苺は野菜かフルーツか。

森内りん

Banana


「…で、俺らどうする?」


そんな事よりバター色の夕焼けに目を奪われていた。

あおいさ、聞いてる?」


私の彼はそう言って苛つき、

噛んでいたガムで下品な音をたてた。


「…ね、1つ言うてもいい?」


私は顔も見やんとそう言って、

やっぱり窓の外のバターを見る。

特等室。

そのワイドな窓には一面の金色。

贅沢かなぁって思ったけど、

今はこれぐらいがちょうどやなって思える。


「なに?」


黄色い髪の男。

そう…まるでバナナや。

全身決めまくってるコイツを、一時でもかっこええって思った時間は何やったんやろ。


「…ん、なんでショーンはいつも標準語なんやろって。」


…ふふ、ショーンやて。

自分で言うといて笑ける。

ほんまは松太郎しょうたろうって名前やのになんでショーン?


「え?話ずれてんじゃん。

だってさ、関西弁って格好悪いし。

ね、それより葵さっきの話。」


松太郎は病室の鏡に自分の姿を映して、鶏冠とさかみたいな髪の毛を直した。


「…あぁ…それか。

ええよ別に、私あんたを恨んだりせーへん。」


…そう、別れ話の途中やった。


「…マジッ!?あっ…ごめん。

俺さ、こういうのって ズルく思われたりすっかなぁって悩んだけど、違うんだよね。

葵が病気になったから別れようじゃなくて、

そう云うんじゃなくて、

だからその…合鍵いいかな?」


……ふん、クズ。


「…そこの引き出しに入ってる。

ま、どうせ捨てるつもりやった。」


「……そ、そう言うのよくないぞっコラコラ。

あ……!あったあった。

んじゃもらっていくし。」

クズがゴミの中から鍵を見つけると、

歯茎を見せニヤリ笑う。


「…因みにやけど、その鍵でまた合鍵作ったわ。」

懲りずに私の唇は動く。

「…え…!」

松太郎の顔、変。

「…どうしてまたそんな。」

「嘘やって、じゃあバイビー」


微笑んで手を振ると、奴からダサダサの着信音。


「…とらへんの?

つうかここ病院やし。マナーにしときいや。」

呆れて目を逸らす。

「あ…、うん。

は、はいっ……も、もしもしっ?

いやちょっと電波がぁ……。

スイマセン。もしもしっ?」

私に背を向けた。

そしてすぐ切る……ハハ……。

「…アユミ、やったっけ?

アカネ、やったっけ?

どっちでもえーけど隠さんと話したらええのに。私もう元カノやで?」

言うと松太郎が口を尖らす。

怒り始めた。

覚えてしまった、元カレの癖。

「…なんで名前…」

「…え?そらずーっと二股かけられとったら、いい加減気づくし。

別にもうどうでもえーけど。

あんなキャバ嬢みたいなんと同じ位置に立ちたくない。

つけま取って化粧取ったらただのドブスやん。」


「…携帯…見たんか?」

出ました。ザ、関西弁。怒った時だけコイツは地が出る。ダッサー……。

「…まあそんなとこ。ええんちゃう?

お似合いっすよ、ゲテモン同士で。」

耳の下で切り揃えたワンレングスの隙間から、

私は斜めに見上げた。


松太郎の顔、もっと変。

「…おまえなんぼのもんや?

顔だけやんけ。で、中は空っぽやんけ。」

「…ゲテモンよりはマーシー。」

……子供か私。

「なめとんのかコラ?

そらアユミはぶっさいかもしれんよ。

けど中身はサイコーや。

俺は今見た目だけでおまえと付き合ったん猛烈に後悔してる。

これから死んでいく人間に言うのもなんやけどなっ…無駄な時間返してくれ!」

もはや元カレと呼びたない。

バナナ被ったプチトマト。

はぁはぁ言うて怒ってるプチトマト。

冷静なりーな、私冷静。

で、白魚のような自分の指先を見る。

『葵はほんまべっぴんさん。

色白やし、大きなったら男の子がほっとけへんねぇ。』

小さい私を膝に乗せ、母はよくそう言うた。


「……それはこっちのセリフですけど……?」


冷静やからこその最後のアトラクション。

プチトマトの手から鍵をとり、力いっぱい床に投げた。

「…なぁにぃ……すんねんっ…!」


舌打ちですか?殴ります?

