第7話 ~双子の絆~

 その人はいつも決まった場所にいた。

 たいして広くもない家の玄関を開けた瞬間から、逃れようのない強烈なタバコの臭いとともにその人の存在を否応なしに認識させられる。

「何見てんだい」

 こちらの姿を目に入れるなり開口一番に鋭い言葉が飛んでくる。ちゃぶ台に肘を付きながら身体はテレビに向けたまま肩越しに睥睨してくるその人は、これでも一応保護者だ。

「今帰りました」

 無機質な報告。不服そうに鼻で笑いとばされただけで、その人からそれ以上の一瞥をもらうことはなかった。

 俺はそれを確認すると自分の部屋へ向かった。

 自室と言っても、帰ったら寝て、朝になったら起きるだけの、なかば物置と化した狭苦しい一室の一角。掃除はこまめにしているが、築四十年を超える家のかびと腐った木の臭いはどうやっても取り払うことはできないそのスペースに身体を押し込むように潜り込み、少しでも家にいる時間を減らすために無理やり睡眠を誘発させる。

 そうして朝になると、テレビの前に鎮座しているその人に形式だけの挨拶をすませ、学校へ向かった。

「いってきます」

 何か用事があれば引き止められる。

 何もなければ無視。

 そこに機械的な言葉を交わす以外のコミュニケーションは存在しない。

 それが、俺の日常。それが、ルール。それが、当たり前。

 放課後になれば最低限暮らすための、文句を言われないだけの生活費をアルバイトで稼ぎ、深夜になればあの家に帰って寝るだけ。

 機械的に身体を動かし、無機質な時間を過ごし、何かに感情を動かすこともなく、考えることすら忘れて生きていた。

 誰かとすれ違えば律儀に、笑顔で挨拶をするよう教育はされたが、そこに一切の感情はない。決められたルールに従い行動しているに過ぎない。

 しきりに絡んできた同級生に「つまんねー奴だな」と笑い飛ばされたことがあったが、自分で自分のこの生活をつまらないと思ったことは一度もない。自然と暮らしていたらいつの間にかこうなっていた。それゆえに、俺にとってはこれ以上の生活は考えられなかった。

 そう。これが普通なのだ。

 あたりまえの暮らし。

 そうしていつしか心の動かし方を忘れ。生の意味すら感じられなくなり。生まれてきた理由もわからなくなった。

 だが不思議と死を意識したことはなかった。いや、考える力がなかっただけかもしれない。

 ところが、ある日そんな俺に変化が訪れた。

 その日俺は初めて、自分の心が揺れ動いたのを感じたのだ。

 ――赤いレンガ造りの家の門の鉄柵を開けて出てきた、ひとりの少女の笑顔を見た瞬間。

「いってきまあす!!」

 少女が誰かに向かって大きく手を振りながら叫んだのを見た。そこには同じように笑顔で手を振る彼女の母親の姿があった。

 自分がいつも発しているものと同じ言葉であるはずなのに、まるで違う響きを持っていた。機械的で無機質で無意味な言葉だと思っていたのに、自分のものとは全く違うかたちで使われていた。

 俺にとっては、異常。

 彼女にとっては、ごくありふれた日常の一コマ。

 その光景を目の当たりにし、その時初めて俺の中で何かが動いた。

 生まれてかつて抱いたことのない感情。

 感情に乏しい俺はその些細な心の機微を自覚することはできなかったが、その後もその光景が目に焼き付いて離れることはなかった。

 無色で無機質なモノトーンの世界に彩を灯した、その少女を。



「ただいまー」

 俺はその言葉を聞いて顔をあげた。

 しまった……ヤバイ……マズイぞこの状況は。

 一気に変な汗が体から噴き出し、無駄な抵抗と分かりつつも周りに出ていた小物だけでも元に戻そうと、ダンボール箱の中に適当に突っ込むが、

「うわっ、どうしたのこれ……?」

 ユウナに居間の惨状を目撃されてしまった。

「あぁ、あの、これは、その……えっと――」

 必死で言い訳を考えるが、とても言い逃れできる状況じゃない。

「ごめんなさいっ!!」

 目を丸くするユウナに、全力で頭を下げた。

「これ全部ユウキがやったの?」

 まだ家の荒れように驚いているのか、希薄な声で再確認のために問うてくるユウナ。

「そ、そうです……」

 俺はいつ飛んでくるか分からないユウナの怒声にわなわなとしながら、頭を下げた状態で待ち構える。

 家の中にある梱包済みのダンボールというダンボールを開封し、中身を適当に引っ張り出して元に戻すこともせずに家の中を散らかしまくり、居間は足の踏み場がほとんどなく、入り口から入ってきたユウナとの間にもごたごたと食器やら本やらダンボールツインタワーやらが点在していて迂闊に近付けない状態だった。

