第30話 及ばぬ力


 クライスは秘書のユリアードを連れて咲耶グループ本社を訪ねていた。人目を阻んでの密会となる為、先方には人通りが少ない一室でとお願いしてある。そうして辿り着いた先。


「貴重なお時間を割いて頂いて有り難う御座います。…わたくしは――」


 部屋を訪ねて開口一番にクライスはそう言い掛けたが、それを先方のマサツグが無言で制してくる。挨拶は不要。そうクライスに言っているのだ。マサツグは部屋にあるソファに座らず立ったままクライスを迎えて、その深い紅色の瞳でクライスを見つめていた。


 やはり親子だなと、そうクライスは思った。何処か雰囲気がトウヤと似ている。そんな風に感じたのだ。だが今はとクライスは思考を切り替えていき、それをマサツグに伝えていく。


「…既に聞き及んでいるかとは思いますが、わたくしと同級生でもあった御子息の件です。今となっては何もかも言い訳だと理解しているつもりです。わたくしが彼に違法で研究をしていたロボットの事を教えたばかりに、彼はあんな事になってしまいました。それどころか彼は今年のメンバーに選ばれてしまった。全てわたくしの責任です。申し訳ありませんっ」


 それにマサツグは頭を振っていき、必死に頭を下げるクライスに言っていく。


「頭を上げてください、ヴォグフォート副社長。…いいや、この場はクライス君と呼んだ方がしっくり来るだろうか。君は息子の同級生だ。君に咎は無い。当然息子にも無い。これはそのような話ではないのだから。何れはこうなるのだ。それが早いか遅いかの差だ。しかも今年は既に多大な犠牲が出てしまっている。生き残った者に皺寄せが行くのは道理だろう。そして我々は人より強大な権力を有している。だからこそ出来ない事もある。違いますか」


「…、理解しようと努めている所です」


 分かっていると敢えて口にしなかったクライスの返答に、マサツグはその若さに苦笑を浮かべた瞬間だった。権力を持つが故に出来ない事がある。それを理解するのは難しい事だ。


 しかもクライスほど若ければ、まだ理解するには到底至らないだろう。何せ息子のトウヤと同じ年齢なのだから。理解しろと言う方が難しい話なのだ。だがそれでもと、マサツグは苦い顔をしてクライスを見る。でもそこにトウヤの影を見た様な気がして微笑んでしまう。


 だがその影を無理やり振り払っていき、困った様に笑いながらクライスへと言っていた。


「我々は権力者です。時に我らは正義となり、時に我らは悪となる。それこそが権力者たる有り様なのです。だからこそ救える者もあれば、だからこそ見捨てるしかない者も出て来る。それが我らの宿命なのです。我らがあの子を救う事は出来ないのですよ。もし我々がそれをしてしまえば、その瞬間に社会の有り方は崩壊を始めるでしょう。それだけは避けなければなりません。これはそういった話なのです。だからあなたが罪を感じる必要は無い」


 優しくマサツグから諭されて、一瞬クライスは安堵の表情を見せる。だが再びその表情を沈ませていき、何度も頭を振りながらマサツグへと言っていくのだった。


「どうして友人を救う程度の事が出来ないのですかっ! それこそ僕達は権力者なのに、何の為の権力ですか。たった一人の友人も救えない程度のものに何の価値があるんですっ。虚栄なんて僕は要らないっ! 必要なのは大切な人達を守る為の力です! 今回の襲撃でそれが嫌というほど理解出来た。上辺だけの物に価値なんて無いんですよっ! 結局僕達は誰かに守られてばかりだ! …ダスト達はあんなになってまで僕達を守ってくれたのに。その恩返しすら出来ないんですか。その程度なんですか。僕達の権力というのはっ――」


「…クライス君」


 それにマサツグは何も言う事が出来なかった。しかしその時、クライスの傍に控えていたユリアードが徐に視線を上げてきてクライスへと言ってくる。


「その為にも改革が必要なのです。今の我らには何も出来ません。今の我らでは彼らを救う事は叶わないのです。彼らを救うには社会の根本から変える必要があります。でも改革には長い時間を要します。いま現在危険に晒されている者達は救えないのですよ。たとえ大切な人がその中に居たとしても、今の我らは指を銜えて見ている事しか出来ないのです」


「分かってるよっ! でもそんなじゃ意味ないじゃないか! ようやく改革出来たって」


 そうクライスはユリアードに言い返すが、それにマサツグが顔を上げて告げていく。


「いいえ、改革は絶対に必要です。これ以上このような仕組みを放置していて良い筈が無い。私も全面的に協力致しましょう。まずは自分達の足元から。そして社会そのものへと向けて。我らと同じ想いをする者達を増やさない為にも、権力を持っている我らがまずは動かねば。その為に我らが居るのです。今はそう思って耐えましょう。社会を変えるその日まで。でも私はその前にあなたへこう言いたい。…有り難う、息子の為に尽力してくれて。本当に」


「…っ」


 マサツグから優しく諭されて、クライスは悔し涙を浮かべて俯くしかなかった。それしか出来なかった。今のクライスにはマサツグほどの貫録も、ユリアードほどの見識も無い。


 今の自分には何も出来ない。それが悔しかった。…マサツグはそんなクライスを物静かに見つめながら、彼には見られないようそっと溜息を付いていた。その程度の権力。


 胸に刺さる言葉だった。余りにも的を射た言葉にマサツグは寂しげに俯くしかなく、また自らの力で息子を救えない事を心から悔やんでいた。今の自分には何も出来ないのだ。


 だからと、彼らは思う。きっと社会を変えてみせると。だからそれまでは――。


 分かっているのに納得出来ない。まだ彼らは生きているのに。それを救えないだなんて。どうして自分達はこれほどにも力が無いのか。誰一人救う事も出来やしない。


 所詮権力とはその程度のものなのだ。大切な人一人救えない程度の。でも今は耐えるしかない。きっと彼らを救える日が来る。そう信じるしかないのだ。今はそれしか――。

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