第10話 ~ポジティブ・チェンジ~

「それじゃあ、いい?」

 Aクラスの教室の前に着き、先導する綾乃の後ろで俺は深呼吸をしてから答えた。

「いいよ」

 瞬間、目の前のドアが綾乃によって開かれ、俺は意を決して教室内に飛び込んだ。


「みんなぁぁぁあああ!! おっはよぉぉぉぉぉぉおおおおお!!」


 中に入り、教壇の上に軽快なステップで乗り上げる。一気にクラス中の視線が自身に収束する。先ほどの重苦しい目とは違う目だ。

「あ、そっかぁ! 今はお昼だから、おはよーじゃおかしいよね。ユウキ間違えちゃったー、てへっ♪」

 コツンと自分の頭を叩き、軽く舌を出しておどけて見せる。

「でもでも、ユウキはずっとみんなと会ってなかったし、おはよーでも別に問題ないよねっ! というわけで――皆にユウキリンリン♪ 優希りんだよぉ♪ よろしく、ネ!」

 最後に何度も練習を重ねたポーズを決め、フィニッシュ!


 ……………………。


 ――そして、時が止まる。

 時は二時限目が始まる前の休み時間。次の授業の準備をする者や、他愛のない四方山よもやま話のために集まり談笑していた生徒たちの表情が消え去り、誰もが唖然とした表情でこちらを向いたまま見事に制止していた。誰かの筆箱が落ちた音がやかましく響くほどに、静寂が場を支配する。

 ドアの方を見やると、家政婦ばりにこちらを覗いている綾乃が親指を突き立てて「グッジョブ」とサインを飛ばしてきた。

 だがしかし、一向に時が動き出す気配はない。

「えっと……あの、ですね……」

 何か言わないと何か言わないと。何か言わないと感、略してナニワ感。あぁっ! くだらないことばかりが頭に浮かぶ!

 そもそも、練習した言葉しか頭に入っておらず、この後のことはノーアイデア。ノープランだ。

 そもそもなぜこうなったのか――


 ♪


 何から話そうかと考え込んで綾乃はしばらく遠くを見つめたまま黙っていたが、やがておもむろに語り始めた。

 ――初めて見た時のユウキはなんていうか、『闇を背負う少女』って感じだった。誰とも関わり合おうとせず、いつも一人で窓の外を眺めていた。でも入学したてだったこともあって、それでも友達になろうって声をかけにいく子がいたんだ。そこで優希はその手を払いのけて、こう叫んだの。

「私に触らないで!」って。

 いきなり拒絶されたことに納得が行かなかったその子は、「どうして?」ってさらに詰め寄った。それがあまりにもしつこいから、ユウキがその子を押し倒したの。それでその子は反動で机の角に頭をぶつけて怪我をしちゃったんだ。

 その時の空気の冷たさは、私でも居心地の悪いものだった。

 ユウキはすぐに飛び出して、そのまま戻ってこなかった。

 そしてしばらく学校を休んだ。

「それじゃあ、別にいじめられてるから避けられてるとか、そういうのじゃないんだね」

「うん。ただ、あんなことがあったから、皆どうしていいか分からないんだと思う。あの時はみんなユウキの事情――対人恐怖症のことを知らなかったし、その後もしばらくは理解してくれる人は少なかった。それでも先生とユウナのおかげで大分和らいだ方なんだけどさ」

「先生とユウナが……?」

「実はその優希が起こした騒動のあと――あ、これ言っちゃいけないって言われてたんだ」

「茅ヶ崎さん」

「……分かった。ちゃんと話すよ」

「ありがとう」

 その騒動から一週間が経って、やっとユウキは登校してきたんだけど、その子のユウキに対する風当たりは最悪だった。クラスメイトの前で辱めを受けたという大義名分で、逆上したその子を筆頭にして、陰で悪質な嫌がらせが起こるようになっていたんだ。

