第5話 ~家族のカタチ~
とはいったものの、未だにユウナとどう接すればいいのか分からない。
俺にとってユウナは、双子という立ち位置ではあるけれど、周りの同年代の子と何ら変わらない、一人の少女だ。
今日一日優希として過ごしてみて、優希がユウナを含めた周りの人に対して恐怖心を抱いていることを知った。なぜそこまで人を恐れるのか、どうしてそうなったのかは不明だが、心の隅っこで悲鳴をあげている優希を
そのためにも、ユウナを含めた家族との関係は大切にしなければならない。だが俺は優希と偽って振舞うことに、
もともと生前の記憶がないせいもあるが、俺は『家族』というものがどういうものなのか想像できなかった。記憶のライブラリからその単語だけ抜け落ちてしまっているように、なんとなくとか、多分こんなだろうといった、
家族って何だろう? どういう気持ちで向き合っていけばいいのだろう?
そんな中途半端な気持ちのまま、ユウナを傷つけてしまうかもしれない。
それにもし、自分の家族の身体が見ず知らずの男に乗っ取られたのだと知ったら、ユウナはいったいどんな顔をするだろう……。
あの太陽のような眩しい笑顔が、悲嘆の色に染まっていくさまを想像してしまい、俺はかぶりを振って思考を払いのけた。
ユウナは昔の優希を知っている。彼女と接するならこれまで以上に、慎重に行動しなければいけない。一週間、ばれずに乗り切るのだ。
決意を胸に、拳を握りしめた瞬間、エレベーターの扉が開いてマンションの住人に変な目で見られてしまった。
そそくさと逃げるようにマンションを出ると、タイル張りの石垣にユウナが腰を掛けて待っていた。
初めて見た時と同じく、ユウナは少し寂しげな表情で空を眺めていた。その小さな背中に、俺はなるべく明るく声をかける。
「えっと、にのみ……ゆ、ユウナ!」
ユウナがこちらに気付き、半ば飛びついてきそうな勢いで駆け寄ってくる。警戒して半歩以上退きたい衝動をぐっとこらえた。
「ユウキ……っ! うぅ……ユウキぃぃ」
ユウキの対人恐怖症を知っているからだろう、
ユウナは今朝と同じ制服姿だったが、今朝より少しだけくたびれているようだった。
「心配かけて、ごめんなさい」
せめて気持ちで応えられるよう、誠心誠意頭を下げる。
「……ユウキが帰ってきてくれただけで、わたしは満足だよ」
頭上に降りかかった言葉を聞いて顔をあげると、こちらが照れてしまうくらいの笑顔で真っ直ぐに言ってきた。俺は慌ててユウナから目を逸らした。
新田と言いユウナと言い、どうしてこうも優しいのか。
「でも、ほんと心配したんだから。病院の先生に説明するのも大変だったんだからね? もう次から勝手な行動はしないでよ?」
人差し指をたて、子供を叱るように注意をするユウナ。
「う、うん」
「なんだか反省してないみたいだなぁ……」
「は、反省してるよ!」
「だといいけど」
ユウナが先に歩き出し、俺はその後ろをついていった。
しばらく歩いているとユウナが隣に並んできた。とはいっても、その間には結構な隔たりがある。俺がつくったというよりは、ユウナが気遣って空けてくれたものだ。人と人との距離から関係性が推察できるというが、この距離は他人のそれよりもさらに遠いものだった。
だがそれでもユウナは楽しそうに、鼻唄まじりに歩いていた。
病院の時もそうだったが、なぜ彼女はいつも笑顔なのだろう。
「それ、なんていう歌?」
素朴な疑問に、ユウナは一瞬驚いた表情をみせた。
「ごめん。夜、鼻唄を歌うと鬼が出るんだったね」
「……それ口笛じゃないっけ」
なんとなくだが、会話の歯切れが悪い気がする。気にしすぎだろうか……。
それ以降ユウナが口を開くことはなかったので、手持無沙汰になった俺はユウナの鼻唄を思い出しながら、音に乗せてみることにした。
なんだ? 何の歌だろう……。知らないはずなのに、知っているような気がする……。
