第4章
第14話 ~キオクのテガカリ~
――チリーン。
風鈴の音が心地よく耳に入っては、流れていく。まだ本格的に夏は始まっていないが、風物詩なだけあって季節の変わり目を感じさせられた。
目を閉じて聞いていると、地方に住んでいる祖母の家の縁側で聴いた風鈴の音を思い出す。
「おばあちゃん元気かなあ……」
「あ~ぁ、つまんない! なんでせっかくの日曜なのに神社なんか……」
独り言を隣にいる姉の大音量にかき消された。境内の石段の最上段に座り、慎重に積み重ねていた石の塔が崩壊したらしい。いまどきそんな遊びをしている人は見たことがない。ユウナも相当暇なのだろう。
私は待つことは苦にならないが、姉の優雫は違った。父と過ごしていた時間が多かったためか、こうして同級生の男子のようにすぐ駄々をこねるのだ。
「お母さんって、ホント占いとかおまじないの類好きだよね。お
今度は敷地内に設置されたブランコに駆け乗り、キイキイと音を鳴らして漕ぎ出した。
私も隣のブランコに座り、ブラブラと揺れてみる。都会に引っ越してきてからはこの手の遊具が滅多に見当たらないせいもあり、なんだか懐かしい。
「でも、そういうのって意外とバカにできないもんだよ。去年は大吉で、実際たくさんいいことあったし」
「……うそだ」
ユウナが華麗に飛び降りて着地した。一分も乗っていない。
「大吉だったけど、良いことなんて一つもなかった……」
「ものは考えようだと思うケド。ほらっ、去年の冬に行った伊豆旅行楽しかったし」
「…………」
「茜くんも七夕ちゃんもすっごく良い子だよ? ユウナも
「……うるさい」
「まったくユウナは……」
「あたしはユウキみたいにオヒトヨシじゃないもん!」
静かな
「…………」
――チリーン。
ユウナの慌ただしい足音が消えると、再び風鈴の音が風に乗って漂ってきた。
耳に心地よく入ってくる鈴の音は、好きだ。コロコロと心をくすぐるような、優しい音色。
最近彼女はいつもこの調子だ。優雫の気持ちは分からなくもないけど。
「おまたせ、ユウキ。……ユウナは?」
瞼を開けて声の方を向くと、母が奥から歩いてきた。ブランコから降りて駆け寄る。
「まーた先に帰っちゃった」
「そう、またなの……」
いつものことだというのに、母は残念そうに俯いた。
――シャリーン。
と、風鈴の音色とは、また少し違う鈴の音がした。
「なに、それ?」
その音は、母のてのひらから
「これね、綺麗だったから……ユウキとユウナに。ちょっとしたお守りみたいなものよ。ユウキ……あの子の分、渡してあげてくれる?」
そういって、母は二つの鈴を私の前に差し出した。
「お母さん自分で渡しなよ」
私がそういうと、どこか寂しそうに微笑んだ。
「私より、ユウキの方が……いいかなって」
そして、暖かい両の手で私の掌に二つの鈴を握らせてきた。
「どうしたら、ユウナわかってくれるのかな……」
私が弱音を吐くと、母は優しく頭を撫でてくれた。
「こればっかりは、仕方がないわ。あの子が解ってくれるのを、待つしか。だから、あたしがいなくなっても、ユウキがあの子のこと、支えてあげてね」
と、母は普段口にしないような言葉を囁く。
「お母さん、そんなこと言わないでよ……どうして急にそんなことを言うの……?」
私はどうしようもなく悲しくなって、いつの間にかぽろぽろと涙を流していた。ああダメだと心ではわかっているのに、体は私の言うことを思うように聞いてはくれなかった。
「……そうね。そうよね。ごめんね、ユウキ」
私は泣き虫だ。きっと母の方がよっぽど悲しいはずなのに。いつだって先に涙を流すのは私で、母はいつも泣かずに私の頭を撫でてくれた。
私はいつまでたっても、弱いままだ。私が強くならなければ、いつまで経っても母は涙を流せない。辛い時も、悲しいときも。