ここ……、病室ですけど?


好きやけど別れる、なんてのは私の辞書にない。

恋愛と言うアトラクションが終わる頃、

殺したいほど憎んでいると言うのが理想。


……やのに、


「……………もうええわ。死にかけ相手に怒る気にもなれん。

……ま、闘病生活せーぜーがんばれや。」


おもんな。


一発ぐらい殴っても良かったのに。

そしたらワーワー叫びまくって、病院がパニックになって、


はは……おもろ。


屈辱的に鍵を拾いプチトマトは出て行った。

閉じられたドアを見て、


あれ?……何これ?目から何か出てへん?


……まさかの涙?気持ち悪っ……


でもとりあえず拭ってると神様の声がする。


腐れバナナはおまえじゃ。


ちゃんとした恋愛もようせんと、結局は早よ死ぬんかいって。




…コンコン………


静寂を破る音…………まさかプチトマト?

慌てて目のハシの涙を拭う。


「あーちゃん、どないー!?」

覗いた顔に萎える。


「…なんや、藤木先生か。ノックの意味知ってます?」


目が赤いのは兎の生まれ変わりやからと言うつまらん言い訳まで用意。



「……いちいちうるさい子やな。ここビョーイン。

プライバシーないで。

ところであーちゃん、彼氏帰った?

あの黄色いの。」

言い訳どころか涙もスルーで、

藤木女医は肩からかけた聴診器の先を

白々しく撫でる。


「……このタイミングやったら今すれ違ったでしょ?帰りましたよ。それからめでたくたった今元彼になりましたんで」


目の前の女医は、ある日私にこう言った。


『長くて2年、短くて1年、ってとこかな。』


すごくすごく晴れた日に、

それこそランチメニューを告げるように淡々と。


「…ふうん。そうなんや。はい、胸出して。

血圧は朝測ったやろ?」


ベッドサイドで医者っぽく指事する。


これが名医やって言うんやから笑かすな。


「相変わらずペチャパイやね。」


「…ほっといて下さい…。」

こんな会話も日常茶飯事。

「はい。吸って吐いて…って、

あんた吐いてばっかりやんっ!」

「…しゃーないでしょ。

溜め息ばっかりでるんやもん。」

「ま、そりゃそーか。今別れたばっかやもんね。」

ふふって笑って、冷たかった聴診器。


「検査入院終わったらそのまま治療入りたいなぁと。ええ?」

「…あ…やっぱりやめとこかなぁ。」

「…へ?何言うてんのん、やるって言うてたやん。」

私ほどやないけど、べっぴんさんは困り顔。

37歳。未婚。性格に難あり。


でもこの人嫌いやない。


「…生きる意味がわからんのでね。」


ほんまにそう思う。

「…あんたが今生きる意味?そうやなぁ……。

病院が儲かる。」


先生は笑いもせずにまともな答えを言った。


「そや、あーちゃん、男紹介したろか?」

いきなり急展開。

やはりこやつは変わってる。

「……治療の話は?」

「治療?望まざる者には必要ないわ。

それより男、どう?」

ニヤリと笑う藤木女医…。

どうって…どう?

「…働きすぎて頭おかしなったんちゃいます?

誰があと1年の私に。」

「それがおんねんってそんな物好き。

信号機君なんかよりずーっとええ男やで。」


信号機って……。


「…そんな物好きおる訳ないでしょ?

まさか末期患者専用ホストとか?無いわ、無い無い。」

「…アホか。

そんなホストおったら出会いの少ない私が使うわ。

その子、あーちゃんの話したらおもしろそうな子やから会ってみたいって。

ま、男とは言え彼氏紹介とかやないから、お友だち、かな」

ふふふって笑いでごまかす。……めっちゃ怪しい。

「…おともだち……か。

わかりました。

おもしろそうって思ってるのを後悔させてやりますよ。」

「それ会うてもええって事やんな?

