覚醒?

 少女は泣いていた。

 少女はただ泣きじゃくっていた。

 自分の膝を濡らす涙の止め方を知らなかった。

 この行き場のない感情を、どうすればいいのかわからなかった。

 天地を覆いつくす歯車は、何事もないかのように回り続ける。目の中の時計の針も、異常を感じていないように一方は進み、もう一方は戻る。

 すべてが寂しい機械仕掛けで、少女の世界はできていた。

「どうしたの? なんで泣いてるの」

 そんな世界に迷い込んだ彼は、上から見下ろして訊いてきた。突然のことで緊張して答え損ねると、彼は今度は目線を合わせて訊いてきた。

「俺の名前はミーリ・ウートガルド。君は?」

 次の瞬間、涙は止まっていた。

 胸は高鳴り、体は火照り、頭の中はフワフワとした何かに変わって、少女は茫然と、目の前の青年の顔を見つめ続けた。

 それが少女の――機械仕掛けの時空神デウス・エクス・マキナ

の、初恋であった。

「お兄さん……」

 彼のことを思っても、歯車は止まらない。時計の針は止まらない。たとえこの世が終わろうと、時間は動く。

 時計の長針がまた一つ進んだ頃、赤い槍同士がぶつかり合っていた。

 ぶつかる度に霊力が弾け、槍の表面が削れる。赤く小さい砂粒のような結晶が、衝突の度に砕け散っていた。

 ブラドの用意した霊装である槍は、血を固めたような赤水晶の塊。死後流血ロンギヌスの槍と比べると大きくて持ちにくいものの、ミーリは慣れた手捌てさばきで振り回していた。

 突き、払い、振り回し、斬りかかる。

 慣れているブラドではなく、初めてその槍を持ったミーリの方が攻める。初撃以来攻めさせてもらえないブラドは、口角を持ち上げてミーリの一撃を受け止めた。

「貴様、槍の扱いはどうやって覚えた。独学か」

「師匠がいてね……剣とか銃も習った、けど……! 槍ばっかり、うまくなちゃって!」

「それは、よかったな!」

 ブラドの反撃が始まる。重く鋭い一撃が、ミーリを後退させた。

 なんとか踏ん張り、数十センチの移動だけで踏みとどまる。だがすぐさまブラドが斬り掛かってきて、それを即座に受け止めた。

 槍が削れ、砕け、折れそうになる。ミーリは自ら脚を曲げて倒れ、突然の脱力に態勢が崩れかけたブラドの足を払い、倒れた隙に後方へ跳んで態勢を立て直した。

 ブラドも立ち上がり、お互いまた飛び出すきっかけの探り合いを始める。だが今度はすぐに見つかった。

 ミーリが足を滑らせたのだ。ブラドが突進し、槍で突く。

 だがそれはミーリの張った罠で、すぐに態勢を立て直して槍を振るい、ブラドの槍を打ち払った。

 そして反撃で胸を突く。

 だがブラドとぶつかった瞬間、彼女の霊力で槍が砕け折れてしまった。何度もぶつかり、削れ、砕けていた傷がここに来て致命傷となったのだ。

 ミーリの握る部分まで、砕けて消える。そのスキをブラドがつかないはずもなく、ブラドの握る槍が、ミーリの胸座から肩にかけてを斬り裂いた。

 とっさに後ろに跳んだために深手は負わなかったが、それでも最初の一手を取られたのは、ミーリだった。

 取ったブラドは槍を振り回し、その切っ先を向ける。

「生憎、貴様の槍とは勝手が違う。我の槍は正直砕けやすく、もろい。それなりのコツがいるのだ……まだやるか?」

 ミーリは顔を上げる。その顔は意外と元気で、まだまだやる気で満ちていた。負けるのが悔しいと見える。

 ブラドから新たな槍を受け取ると、勝負を再開させた。

 今度は様子を窺うなどせず、一気に突っ込む。連撃に連撃を重ねて攻めたてて、ブラドに攻撃をさせなかった。

 ブラドの槍を弾き、絶対に懐に入り込める隙を作る。すかさずそこに飛び込んで、ミーリは槍で突いた。

 だがまた、今度は浅く先端のほんの先が刺さった程度で砕ける。さらにまたブラドの反撃を受けて、ミーリはもう一方の肩に傷を負った。

 それでもミーリはやめない。もう一度槍を受け取って、そして挑む。

 突き崩し、薙ぎ払い、振り回し、斬りつける。

 ミーリの手で槍は踊り、そして果てる。ブラドにぶつかるとその霊力に耐え切れずに砕け、傷を負う、それを繰り返した。

 時間が一〇分を経った頃。そのときにはもう、ミーリは全身傷だらけで、もし武道の試合ならば、何度有効を取られたか。

 だがまだ続ける。勝負は、どちらかが倒れるまで。

 槍を受け取った直後に突っ込み、そしてブラドの槍を薙ぎ払う。空いた懐に入り込み、そして突き放った。

 だが、砕ける。しかも今度は回避なんてできる位置じゃなくて、後退はしたものの、バッサリ斬られてしまった。

 赤い鮮血が、ブラドの顔にかかる。彼女は顔にかかったミーリの血を舐め取り、ミーリが倒れるのを待った。

 手を出さずとも、今にも倒れそうなミーリはふらつき、足から崩れる。ミーリ自身、ここまでかと諦めた。

 お兄さん……!!