 ユウナが帰ってくる前に片付けるつもりだったが、夢中になってしまった。

 いくら天使の笑顔を浮かべるユウナでも、引っ越し準備のためにまとめていた荷物を引っ張り出されて怒らないはずがない。

「そっか……」

 しかし、ユウナは特に気にする様子はなく、まだ俺が手をつけていないダンボールに手を伸ばすとその梱包を解き、中から一冊の本を取り出した。パラパラとページをめくり、

「ユウキ、これ見てごらん」

 言われて差し出された本を受け取る。装丁そうていは一見洋書のようだが、それはアルバムだった。開かれたページには今よりも少し幼い双子の写真が貼られていた。

 電車の窓際の席に座り外を眺めているユウナと、対照的にカメラを向いて両手でピースをつくり、にっこりと笑っているユウキ。その下の余白には女性らしい綺麗な字で、『伊豆旅行 雫希14歳』と書かれてあった。

 隣のページには、鯛のおかしらを持っておどける優雫と、キメ顔でピースをしている優希の写真。こちらは、『旅館にて 鯛のお頭ではしゃぐ雫希』と書かれていた。

 他には浴衣を着て並んでいるもの。卒業式の看板の隣に並んでいるものなどがあった。その一つ一つに日付とタイトルが書き綴られていた。俺が知らない、優雫と優希のいろんな姿。その一つ一つに、俺の知らない双子の思い出がある。

「後から見て気付いたことなんだけどさ」

 押し入れの襖に背中を預けて座っていたユウナが静かに語った。

「そのアルバム、私たちだけしか写ってないんだよ」

 アルバムの至る所を見てみると、確かに写真に写っているのは優希か優雫、あるいは二人のものしかなかった。

「そう……みたいだね。それがどうしたの?」

 俺の素朴な疑問に対し、ユウナは黙って首を振るだけだった。

「ユウキは、本当に何も覚えてないんだよね……?」

 そして、寂しげな瞳と目が合った。俺はその瞳と一秒と対峙することができず、慌ててアルバムに視線を移した。

 それでも耳に残ったユウナの声が、胸にズキリと刺さった痛みが執拗に纏わりついてくる。

「…………ごめん」

 きっと、ユウナが欲しかったのはこんな言葉じゃない。そうわかっていても、今はそれしか返せる言葉がなかった。

 思い出のたくさん詰まっているであろう手元のアルバムを見ても、微塵も情景を思い起こせない。それは、俺が優希ではなく祐樹だからだ。

 代わりを演じたところで、ユウナの傷は癒えない。やはり、ユウナに必要なのは優希だ。

 俺はいてもたってもいられず、気が付いた時には家を飛び出していた。


 今日一日、なにか成果はあったか?

 ――何もない。無為に時間を浪費しただけだ。

 行動を起こせば、何かが得られるものだと思っていた。だが、実際にそう上手くは行かない。記憶喪失というものも思ってた以上に難敵で、いまだにその全体像すら見えやしない。あれだけ荷物を漁っても、なんのとっかかりも得られなかった。

 二日使って、次につながる手がかりが何も見つからなかった。

 優希を救うどころか、未だに自分のことも分かっていない。

 優希はなぜ周りを拒絶する?

 他人だけならまだしも姉であり家族であるユウナまでなぜ? なぜ何も思い出せない? 

 なぜ神様は俺を再びこの世に戻した?

 どうして俺なんだ?