じゃあ明日さっそく呼ぶわ。

あ、私外来あったんやった。ほなねぇ。」

白衣をひるがえし去っていく。

……まあええか。どうせ退屈やし。



小学3年の暑い夏、

私の両親は自動車事故で死んだ。

その頃は死んだと云うより突然消えたと云う感覚に近くて、母親のたった一人の姉であるおばちゃん夫婦が私をすんなり引き取ってくれた。

『うちは子供おらへんから、

あーちゃんが子供になってくれたらそら嬉しい。』

…そう言って。

小さくても一応会社を経営していた父。

会社の経理を一緒にやっていた母親と二人、材料の仕入れに行ってトラック事故に巻き込まれた。

『…それにしてもパパとママ遅いなぁ…』

私はその日おばちゃん家でお留守番。

おばちゃんは私の三つ編みを結び直しそうつぶやいて、

夏の夕暮れと…降り注ぐような蝉時雨…。

祖父母と云う人達も早く他界していて、父親には兄弟もいない。

だから私にはこのおばちゃんが唯一の親戚であり、両親の次に甘えられる人というイメージがあった…けど。

『足らへんもんあったら何でも言いや。

ほら見て、このカーテンかわいらしいやろ?』

おばちゃんが私の部屋を用意して、その夫であるおっちゃんは物静かで優しかった。


私に残された意外に多額の遺産は何一つ使わず何でも好きな物を買ってくれて、

美味しいご飯と、転校した小学校。

それらが全て整って初めて、私は両親を完全に失ったのだと悟った。



その頃から私は徐々に人を試すようになった。

転校した小学校で、顔がかわいい子から

顔だけしか取り柄の無い子に変わって、

担任に呼び出される度、

おばちゃんは深い溜め息をついていた。

今日とよく似た夕暮れの廊下。


『…なんで仲良うしてくれる子にそんなん言うたん?』

『嫌いやから』

そう言ってそっぽを向いた。

おばちゃんにもひどいことばっかり言うて、泣かしたこともある。


両親の代わりに、むちゃくちゃ言うても受け止めてくれる相手を私はどこかで探してた。


いっその事ぐれたら良かったのに、

曲がった心の捌け口は、女子のように意地悪やない男子に向かう。

顔だけでチヤホヤしてくれて、

『あおいちゃんが世界で1番かわいい』

って言ってくれる男の子たち。



小学生のくせして色目を使う。

それを心配したおばちゃんが無理矢理受験させた中高一貫の女子学校。

女子に嫌われる私にとっては地獄。

それでも男は絶やした事はない。

私を求めて抱きしめてくれる相手がいたら、

その一瞬でも生きてる気がした。




『た…大変やっ…!』

部屋のドアがしなる程激しく叩く音。


あれは春。

その声がうっとおしくて、返事もろくにしなかった。

大学に入学したての三日目の朝。


『…なに?おっちゃん。』

いつまでもノックは鳴り止まないので、

鏡の中のかわいい私と目を合わせながら訊く。

『…春子さんが…』

『…おばちゃんがなに?』

『…出て行った…』

『…え……?』

ようやくそこで始動。

ドアの向こうの現場には、青白いおっちゃんのグロい顔と、その手の中で握りしめられたおばちゃんの書き置きみたいなもん。


【信雄さん、あーちゃんへ。

突然ごめんなさい。

愛する人ができました。この気持ちを隠して

嘘をついたまま生活するのが辛くて、家を出ます。

血の繋がらない二人を残していくことに深く悩み、苦しみ、

それでも愛する人と暮らすことを選んだ私を、許してくれとは言いません。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

どうか捜さないで下さい。 春子】




おばちゃんが絵画教室の先生と不倫していると云う、嘘かほんまかわからへん話を知らない訳ではなかった。

おっちゃんと離婚も考えている、ということも…。

なかなか離婚に応じないおっちゃんがいてこうなったことも、全部わかるけどでも…。


『…ど…どないしよあーちゃん…

春子さんの携帯もなんもつながらへんねん。

こんなんで僕も会社行くに行かれへんし…。』

『…行ったらええやん。私も学校行くし。

その後デートもあるし、色々忙しい。』


おっちゃんから手紙を奪うとビリビリに破く。

『…そ…そんなしたらあかんって!

