第14話 過去―アンナ

 壁一面が燃えていた。ここは広いのに何故か圧迫感のある場所だった。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」


 僕は煙によって失われた視界を補うため、手を使い必死に周りの情報を感じとろうとした。だけど足元に障害物があったりと、数歩進むことも難しかった。


「うわあああああああああああああああああああああああああッ」


「ひっ」


 突然男の人の叫び声が、僕の後ろから聞こえた。


「なんだよぉ、どうしてこんなことになっちゃったんだよぉ」





 小学四年生の僕は、家族みんなで最近有名になったアースヴィレッジという会社のロボット博物館に遊びに来ていた。

 一〇〇年くらい前にできた、初めて二足歩行ができるようになったアンドロイドのプロトタイプというものから、三年前に発売された〝AZ〟という名前の第三世代アンドロイド。更に街で活躍するいろいろなロボットまで、一〇〇種類近くのロボットを見ることができるこの博物館に来るのが、僕の数週間前からの楽しみだった。


 僕はロボットが大好きだった。街中を移動する犬型警備ロボットや、ドラム缶のような掃除ロボット。そして一番好きだったのは、家庭用アンドロイドだ。

 かなり値段が高いらしいそのアンドロイドを、僕の家は持っていた。そのアンドロイドは若いお姉さんで、名前は「アンナ」にした。ただアンナができる会話は挨拶や簡単な受け答えくらい。人型をしているけれど表情があまり変わらなくて、少し怖い。


 僕はそれでもアンナに興味津々だった。毎日体を拭いてあげた。そしてアンナは必ずお礼を言ってくれた。それがうれしかった。

 僕はもう四年生だというのに、寝る前になぜか子守唄を歌ってくれることがあった。僕は少し恥ずかしかったけれど、柔らかいメロディ、すぐに眠くなる心地よい歌声を奏でてくれるアンナを、もうひとりのお母さんみたいに感じることもあった。


 今日は一緒にアンナをこの博物館に連れてきていた。博物館がアンドロイドと来ることを認めてくれていたからだ。

 アンナは特に感想を言うわけじゃないけれど、じっくりと自分の仲間を見る姿が面白く見えた。


 午後六時――。

 十分に楽しみ、そろそろ閉館で帰ろうという時にそれは起こった。

 ジリリリリリリリリリと館内に突如鳴り響く火災警報器。

 放送で係員の指示に従って避難するように言われた。


「え? 火事? まずい早く出なきゃ」


 その時僕はトイレに行っていた。ズボンを上げてトイレから飛び出すと、廊下にアンナ、そして高校生のお姉ちゃんが不機嫌そうに腕を組みながら待っていた。お父さんとお母さん、妹には博物館の外で待っているように言っていたからここにはいない。


「急げバカ! 早く行くぞ!」


「うん。それにしてもなんだろうねこの音」


「さあな。それよりも走れ!」


 僕がトイレに入った頃から不規則で耳障りなメロディが館内に流れていた。

 お姉ちゃんに手を引かれ走り始めた時、アンナがついて来ていないことに僕は気づいた。


「あれ? お姉ちゃん待って! アンナが、アンナが来ない!」


「バカ! 立ち止まるな! 死にたいのかよ!」


「だって…… だって! アンナぁ」


 煙が近くまで来ていた。遠くからチラチラと赤いものも見えた。しかしスプリンクラーは作動していないみたいだった。

 だんだんとロビーの方から、さっきまで聞こえていたお客さんたちの声が聞こえなくなってきた。たぶん大体の避難が終わったんだ。


「ほら、早くしろ! っておい!」


 僕はお姉ちゃんの手を振り払って引き返した。そして動かないアンナの手を引っ張る。でも動くはずもなかった。体重が七〇キログラムほどあるアンドロイドを引いて歩くなんて、まだ小学四年生の僕にできるはずもなかった。


