吸血鬼の血

 胸を貫いている紫の槍と、それを握っている満身創痍のミーリ。この二つの条件を見れば、自分が今どういう状況下にあるのかは検討がついた。

 ダラダラと血を流す口を、おもむろに開く。

「……そうか。我は、貴様に敗れたのだな」

 不死身とはいえ、一度――二度は死を経験した身。自分がこれから三度目の死を迎えることくらい、理解できる。

 おそらくそれは、今消えそうになっているこの結界のせいなのだろうことも、瞬時に理解した。

 が、おそらくこの結界が消えたところで、不死身が発動することはないだろう。この槍が刺さっている限り。

「聖槍の力か……我の血を絶えず吸い続けているのは」

「……刺した相手の血を溜めて力に変える。それが、死後流血ロンギヌスの槍の能力だよ。今も傷口から、血を吸い続けてる」

 血を吸い続け、紫の槍はくれない色に姿を変える。すると紅色の槍から霊力が流れ出し、ブラドの表皮にヒビのような刻印を刻んだ。

 ブラドは吐血し、そしてミーリよりも早く気付く。そうできたのは今、自分がその槍を喰らっているからに他ならない。

 だがブラドは周囲の自分を危険視したまま囲んでいる他の生徒達に気付き、おもむろに指を伸ばす。そして直後その指を鳴らし、自身とミーリを転移させた。

 突然のことに驚く生徒達が、二人を探し始める。その地点から近くも遠くもない距離の森の中に、二人は移動していた。槍は、まだブラドに深く刺さったままである。

「貴様らだけに、話しておく。その槍の、もう一つの能力……」

 倒れるように前かがみになって、ミーリの耳元に口を近づける。ヒビの刻印が腹部の陣に重なって、唇から血を流しながら、その口でささやいた。

「不死身殺し……その紅の状態にのみ、発動するの、だろう……ようは、不死身の体を殺す能力だ」

「不死身殺し……」

「貴様と槍の神霊武装ティア・フォリマだけ、心に留めておけ。全員が知ると、あからさまそれに頼る。そうなれば、敵にも悟られ躱されるぞ。今回の、あの女神の結界のように、な……」

 さすがは元軍人貴族。軍師とも謳われた記録のある人間時代を、生きてきただけはある。

 新たな能力がわかれば即、次に繋げようとする考え方は、正直好きであった。

 そしてここまで彼女が協力的にしてくれるのは、彼女のミーリという一個人に対する感情が関係していることは、わかっていた。

「ありがと……そうするよ――!」

 突如咳き込み、吐血する。傷口はさらに開いて血が噴き出し、頭部と背中以外のほとんどが赤く染まった。

 もうすべてが限界である。さらには槍を使っていることで霊力が持っていかれて、限界が余計早まっている。このままではブラドが死ぬ前に、自分が死ぬ。だがこの状態をどうにかする術はない。

 ヤバッ……! 

 これから死ぬとあって、色々と思い出す。

 ロンゴミアント、レーギャルン、ウィンフィル・ウィンの三人のパートナー。

 空虚うつろやリエン、蒼燕ら学園の友達。

 師匠や姉弟子、九尾の狐。

 そして、ユキナ。

 やらなきゃいけないこと。やりたかったこと。やってみたかったこと。約束。

 それらすべてが未練になりそうで、成仏できる自信がない。まったく情けないなと思う。

 そして思う。

 ごめん、俺はここまでだった。

 そう思った次の瞬間、ミーリは動けなかった。ただ自分は頭を抱かれ、抱き寄せられ、口づけされていた。

 彼女の口から、大量の血が流れ込んでくる。それを思わず飲んでしまって、ミーリの体は呼応した。

 傷が塞がり、体中に新たな血が巡る。最初の一瞬、その血を体が拒絶してものすごい脱力感に襲われたが、次の瞬間には持ち直していた。

 ミーリに五度ほど血を流し込んで、ブラドは口を離す。するとブラドの体は徐々に灰になって、宙に散開し始めた。

「我の血を、すべて与えた……案ずるな、貴様は助かる」

「ミラさん……なんで。今俺がここで槍を抜けば、助かったのに。血なんてその量献血か何かで集めればよかったのに。ミラさん、本当は吸血なんて――」

「さぁな。果たして吸血衝動ドラキュリオンが人間時代の名残なのか神としての特性なのか、それは我自身わからん。が、そうだな……確かにここで槍を抜ければ、我は助かった。が、血はいつか枯渇する。足りなくなれば、我はまた暴れ出す。それがわかっているから、貴様自身、槍を抜かないのであろう?」