これは一大事やでっ。』


おっちゃんの顔、怖いほど白い。


『あんな、おっちゃん。

こんなん言うたら悪いけど、おっちゃん捨てられたんやで。ついでに…私も。』


人生はこんなもんやと思う。

素晴らしいことなんて何一つなくても、

生きていかなあかんねん。


私はドアをバタンと閉めて、

カッコ悪いおっちゃんの、歌舞伎みたいな泣き声を聞きながら、もう一度マスカラを塗り直した。


坂の上からボールを転がすように、

おっちゃんはそこから鬱病うつびょうになる。

最初はまともに喋れていたのに、

今はそれすらもままならない。

私が外泊しようが、音楽を爆音でかけようが、

注意すらしない。

会社も辞め、廃人みたいに台所に立ち、

病院の抗うつ剤か焼いてない食パンを亡霊のごとくモソモソ食べる。


だからあの日もそうやった。


CMで流れてて、ほんの気の迷いで受けた子宮ガン検診。

再検査……紹介状…検査検査検査…で、

辿り着いたこの病院。



【Dr. 藤木】

そんなネームタグが白衣の胸で揺れて、

ボールペンをカチャカチャいわす音。

『結果から言うと悪くて1年。

良くて2年、かなぁ。』

…は…?


『嘘つきはドロボウの始まりやしね、嘘なし。

やからそーゆーこと。』

カルテに真っ直ぐ向けられた目。

その目が印象的で、誤診やないと思った。



家に帰って、幽霊屋敷みたいな空間に足を踏み入れる。

いなくなったおばちゃんの代わりに家事もしたけど、湿ったような空気や停滞して澱んだ何かは拭われへん。

『…おっちゃん…』

その日も立ったまま食パンを貪ってたおっちゃん。

『…大事な話あんねん…』

何日かぶりでまともに話しかけると、

おっちゃんの表情がほんの一瞬だけ変わった。

『…だいじ…な話…?』

『…うん。実はぁ、

私…あと1年ぐらいで死ぬみたいやねん。

やからおっちゃんその後どないするかなぁと思って。』



テーブルにもたれ、

こないだやってもらったばっかりのネールアートの指先を見る。

『…は…春子さんは…』

『おばちゃんは知らんよ。連絡取られへんし。』


『…違う違う、春子さん帰ってくんのん遅いなぁ…もう夕方やで。』

おっちゃんの目はそう言って、また焦点が合わなくなった。


それからまたパン屑をボロボロ溢しながら食パンを食べる。

『…とりあえずな、こんなんでもまた検査入院せなあかんみたいやし、

隣の川崎さんにおっちゃんのこと、頼んでいくわな。』

壁に向かって私は言い翌日には大学に休学届けを出す。

ここでも体の関係を持つ男友達以外はおらんかったから、わざわざこれをメールする必要もない。

けどプチトマトだけには一応報告。

それであの結果。


『つまりですね、友達、家族、恋人という周りの人間に支えられて人は生きていけるんです!』

いつやったか黒板にでっかく書かれた


人、と云う文字。

人は人が支えな成り立たへん。

何かのドラマで見たような台詞を小学校教師が言ってたっけ。

でもこうして生きてみると案外、支えてもらわんでも生きてるやん。



「おはよー」


カーテンを開ける爽やかな音、降り注ぐお日様。

それがこの世で一番嫌いやと言うたら、

看護婦は何て言うやろ。

「……カーテン、閉めといてください」


ドントディスターブ、ここには必要やな。

「何言うてんのぉ。今日も良い天気やよ。

ほらもうすぐ朝御飯やで。中園なかぞの

さんだけ遅れてんねん。」

どうせ死ぬのに何が朝御飯やねん。

ケッ、とかアホかッて言葉だけが心で暴れる。

なんか死刑囚にでもなった気分。

私は何の罪も犯してへんのに、何で死ななあかんねんやろ。


『愛を粗末に扱った罪じゃ』

また神様の声がした。


「……どないしたん?」


看護婦さん、

その恐らくEカップの胸元ボタン、取れそうですけど。


「……いえ別に。」

「……そう?ほなええけど。

朝御飯終わったら先生来はるって。

今日は午後回診やのになんやろね。

中園さん、先生のお気に入りやもんね。」


血圧とか測られて、そう言えばって思い出す。

おともだち……

急になんかドキドキしてきた……。

「……あれっ?なんやろ、もう一回測るわね。」

看護婦の声が耳元で聞こえて、おともだちとは、男に会う事やったって認識した。


そう言う筋じゃない限り、男が嫌いな人なんておるん?