雑談と呼ばれるような会話もなく、そのまま電車に乗り、一駅で降りてまた歩く。無言の状態が気まずくて何か話題を振ろうかとも考えたが、変に自分から話題を振って墓穴を掘るのもまずいと思い、ただ黙って歩いた。
ユウナは今、何を考えて歩いているのだろう……。
新田総二郎から軽く事情を聴いているとはいえ、どこ行ってたのーとか、何してたのーとか、もっと根掘り葉掘り質問されてもおかしくないと思っていた。記憶喪失のうえに対人恐怖症の妹を気遣っているのか、時々振り返って俺が付いてきているのを確認するくらいのアクションしかしてこない。
もしかしたらユウナはユウナで、どう接したらいいか分からないのかもしれない。
そうだったらいいんだけど……。
「着いたよ。ここが私たちのおうちだよ」
ユウナに先導されて辿り着いたのは、くしくも俺が昼間迷って訪れた公園の近くにある一軒家だった。
二ノ宮家の外観は古びており、中は真っ暗。両親は共働きかな。
「ただいま」
「おじゃまします」
――ピコッ。
「こら、ただいまでしょ!」
ダブルで
「た、ただいま」
「おかえり」
先に靴を脱いで上がったユウナがにっこりとお出迎えをしてくれる。なんてことないやりとりだけど、家族っぽい。
「和室とかは引っ越しの準備のせいですこーし狭くなってるけど、まだユウキの部屋は手を付けてないから安心していいよ」
「うん」
二ノ宮家は独特な古めかしいにおいを漂わせ、真新しかった新田の鉄骨マンションとは違い壁のところどころが土壁で、床や柱に使われている木も随分と年季が入っていた。近所の新興住宅群と違い、この家だけ昭和のまま時間が止まっているような、そんな雰囲気がある。居間、和室、台所、脱衣所、浴室、トイレの順で一階を一通り案内されてから、二階へ上がった。
「さて、ユウキの部屋は……どこでしょー?」
「えっ? えぇ……っと」
いきなりのクイズに数ある扉の中から、二階の端っこの部屋を選択。
「ここ?」
「ぴぽぴぽぴーん!! せいかーい!! ひょっとして覚えてた?」
「い、いや……たまたまだよ」
ユウナから部屋に通してもらうと、中は整理整頓が施されたいかにもな少女部屋だった。少しだけ甘い香りがする。見渡すと、ユウキのベッドの上にはぬいぐるみが並べられていた。中には今朝病院で不思議なやりとりをしたゴマたんの姿もある。今にもコロコロと表情パーツを動かして飛んできそうな勢いだ。
なるほど、優希は大のぬいぐるみ好きらしい。
「病院に忘れられて寂しそうにしてたから持ってきたんだよ」
「ありがとう、ユウナ」
ゴマたんを見ると今朝の天使のことを思い出し、暖かい気持ちになる。再会の抱擁を存分に済ませてから、元に戻した。
「パジャマは、これ」
その間にもユウナは手を進め、タンスから寝巻を取り出していた。このパジャマ……俺が着るのか? ユウナから受け取ったパジャマはもこもことした柔らかい素材で、ジェラートピケというメーカーのいかにも女の子が着てそうな一品だった。ゆるふわなパジャマは優希に似合いそうだが……さすがにこれは……なんていうか……うーん……。
「じゃあ、わたしはお風呂入って来るね」
「あ、うん――ってうわあぁあぁああぁああ――!!」
パジャマからユウナに視線を移すと、すでに制服を脱いで下着姿になったユウナがいた。驚きのあまり背中からベッドにダイブしてしまい、ぬいぐるみたちに受け止めてもらった。
「ごめんユウキッ。わ、わたし何かした……?」
白い素肌をのぞかせたユウナには羞恥のかけらもなく、床に両手両膝をついて申し訳なさそうに覗き込んでくる。体勢が体勢なだけに胸の谷間が強調され、誘惑から視線が吸い込まれそうになったのをなんとか脱する。
そうか、同性のしかも家族だから慌てる必要はないのだ。家族にはこういうシチュエーションもあるあ……るものなのか?