きっと、ユウナだってそうだ。
「お母さん、少し弱気になっちゃってたみたい。でも安心して。あたしはずっと、
身体の大きさなんて私とあまり変わらないはずなのに。いつになっても、母の身体は私なんかよりずっと大きくて。
私は、母の胸に抱かれるたびにわんわん泣いた。
暖かくて、優しい。
――シャリーン。
とっても心地よい、お母さん。
私の涙は、母の胸に吸い込まれていった。
♪
「本当にうちに来なくていいのか? 七夕もいるぞ」
電車で綾乃と別れ、家の前まで茜に送ってもらったその別れ際。俺が玄関の施錠を外していると、茜がそんなことを聞いてきた。
おそらく、今日も家に独りだ。昨日の夜に一人が嫌で泣いたことを思い出し、言葉に詰まる。
「……まだ荷物整理残ってるから。それに」
ユウナは優希が入院している間ずっとこの家に独りきりだった。俺が一人だからって、この家を空けることは出来ない。この家を空けてしまったら、ユウナの帰る場所がなくなってしまう気がした。ユウナが優希の帰りを待ってくれていたように、俺もユウナの帰りを待つんだ。
「行くときは、ユウナも一緒がいいから」
そういうと、常に無表情な茜が口元を緩ませた。
「お前らやっぱり双子だな」
「……?」
突然の茜の言葉に首を傾げていると、気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「なんて、今更俺が言うまでもないか」
茜はそれだけ言って、手をひらひらと振りながら去って行った。角を曲がって見えなくなるまで、俺はその背中を見送った。
それからすぐに茜から着信があり、ようやく警察がユウナの捜索に腰をあげたとの連絡が入ったと教えてくれた。警察が動いてくれている今、俺ができることは祈るだけ……なんて、ただでさえ時間がない中でぼーっと突っ立ってるわけにはいかない。俺は真っ先に自室へと駆け込んだ。
勉強机の一番上の引き出しの取っ手に指をかけ、相変わらず鍵がかかったままであるのを確認すると、もう一度他の引き出しの中を念入りに探しなおす。
「必ず、どこかに、あるはず……」
本当に探しているものは、案外自分の一番近いところにあるものだ。
これまで様々な記憶の
彼女が隠したものは、必ずこの部屋のどこかにあるに違いない。前はよく調べなかっただけで、どこか見落としていた可能性もある。
「どこだ……カギ……」
中身をひっくり返す勢いで探してみるが最初の引き出しにはない。隣の引き出しにも……ない。
「カギ……カギ……」
2段目、3段目と中を隅々までチェックしてみるが、やはり鍵らしきものは見当たらない。
引き出し以外、となると……。
「――失礼します!!」
一瞬の逡巡を振り払い、下着の入ったタンスの中を調べる。柔らかい布の奥深くも探してみるが、下着以外には何も入っていない。中身を元に戻し、ならばとクローゼットの中を確かめる。
ハンガーにかかった洋服を一着一着分けてみるが、間にもその下の収納スペースにも鍵はなかった。
「やっぱりないのかな……」
前にも一度調べたところばかりだが、他に鍵をしまっておけそうな場所はない。リビングに置いてあったダンボールの中は以前ひっくり返して調べたが、カギはおろか手がかりになるものはなかった。
もう、この家には何もないのか……?
もしかしたら、引っ越し先へ幾つか荷物を送ってしまい、その中に紛れてしまっているのかもしれない。
いや、鍵のかかった引き出しの中身も持っていかなければならない以上、鍵だけ別にして保管するとは思えない。机ごと運んでしまえばそれまでだが、そもそも中に大事なものが入っていないのであれば鍵をかけておく必要はない。
やはり、この部屋のどこかを見落としているのだ。だが、どこだ……?