私は好き。

叫んでもええ。

やからこの世に生息する、態度が変わる女を否定はせん。

男の前だけ声が高くなる?

それはしゃーないやろ。

動物見てみ。

相手を惹き付けよう思て、色んな事するやろ?

羽広げたり、そん時だけ鳴き声変えたり、その他もろもろ以下同文や。


けれどその日やって来たおともだちには、のっけから戦意喪失や。

なんでって?

まず私の顔に目もくれん。

おまけにひたすらムスッとして、沈黙の度、

襟元つかんでやりたいぐらい腹立ったから。


会いたいと言ったなら、まずそいつの立場が下、で、会ってやる私は上、なはずやろ。


腹立つポイントは、しかしそれだけやない。

ちょっとかっこええ。いやかなりかっこええ。


……けど絶対誉めたらへん。


私は私を引き立てるようなレベルの男が好き。


一番は私。それ、不動やし。


「……名前なに……?」

「……藤木ふじき。」


……やっぱ親戚?


ほな後は若いお二人で。


連れて来るだけ連れて来といて、去って行った白衣の悪魔。


「……藤木?先生と同じ名前やん。偶然?」

「……聞いてないん?俺、あいつの弟。」

大穴、来たね。

サイテー。

「……へえ、弟。」

けどそんなことぐらいで驚けへんで。

そんな事は想定内や。

藤木先生忙しいし。

デパートの商品は買いに行かれへんかってんけど、スーパーのんで我慢してってな。


「……驚けへんねんな。」

そいつは訊いた。

「………驚いてるよ」

「……は、どこが?」

どうでもええようにそいつは言って、

「……友達、とか聞いた?それ違うし。

卒論の協力してもらおうと思って。

分かる?最高の題材やねん、あんたって。」

「……題材?」

「うん。俺の行ってる大学の卒論テーマとしては最高。……けど……。」

「……なによ?」

ジロジロ見んなや。


「……元気そうやん。慌てて来る事も無かったな。」

「……どんな卒論やねん。」

「……テーマ?じゃあ遠慮なく。

余命の少ない人間の行動心理。」

………上等やん。

「……へえ。

ところであんた絶対彼女おらんやろ?」

ジャブ。萎れろ、バカ。

「……ごめん、おるし。」

自信満々、ムカつく。

私とした事が見落としてた。

嬉しがりがする左手のペアリング。


……くっそおもんない。

腹立つし無視や。

それきり黙ったらそいつも喋らんかった。


テレビのおもんない漫才に、

ハハハハ……と、笑ってみる。


ほなさいならのきっかけ、どこや?


「……あんな、動物園ちゃうねん。

観察すんだらさっさと帰って。」

きっかけ結局私かい。

そしたら意外にそいつは笑う。

「……きれいやな。」って遠い目で言う。

「……何が?」

キレかけ寸前な私の前に、そいつはすっと腕を出した。

「……窓の外、桜。」


指差す先に、春と目映い光がある。

何秒、いや何分、ボーッと見てしまった。


気づくとそいつの姿はもうどこなもない。


「挨拶無しかい……。」


毒づくと藤木先生が顔を出した。




聴診器って嫌いやない。

最初はその冷たさに驚くけど、相手の顔が真剣になればなる程、

……生きててね……生きててねって言われてる感じがするから。


……でも……


「何怒ってんのん?」

そ知らぬ顔して言う先生を、念力みたいなもんでいつの間にか睨んでた。


「……静かに。音聞いてる時は黙ってください。」

「それはこっちのセリフ。はいもうええよ。」

ぽんと肩を軽く叩き、私が生きてるか死んでるかのテストをやめた。

「……怒る価値もないですよ」

「……陸人りくと?」



……あいつ陸人って言うんや。

そんなんどーでもええけど。

「……気にいらん?」

「……気にいらん?