「い、いや~してない! だいじょーぶ、なんにも問題ないから!」
悲鳴を上げるのは本来なら逆のはずなんだが……なぜ俺のほうが動転している。
「良かった。てっきり、わたしまたユウキにぶつかったのかと」
心底安心したような顔で和らぐユウナ。
また? そうか……病院で触れたことをユウナはかなり気にしていたらしい。
「ほ、ほら。そんなことより、その恰好だと風邪ひいちゃうよ? はやく入ってきなよ……っ!!」
ぬいぐるみに顔をうずめ、ユウナの艶姿を見ないようにしながら退室を促す。
「うん。そうだね……じゃあ」
軽く手を振り、部屋を出ていくユウナ。
まったく、無防備にもほどがある……仮にも我、男の子ぞ?
「着替え忘れちゃった」
「きゃぁぁああぁあぁああぁああああぁあああぁぁあああぁぁああぁあ!!」
何も見てません。神に誓います。私の身は潔白であり、罪深きことなど何一つありません!!
「何で悲鳴あげるの?」
「びびびっくりしただけでしゅ!」
噛んだ。
「……変なユウキ」
怪訝そうな顔をしつつも、くすっと笑って部屋を出ていくユウナ。
今のやり取りで寿命が縮まった。間違いない。
「はぁ~……」
一人になり、静かになる室内。
うむ。それにしても、ユウナの胸……少し大きかったな。双子でもやはり発育の違いはある……と。
――ピコッ。
「って、何も言ってないよっ!?」
二十四時間
悩みに悩んだ末、ようやく覚悟を決めパジャマに着替えてみると存外着心地がよく、生地が柔らかいせいもありまさに夢の世界へと
パジャマを着るに至ったのも、じっとしているとユウナの下着姿が浮かんできて悶々としてしまうからだった。そういう時は別のことで気を紛らわせるのが一番。
タンスの隣に立ち鏡があったので自分の姿を映してみると、やはり優希には似合っている。男の俺が着ているということを除けば、問題は何もない。……なんだか複雑な気持ちだ。
なんていうか、こう……たとえて言うなら、筋肉質な男が女装して鏡を見た時だけ、とても可愛らしい女の子が映っている――そんなギャップ感。まあ俺はそこまで筋肉バカではないが。着飾れば着飾るほど鏡の中の少女はどんどん可愛らしくなるというのが、またなんとも。
ショートパンツから伸びる魅惑の脚(自分のだが)にドキっとして、すぐにそっぽを向いて目に入ったのは、北側の壁一面にある大きなクローゼット。開いてみると店先でしか見たことがない可愛らしい洋服ばかりが収納されていた。東側には奥から勉強机、ドレッサー、タンス、姿見が並んでいる。タンスの中には下着が入っていたのですぐさま閉じた。はらたまきよたま。
待てよ? ユウナはさっきここから下着を取り出していた。つまり、この中にあるのは男たちの夢とロマンの
――はっ! 背後にいつも以上に大きい殺気を感じた……! 変な妄想はやめよう、うん。そっとじそっとじ。
勉強机の上には数学Ⅱの教科書とノートが置いてあった。数学は苦手なので見る気にもなれず、無視して引き出しを漁った。
上から順に開けてみるが、中にあるのはほとんど参考書やら教科書ばかりで、特にめぼしいものはない(なんだか泥棒みたいだな)。あとは……鍵のかかった引き出しだけ。
もしや、この中には優希の宝物が入っていたりして。それを見れば何かしらの情報が得られるかもしれない。
だが、部屋のいたるところを探してみても、鍵は見つからず、結局開かずの引き出しになってしまった。
「他を探してみよう」
二階にあるのは三部屋。今いた優希の部屋と、ユウナの部屋、あと一つは……空っぽだった。
階段を下りると、そのすぐ目の前に脱衣所がある。
「…………」
微かにユウナの声が聞こえる。
内容が気になり、脱衣所で耳をそばだててみた。
「――そういえば今日ね、ユウキが退院して家に戻ってきたよ。……うん。うん、でも、何も覚えてないみたい。……うん、わたしのことも、覚えてなかったよ」
嬉しそうだった声は一変して、悲しそうな声になった。
家族であるはずのユウキから忘れられ、他人のような扱いをされたユウナ。俺の前では笑っていたが、本当は無理をしていたのか……。
「当たり前だよね。わたしのせいなんだから……」
自分が触れたことで壊れてしまった優希を見て、優希を壊したのは自分だと思い込んでいるのかもしれない。あの場から離れたのも、そうさせてしまった自分への罪の意識があったから……?