「天使さん……」
こういうとき天使がいたらな、と思う。天使に声は届かない。それは前に何度も試して分かりきっていることだ。
ゴマアザラシのぬいぐるみを抱き上げ、念じる。願う。そうすればまた初めて会った日のように表情をコロコロと動かすのではないかと注視するが、やはりどうみても普通のぬいぐるみはぬいぐるみのまま、表情一つ変えずに俺とにらめっこしているだけ。お腹を押すと作動するはずの声も、いつの間に壊れたのかはたまた電池切れか、二度と聞こえてはこなかった。
まるであの日の出来事が夢であるかのように。
「――おい、天使!! いるなら出てこい!!」
まさかと思い声を荒げてみても、
「ユウキはこんなに言葉遣い汚くないぞ……!? 出てこないならもっと恥ずかしい言葉言っちゃうよ!! いいの!?」
反応は…………………………………………………………ない。
「いいのか、いいんだな……!!」
………………。
「すぅ~――」
……………………。
「おち○ち○ほしいよぉーーーーーー――っっ!!」
魂の叫び。どうせなら男に戻りたいのは本当のことだ。
しかしすぐにハッとして窓を開け、通りに誰も歩いていないことを確認する。
「はぁ。何やってんだろ……むぎぃぃぃぃぃ!!」
自分で言っておきながら顔が沸騰する。誰かに聞かれていたらどうしようと後悔の念が押し寄せてくる。完全なる自爆だった。
と、枕に顔を
「――ユウナッ!?」
即行で取りに行き、ディスプレイを確認する。
『着信 ユウナ』
「もしもしユウナ? 今どこ!?」
弾丸のごとき素早さで電話を取る。
「あ……あの、私……です。あの、赤城……同じクラスの……赤城由利」
だが、相手はユウナではなかった。
「赤城さん……? どうして赤城さんが……もしかして今ユウナと一緒にいるのっ!?」
「い、いないよ……いないんだよ……!! 信じて、本当なの……私、何も覚えてないの……」
電話越しに伝わる赤城の声は、どこか怯えている様子だった。俺が冷静さを欠いて問い詰めても、赤城からまともに話を聞き出すことはできない。
「……うん、分かった。分かったから、落ち着いて、ね?」
はやる衝動を抑え、安心してもらえるようなるべくやさしく言葉を返す。彼女がユウナの携帯を使って俺に電話をかけてきた意図はまったくもって分からないが、これだけは言える。
赤城は間違いなく何かを知っている。
「赤城さんのことを信じるよ。だから……赤城さんが知ってることを話してほしい」
時計が20時を回った頃。俺は赤城が指定した最寄り駅前の喫茶店を訪れた。こっちから誘いをかけたというのに、赤城は俺の最寄り駅近辺で落ち合おうと提案してきた。俺は汗臭く薄汚れた制服のまま出かけるのもそれはそれで
体を洗いながら思い出すのは、新田の顔。彼の弁解の言葉は信じたいが、触れられた場所にまだ手の感触が残っている気がして、愛用のフラワーボールスポンジで念入りに洗っておいた。優希の新しいトラウマになっていないといいのだが。
髪を乾かし、私服に着替えて家を出ると、喫茶店に到着したのは赤城が指定した時間ぴったりだった。それでも赤城のほうが数分先に着いていたらしく、店員に待ち合わせの旨を伝えて赤城の待つ奥の窓際の席に通してもらった。
「ごめんね、待たせちゃって」
「ううん。気にしないで……。わざわざ来てくれてありがとう」
「そ、それはこっちのセリフだよ……!!」
「あたしは……いいのよ」
あの強気な態度だった赤城はどこへやら。目の前にいる赤城はいつも以上にしおらしく、敵意は一切剥き出してこない。制服姿しかお目に掛かれないせいもあり、女子の私服姿を見るのは普段とのギャップがあってドキっとする。もっとど派手な服装をするのかと想像していたが、学校で見せたきつい印象とは打って変わって清楚な服装だった。ただ心なしかいつもより化粧が濃い気がした。
かくいう俺も制服以外に女子の服を来て外出するのは初めてだった。その辺の雑誌に載っていたコーデを参考にしてきたが、ギンガムチェックのスカートがひらひらしているのが今更になって気になりだした。制服のスカートよりも丈が短い気がする。
「……ふく、変じゃないかな?」
思い切って女子の意見を伺ってみると、