 分からないことだらけで頭がおかしくなりそうだ。

 考えることがめんどくさい。思考が邪魔だ。

 俺は全速力で走った。纏わりつく思考の糸から逃れるように、全力でひたすら脚を動かした。

 やがて息が切れて走れなくなってきたころ、昨日も訪れた公園に辿り着いていた。

 休日には憩いの場として多くの人で溢れているこの場所も、薄闇に包まれた今となっては人影が一切見あたらない。

 べったりと張り付いた疲れを癒すのには最適の場所だった。

 湖を眼前に見渡せるところまで来ると、フラフラになった脚をだらしなく伸ばしてベンチに座った。

 のぼせた頭はぼーっとしていた。頭が真っ白だった。でも今はそれが楽だった。

 周りには誰もいない。静かな場所に、一人きり。

 何も考えなくていい。人と人との問題で悩むこともない。

 俺には、この状況が、立場が一番心地よいのだ。

 ずっと一人だったのだから。

 俺には生きていた記録も、確証も何もない。

 思い出せる記憶も、何も。

 俺は…………孤独だ――――。


 誰かの笑い声がする。俺を見て笑っている。

 一人あぶれている俺を見て、嘲笑している。

 誰とも馴染めず、話すこともせず、一人の俺に罵声を浴びせてくる。

 ――俺は、好きでこうなったわけじゃない。

 本当は周りの男子と、休み時間にはしゃぎまわったりしたかった。

 本当は女子と、どきどきしながら話してみたかった。

 普通に、周りと馴染んで、家族と過ごして、時間を共有して、感情を分かち合いたかった。

 だが俺の“普通”は、何年も前に消え去った。

 俺の五歳の誕生日の贈り物は――両親の死だった。

 その時からだった、俺の人生が狂いだしたのは。俺の人生から、色が消えて行ったのは。

 一人でたたずむ俺に、闇の帳が降りた。

「おい坊主、こんなところでナニしてんのかなぁ?」

 はっと我に返ると、見るからに不良な連中が俺の顔を覗き込んでいた。

「ママとパパに追い出されたのかなぁ? 可哀そうに。こっちきてお兄さんと遊ぼうぜぇ」

 男に手首をつかまれた。その瞬間、嫌な耳鳴りがして俺はその手を全力で払いのけた。

「ってえな、何すんだぁこらおい!! 優しく誘ってやってんのによぉ!?」

 腕を乱暴に振りほどかれた不良が怒気をあらわにして掴みかかってきた。

「やめろ、さわんな――ッ!!」

 男の力は強かったが、全力で抵抗してなんとか振りほどくとその場から飛び退いて不良たちから距離を取った。

「ようこそ」

「くッ――!!」

 ところがその勢いで後方にいたもう一人の男の懐に飛び込んでしまい、羽交い絞めされそうになるが屈んでかわす。だが、逃げようとしたところで腕を掴まれ、細い腕を指でがっしりと締め付けられ、ほどけなくなってしまった。

「痛っ――ッ」

 男の力で腕がへし折られそうだった。ただの痛みだけではなく、体の中からむしばまれていくような、気が狂いそうになる感覚が同時に襲ってくる。

「へっへっへ……」

 不敵に笑う男。拒絶反応で視界が歪む。その最中、右手で拳を作り振りかざすのが見えた。

 次の瞬間目の前が大きく揺れたかと思いきや、身体が宙を舞っていた。

 尋常じゃないほどの激痛が右の頬に走るのと同時に、地面に身体を打った衝撃が全身に走る。

 ぐるぐると目の前が回転し、同時に体の中を様々なものがぜになって意識が混沌とする。男に殴られたのだと理解するのに五秒の時間を要した。

 無様に地を這う様を笑っている不良たちを、精一杯の抵抗で睨んだ。

 その瞬間。

 急に雨が降り出し、視界が不鮮明になり出した。

 脳震盪でも起こしたのかと思ったが、違った。

 もやがかかった視界には、先ほどの不良たちとは違う別の誰かが映っていた。その誰かに胸ぐらを掴まれ、足が地を離れそうになるまで持ち上げられた後、今度は腹部に拳を入れられ、腹を抱えて地にうずくまる俺をこれでもかと蹴りつけてくる。

 そしてまた次の瞬間には現実に戻り、視界が鮮明になった。雨は降っていない。先ほどの腹部への一発と立て続けに蹴られた場所の痛みはなく、不良から殴られた右頬と打ち付けた左半身が痺れているくらいだった。