「バカ野郎ッ」


 そう言ってお姉ちゃんが僕の元へ駆け出そうそした次の瞬間――アンナは腕や脚の関節を小刻みにガクガクとさせ、気味の悪い動きをし始めた。


「アンナっ?」


『攻撃目標を指定――ガガッ――』


「早くそいつから離れろ! なにかおかしいぞこいつ……!」


「え?」


 アンナは奇妙な動きで体の向きを変えると、腕を振り上げ、そのまま勢い良く振り下ろした。

 その手は僕の頬をかすり、血が頬をつたった。


「うわああっ」


 僕とお姉ちゃんの二人は出口まで必死に走った。ロビーに出れば大人たちがいる。そう思って一気に走った。


「出口が閉まってる! どうして」


「お姉ちゃん……」


 出口付近には誰もいなくて、おまけにシャッターまで閉まっていた。僕たちは辺りを見回した。すると、少し先に四人の親子家族、そして二〇代の若いカップルが出口を探して彷徨っているのを見つけた。


「あの、出口ありましたか?」


「君たちも取り残されたのか。いや、たった今非常口を見てきたんだが、固く閉ざされていたよ。体当たりじゃどうしようもなかった。おまけに電波が圏外で外に連絡がとれない。まったくここのスタッフはなにをやっているんだ」


「そうですか」


 四人家族の父親にお姉ちゃんが聞くと、そう言われていた。出られないということだと思う。


「まいったな。急にうちのアンドロイドが動かなくなったと思ったらこれだよ」


「え?」


「いや、さっきからまったく動かないんだ。それに気を取られていたら――って、あれ?」


 辺りを見回すおじさん。


「いない……」


 さっきまでそこにいたのにと首を傾げ、奥の方へ指をさす。


「わたしたちも〝AZ〟を連れてきたんです。トイレに行ったこの弟を待っていたら、わたしたちのも同じように動かなくなって。それで暴れだしたんです」


「暴れだした?」


「ガクガク動いて、腕を振り回して……今までそんなことなかったのに。驚いて逃げてしまいました。追っては来てないみたいですが」


 あれはなんだったんだろう。火事に加えていきなりあんなことが起こるなんて。


「おっと、煙が濃くなってきたな。とりあえずここは危ない。助けが来るまでみんなでどこかの部屋に避難しておこう」


 おじさんは自分の家族と、近くにいたカップルに指示して、煙と逆方向に歩き出した。おじさんの子どもは僕と同じ小学校中学年くらいの男の子。そして少し太った高校生の女の子の二人だった。二人は少し不安そうな顔をしていたけれど、父親のこのような状況での逞しい姿を見て、騒いだりしていなかった。カップルも同じようにこの指示に素直に従った。


「お姉ちゃん……」


「まあ、大丈夫だろ。わたしたちがここにまだいること、お父さんもお母さんも知ってるわけだし、すぐに出られるさ」


 お姉ちゃんがぎゅっと僕の手を握ってくれた。少し冷たい手だったけれど、でもそれがすごく慰めになった。


「ここにしよう」


 少し廊下を進むと、まだ煙が来ていない、二〇〇人以上は入れそうな広めのホールがあった。椅子やテーブルがあったので、みんなはそこに適当に座った。


「大丈夫かなー」


「大丈夫だろ、心配すんなよ」


「えー、でも絶対トシくんってピンチになったらあたし置いて逃げそう」


「たりめぇだ。あ、ごめん間違えた。てかそこはお前守ってくれそう、だろ?」


 カップルがこんな状況の中慌てないところを見ていると、皆も少し明るい気持ちになったみたいだ。





 それから一〇分くらい。


「遅いな」


 そう言いながらおじさんが立ち上がる。そして数歩歩いたその時――ドアがドンドンと叩かれた。


「た、助けが来た」


 みんなほっとした表情になる。


「ここです! 皆ここにいます!」


 このドアからは向こう側が見えない。だから火事の時に向こうの状況がわからないこちらから開けるのは危険らしい。おじさんは自分でドアを開けるのをやめて、救助隊が開けてくれるのを待つ。でも、いつまでたっても開けてくれる様子がない。