「かわいいと思う」
「…………」
直球で返された。俺は俯くしかなかった。
そのまま乾いた喉に店員が運んできたミルクティーを流し込む。
ちらりと対面の様子を窺う。どこか上の空だった赤城は意を決したように一呼吸置くと、鞄の中から
「これは……!!」
何度か使ってるのを脇目に見ていただけだが、それは見紛うことなくユウナが使用していたものだった。ケースも、ボタンを押したときに表示される待ち受けも一致している。
「どうして、これを赤城さんが……?」
目を伏せたままの赤城に尋ねると、赤城は頭を振った。
「分からない」
「……分からない?」
「今朝起きたら、それが私の鞄の中に入ってたの」
「もしかして昨日の夜、ユウナと一緒にいた?」
「…………分からない」
「昨日ユウナと一緒に帰った、とか?」
「…………分からないの」
ううむ困った。何を聞いても「分からない」の一本調子だ。次の質問を悩みあぐねていると、赤城が突然ぼろぼろと泣き出した。
「私には……夢なのか現実なのか分からくて……でも、確かに夢の中の出来事と現実に起こったことは繋がっていて……もう何がなんだかワケが分からなくて……」
夢と現実の区別がつかなくなる? 夢と現実が繋がっている? 正直言ってることはさっぱり分からないが、話を聞き出せればユウナの手がかりが得られるかもしれない。
「夢でも現実でもどっちでも構わないから。赤城さんが知ってることを、教えてほしい」
「………………うん」
零していた涙をふき取り、赤城は途切れ途切れに言葉を紡いだ。
赤城の話は、案の定ユウナにまつわる話。だが彼女にとっては――優希だったのかもしれない。
俺が学校に登校した日、前日までユウナが入れ替わっていたことは知らないながらも、赤城は違和感を覚えていたという。さすがにあれだけ目立つ自己紹介をすれば当然だと思ったが、どうやらそのことだけではないらしい。
優希に突き飛ばされ、怪我をしてからというもの。来る日も来る日も優希のことを観察していた赤城は、次第に優希が別人になってしまったのではないかと疑うようになった。そして、以前に比べてクラスメイトと自然に打ち解けあい、挙げ句普通に会話をし、周りとの接触を恐れぬようになったユウキに対しその違和感は日に日に増していったという。
そこで思い切って触れてみることで、本当に優希が変わってしまったのかを確かめようとした。拒絶を覚悟してとった行動だったが、予想に反してユウキは自分を拒絶することはなく、むしろ嫌がることをしたはずの自分を
「正直に言うと、茅ヶ崎さんが口外していた『ユウキちゃんは変わった』っていう言葉は半信半疑だった。でもユウキちゃんに触れてみてその言葉は本当だって気付かされたの。……でも私の知っているユウキちゃんは、そんなにすぐに変われるような子じゃないって分かってたから、やっぱりおかしいって思って……そんなとき、私の知ってるユウキちゃんを見つけたの」
赤城由利が思い描いていた“ユウキ”という存在が、他ならぬ“ユウナ”だった。彼女の中では、ユウキはユウキではなく、ずっとユウナだったのだ。
「ユウキちゃんを見つけた時、声をかけずにはいられなくなって、呼び止めたわ」
「そしたら?」
「そしたら……そこから記憶が曖昧で……ユウキちゃんと一緒に遊ぶ夢を見ていたら、今朝は自宅ではなくてホテルのベッドで目が覚めたの。あたし……その、ホテルになんて入ったことないし、入ろうと思ったこともないわ……! どうしてあそこにいたのかも覚えてない……。事前に私の名前で部屋を予約していたみたいだけど、予約した覚えもなくて……」
そして親に電話をしようと鞄の中を見たら、自分の携帯と一緒にこの携帯が入っていたのだという。
「勝手に見ちゃいけないとは分かってたんだけど……誰のか確認するために画面を付けたら……画像フォルダが表示されてて……そこに……――っ」
赤城は言葉を詰まらせ、口籠ってしまった。そこで俺も携帯の画像フォルダを見てみる。と、
「…………!!」
そこにはあられもない姿を写真に収められているユウナの姿があった。それも写真は一枚や二枚じゃない。画面を何回もスクロールしてやっと普通の写真が見えるほど、肌色の写真で埋め尽くされていた。