俺は……優希は別に、ユウナを責めてなんかない。ただ、俺が入ってしまったことと、きっともっと別の要因があって拒絶してしまっただけなんだ……。
「ううん、わたしは大丈夫。……ユウキがいるから」
強がりか本心かは分からないが、寂しげに笑うユウナの顔が見えた気がした。
俺には理解しえない、見えない繋がりが、双子の間にある。
だがいっそう分からなくなってしまう。他人だけならまだしも、なぜユウナまで拒絶するのか。あんなにも優希のことを想ってくれている双子の姉を。
「家の片付けはだいぶ進んだよ。後は、ユウキの部屋くらいかな。あの部屋は、落ち着いたら二人で片付けたいって思ってて――」
俺はそっと、脱衣所を後にした。
盗み聞きする形になってしまったが、ユウナの気持ちを知ってしまった。
ユウナはユウナで、優希と同じ傷を負っている。
優希だけじゃなく、ユウナの傷もどうにかして和らげることができたなら。
そのためにすべきことは。
俺にできることは……なんだろう。
ベッドの上でゴマアザラシのゴマたんのぬいぐるみを抱きながら座っていると、お風呂から上がったユウナが部屋に戻ってきた。
ユウナは俺が着ているパジャマとは違い、レース柄のいたってシンプルなものだった。これはこれで、体のラインが現れていてエロ――じゃなくてかわいい。
「まだ起きてたんだ」
「うん。なんだか寝れなくて」
それもそうだ。俺は新田のところでたっぷり昼寝をしていた。それに、考え事をしていたら、眠るに眠れなかった。
「あれ、お布団敷いてくれたの?」
「あ、うん。ユウナ、今日はここで寝るんじゃないかと思って。か、家族だしっ」
布団はユウナの部屋の押し入れから拝借してきた。女の子の部屋に黙って入るのは少々気が引けたが、優希の部屋に入っている以上同じようなものだ。
一緒に寝ようと言うのも子供みたいで恥ずかしいし、かといって一人で寝ることになったらそれはそれで悲しいし。何より、家族だったらこうするのかな? と思い布団を敷いてみたのだが……。
「べ、別に嫌だったらここで寝なくてもいいんだよ……?」
口からつい弱気な言葉が出てしまう。余計なこと言わなくていいのにっ。
そんな心の葛藤はつゆ知らず、ユウナは手のひらを合わせてはなやいだ。
「すごいよユウキ! なんでわかったの?」
「え?」
「ゴマたーん、ユウキが一緒に寝ていいってさー。うふふ」
ユウナはるんるんと目を輝かせ、俺の後ろから別のゴマたんを
「ふぅー」
色めいた息を吐き、ユウナはこちらを見てきた。
「な、なに……?」
「ううん。べつにー。ふふっ。ふふふっ……」
壊れたように笑い出すユウナ。まるで酔っているみたいだ。
白い顔を赤く染め、まんまるとした目でみつめてくる。
俺はその熱い視線に耐えきれず、ベッドに横になった。
床で寝ているユウナの顔は見えなくなり、ほのかに空気中を漂うシャンプーの良い匂いが鼻腔をくすぐった。
やがて部屋に静かな時間が流れ始める。
「…………ねえ……ユウキ」
そして、ユウナが静かに口を開いた。
「どうしたの?」
「………………」
身体を起こし、ユウナの顔を見ると、ユウナはすでに寝息をたてていた。
「疲れてたんだね」
ユウナが何を言おうとしたのか。俺には知る術もない。
ユウナは毛布も掛けず、おまけにパジャマがはだけてへそが出ている。む、無防備にもほどがある……!!
本日何度目か分からない邪念を払いのけ、傍らに用意してあった毛布を広げる。
「これじゃあ風邪ひいちゃうよ……」
ユウナの身体にかぶせてあげると、ユウナがむにゃむにゃと幸せそうな笑顔をみせてきた。
起きているときは大人びた印象を受けたが、こうしてみるとまだまだ子供じゃないか。
なんて。この台詞、おじさんくさい。
ユウナの寝顔で心が満たされた俺は部屋の電気を消してベッドにもぐりこんだ。
長いようで、短かった一日が終わろうとしている。
そっと目を閉じた。
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