どっから出てくるんですか。弟なら弟とはっきり。

あ、私、彼の卒論題材だそうですね。

それも言ってもらってればそれなりに対応しましたのに。

おともだち、なんて姑息な手を使わずとも。」

「……あ……はは……それね。

けどあーちゃん、そんなん言うたら絶対会えへんやん。」

「完全に会いませんね。」

「やろ?やから。」

「隠してたと。どうせかわいい弟にせがまれたんでしょ?死にそうな患者紹介して~とか何とか。」

「……そんな人を極悪人みたいに」

言うやろ普通、この状況やったら。


「……2人、似てますよね?」

これ以上ムカつきたくはない。

なので方向転換。

「……そお?顔は似てへんと思うけど。」

安堵したような藤木先生。

「……違いますよ。性格の話。

人の心にブルドーザー的な。」

「……あ、あぁなるほどー。

あーちゃんあんた旨い事言うわ。

ブルドーザーか、そりゃあええわ。」

派手に笑って息継ぎしてから、

「……ところで明日また陸人来てもええかな?」

「……は?」


またそこ?


「……頼むし。あの子、卒論に燃えてんねん。」


知らんがな。


「……几帳な1年、あいつのくだらん卒論に捧げろと?」

「……うーん、まあ。」

そんなとこ。

先生、弟に何か弱味握られてます?

「……無理です」

私が言うと先生気味悪く微笑んだ。

沈みつつある船で船長がそうするように。


「……どーしても?」

「……はい。」

「……どうやっても?」

しつこいんですけど。

それぐらい、男にアタックしてみたらどうですか?

「………残念。」

ふて腐れるなんて大人気無い。

男に縁のない人に何かをやってもらうと、

ろくな事がない。


そこまで言っちゃいますよ?


「……では私はないですけど。」


先生がしんどくて、窓の外を見る。


誰かの卒論より自分の時間。

自分より大事なもんは自分しかない。




無理です。

そう私言うたよね?

なんやったらみんなが証言者。

なのに次の日そいつは病室にいるのよ。


……なんで?


「………あらあら、僕ちゃんお耳悪いのかしら?

おねーさんに昨日言われなかった?」

こうなったら徹底的にふざける。

「……別に。耳、ええし。

それにねーちゃん、あんたが寂しそうやし来たってって。素直になったら?」

肩にかけてたリュックを置く。


笑うな。笑ったところで私の方が可愛いっちゅーねん。


「すごい脚色やな。あんたの姉。」

ちょっと圧倒されてる……まずい。

しかもこいつ本気やな。そそくさと取り出されたメモとペン。


新聞記者か。


「……えっと、今どんな気持ち?」

「……どんな気持ち?何に対して?主語ないし。」

「ああ、ごめん。

つまり、そんなに生きれないと言うことに対して。オッケー?」


オッケーってなに?

ちゃんと答えるかアホ。


「それはあんたが死ぬ時なったら分かるやろ。

終わり。」


死後の世界も、霊も、生まれ変わりも、信じてへん。

死ぬよって言われたら、

ああそうですかって言うしかないやん。

じゃあ後は火葬場で焼かれて骨になるんです。

ハイ。

「……じゃあ質問変える。後悔とかは?」

後悔……?

「……聞いてる?」

「聞いてるよ。特になし。」

「……ほな最後。俺の事、どう思う?」

「……それレポートと関係ある?」

「……まあ……一応。」


ふふ。ええ質問やん。


「……どうも思わへん。

かっこいいとも、お、も、い、ま、せ、ん、し。」

「……そ。

でも間違えんといて。あんたに興味があるんやなくて、卒論。」

それだけ言うとパタッとメモを閉じる。


バカが帰り支度を始めると、


「……どうしました?