「それを私がやったんじゃないかって怖くなって……家族にもこんなこと言えないし、ましてやユウキちゃんの顔を見るなんてできなくて……」
そして、赤城は学校を休んだ。
「ごめんなさいユウキちゃん……!! 私、ひどいことをしてしまって……こんな……最低な、ことを……っ」
何度も塞き止めていた涙腺がいよいよ決壊し、周りの目も気にすることなく慟哭する赤城。
俺は目の前で懺悔をする赤城になんと声をかければいいのか分からなかった。
撮影者が分からない以上、赤城が犯人かどうか判別つけ難いものだが、状況証拠がある以上赤城の言葉をそのまま受け取り、彼女を犯人として断罪することは容易だ。この胸の中を駆け巡る感情をぶちまけ、彼女に責任を押し付け糾弾することだってできる。
だが、なんだろう。俺の頭にはずっと引っかかっていることがある。
「赤城さん……一つだけ、聞かせてほしい」
泣き喚いていた赤城が、涙をぐっとこらえて俺に向き直った。
「ん……ぐすっ……なに?」
またすぐに泣き出しそうな顔の赤城は、俺の次の言葉を静かに待っていた。
「……赤城さんはわたしのこと、きらい?」
「へっ……?」
「その……私が赤城さんにひどいことをしたからっていうのもあると思うんだけど……。なんだか、綾乃や赤城さんの話を聞く限りでは、わたしのことが嫌いで嫌がらせしてたわけじゃない気がして……」
鼻を何度もすすりながら俺の言葉を聞いていた赤城は、真っ赤にした目元を下に向けた。
「それは……――」
言いよどんでいた言葉は、俺の耳に届く前にすとんと落ちていった。
「いま、なんて?」
もう一度尋ねると、赤城は目をつむりながら、
「ユウキちゃんのことは、好きだよっ。だから、私ほんとは、その……ユウキちゃんと友達になりたかっただけなの!」
熱のこもった言葉だった。半ばやけくそにも見えるが、彼女は本気だった。
「……友達になりたくて、嫌がらせしてたの?」
「いや、その……そういうワケじゃなくて……。あたし……友達になりたくて声をかけたのに、拒絶されたのがショックで……それで……。……あたしって、性格悪いよね。ユウキちゃんに散々辛いことがあったのも知ってたけど、自分のこと正当化して……悪いのは全部あたしなのにね……ほんと、最低だよ……」
自分の思いとは裏腹に感情が暴走してしまった結果が、ユウキに対する嫌がらせだった、ということだろうか。
赤城のその感情を理解してやることは俺には難しい話だった。嫌がらせ、というからには純粋に優希のことが嫌いで行っていたものだと思い込んでいたせいで、俺自身も赤城を避けていた節はある。
今ではほとんどのクラスメイトと話をするようになったが、赤城と面と向かって話をしたのは今日が初めてだった。
嫌いだからではなくて、本当は好きだから仲良くできない。まったく別の想いであり、単純な想いのはずなのに。きっとそんな感情も、一人の時には抱きようのないもの。複雑だけど、人間らしい感情。
「素直じゃないなぁ……」
溜息がでるほどに醜い不器用さを持った人を一人、俺は知っている。だがその不器用さは、放ってはおけない愛おしさがある。
「じゃあ、赤城さん」
俺はすっかり意気消沈している赤城に向かって、言った。
「わたしたち、友達になろう」
「……え?」
赤城は俺の言葉を聞いて顔を上げると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「なんで……? なんでこの話の流れでそんな言葉が出てくるの……?」
「なんでって言われても……」
もともと友達になりたかったと言っていたし、優希のことを好いてくれているのは素直にうれしいから。なんて言ったらただのナルシストだと思われてしまう。
赤城はテーブルに拳をたたきつけて憤慨した。
「もっと他にあるでしょ!? さっきの話だってそうよ。あたしはユウナちゃんを辱めたのよ!? ユウキちゃんにだってひどいことした……。こんなの、許されるはずがないんだよ……!? 優希ちゃんをいじめてたのだって、ほんとは…………。あたしは…………許されていい人間なんかじゃ……」
そして、またぼろぼろと泣き出した。赤城は、もう幾度となく自責の念に苛まれてきた。彼女を咎めることは、俺にはできない。