 ミーリの体から、溢れる霊力。倒れそうな体から溢れる血は、まるで時間が戻っていくかのようにミーリの体に入っていく。そしてミーリは踏ん張ると、おもむろに顔を上げた。

 ミーリの瞳の中で、時計の秒針が揺れ動く。片方は進み、片方は戻っているその時計は、見つめているだけで時間が狂わされそうだった。何せそこには、ミーリとは違う未知の霊力がある。

「進め、未来デウス

 右手に、時計の長針を思わせる黒い槍が握られる。

さかのぼれ、過去マキナ

 左手に、短針を思わせる黒い槍が握られる。

 左右に握られた双方の槍は、ミーリとは似ても似つかない霊力を発して、空気を痺れさせる。

 さらにミーリの背後に針のない時計盤が現れて、歯車を回し始めた。そしておもむろに構える。長針を一二、短針を一に合わせて持ち、ミーリの瞳の中の時計が加速し始めた。

一時アインツ

 ミーリが跳び出す。光を宿した槍を振り、ブラドに肉薄した。

「なんだ……?!」

 ブラドの槍と、ミーリの槍がぶつかる。当然今まで通り霊力同士の衝突はあったが、今までとは違った。

 死後流血の槍ともブラドの槍とも違う。力が強いのではなく、霊力量が多いのでもない。とにかく、強力ではない。簡単に折れてしまいそうな槍。だがその危うさがあっても、折れることはなかった。

 むしろブラドをどんどんと押していく。しまいにはブラドの背を、壁に叩きつけた。

 だがブラドもそのままやらせない。ミーリを弾くと槍を振るい、斬りかかる。

 ミーリはそれを身を反らし、後転し、槍を踏みつけて後方に宙返りして避け、そして突撃した。二つの槍がブラドの槍を砕く。

 さらなる追撃がブラドの胸を貫き、持ち上げた。

 ブラドの血が流れ、それに反応したかのようにミーリの体が治りだす。ブラドが与えた血の力が、発動したのだ。ものの数秒で完治して、ミーリは槍を引き抜く。

 片膝をついたブラドの傷もまたすぐに塞がったが、すぐには動かなかった。理解が、追いつかなかったからである。

 なんだ……自ら武器を創り上げた? 神霊武装ティア・フォリマとは明らかに違う。これではまるで――

二時ツヴァイ

 ブラドが立ち上がると同時、ミーリは猛襲をかける。

 すぐさま槍を現出して応戦したブラドであったが、ミーリの攻撃速度に追いつかず、槍を弾き飛ばされてしまった。すかさず飛び上がって、その場から離脱する。

 だがミーリは人間離れした跳躍でそこに追いつき、槍でブラドを払い、叩き落した。

 背中で着地したブラドは跳ね、その勢いで後転してミーリの落下攻撃を避ける。そして槍を持ち、ミーリに突進した。

 赤い水晶体と黒い時計の針がぶつかり合い、火花の代わりに霊力を散らす。力は相変わらず互角であったが、技量は今のミーリの方が上だった。

 ブラドの槍が砕け、突き飛ばされる。

 その距離を作ったミーリは、二本の槍をまた前に出して構えた。短針が背後の時計盤の、三の上にかかる。

三時ドライ

 黒い光をまとった槍で、肉薄する。新たな槍を持ったブラドに突撃し、また大きく後退させた。

 馬鹿な……この力、だがこいつは――

 戸惑う暇すら与えない。だがブラドが驚いているのはまさしくそこで、ミーリは二つの槍を持ってからまったく息を切らさなかった。まるで、体力という概念そのものがないかのよう。

 駆け引きのなかでの脱力はあっても、疲労から来る力の弱まりなどがまったくない。とうに人間が戦える限界は超えているはずなのに。

 ミーリ本人はそんなことに気付いてないのか、それとも気付いていてあえてやっているのか、力の強弱を最大までつけて、ブラドの防御を破ろうと攻め続ける。

 一方のブラドには体力の限界というものがあって、重く鋭い攻撃の連続に手から力が抜けかかっていた。

 槍の一撃が三度みたびブラドの槍を砕く。そしてすかさず放たれた追撃が、ブラドの胸座を貫き吹き飛ばした。壁にくぼみを作り、ブラドは数秒そこに張りつけられてそして倒れる。