 違和感を抱えたまま追撃の一発を警戒して身体を起こしたところで、不良たちがこちらを見て目を丸くしていたことに気付いた。

「おいみろよ……こいつ女だぜ」

「マジだ……しかもチョーがつくほどアタリじゃねぇ?」

「うっほぉ、めっちゃ可愛いじゃん!!」

 殴られた勢いで電灯の下に飛び、帽子が外れたことでまとめ上げていた髪が落ちていた。暗がりならまだ誤魔化せただろうが、光源の下にでたことで男たちにその事実を認識させてしまった。

「ひっ……」

 本能的に危機感を覚えた。殴られる以上に、己の身が危ない。

 ――逃げなきゃ!!

 痛む頬と体にむちうち、両手をついて立ち上がる。

 三六〇度を三人の男たちでは埋められない。とはいえ、湖に面しているため逃げる方向はその半分の一八〇度に限られる。わずかに空いたスペースをついて突破しようとするが――

「おらぁっ!!」

 フラフラな状態では不良たちを出しぬけるほど素早く動けなかった。じわじわと距離を詰められ、完全に包囲されてしまった。

「おいおい、どこ行こうってんだよ……俺たちと楽しもうぜ、なあ?」

「へっへ」

「さっきは痛いことして悪かったよ。その代わりに気持ちいいことしてあげるからさあ……」

 今の姿では、力では敵わない。たとえ男の姿だったとしても、喧嘩慣れしたこの三人を相手にすることは不可能だ。

 絶望的だった。

 辺りは暗く、周囲には木が植えられているせいで視界は悪い。人通りもなく、完全に孤立している。

 迂闊だった。入口からだいぶ離れたところにあるベンチに座ったこと。そこでそのまま寝てしまったこと。行先も告げず、勝手に家を飛び出してしまったこと。

 身から出た錆。自業自得だ。

 男たちの手が伸びてくるに従って、徐々に心が締め付けられていった。恐怖が全身を支配し、声を出すことさえままならなくなる。

 こんなことなら、ユウナとちゃんと向き合えばよかった。思い返すと初めてユウナと会ったその時から、逃げてばかりだった。無意識のうちにユウナと目を合わせようとしていなかった。ユウナはずっと俺のことを考えて見てくれていたのに……。

 自分の身が可愛くて、自分のことしか考えられていなかった。

 向き合っているつもりで、全然向き合い切れていなかったんだ。

 そんなんじゃ、何も見つかるわけないよな……。

「――ごめん、ユウナ」

 ――シャリーン。

 どこかで、鈴の音が聞こえた。次の刹那、


「ユウキに触るなぁぁぁああああ――ッッ!!」


 夜の静寂を切り裂き、空気を穿つ少女の声。

 それは、男たちが俺に触れる寸前の出来事だった。

 凛として優しい響きを持った少女の声に、驚くほどの殺意が込められていた。こんな声を出せるのかと驚いたのは一瞬で、男たちの注意が逸れたのを見逃さなかった。目を瞑り、精神統一をコンマ一秒で済ませ、腰を曲げていた男の顎に下から思い切り頭突きをかまし、のけぞった男の脇を走り抜け包囲網を突破すると、俺はすぐさま叫んだ。

「逃げよう!!」

 ユウナと合流し、二人で全力で公園の中を突っ切る。男たちの罵声が聞こえたが、予想以上に頭突きが効いたのか、一気に距離を離すことができた。

 それでも速度を落とさず走り続け、家が見えたところでやっと俺たちは脚を止めた。

「ユウキ……大丈夫なの?」

 息を落ち着かせていると、ユウナが心配そうな声をかけてきた。

「……大丈夫だよ」

「ちがうよ。……手」

 指摘され自分の手を見る。俺はユウナの手を握っていた。

「――うわぁっ!!」

 気付いた途端にユウナの手を振り払い、脊髄反射で飛び退いた。

 そして自分がしでかした無礼極まりない行為に、自責の念に苛まれる。

「……ごめん」

 汚いものでも触るかのようにユウナの手を振り払ってしまった。誰しもそんなことされて悪い気を起こさないわけがない。

 だが、ユウナは優しくそれを許した。

「ううん、気にしないで」

 肩で息をしながら、僅かに顔を上気させて笑った。

 なんて強いのだろう。

 妹がどれだけ拒絶をしても、向き合おうとしなくても、他人のように振舞おうが何をしようが、ユウナはいつも優しくしてくれた。きっと、俺以上に弱音を吐きたいはずなのに。今もこうして笑っている。

 ――ユウキは、何も覚えていないんだよね?

