第23話 美島碧

 あれは碧が大学四年の時――季節は春だった。


「はぁ。アース・ヴィレッジの面接まであと三日かぁ。受かるかなぁ。ねえー碧ー」

「知るか。わたしはわたしで手一杯なんだ。お前の心配なんてできるはずないだろうが」


 学内カフェにて碧と雫は三日後に控えた入社面接、筆記試験、そしてプレゼンテーションの準備をしていた。雫はテーブルに突っ伏しているのに対し、碧は真剣な表情で資料を何度も読み返していた。


「碧は模擬面接でも完璧。どんな応用だって利くし、なによりテンパらない。それに後堂っちお墨付きじゃーん」


「別にわたしだって緊張するし、プレゼンのために今必死に暗記しているところだ。少しでもいいアピールが出来たほうがいいからな。それよりもお前だってそんな格好していても、実は優秀っていうキャラじゃないか」


「もう足掻いたってしょうがないからねー。変に本番緊張しないように、今からリラックスしておくんだ」


「リラックスしすぎだろ」


 碧はやれやれといった表情をした後、氷が完全に溶けたアイスカフェオレをストローで最後まで飲み干し、立ち上がった。


「どこ行くの?」


「先生に意見を聞いてくる」


「真面目ですなー」


 雫は突っ伏したまま手を上げ碧を見送った。




 そして三日後――

 アース・ヴィレッジの筆記試験と面接を順調に終え、次はプレゼンテーション。この会社の入社希望者は驚く程多いため、指定された日に試験会場に行き、面接と筆記試験の一次試験、そしてプレゼンテーションの二次試験三つを、午前・午後に分けて一気に行う。一次試験で落ちた者は午前中に帰されるのだ。


 ちなみに碧は午前の部が終わり、先ほど一次試験の合格の知らせが来た。

 そして現在は午後のプレゼンテーションの順番が来るまでの休憩時間。それまでは基本的に自由だが、流石に周りで賑やかに喋ったりしているところはない。皆緊張しながら控え室にて自分の番を待っている。


 一次試験を通過した碧も同様に早まる鼓動を整えようと努力しているが、なかなかリラックスできない。なのでとりあえず乾いた口を潤すためにのど飴を口の中へ放り込んだ。

 準備は完璧。長い期間研究し、後堂にも絶賛された〝AZ〟の新しいAIプログラムや人口筋肉についてすべて解説できるように仕上げてきている。自分が受からなければ一体誰が受かるのか。そんな自信を抱いて今日この場に臨んでいる。


 ――雫はどうなんだろう


 控え室が別になった親友のことが気になった。朝別れる時に話したきり会っていない。向こうも気を使ってメールも送ってこないようだった。


 ――まあ、あいつのことなら大丈夫だろう。本番に強いしな。


 それよりも自分だ、と心の中で気合いを入れ直し、データファイルの最終確認を行った。

 それから二〇分後、入社試験は午後のプレゼンテーションに移行し、碧はトップバッターのグループで名前を呼ばれた。


 プレゼンテーションもミスすることなく、ほぼ完璧と言っていいくらいの出来だったと碧は強い手応えを感じた。ただ、聞いていた職員たちが無表情で顔を見合わせていたり、ぼそぼそと耳打ちしていたことだけが気になった。他の入社希望者たちの時はそのようなことはなかったのに――


 きっと自分のアイデアに驚いてくれたんだろう。そう思うことにした。

 自分たちのグループ全員のプレゼンテーションが終わり退出しようとした時、碧は一人の男性職員に呼び止められた。


「美島さん。ちょっと」


「はい」


「君の発表してくれた研究資料なんですが、あれは自分で?」


「八割ほどです。あとは大学の先生に助言していただきました」


「そうですか。すばらしい内容でした。参考程度に一部データをお借りできないでしょうか。無理にとはいいません。研究内容はむやみに人に渡すものでもないですし」


 そう言われて否定できる立場ではない碧はしぶしぶ了承し、プレゼンで使用したデータをまるごと職員に渡した。


「ありがとうございます。いい結果、期待していてください」


「あ、はい。ありがとうございます」


 その後碧は雫が終わるのを待ち、一緒に帰った。雫も手応えありということで、帰り道ではもし二人一緒に入社することができたらなにをするかという想像を語り合った。


 一週間後――


「え……」


 アース・ヴィレッジから届いたメールにはこうあった。


『慎重な選考を執り行った結果、誠に残念ながら今回の採用は見送らせていただくことになりました』


「……だめ……だった?」


 ――いい結果、期待していてください。


 あの時の職員の言葉が頭の中をよぎる。


 そして瞬きを忘れたようにずっと目を開いたまま、しばらく碧は自室の椅子から動こうとはしなかった。


「なんで、どうして……」


 そして碧は慌てた。


「あ――データは、あのデータは? で、電話しよう」


 あれは大学で過ごし〝AZ〟について学んだことのすべてだ。会社を信じ渡した碧は裏切られた気持ちでいっぱいだった。


 電話を掛けると、渡した本人は不在と言われ、最初に電話に出た人に事情を説明した。


『不合格になった方の個人情報はすべて破棄させていただきましたのでご安心ください』


「いやそうではなく! 大切な研究データを渡したんです! そうしたらいい結果を期待してくれとも言われ――っ」


『つまり――それは賄賂ですか?』


「い、いや。ちが……」


 焦りすぎた。これでは完全にこちらが不正者のように受け取られる。


「とにかく、不合格なのはいいとしても、データを破棄してくれと伝えてくださればそれでいいんですよ!」


『……わかりました。伝えておきましょう』


 そして電話を切った。壁に背中を預け、ずるずると体が下がっていく。

 正直こんなことをしても無駄だということは碧にもわかりきっている。データなど一度人の手に渡ればいくらでも複製し拡散できる。あれから一週間――もう手遅れなのだ。


 データを渡さなければ不合格にされる。そうあの場で判断したのが間違いだった。データが本当に欲しかったのであれば、あの場で渡さないほうが合格にされる可能性は高かった。


「ははは。まいったな。わたしとしたことが……」


 後堂になんと伝えようか考えると欝になってくる。そして家族には「みんな驚くところに就職するから待っていろ」など大口を叩いていた自分に苛立ち、頭を壁に叩きつけた。


 雫から一次試験を合格したとの知らせが来たのはそれから一時間後。

 碧が不合格だったことを聞いて、自分は泣かなかったのに雫は泣いて悲しんでくれた。後堂にも一緒にデータの件を説明してくれるとまで言ってくれた。


 そして少し今回の件で体調を崩し、寝込んでいた矢先――さらに碧に追い討ちをかける出来事があった。


『アース・ヴィレッジ社が新たな〝AZ〟の人口筋肉とAIプログラムの開発に成功したようですね』


『現在の動きよりさらに滑らかになり、受け答えももっと人間らしくなるらしいですよ。これ以上の進化はまだ先と思っていましたが、意外と早く来ましたね』


 テレビからそのようなやり取りが聞こえてきた。


「まさか……そんな」


 まさに自分が研究していた分野。そしてプレゼンテーションで発表した内容そのものだった。より楽しい〝AZ〟とのコミュニケーション。それを目指したAIプログラム。


 アース・ヴィレッジがもともと開発していたのか。それとも自分のアイデアを参考にして作ったのか。もはや碧にはどうでも良くなった。


「もう、いいや。ははは。どうでもいい。世の中なんて――くそくらえだ」

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