 そして、起き上がらなかった。決着である。

 それを確認したミーリの瞳の中の秒針は止まる。そして背後にあった時計盤は消え去り、槍も泡のように溶けてなくなった。

 そして倒れた。その後の記憶はない。だが目を覚ますと、ミーリはブラドの膝を枕にして、横になっていた。

「ミラさん……勝負は俺の負け?」

「何を言う、貴様の勝ちだ。我が先に倒れ、貴様は勝手に力尽きた」

「よかった」

 心の底からの言葉が漏れた。

 ブラドはそれを鼻で笑うと、ミーリの額に指先を滑らせた。赤い爪が張り付いたその指は、とても冷たかった。

「さて、では訊きたいことを訊こうか」

「何、ちょっと怖い」

「貴様、神ではあるまいな」

 ブラドの目は真剣そのもので、赤い虹彩が紅玉ルビーのような怪しさを持った光で輝いていた。

 それを正直きれいと言って話を流そうかとも思ったが、ミーリの口がそう言おうとすると動かなかった。

「昔師匠に言われたことがあるよ。おまえは神様に愛される男だ、それを誇れって。そんな自覚はないけれど、その言葉通りなら、俺はただ神様に好かれやすい人間ってことなんでしょ」

「フン、そうか」

 ブラドの指がミーリの額に円を描く。何か陣でも描かれているのかと思ったが、ただ単に指を動かしているだけであった。

「貴様に意識があったのかわからんが、貴様が出したあの二つの槍。あれは神霊武装ではない。霊装だ。あれは限りなくそれに近い」

「でもそれってミラさんのあの槍とかでしょ? 普通は神様が創り出すものでしょ、あれって人間じゃ召喚できないって授業でやったけど?」

「それを貴様がやったのだ。故に訊いた、神ではないかと。自身が神だと自覚できてない奴は意外と多い。あのヘラクレスでさえ、実際神の子だと気付くのに、それはかかったものだしな」

 なんか神話の裏話きいていけないぶぶんを聞いてしまった気がする。

「じゃあオルさんもそうなのかなぁ……俺と一緒に戦った、赤い髪の子なんだけどさ」

「あの赤髪の女神なら、自覚していたぞ。というかなんだ、気付いてたのか」

「だからオルって呼んでんの。ミラさんと同じで、霊力が俺らと違うんだもん」

 勘だったけど。

「神と人の霊力の差がわかるか……フン、やはり貴様は神なのか? それとも神に近付いてる人間か? まるで神霊武装を持つことで、霊装の現出を控えていたようにも思える」

「んなわけないって。大体、神様に近付くきっかけがないもん」

「先ほどの貴様の戦い方を見れば、誰でも思うだろう。神霊武装を使っていたときより、貴様は力を出せていた」

 否定はしづらかった。

 何せ今の目標は、神霊武装を持っている状態を最強とすること。ロンゴミアントもレーギャルンも、ウィンフィル・ウィンも使いこなして、強くなることだから。

 誰かの力を借りてでも強くなり、いつかは守りたいものを守ってみたい。それが願望だから。

 一人で守れるならそれに越したことはないが、なんだか寂しかった。

「まぁいい」

 ブラドはそう言うとミーリの頭を持ち上げてそっとどくと、槍を持って歩き出した。

「どこ行くの?」

「勝負に敗れてしまった故、あの街の人間の血を吸えなくなった。故にこの辺りの獣達から血を吸うため、狩りに行く。案ずるな、狩った獣の肉はくれてやる」

「あぁ、それなら……動物保護団体は黙ってないと思うけど」

「そこは折れてもらおう。でなければ死者が出るぞとな」

 ブラドは出て行った。

 ミーリは何故だか起きれなくて、そのままボーっと天井を見つめる。すると段々眠気に襲われてきて、そのまま寝てしまった。

 夢の中、天地を覆う歯車が回る。一から一二の数字が降り続けるそこで、少女は一人泣いていた。

 泣いてる理由はわからない。だが放ってはおけなくて、回る歯車の動きにときに合わせてときに逆らって、走り、跳び、そこに着いた。

「どうしたの? なんで泣いてるの」

 自分の膝を抱えた少女は、顔も上げず答えようとしない。

 ミーリは片膝をついて目線を落とすと、その顔を覗き込むように見つめた。

「俺の名前は、ミーリ・ウートガルド。君は?」

 ようやく顔を上げた、少女の頬が紅潮する。

 大きく見開いた目の中で、経過と逆転を続けているそれぞれの秒針が、動いていた。

「マキナ……マキナは、機械仕掛けの時空神」

「そっか、じゃあマッキーね。よろしく、マッ――」

「ま、マキナはマキナ……だから、マキナは……」

「わかった、いいよ。じゃあ改めてよろしくね? マキナ」

「……うん、ミーリお兄さん」

 少女マキナが微笑んだその瞬間、その瞬間だけすべての歯車が止まる。その一瞬はまるで永遠のごとく、二人の間に貫通した。

 その一瞬だけ、時間が止まる。







 

 

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