 思えば、その言葉は初めてユウナが見せた弱い一面だったのだ。弱音を吐いたユウナを受け入れてやれるだけの器がない自分に、無性に腹が立った。

「……ねぇ、手を出してみて」

 さっきはなんてことはなく触れられたのだ。もしかしたら、ユウナに触れられるようになったのかもしれない。

 躊躇いがちに出してくれたユウナの手に、手を乗せる。

 それだけだ。

 それだけのことなのに……。

「………………ッ…………――だめだっ。……ごめん」

 できなかった。まだ恐れていた。やろうと思っていても、体が拒絶してしまう。磁石にでもなったようだった。

 思い通りに動かない身体に苛立ちを覚え始めていたころ、ユウナは静かに笑っていた。

「でも、一瞬だけでもユウキが手を取ってくれて、うれしかったよ。それに、今もこうやってわたしの手を取ろうとがんばってくれた。少なくとも、前のユウキだったらそんなことはしなかったよ。……これって、ユウキが少しずつ私に心を開いてくれているって、そう受け取っても……いいんだよね?」

 なんだか改まって言われると恥ずかしい。

「うん。たぶん……」

 明後日の方を向いてごまかす。

 でも、言わなければいけないことは、ちゃんと向き合って言わなきゃだよね。

「あ、ありがとう、ユウナ。それと、さっきはその……ごめん。何も思い出せない自分が嫌になって、それで」

「ユウキ」

 言葉の続きを遮るように、ユウナが言った。

「無理に思い出さなくていいんだよ。さっきは……私がユウキに強要するような言い方しちゃったから……。わたしね、一人で前に進もうとしてるユウキを見て、ユウキも私の前からいなくなっちゃうかもって思ったら……寂しくなっちゃって……」

 ユウナを半ば蔑ろ状態に行動していたのは確かで、だからユウナがそう感じてしまうのも無理はなかった。

「だから、お願いだから……お願いだから、ユウキは……私の傍にいて……たった一人の家族まで、失いたくないの……」

 優しげなユウナの表情は音もなく崩れていき、その瞳からは涙が溢れ出していた。

 そのアルバム、私たちだけしか写ってないんだよ。

 俺は、先ほどユウナが言っていた言葉の意味に、ようやく気が付いた。

 どうしてユウナがそこまで強く、俺と向き合おうとしてくれていたのかも。

「何も思い出さなくたっていいよ……苦しまないでくれたらそれでいいんだよ……ユウキが傍にいてくれたら……」

 整った綺麗な顔をぐしゃぐしゃにし、ボロボロと大粒の涙をこぼしている、一人の少女の想い。

 初めて見た時、ユウナが見せた寂しげな表情の裏には、そんな想いがあったのかもしれない。

 自分が忘れられていることよりも、それでもいいからただ傍にいてほしいというユウナの願いに、心が浄化されていくのを感じた。

 なんとしてでも、その願いは聞き届けなければならない。それが他ならぬ、ユウナの願いであるならば。

 ユウナが見ているのは、確かに優希だ。

 だが、今の優希は俺だ。俺が彼女の傍にいてあげなくて、誰がユウナの傍にいてやれる?

 こんなにも真っ直ぐに見てくれている人がいるのだ。俺もたった一人の家族と真っ直ぐ向き合わなければならない。

「安心して、ユウナ。わたしはどこにも行ったりしないよ」

「……ほんとうに?」

「ほんとうだよ」

 微笑みかけると、優雫は涙をぬぐい、心の底から嬉しそうに。

「……うんっ」

 雨上がりに咲く、太陽の光を受けた華のように、笑った。

 彼女の笑顔を守るためにも、俺はなおのこと優希と向き合わなければならないのだ。

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