俺こんなかっこええのに、こいつアホや、とか思いました?」


背中に手裏剣。刺され、バカ。


「ほなお返し。私 こんなにかわいいのに、こいつアホや、とか思ってるやろ?」


…………返してくんな。

「……アホちゃう。もう二度と会いたない」

「俺もー。」


意味不明なとびきりの笑顔。


藤木 陸人が返した手裏剣、誰か抜いてくれませんか?



もう無駄は省く。

そうは思うけど結局、つまるところ、

検査入院が終われば私の帰る場所はあのおっちゃんのとこしかない。


次の日の午後、退院の日、

診察室で先生に会うと、

おのずとあのヤローを思い出した。

「……んー、……変わらず……か。んー……んー……。」



レントゲンと検査結果。


「……唸らんといてください。」


言うとようやく唸りが止む。


昨日あいつが病室に来た事はもう責めへんし、唸るな。

「……ごめん。

実はあーちゃんの事で唸ってるのではない。

生理二日目なのだ。腹痛い。」


舌出してる場合か37歳。

あほらしい、帰る。


「あ、ちょっと待って。

あれ、どーするよ?」

「……あれ?」

「痛いの痛いのー。」

「……はいはい、治療ですね。心変わらず。


変に苦しむより楽しく余生を過ごしますって事で。」

「……そ。

わっかりまし……たと。

じゃあ楽しんでくださいな。葬式にも行かへんね。」


……あんね、急に怒んの止めてください。


だからヒステリーとか女は言われるんすよ。

えっ、あれっ、

あなた今私のカルテゴミ箱に捨てました?

おまけにレントゲンまで。


「ブラックジャックより酷い感じっすね。」

「……まぁ、誉め言葉や思っとく。」

「……何なんすかその態度。

せめて笑って見送ってくれません?」

「笑顔、どっかのお店と違ってタダやないけど?」

「……そーですか。

ほな今からマ〇ド行きますわ。さいなら。」


だからアラフォーストレスを私に向けんなって。

あぁ早くシャバの空気が吸いてぇよ。


来た時のワンピで廊下を歩く。

例え世界で、1人ぼっちになったって。



棘だらけの心は、病院の外の太陽に砕け……

散るかいな。

『腹立つくらいのええ天気。』

最悪な事があったとき、そう言うて育ってきた。


そや、いっその事1人暮らししよ。

今まで何を遠慮してたんかと思う。

おばちゃんが家出したからって私まであの人に付き合う事はない。

タクシー乗り場を目指そうとして、手裏剣野郎を見つけた。


「……おう」


柵に腰掛け、太陽に目を細める。


「……どーもー。日光浴?」


言って通り過ぎようとすると、


「……一緒にせえへん?」


……アホ?昨日の今日で、アホ?



「……暇やないんで。」


「どこ行くん?その様子じゃ治療なしか。」

「……治療より不動産。」


「……部屋でも借りるん?」

「……そんなとこ。」


「……暇やし、ついて行ってええ?女の子1人やと足元見られんで。」

「…へえ。まさかと思うけど、

あんた私の事好きになったんちゃう?」


「…アホか。これこれ、まだ途中。

興味あるし。死ぬのに不動産、なあんた。」

またメモか。この卒論バカめ。


「あんたも医学部?」

「全然。心理カウンセラー目指してる」

「……あんたが未来のカウンセラー?

