vs カミラ・エル・ブラド Ⅴ

 彼の側には、いつも彼女がいる。というより、彼女の側に、彼は必ずいた。

 それが彼の仕事だからである。

 自分の雇い主である彼女の側に必ずいることが、彼の唯一の仕事だった。

 ときに彼女を狙う誰かと戦うこともあれど、それはときどき。彼女を守る最終防衛ラインである彼の出番は、優秀すぎる同僚や先輩後輩たちのお陰で、滅多にあるものではなかった。

 故に彼はいつも退屈で、彼女の側にいた。

 何が起ころうと自分には届かず処理されてしまうから、何もすることがなくて暇だった。

 一度執事の真似ごとをしてお茶を出したことがあったが、おいしすぎて執事やメイドの仕事がなくなってしまうと彼女に笑われ、今後お茶を出すことは禁止された。

 故に暇だった。毎日彼女のうなじ旋毛つむじを見る。それだけだった。

 だから毎晩、彼女は彼に仕事を与えた。

 今日もその日だった。ソファーに座る自分の膝の上に彼女は座ってきて、そして告げる。

 昔話をして。

 それが、彼のもう一つの仕事だった。だが彼女が求める昔話とは、童話や創作物語ではない。彼の話だ。

 彼が実際に体験した戦いの話を聞くことが、彼女の毎晩の楽しみだった。どんな童話よりも現実的で、どんな創作物語よりもできているからだ。

 彼女は幻想的な話も好きだったが、彼の話が好きだった。

 話の仕方は、垂れた蜘蛛の巣を一本一本張っていくように、部分を思い出してはそこを話す。その話し方が、彼女は好きだった。

 さて、今日は何の話をしようかな。

 たまに前にした話を繰り返すこともあるが、それでも彼女は文句を言わない。だからこそ、前に何を話したのか覚えていられなかった。

 今からする話も、前に話したことがあるかもしれない。

 だから出だしの文句は決まって、前に話したかもしれないけど、だった。


「っとぉ」

 ブラドの槍が、ミーリの胸元をかすめる。さらに襲い掛かる追撃を躱したミーリは槍を弾き、思い切り大振りで剣を振った。

 大きく膨らんでいる胸元に、縦一直線の浅い傷ができる。

 槍を捨てて三本の手足を地面に突き立てて停止したブラドは、地面を蹴って真正面に跳ぶ。新たな槍を握るとその槍で一度地面をついて体を回転させ、自らを弾丸のようにして突進した。