 ユウキが抵抗しないのをいいことに、トイレや体育館裏とか、人目に付かないところでこそこそと、ね。

 それでも、ユウキは誰にも言わないで黙っていた。授業も誰よりも真面目に受けて、誰かに声をかけられたときは、誰よりも凛とした聞きやすい声で明るく振舞っていた。

 一見変わったように見えたユウキだけど、相変わらずユウキは人を避けていたの。

 その態度が余計に気に食わなかったのか、次第に嫌がらせは教室でも起こるようになった。

 ユウキが嫌がらせを受けてることを知ったのは、その時。さすがに性質たちの悪い嫌がらせを堂々とやり始めたら見過ごせなくて、「やめなよ」って言ったんだ。

 それがきっかけで、私はユウキと話すようになったの。

 それから私が目を光らせていたおかげか、その子が悪さをしてくることはなくなったよ。でも念のためって思ってずっとユウキと一緒にいるうちに仲良くなって、嫌がらせのこととか、少しだけ家庭の事情のこととか聞いたの。

 もっと早くに気付けたら、もっとユウキの力になれたんだけど……。

「……なんだかその話を聞いていると、わたしは大分前から……その、普通に今みたく話せていたみたいだね」

 綾乃の話を聞く限りでは、ユウキの症状はかなり好転していたように感じられる。とても自殺を考えるような態度には思えないのだが……。

「私もユウキが学校を休んでからまた登校してくるまでの間に何かがあって、普通に接することができるようになったんだって思ってた」

「うん」

「だけどほんとは違ったんだ」

「どういうこと?」

 逡巡の間。ほどなくして、綾乃が口を開く。

「――ユウナだよ」

「あっ……」

「本当にそっくりだからさ、本人の口から聞かなかったら分からなかったよ。私もその事実を知らされたのは今朝のことだから」

「そうなんだ……」

「そうそう。ほんと急すぎるよ。突然だけど、今日からユウキが学校に行くから面倒見てほしい、って。今まで接してたのは実は双子のもう一人の方でした、なんてさ。本当に訳が分からなくていろいろ聞きたいことがあったんだけど一方的に電話切られちゃってさ。情けないよね……私、ずっと一緒にいたくせに、気付けなかった。最低だ……」

 ユウナも、自分がユウキではないことは綾乃に伏せておいたらしく、綾乃は心の底から困惑しているようだった。

「ごめんなさい……」

「なんでユウキが謝るのよ」

「結果的に、わたしのせいであることに違いはないから……」

「……ユウキが今すべきことは、謝ることなんかじゃないよ。そうまでして、ユウキの居場所を作ってくれたユウナの想いに応えること」

 ユウナの想い……。

 すべてはユウキに対する風当たりを和らげるため。ユウキが今後学校に来るとなった時に、過ごしやすい環境を作るために、ユウナがユウキと偽り学校に通っていた。触れ合うことができないユウキのために、人と近付きすぎず、遠ざけすぎない距離のまま、クラスで過ごせるように。

 不器用だが献身的すぎるその行為は、結果的にユウキを支える存在を創り上げた。例えば、今目の前にいる彼女がそうだ。

 Aクラスは、対人恐怖症であるユウキとの接し方に戸惑っているだけだと綾乃は言った。ならばこちらから手を差し伸べれば、あるいは十分な環境を作ることができるかもしれない。

 それはもちろん、ユウナのたすきがあったからこその成果だ。

「茅ヶ崎さん。わたし、ユウナの想いに応えたい! ……どうしたらいいかな」

「その意気はいいけど、その前に一つ聞きたいことがある」

「うん。なんでも聞いて!」

「……さっき飛び降りようとしてたのは嘘だって言ったけど、本当に?」

「ホントだよ。少し意識が曖昧だっただけで、飛び降りたかったわけじゃない。優希だって生きたいと思ってるし、ユウナがそうまでしてくれたこの身を投げようだなんて思わないよ……」

 優希自身は、ユウナの想いをどこまで知っているのかは分からない。だが、きっとその想いを知ったら、変わりたいと思うはずだ。

 優希が創り上げた闇は、もはや優希だけのものではないのだから。

「……分かった。どうでもいいけど、自分のこと名前で呼ぶんだね」

 まずい、弁解しなくては!

「えっ? あっ、いや、違うよっ! わたしはたわしだよっ!」

「そっか"たわし"か……」

「噛んだだけだよ!!」

「分かってるって、たわしちゃん」

「たわしはいやだああああああああああああ」

「あっはははっ。いやー面白い」

「ひどいよ……」

「ごめんねユウキ。その代り、みんなと早くなじめるいい方法思いついたよ」

「ほんとっ!?」

「うん。それはね――」


 ♪


 ……気まずい。ヒジョーに気まずい。

「私の言うとおりにすれば絶対上手くいくから。騙されたと思って、ね?」

 なんて言われたもんだから我を忘れて綾乃の言われるがままにセリフを覚えさせられ一挙手一投足まで身体に叩きこまれたわけだが、今や大衆の前で辱めを受けているぞ!?