患者さんに同情するわ。」

「な、それよりついてってええ?タク代出すし。」

「……結構です。」

「じゃあ晩飯もつける。」

ごはんを1人で食べたくない。

それだけの理由だとしても、藤木 陸人に引っ掛かった。





「ところで、ねーちゃんとなんかバトった?」


黄色のタクシー。

車内のシートにかけられてるビニールのせいで太ももが汗ばむ。


泥酔した客に吐かれまくった結果のビニール。


「うん。葬式行かへん発言とか、あの人ありえへんわ。」

「へえ。

あのねーちゃんがそこまで言うんは珍しい。」


淡々と言うな。


「もうほっとってくれたらええのに。」

「嫌いやからな。」

「……何が?」

「……頑張れへんやつ。あの人。」

「……そんなん知らんわ。エゴエゴ医者。

もーええやんその話。」

「じゃあ最後。

俺はあんたが頑張ったら、葬式には出るけどな。」

「……へえ、そりゃどーも。

すっごく押し付けがましいですね。」


毒づいて窓の外を見た。

藤木 陸人を隣に乗せて。


それからは、ブルドックみたいな不動産屋に、

足元を見られずすみました。


ラッキーでした。お得な物件です。

でも、それだけです。

本当にそれだけです。




「……あそこええな。」


最初の物件で決めてしまい、夜は早く空く。


目の前で大盛パスタを豪快、且つ、

きれいに食べる陸人についつい見いる。



ご飯の食べ方はその男のHを表す。

と言うのは私の勝手な持論。


「……遊びに来んといてな。」


手付かずの私のオーダー。

魚介のなんちゃらパスタ。食欲不振。

生きるのを体が拒んでるせいなんですねきっと、ハイ。


「俺そこまで暇ちゃうし。てか、それ食べへんの?」

さっきから水オンリー。

「……あんま食欲ない。」

一応フォークでクルクルするだけ。


「……ふうん。ほな一緒に食べる?

そしたらちょっとは食えるやろ?」

「……結構です。

私、誰かと鍋つつくんも苦手。」


言ったしりからフォークで掬うな。


「うま。

これ食べんと帰んのもったいないで。」


腹立つ。腹立つとお腹減る。

「……ちょっとだけ食べれるかも。」

「おお。じゃあ食お食お。」


無邪気に笑いなや。

私、あんたにずーっと苛々してんねんから。


「……彼女って、どんな子?」

食後のアイスティー。ミントの葉っぱ。鎮静効果抜群。イライラ度、レベル低し。


「……別に。普通。」

「……付き合うきっかけは?」

「……警察か。

ええけど。大学の同じゼミの子。きっかけは ……。」


あれ、黙る?


「……H始まりとか?」


よくあるからね。


咳払いすると言う事は図星……?


「……まあ。ゼミで呑んで酔って、

朝気づいたら一人暮らしのその子のベッドやったって言う……。」

「オーソドックス。

けどワンナイにせえへん意味わらからん。」

「………責任。今はそれだけやない。」

「質問。した感じは?」

「酔ってたから覚えてない。けどそこはええやん。」

「はめられたかも。私もよくした。目をつけた相手を酔わせて。」

「被害妄想はなはだしい。」

陸人は遮り、携帯に入った写真を見せる。


……チェッ。

苛めてやろーと思ったのに。


「……おお。」

「……って何が?」

「彼女かわいいやん。」


長いストレートの黒髪。各パーツ、小。

でも集まるとかわいい。

絶対に友達になりたくないタイプ。

「……名前は?」

「……いずみ。ひらがなで。」

「……へえ。リカちゃん人形の名前やな。」

「……なんやそれ。あんたおもしろいな。」

「……あんたやないし。」

そう言うと藤木陸人は笑みを浮かべた。


「……知ってるよ。あおいちゃんやろ?」って。




1度ごはんを食べたからと言って、むやみやたらと友達になってはいけません。


そこのあなたっ……って私……!?


「……とりあえず、アオで登録。」

藤木 陸人の携帯に私が登録される。


なぜだかこんな流れになりまして。

訊いたのは私じゃなくこいつ。

断ること、できたのになぁ。


「…あんたは……どうしようかな。藤木君?」

消し忘れのプチトマト情報削除。


「……それなんか遠いな。リクでよくない?」

リクにアオ……記号かよ。

「近くても困るけど。

じゃあリクね、はいはい。」

……あれ?

「……アド入らん?」

「……いやそうではなくて。」


余命を知った際、今までの男のアドレスを消した。

そしてプチトマトまでいない今、

私のアドレスには、おっちゃんと、おばちゃんとリク。虚しい。

「……もっ回する?ツーシン。

あ、メールしてみるわ。」

「えっ、いやいや……。」

動揺は深い。


メール来る。リク。

やからいらんってばさ。


【アオと友達なれて良かった。


俺と会うまで生きててくれてありがとう。

リク】


「……届いた?」

「……なにこれ……?イタズ ラ?」

「……珍しく、本心。」

リクが笑う。


たったそれだけで恋に落ちた。

そしてそれは、もっと虚しい。

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