 自身のまえに剣の隊列を並べて、五重の壁にする。それらすべてを打ち砕いて貫いてきたブラドに、オリジナルの魔剣を振り下ろした。

 だが回転と突進、双方の加速を得たブラドの槍の方が、この場では威力で勝る。

 結果剣を払われ、両脇が大きく開いて懐を開いてしまった。そのあまりにも大きすぎるスキに、ブラドは槍を突っ込む。

 が、弾かれた魔剣は自ら加速してミーリのまえに突進し、槍先を削る。その後ブラドの頭上に複製された剣が次々と落下し、後退させる。

 ブラドが距離を取ると、ミーリも十数歩分後ろに跳んで、距離を取った。そのままその位置にいれば、またブラドが飛んでくる。

 そう考えたがその通りで、距離を取られたブラドは飛びこんでこず、考え始めた。獣並みになってしまった頭で、次をどうするのか。

 そして考えが単調になった分、結論を出すのは早かった。

 槍を投擲すると同時に飛び掛かり、槍と同時の攻撃を図る。

 ミーリは槍を跳ね返したが、同時に来たブラドには躱され、上から覆いかぶさられた。大きく膨らんだ胸部が、顔に押し付けられる。

 それ自体は男性としてイヤではなかったが、どけないわけにはいかない。彼女は今にでも首筋に牙を立て、血を吸おうとしている。

 複製した剣を握って振りかざし、ブラドに回避させてどかす。そしてまた距離を取って、背後に無数の剣を並べた。

 オルアを一瞥して、もう時間がないのだと悟る。今までと規模が違う分、維持に相当な霊力を消費しているのだろう。

 時間はかけられない。一気に決める。

 そう決めたミーリは肉薄し、ブラドを高く蹴り上げた。そして数千の剣の群れで囲い、球体を作り上げる。

 その球を燃やすのは、オリジナルの害なす魔剣レーヴァテイン。発射された剣は球を貫き、煌々と燃える星を作る。

「“日はまた昇るライジング・サン”」

 日は高く、炎を煌かせて光る。霊力の圧と灼熱に身を焼かれ、無事では済まないだろう。

 だがそれは、喰らっていればの話だった。

 ブラドは抜け出していた。剣の誘爆が起こるまえに、球体から。しかもそのうち一本を口にくわえていて、着地と同時にそれを投げつけてきた。

 上空に昇る偽物の太陽が放つ熱風に吹き飛ばされそうになりながら、その剣を弾き飛ばす。

 そして同時、二人は肉薄した。

 剣と槍がぶつかり、火花と霊力の粒が弾ける。ブラドは槍を、ミーリは複製した剣をお互い数度折られ、砕かれ、新たに握る。もし消えなければ、二人の足元には鋼の欠片が堆積していただろう。

 二人の一撃は一瞬ながら、その攻防はどちらが優勢となることもなく続く。結果二人の武器の砕き合いは、態勢を変え位置を変え、三分弱続いた。

 その三分後、戦況が変わる。

 円になるよう並べた剣を順に放ち、ブラドに弾かせる。だが弾いた剣が一斉にブラドを襲い、地面に突き刺さった。

 槍を捨て、後転したのちに腕の力でブラドは後方に跳ぶ。そこにミーリは剣を射出しながら肉薄し、剣を握った。

 放たれた剣をすべて槍を回して弾き飛ばし、地に足がつくと同時に地面を蹴る。

 剣撃と槍の一撃が交錯し、互いの肩を斬りつける。着地した両者は振り返るとまた地面を蹴って突撃、武器を振り下ろした。

 槍と剣が同時に砕け、直後額と額がぶつかる。そしてミーリは持っていたオリジナルを、ブラドは新たに現出した槍を振りかぶり、そしてぶつけた。

 霊力と火花散る激突。それはどれだけ時間を圧縮したところで、それは短い一瞬。のはずが、圧縮された時間は体感の中では長く、ゆっくりで、それは極限に研ぎ澄まされた感覚が生む、時間間隔の延長だった。