 もともとクラスに馴染んでいなかった日陰者がいきなり教壇の上に立って「ユウキリンリン♪」などと自己主張を始めたら誰だって頭のネジが飛んだ人だと思うに決まって――

「……カワイイ!!」

「――え?」

「カワイイ、イズ、ジャスティィィィィィィィスッッ!! オー、キューティイズソーカワウィイイイィィィエアアアアア!!」

「うおぉぉぉぉおぉおお、今人気のアイドル石動いするぎ有紀ゆうきちゃんの自己紹介の完コピだぁぁぁあああ!!」

「本物だ……いや、本物じゃないが本物に劣らず、いや本物ばりにカワイイ!!」

「ことローカルに存在しているという意味では本物以上です!!」

「僕はもともと目を付けてたんだよ。やはり僕の目に狂いはなかった……みんなもっと僕を」

「ユウキちゃん!! 写真一枚、いいかな? もちろんさっきの決めポーズで!!」

「俺も俺も!」

 教室に点在していたはずの男子が瞬く間に教壇の下に集まり、瞬く間にアイドルのコンサートに来たファンの図が出来上がった。

「ちょっ……えへへ……っと……」

「「「さぁ!! さぁ!! さぁ!!」」」

「はーいはいはい、男子諸君そこまで」

 男子の熱気が最高潮に達したところで、まるですべてを見越していたかの如き冷静な対応で綾乃が制止に入ってきた。

「今のあなたたち、まるで獣ね。そんながっつかれたら二ノ宮さんがおびえちゃうじゃない」

 俺と接していた時の温和な態度とは違い、冷めた目で男子を見下ろす綾乃。綾乃からお預けを食らった男子がブーイングをあげる。

「なんだよ茅ヶ崎ィ。別にいいじゃんか!!」

「もっと我々に自由を!!」

「「「しかり!! しかり!!」」」

「もっと我々に愛でる権利を!!」

「「「しかり!! しかり!!」」」

 兵隊の号令を彷彿とさせる一糸乱れぬ掛け声を男子諸君があげた。

「あれれー? でも、二ノ宮さんと接するときは気を付けるようにって、先生も言ってたよねー?」

 男子の野次馬の奥からひょっこり顔を出した女子が声を上げた。その言葉を受け、うなずく綾乃。

「川越さんの言う通り。自分の欲を満たすために男子に近付かれたら、繊細な二ノ宮さんは壊れてしまう」

「そうよそうよ!!」「しかりー!!」

 綾乃をはじめとした女子の喚起により、男子諸君の熱が落ち着きを取り戻していく。女子の団結力すごい。そして男子の立場の弱きこと。

「そっか……そうだよな。ごめん、二ノ宮さん」

「あ、ううん。ちょっと驚いたちゃったけど、だいじょうぶだよ」

 恥ずかしさから男子と目を合わせられそうになかったので、笑って誤魔化した。

「オォ、マイジャスティス……センキューイェア」

「俺もうお腹いっぱいだ……」

 男子が変な声を上げながら自分の席に返っていった。もう何がなんだか訳がわからないよ。

「ちょっと待ってよ。おかしいんじゃないの!?」

 男子の熱気から解放されたかと思いきや、一番後ろの席に座っていた一人の女子が大声を上げた。

「あら、何かしら、赤城あかぎさん?」

 綾乃が赤城と呼んだ女子は心の底から不服そうな顔をして怒鳴り散らした。

「何かしら? じゃないわよ。この状況でおかしいと思うのはあたしだけ? 先週まで誰とも関わろうとしなかった二ノ宮さんが、どうして今日になってそんなぶりっ子キャラになってるのよ!! それで納得しちゃう男子はそろいもそろってなんなの? キモオタハレンチバカなの?」

