

 その手に引かれ、リエンは映画館に連れてこられた。

 世界中から名作ばかりが集められた映画館は生憎と大混雑で、これからチケットを買うなんて不可能に近い。

 それでも入ったのは、すでに懐にチケットがあったからである。しかもきっちり二人分。

 売店でLサイズのポップコーン、キャラメル味と、マスタードの効いたロングホットドッグと、キンキンに冷えたコーラLサイズを買って、そしてパンフレットも買った。

 コーラを肘掛にスタンバイし、ポップコーンを抱き、ホットドッグを片手にパンフレットを開く。その慣れに慣れた手つき動作に、隣のリエンは目を丸くした。

「リエン食べなよ、まだ時間あるから」

「あ、あぁ……じゃあ、もらうな」

 ミーリの抱えているポップコーンを、一つ貰う。味がキャラメルだからか、それにしても甘い気がした。

 ホットドッグも貰う。だがキャラメル味を食べたからか、マスタードが効いてるはずなのに辛くない。まだ甘い。

 コーラも飲む。

 やはり甘い……だが異様に量が減っている。あぁそうか、ミーリが飲んだからか。このストローに、口をつけて――

 甘さが増した。炭酸がわからなくなるくらい、口の中が麻痺する。

 というか熱くなってきた。

 いけない。照れすぎて、熱すぎて、味がわからなくなってきた。炭酸もマスタードもケチャップもキャラメルもほんの少しの塩味も――いや、塩味は逆にわかるかもしれない。

 とにかく熱い。

「んぅ? ハハ、リエン」

「?」

 身を乗り出して、親指が伸びてくる。その指の腹はリエンの鼻先を拭い、ケチャップを取り、そしてミーリの口へとそれを運んだ。

 リエンの顔が、頬が、耳が、真っ赤に茹で上がる。

「可愛いね、ケチャップなんてつけて」

「す、すまない……」

 恥ずかしさからホットドッグを半分以上平らげて、コーラも一気に飲む。そうして落ち着きを取り戻し、リエンは炭酸を抜くと同時、吐息した。

「ところでミーリ・ウートガルド。これはどういう映画なんだ?」

「うん? あぁ……一言で言うとアクションドラマなんだけど……これ見て」

 大きく広げられたパンフレットを覗き込む。するとそこにミーリまで顔を近付けてきて、ものすごい近距離にミーリがいた。

「この人主役で、このチームの一員なんだけど……」

 全然話が入ってこない。あとほんの少し体を傾ければ接触できてしまうこの距離から伝わる熱と声と息が、物事を理解するための脳伝達回路を麻痺させている。

 なんということだ。どれだけ意識しないよう意識したところで、好きな異性に対しては、自分も結局ただの女性というわけか。父親になんて報告すればいいんだ。

 結局ストーリーを全く理解しないまま、映画開始のブザーが鳴ってしまった。

 ミーリももうポップコーンを片手に、映画を観る体勢だ。自分もまた、映画に集中しなければ。

 最初そう思って観ていたのだが、これがなかなかおもしろい。

 主人公が捕らわれた親友を救うため、仲間達と戦いに出るというのが基本のストーリーだが、アクションはともかく、主人公と親友の絆が強く描かれていてあつい展開となっていた。

 とくに仲間の一人である恋人と一緒に、悪の幹部的存在と対峙するシーンは篤い。

 戦いの最中撃たれてしまった恋人と、死に際に最期キスをするシーンは、はっきり言って展開としては普通だが、だがそれでもよかった。普通になるようなシーンだ、悪くならないのは当然である。

 結果恋人を除く他の仲間たちと巨悪を倒し、親友も救えてハッピーエンド。だが恋人が死んでしまった時点で、リエンとしてはバッドエンドだった。

 だがまぁつまらなくはなかった。見入ったし、台詞回しも好きな方だ。

 強いて言うなら、アクションは頂けない。本当の戦闘は、あんなに人に見せられるように美しくはないし、華麗でもない。

 本当にそうやって戦えるのは、ほんの一握りの天才だけだ。調度、隣で感動している男とか。

「よかったぁ、スズキ助かって。もう死ぬかと思ってた」

「あぁ、よかったな……」

 知らなかった。ミーリ・ウートガルドは、意外と感動屋なのだな。

「ってかリエン、どうだった? 俺勝手に選んだんだけどさ……つまらなくなかった?」

「……あぁ。最初はどうかと思っていたが、いい作品だった。楽しかった」

「そっかぁ、よかった」

 一昨日から予約していたかいがあったものだ。

「じゃあ行こっか。次はゲームセンターにでもさ」

「ゲームセンター、か。わかった、行こう」

 その予告通り、今度はゲームセンターに連れて行った。

 そこでミーリはウィンから教えてもらったのだと言って、レースゲームで一位を取り、格闘ゲームのトーナメントでも一位を取り、UFOキャッチャーでも景品を取った。景品は、抱くと気持ちのいいクマのぬいぐるみである。