――人間は皆、本当は弱い生き物だから。
天使がいつかいっていた言葉を思い出す。
弱さを見せた途端に、人はこんなにも脆くて弱い存在になってしまう。
「……ごめんね。今の状態では、わたしは赤城さんの苦しみを分かってあげられないんだ。今わたしに必要なのは、赤城さんに対して怒りをぶつけることでも、責め立てることでもない。そんなことをしても、後に残るのはモヤモヤした感情だけ。ほんとのことを言うと、もう……そういうのはいらないんだよ」
今まで散々負の感情に苛まれてきて、それで実際にユウキが苦しんでいたことを考えると、何も生まない腐った感情はユウキに抱いてほしくはない。
だからこそ。俺たちに必要なものは、仲直りのシルシ。
「それに、赤城さんが言ったんだよ。友達になりたいって。それともそれは昔の話で、今は違うの?」
赤城はふるふると首を振った。
「……違くないけど」
「だったらいいじゃん。友達になれば、抱えてることとか、悩み事とか、そういうのいっぱいいーっぱい話せるでしょ? そしたら、赤城さんの苦しみも和らげることができると思うんだ」
「そんな……バカな話が……」
「それに赤城さんは、覚えてないんだよね? この写真を撮った時のことも、ユウナからわたしに送られてきたメールのことも」
「…………」
身に覚えのないことをしてしまったという告白をした人は、何も赤城に始まったわけではない。後の祭りになって初めてその事実を知り、本人まで気が動転してしまっている状態の人は他にも知っている。
赤城も新田も、流した涙は決して演技なんかじゃない。それは、目を見ればわかる。
事件が立て続けに起こっている今、本人たちの意思とは関係なしに別のファクターが介在していたとしても不思議ではない。自然には起こりえない超自然現象を一度目の当たりにしている俺から言わせれば、例え魔法によって二人が操られていたのだと言われても納得するだろう。
だが、現実は現実だ。そうそう奇跡が何度も起きるはずはない。
だとすれば、人の手以外では起こりえないはずの意識と行動の矛盾の正体は、いったい何なのか……。
俺はフォルダ内のユウナの写真を削除していった。それを見た赤城が罰の悪そうな顔をする。
「いいの……?」
「いいんだよ」
俺はにっこりと笑って見せた。
「ほんと……ユウキちゃんって――」
「何か言った?」
「ううん。なんでもないの。……ちょっと、お手洗いにいってくる」
「うん」
涙をぬぐい、鞄をもって赤城が席を立った。
写真に写っているユウナは眠っていた。となると、撮られたという事実も知り得ないだろう。むろん事実を知っている俺たちが話さなければ、だ。どのみちこんな写真を撮られたと本人が知ることは、あってはならないことだ。
だがこんないかがわしい出所のものでもいちいち目のやり場に困るほど興奮してしまうのが男の悲しい性。
と、画像をすべて消した後に表示された写真が目に留まった。
優希と優雫。二人で顔をくっつけて自撮りをしたものだった。つい最近撮影したもののようだ。きっと、俺が優希になる少し前に撮影したものだろう。
「ほんと、そっくりだな……」
写真の中で笑う双子を見て、俺は自然と笑みをこぼしていた。
「いいの? 奢ってもらっちゃって」
「こんなの奢ったうちに入らないよ。……あたしには、一生かかっても返せないような借りがあるから」
外へ出て財布を鞄にしまう赤城は、暗い表情をしていた。だがある種の翳は消え去り、会った時より顔色が良くなっていた。
「そんな一生だなんて……大げさだよ」
そこで赤城が目をギラギラさせていきなり詰め寄ってきた。
「一生だよ!! 一生!! これは、あたしのケジメよ。あんなことした後じゃ説得力ないけれど」
一生、か。
「人の一生なんて、そんなに高いものじゃないよ。“ありがとう”って言って笑ってくれれば、それだけで十分だから……」
「ユウキちゃん……?」
「あ、あはは。なんかクサかったねっ」
笑ってごまかそうとすると、赤城はくすりと笑った。
「でもその言葉。分かる気がするわ」
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