 心の奥底を、見透かされた気がした。だがそれは事実で、否定できないことだった。

 故に悔しい。この神様を殺さなくていいのなら、殺したくはない。だってこの約四日間で知ったのだ。

 彼女は人を人としか思ってなくて、約束も守る律儀な神様ひとで、大切だと思ったものは守ろうとする神様ひとで、強くて美しい、女神だった。

 そんな神様が、死を選ばなければならないのか?

 神様討伐のために来た。が、殺さなくていいなら殺したくはない。殺さなければならないのなら仕方ないと割り切るが、今回は何とかなるんじゃないかと思う。

 なのに殺さなくてはならないのか、この神様ひとを。

 涙は流さない。嘆きもしない。だが悔しい。

 そんな思い様々を感じ取ってか、ブラドは笑みを浮かべると、ミーリの頭に手を置いて、おもむろに撫で始めた。

「気にするな、我が決めたことだ。このままでは、いずれ我は貴様を殺す……天の女王イナンナに頼まれたが……もう、我は、貴様を殺したくはない。貴様が苦悩する顔も、絶望する顔も、死に逝く姿も、見たくないのだ……貴様に、惚れてしまったが、故、な……」

 ブラドが力なく倒れる。脚はもう灰に変わっていて、徐々に下半身も灰に変わりつつあった。

 ミーリは槍から手を離し、ブラドを抱く。すでに彼女の体は必要がなくなったからか体温がなく、脈も薄れてしまっていた。もう、助かる術はない。

「最期、を……こうして愛しい者に抱かれて逝くと、いうのも……いい、ものだな……二つの人生、でも……経験しなかったことだ」

「そりゃ、よかった」

「……結局、貴様を我のものにすることは、できな、かったな……」

「そだね」

「が、いい……手に入らぬからこそ、光るものも、ある……永遠の美と、同じだな……なぁ、ミーリよ」

「何」

 上半身が灰になり始める。ブラドの息はかすかに感じられるまで弱くなって、目も赤から黒へと光を失いつつあった。声も次第にかすみ、途切れ始める。

「我の、ものに、ならないのなら……わ、れが……貴様の、もの、に……なるのは、いいか?」

 吸血鬼が望む、最後の願い。ミーリは何も考えず、ただその場の感情で、彼女を抱きしめた。

「いいよ。じゃあ俺のものだ……君は、俺のものだ」

「……そう、か……なら、ずっと待っているぞ……神々の集う場所、霊界で……理想の桃源郷アヴァロン、で……」

 それが最期の言葉。その瞬間、カミラ・エル・ブラドは、灰となって消えていった。

 ミーリの手の中に、灰が残る。だがそれはすぐに宙に消えてしまって、最後には何も残らなかった。

 槍から人へと姿を変えて、ロンゴミアントがミーリを抱きしめる。何も言わず、ミーリの哀しみも悔しさもまとめて、無言でそっと抱き締めた。

 神を殺す。それが対神学園の存在意義。

 誰もが人類を脅かす神々を倒すため、殺すため。入学する。

 そんな学園の生徒の一人が神を今倒し、その結果悔しさと悲しさに心が支配されているのは、はっきり言って筋違いである。場違いだ。

 だが青年は思う。殺されたくないのは、神も同じだ。

 殺さなくて済むのであれば、殺さなくていいではないか。人類が皆いい人でないように、神々が皆悪い存在でないだろう。

 だが言わなければならない。報告書に書かなければならない。涙でそれらを濡らさぬように、すべてを堪えて。

 ミーリはおもむろに生徒証を取り出して、ラグナロクの代表であるローに電話した。そして告げる。

「神様討伐、完了したよ。もう、終わり」

 その後、ローからまずラグナロクの生徒全員に通知が送られ、そこから他二つの学園の生徒達にも伝わった。

 吸血伯爵イアル・ザ・ドラクル、カミラ・エル・ブラドの討伐は、これにて完了した。



 

  

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