 一方リエンはこういう場所に来る経験は滅多になくて、ミーリと同じゲームをやって四苦八苦していた。格闘ゲームに関しては、自分で戦った方が強いという結論にすら至る。

 だからというわけではないが、取ったぬいぐるみをリエンにあげた。

 べつに今日のところは持って帰って、レーギャルンにでもあげてやるのがいいのだろうが、逆にそれ以外の使い道が思いつかない。ならばいっそ、パートナー共に女子であり、今この現場にいるリエンにあげることが、クマにとっても最良の選択であった。

 というかおそらくこれは、ミーリ・ウートガルドの完全な想像と妄想だが、リエンはぬいぐるみ類が好きである。

 そう思ったのは、彼女がケースの中の景品を一瞥する目が、ぬいぐるみのときだけ物欲しそうにしていたからだ。きっとまた自分の家の誇りとかそんなので、ぬいぐるみは部屋にないのだろう。好きなものとはいえ、そういう趣味娯楽の類が私室にないのが、安易に想像できる。

 だが人からの貰い物なら、堂々とぬいぐるみを私室に持って帰れる。家族の誰にツッコまれても、これは友達がくれたんだよと言えば、万事解決なはずだ。

 その意図が伝わったからか、それとも単に嬉しいからか、リエンはぬいぐるみを抱くとはにかんでくれた。そこまで笑顔を見せてくれると、こちらも嬉しいものである。

 ゲームセンターを出ると、またリエンの手を引いてカフェに入った。

 少し坂を上ったところにあるこじゃれたカフェで、値段も良心的。さらに外のテラスに出れば、白いなぎさを打ち付けて子守歌を奏でる絶景の青海を見下ろすことができる。

 テラス席に落ち着いた二人は、そこの人気だという生クリームとイチゴシロップがかかったパンケーキをそろって注文した。

 ミーリはそれに、アイスクリームも追加する。

「映画館であれだけ食べて、よく入るな」

「だってもう三時だよ? ちゃんと昼も食べてないし、そりゃ減るって」

「なぁミーリ・ウートガルド……話があるんだが」

「うん? いいよ? それが本題だったんでしょ?」

 ミーリがそっと、リエンの頭に手を伸ばす。

 はたから見れば、可愛い彼女を愛でて撫でているか、髪にゴミか何かついてしまったから取っているように見えるだろう。だが実際、取ったのはゴミではなく、エリアがつけた盗聴器だった。

 リエンの髪留めにずっとついていたそれの電源を切って、お互い真剣な顔つきになる。今さっきまでデートしていたことなんて、まるで嘘のよう。

 心地よかった潮風も、寒いくらいに冷め切った。

「それで、何?」

「……単刀直入に言う。今年の全学園対抗戦・ケイオスの出場、降りてくれないか」

 なんとも返答しがたい頼み事だった。

 返答するまえにパンケーキとアイスクリームが運ばれてきて、ミーリはナイフで切った一切れをアイスにつけて口に入れた。

 ストロベリーの甘酸っぱさも生クリームの濃厚な舌触りも、これから喋りだすのには酷く邪魔だった。

「あぁ、っと……リエン? それは、代表生が俺に決まったら言うべきなんじゃない? 代表生発表は、まだまだ先だし……」

「学園最強のおまえだ、きっと選ばれる。だから……」

「でもリエン、君だって学園の女子最強じゃん。選ばれるって。代表生は二人なんだし、べつに俺が降りなくても……」 

「おまえがいたら、私は負ける。仮に決勝まで進めたとしても、おまえに優勝を阻まれるだろう。それでは……それでは父との約束を果たせない。私は私自身の力で、ラグナロクを最強の学園にしなければならない。だが、おまえがいては……」

 女子最強、リエン・クーヴォ。

 その戦う姿の美しさと、聖女を思わせる優しい性格とが相まって、誰が呼んだのか通り名は“戦姫いくさひめ”。

 ただそれでも、学園最強にはまだ足りない。

 たとえ学園の女子で最強だろうと、たとえ学園の剣士で最強だろうと、たとえ“戦姫”と呼ばれていようと、学園最強には足りない。

 彼、ミーリ・ウートガルドと比べてしまえば、リエン・クーヴォなど、まだまだ下だ。

「あぁ、あぁ……聞こえてる? リエンの妹――エリアって言ったっけ」

 リエンとぬいぐるみがいなくなった席で、ミーリは盗聴器の電源を入れる。

 片方の脚を抱えて、舌なめずりで口に付いたクリームを舐め取って、空になった皿を店員に下げさせて、電源を入れた盗聴器にわざわざ口を近付けて、一方的な電話機扱いで声を掛けた。

「じゃあエリちゃん。聞いてるのなら、この後、俺と会わない? 色々教えて欲しいんだ……リエンのこと。家のこと。お父さんとしたっていう、約束のこと」

 盗聴器は聞くためだけの機械。喋ったところで、返事が来るわけはない。いやだからこそ、これはいい機会だった。彼女が向こうで何を言っていても、こちらには届かない。こちらは勝手に、喋ることができる。

「そしたら、俺から一つ教えてあげるよ。俺についての情報を一つ。どこでどうやったって手に入らない、個人情報の一つをあげる。一時間後、昨日船で降りた船着き場で集合にしよっか。じゃあエリちゃん、待ってるから」

 


 

 

 

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