 その延長された時間の中で、ミーリは見た。

 ブラドの視線が、ずっと自分にあることを。光の欠けた真っ赤な虹彩で、絶えず見続けていたことを。

 もしかしたらずっと今まで、ミーリを見ていたのかもしれない。そう思えるほど、ブラドが真っすぐ自分のことを見ていることが不思議だった。 

 そして聞いた。彼女の口から。血を飲むことしか頭にない獣状態のブラドの口から、たしかに、たった一言を聞いた。

「ミー、リ……」

 この一瞬の時間の延長は、これらを見て、聞くためにあったのかもしれない。そう思ってしまいそうになるタイミングで、時間は普段通りに進み始めた。

 槍を砕かれ、両断されたブラドは拳で殴りかかる。その拳を受け止めたミーリは、即座に手を引いた。

 ブラドの馬鹿力に、腕がイカれてしまいそうだったからだ。

 腕を引いて即座、回し蹴りでブラドを蹴り飛ばす。だが大したダメージは与えられず、ただ蹴飛ばしただけだった。

 体力も霊力も、低下は否めない。結界のこともある。早期決着。これが妥当だった。

 ミーリは高く跳躍し、剣の群れを複製する。剣は結界に囲まれた天上を覆い、そして、フィールドを埋め尽くさんと一斉に降り注いだ。

「“裏切りの厄災レイヴォルト”」

 今までと比にならない規模で、剣の豪雨が降り注ぐ。次々に降りかかる剣を最初は槍で弾いたブラドだったが、直に勢いに押されて倒れてしまった。

 剣が巻き上げる土煙で、まったく見えない。煙が晴れるまで剣に乗って飛んでいたミーリは、数秒後に剣が刺さる大地の中に、立ち上がる影を見つけて落下した。

 影の正体は間違いなくブラドで、彼女もまた、落下してきているミーリを見つけて飛び上がる。その手には槍を持ち、叩き切ってやらんとしていた。

 ミーリの周囲を取り囲むように、六つの剣が円を作る。そしてブラドの槍との交錯と激突の瞬間、六つは一斉に射出され、ブラドを斬り裂いた。

 ブラドは吐血し、落下する。ミーリは足元に現出させた剣の上に着地して落ちなかったが、片膝をついた。

 交錯の瞬間に突かれた脇腹から、ジンワリと血がにじみ出す。吐血した血はブラドより先に剣で満たされた地に落ちて、剣の柄を赤く濡らした。

 ブラドの落ちた場所に刺さっていた剣が折れ、欠片がチクチクとブラドを刺す。それよりも大きな傷が腹部にあって、そこから流れる血がブラドを起こした。

 咆哮し、剣を折りながら突進する。

 対するミーリは刺さっていた剣を浮かせて抜き、次々に射出する。だがそれらはすべて弾かれ、折られ、砕かれる。

 ミーリは剣を握りしめ、乗っている剣二本を射出して降り、そして自らも突進した。

 二本を折って、射出されたすべての剣を弾ききったブラドは槍を構える。

 目の中の虹彩は絶えずミーリだけを見つめて、ここまで瞬き一つしていない。そんな目に映っている自分の像を切り裂くがごとく、ミーリは剣を振りかぶった。

 そして貫く。

 互いの剣が、槍が、相手の体を。

 ミーリの横っ腹に槍が刺さり、赤みが増す。ブラドの胸に剣が刺さり、剣から発せられる熱が血を焼く。

 ブラドは吐血し、そしてゆっくり槍から手を離して仰向けに倒れた。

 ミーリもまた吐血し、その場で膝をつく。

 それと同時にすべての剣と、オルアの張っている結界が消え去った。

『マスター』

「……お疲れ、レーちゃん」


 じゃああなたが勝ったのね。

 そう、彼女は訊く。だが彼は首を横に振って、彼女を抱きかかえた。

 続きはまた今度と、彼女をベッドに寝かせた彼は約束する。

 だがその約束は果たされないのだろう。今の話をいつか繰り返すだろうし、続きはいつまでも話さないかもしれない。続きを話すときは、またなんの前触れもなく話すのだろう。

 だが彼女は了承し、納得し、わかったと頷いた。そして彼におやすみのキスをねだり、額にもらうとすぐ眠りについた。

 そうなるとその日の彼の仕事は終了で、ようやく彼女から離れる。

 といっても行くのは隣の自分の部屋。窮屈なスーツを脱ぎ捨てて、学生時代から着慣れた服に着替える。これから夜の見回りだ。

 すると背後から、紫髪の女性が抱き着いてきた。彼の首筋に口づけをして、槍へと姿を変える。そしておもむろに窓を開け、そこから飛び降りた。

 彼女は寝たの?

 槍に訊かれ、うんと頷く。

 どんな話をしたの、とも訊かれたので、吸血鬼と戦ったときの話だと答える。すると槍は急にねて、頬を膨らませたような声で、そう、とだけ返事した。

 その場にいられなかったことが、まだ悔しいらしい。

 だが気持ちは充分に理解できる。自分がもしその場にいたら、どうにかなったかもしれない。そんな経験を、彼は過去、燃える別荘でしたからだ。

 そして思い出す。あの戦いのあと、吸血鬼のことを調べて出てきたたった一言を。名軍師とまでうたわれた、約五〇〇年前の軍人ブラドが、残したとされる言葉。

 悔やむなら一生悔め、そして繰り返すな。自らの心の臓が、串刺しにされるまで。

 カミラ・エル・ブラド。彼女との戦いの記憶を、再び思い出す。

 最後の互いを貫いた一撃は、まだ、終わりではなかったのだ。

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