 いやぁ、まあそうなりますよね……。にしても男子の扱いがひどいな。

「「ありがとうございます!!」」

 突然隊列を組み、礼をしだす男子諸君。えぇ……。

「ぶりっ子キャラになったわけじゃないわ。二ノ宮さんはもともとこんなキャラよ」

「さすがに今のは素じゃないよ!?」

 誤解を招くようなことは言わないでほしい。

「っていうのは嘘で、私がお願いしたの」

 なんだかただ遊ばれているだけな気がしてきたぞ……。

 激情する赤城に対して綾乃は極めて冷静に言葉を返す。

「はぁ? なにそれ、意味ワカンナイ」

「あなたが怒るのも無理はないわね。でも、だからと言ってここで声を大にして騒ぎ立てる事でもないと思うのだけど。自分のためにも、ね?」

 不敵な笑みをこぼす綾乃。

「ぐっ……」

 赤城は蛇に睨まれた蛙のように押し黙ると、俺を一瞥してきた。

「じゃ、じゃあ……今朝の騒ぎはどう説明するのよ。変な空気にしておいて、一時限目授業サボって出てきたと思ったら、今度は別の意味で空気ぶち壊してるじゃない」

「二ノ宮さんは変わろうとしているのよ。私は純真無垢な二ノ宮さんを騙して、殻をぶち破らせただけよ」

「え、騙されたの……!?」

「荒療治だったけど、今までの負のイメージを払拭するには効果覿面てきめんだったみたいね。キモオタハレンチバカでウザったい男子諸君には感謝したくないけど一応感謝しておこう」

「いや茅ヶ崎さんまで男子に罵声を浴びせなくても……」

「むしろもっとお願いします綾乃様!!」

 横から変な信者が沸いて出てきた。

 ……なんだこのクラス。

 何はともあれ、俺のあずかり知らぬところで策略が練られていたらしい。茅ヶ崎綾乃、恐るべしと言ったところか。

「まあそれもこれも、ユウキが罪なまでに可愛いから成せるわざなのだけどね」

 今まで淡々と話を進めていた綾乃がこちらを振り返り微笑んだ。俺はその不意打ちにドキッとして、また顔が赤くなってしまった。

「だから、赤城さん。あなたもいつまでも立ち止まっていないで、いい加減前に進みなさい」

 あくまで淡々と、だが優しくさとすように綾乃は言った。

「そんな……そんなの、知らないわよ!!」

 だがその綾乃の言葉を振り払うかのように吐き捨てると、赤城は教室を飛び出していった。その後を、赤城と今朝も一緒にいた女子が二人、追いかけて出ていく。

「い、いいのかな……?」

 どうやら赤城がユウキに嫌悪感を抱いている張本人のようだが、俺は彼女が進んで嫌がらせをするようなには見えなかった。

「ユウキが慌てることじゃないよ。今は好きにさせておくのが一番」

「う、うん……」

 確かに綾乃の言うとおり、状況を知らない俺が動いたところで何かができるわけではない。

「ところでさー、さっきの自己紹介は抜きにしても、二ノ宮さんなかなか雰囲気変わったよね!?」

 先ほど綾乃とともに先だって声を上げてくれた川越さんがこちらに歩み寄ってきた。

「うぇっ、えっと……そうかな?」

 てっきり綾乃に話を振っているものだと思ったが、彼女の好奇の目は恐ろしいまでにこちらを凝視していた。

「うん!! 変わった変わった!! ってことは、普通に接してもいいってこと?」

 手を怪しげに動かしながら笑顔で首を傾げる川越さん。普通の接し方の基準がおかしい気がするんだけど気のせいでしょうか。

「ふ、普通……?」

「普通だよ、何もおかしいことはないよ……ゲヘヘ、グェヘヘヘヘ!! いっただきま」

「ダメ」

 綾乃が川越さんの腕を掴む。

「ユウキはまだ完全に治ったわけじゃない。だからもうしばらくは今のままで、だけどある程度距離を保つのなら、話はできる」

「茅ヶ崎さん……」

 取扱説明書なんて読まなくても十分な説明をしてくれて、俺が口を挟むまでもなかった。

 ああ、綾乃さま。君はなんて頼りがいのある人なんだ。

「それと、ユウキを愛でるのは私の後でね」

「茅ヶ崎さん!?」

 ああ……君はなんて。

「よーし、授業始めるぞー席つけー」

 数学教師兼担任の安西教諭が入ってくるのと同時に、本鈴ほんれいが鳴った。

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