 おじさんは不安そうな顔をして、こちらからもドアを強く叩き続けた。


「…………なぜだ」


 反応はなかった。救助隊が来たなら、間違いなくすべてのドアを開け確認するはずだ。


 すると、再びドン、ドン、ドンと向こう側から強くドアが叩かれた。

 その叩く音は次第に大きく、そして強くなっていく。

 おじさんはゆっくりと後ろへ下がった。

 救助隊ではない――きっとそう思ったのだ。じゃあ一体誰が。


 すると突然ドアを叩く音が止んだ。そして――


 ドアが勢い良く弾け飛んだ。


「うわああ!」


 熱風とドアがおじさんを襲った。廊下は火の海だった。火がホールに移ってくる。


「大丈夫ですか!」


 お姉ちゃんはドアにぶつかって気絶したおじさんをホールの奥へ引っ張った。おばさんもそれを手伝う。


 煙がホール内をゆっくりと満たしていった。少しずつ濃くなる煙にみんな咳き込み始める。


「やばいよトシくん! 逃げなきゃ!」


「どこにだよ! え……なんだお前――うあああああああああああああああああああ!」


「トシくん? トシくん!? 見えない。誰としゃべってるの! ――きゃああああああああああああああああああ!」


 突然カップルの大きな悲鳴が聞こえた。みんな体を震わせる。

 誰かがこのホールに侵入してきた。そして人を襲っているらしい。


「ひっ。なんだよぉ、どうしてこんなことになっちゃったんだよぉ。いやだよお姉ちゃん!」


「あんまりしゃべんな。煙吸うぞ!」


「でも――」


「しーっ」


 テーブルの下に隠れた僕たちの横を誰かが通り過ぎた。ガクガクと動くそのさまは、人間のものではなかった。


 アンドロイド……? 二体いる?


 そしてお姉ちゃんは息を飲み、目を逸らした。先ほど悲鳴をあげたカップルのトシという男の人が、歩くアンドロイドの左手に掴まれ引きずられていた。息があるのかわからないけど、動いてはいなかった。


「きゃあああああああああああああああああああああッ」


「お母さあああああああああああんっ――ぐっ……ああああっ」


「やめてよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 今度は家族の母親の悲鳴。そしてその子ども二人の悲鳴が立て続けに聞こえた。たぶんあの家族が襲われたんだ。


 するとピッと、血がお姉ちゃんの目の前の床を一直線に汚した。僕の心臓が飛び跳ねる。


「はぁ、はぁ、けほっ」


 まだ動けるのは僕とお姉ちゃんだけ。

 すると人影が僕たちの前に現れた。


「アン……ナ?」


「アンナだ! アンナが助けに来てくれたんだよお姉ちゃん!」


 手を差し出してくるアンナ。それに応えお姉ちゃんは手をゆっくりと出すと、


「え……」


 痛がる顔。掴むにしては力が入りすぎているみたいだ。


 お姉ちゃんはアンナに腕を掴まれると、そのまま僕の遥か上へ放り投げられた。


「…………っ…………」


 お姉ちゃんが宙を舞っている。天井の高いこのホールの高い方まで行くと、そのままゆっくりと落ち、地面に叩きつけられた。僕にはこの光景がスローモーションに見えた。


「ア、アンナ……ぼぼ僕だよ。わわ、わからないの? アンナ……、こんな――ぐぅっ」


 やっとの思いで出した声は、たぶん誰にも聞き取れないくらい震えていたと思う。語りかけている途中で僕はアンナに片手で首を絞められ、そのまま宙に持ち上げられた。


「アンナぁ……」


 アンナの目を見ても返事をしてくれない。これまでにない、一番の無表情だった。


「アンナはぼくの、とも……だち、だよね」


『…………』


「そっかぁ……。そう思ってたのは、ぼくだけだったのかなぁ」


『…………』


 僕の意識が朦朧としてきた時――ようやくスプリンクラーが作動した。

 アンナの水で濡れるその顔は、今も僕の心に強く残っている。




 火災の原因は五〇代無職の男性による放火。

 死者――なし。

 とされている。


 あれからあの家族とカップルを見ることも、アンナが僕の元へ帰ってくることもなかったのに。

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