第6話
『もし報復を恐れて何もしないのなら、臆病者と言われても仕方が無い』
見ていたサスペンスの真犯人が、自分のことを匂わせつつ、刑事役の人間にこう言う。
いつ見ても思うのは、犯人ばかりが自分のことを語って、刑事が自分のことを振り返る台詞が無いことだ。
だからあくまでそれは「役」なのだと私は分けて考えることにしている。フィクションの中の、さらなるフィクション。裁く側の心理なんて、誰も簡単には描けない。
それにしても。
私は伸びても、カットの必要を感じない自分の髪をいじりながら、庭を見た。
あれから一か月。
慣れと言うのは恐ろしいもので、伊佐木はあれから毎日のように、私の顔を見に来る。
伯父と一緒に出掛けて、帰ってきたのはその三日後。それから毎日だ。
いつも通り、挨拶もろくにしない。笑いも無い。絵を描く時もあれば、唐突に独り言のような会話をふり、私がそれに返し…という不思議なやりとりが続いてきた。
そうした会話の端緒が何だったのか、よく思い出せないが、自分の過去が憎いかとか、そんな質問だった気がする。
当然、私は、自分の過去が憎いと言った。
「許せない」と。
かといって、何もできないのが現状で、そのせいで自分はいまでも、上手くいかないのだと、人間が信じられないのはそのせいだと言った。
伊佐木はこう答えた。
「そういうものですよ、みんな。でも、僕は報復を選びます。それは結局、無為に生きたところで、現在が過去に侵されている事実は変わらず、僕たちは生の苦しみに焼かれ続けると分かっているからです」
そうだ、罪には制裁が必要だ。そうでなければ、それは罪ではなくなってしまうから。
私は目の前の人間が、テレビの中には存在しない、現実の報復者であることを知った。
それから止められなくなったのだと思う。
私は伊佐木に何もかも話してしまいたい衝動に駆られていた。
伊佐木もまるでそうであるかのように、その口調には毎度、熱がこもっていた。
私たちは互いに何を求めていたのか。
理解者? 共感者? いや、そんな甘い関係では無い。互いに刃を振りかざし、けん制し合うかのように、寄るな近づくなと言っているのだ。
昨日も、たかだか一メートルと離れていない距離に座り、小山さんの淹れてくれた緑茶とお茶菓子に養われながら、そうして、贅沢な時間を過ごした。
慣れてしまったその無関心な眼差し。一日見ないと、落ち着かなくなる、その抜けるように白い横顔に腕、そして足。
伊佐木と話疲れて眠る夜は、怖い夢も見なかった。
代わりに、今日話した会話が、どこまでも際限なく続く。噛み合っているのかいないのか、わからないまま続く。
―「私は、過去の自分を殺しました。何人も。だから振り返ることができない。罪の重さがこわいのではなくて、振り返ると、殺されてしまった私が目を覚ますんです。ゾンビのように」
―「あなたは嘘のように本当のことを言う。何も理解してほしくない?」
―「自分が価値のない人間だと思う。生きていても、生かすことができないから」
―「欠陥を補いながら生きるのはおかしい。長所を穢すのもおかしいけれど、それは他人のためではなく、自己のための行為だから」
―「ときどき思うんです。どうして狂わないのかって。だから、うらやましいんです。狂った人たちが」
―「狂うということは、自分という他者を自己の管轄外におくことではない。むしろ、自己への没入だ。内側への避行だね。徹底的に〈外〉を忘れる必要がある。誰のまなざしにも心を奪われない人間になったら、狂うだろう。でも僕たちはまだ〈外〉にも、自分以外の人間にも、我慢がならない。壊してしまいたい。許せない。だからこうして狂わずに、害意をふくらませているんだ」
―「わたしはやっぱり、誰かに自分を救ってほしいんです。私はその人を救わないことを条件に。だって、相互扶助なんて夢物語でしょう」
―「重要なのは約束が守られることではない。約束を破ろうと言う気が無いことだ」
―「誰かが苦しんでいるのをみると、みょうな気持ちになるんです。私も、ああいう風に苦しんだことがあったのか、不安になって」
―「憐憫の情は、一時的には、自分を救うかもしれない。でもそれではだめなんだ。愛が無いと」
―「傷つけられると悲しいけれど、やさしくされると、もっと惨めな気持ちになる。月並みな発言ですが」
―「話をきいてほしいのではなく、否定してほしい。話すほどに、自分を傷つけている『私』を止めてほしい。自分の胸に、みずからナイフを突き立てている人間を止めないなんて、そんな馬鹿げた話があるだろうか」
―「私の害意は、人の目に映らない。それがいいこともあるんです」
―「でもそれが、最大の問題だ。君は、最後の最後に死ねないばかりか、世の中に殺されるわけでもない。終わりが無い」
眠りの中でも反芻し、毎朝目覚めて思う。私も伊佐木も救われたい。誰より自分に救われたい。でも、その私たちはこうして、傷ついた自分たちを確認しているだけなのだ。
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