ダーリン

第1話 ひ弱で無愛想な宇宙人と謎のおじちゃん。


 妹の光がダーリンの檻にへばりついて、短い首をいっぱいに伸ばしながら、懸命に檻の中をのぞき込んでいた。光の年齢は今年で確か、八歳のはずである。十二歳の僕とは四つちがいで、まだ幼いから無理もないんだろうけど、あいつはダーリンの人形を眠るときにも手放さない。今どきそんな子どもなんて珍しかったから、随分、変わったやつだと兄である僕でさえそう思う。

 休日のZOOは家族連れがほとんどで、檻の中の動物たちも好奇心にあふれていた。目の前にはドーム型をした樹脂製の檻があった。周囲にはカラフルな色のターバンを頭に巻き、両手を広げた小人のようなチューリップが並んでいる。その中央に寝ころぶ、一メートルほどの体長のダーリンは、まるで彼らの王様のように見えた。

 ダーリンが地球へ来た当初は、『虹色の体毛と宝石のような瞳を持つ、人類史上初めての異星からの訪問者』確かそんな特番がテレビでいやと言うほど放送されて、どこへ行っても小さな異邦人の話題で持ちきりだった。

 本当はだいぶ前から、月の生物は確認されていたらしい。だけど五年前になってようやく公式に発表されて、その年には早くも、各国のZOOにダーリンがやってきた。当時七歳だった僕も、やつの姿を見るために、さっそくZOOへ連れて行ってもらったのをよく覚えている。

 当然のことながら、あのころのダーリンはZOOでもダントツの一番人気、檻の周りにはたくさんの人が群がっていたし、そばへ近づくことですら難しく、パパが肩車をしてくれて、それでようやく遠目にダーリンの姿を確認できたんだ。

 初めて見た異星の生物は、予想外にもあまりかっこいいとは言えなかった。

 ダーリンの体は七色の毛で覆われていて、大きな目がふさふさの体毛の中からのぞいている。その目は本物の宝石のように青く輝いてはいたんだけど、瞳らしき物がこちらを向くことはほとんどなくて、なんだか妙に無愛想なやつだと僕は思った。

 頭の上には猫のような耳が乗っかり、それだけはなかなかかっこいいとは思うんだけど、体のバランスが悪いみたいで、手足の大きさから比べると、顔が異常にでかかった。しっぽはないみたいにも見えたが、長い体毛が邪魔をしてよく確認できなかったし、鼻や口なんかも同様で、でこぼこの毛糸の玉に、マッチ棒のような足を四本くっつければ、やつと似たような物ができあがる。

 バランスの悪さは下半身にも現れているようで、四本の細い足は短くて不格好としか言いようがなかったし、そのせいか、めったに立ち上がることもなかったんだけど、たまに歩くときの姿には、妙に愛嬌があるらしい。いろんな雑誌で取り上げられていたのを読んだことがある。だけど僕は、いまだにダーリンが歩くところを実際に見たことなんてなかったから、あの無愛想なやつが、愛嬌のあるしぐさを本当にするのかどうか、その辺りの確信はまったくないというのが、正直なところである。

 ただし人間にこびないところがどことなくクールに思え、初めて見たときの僕はすっかりやつのとりこになった。

 学校の先生の話によると、ダーリンはとてもデリケートな生物なので、檻に使われている樹脂は、特殊な素材でできているらしい。中にいると外の様子なんて一切見えないし、音にしたってまるっこ遮断され、その上気圧でさえも故郷の月に似せてあると言うんだから、ZOOでのやつの待遇はまさしくVIPだと言える。ただしそうまでしても、ダーリンは地球がよほど気に入らないらしく、世界中のZOOでも一週間以上、生き延びた例は今まで一度もない。

 僕の町では確かこいつで、五匹目だったと思う。

 現在ではほとんどのZOOでダーリンの飼育をあきらめているらしく、新たに補充するところは少なくなった。僕の町のZOOでも毎年、新しいダーリンを確保していたんだけど、それも今年で最後だと、このあいだ先生が話してくれた。

 そう言えば、五年前はパパもいた。

 あれからすぐに、パパとママは離婚したんだ。なぜそんな風になったのかは僕にはよくわからなかったし、母子家庭だからと言って不自由な思いをしたことなんて一度もなかったから、寂しいなんてわがままを言うのは絶対にタブーだ。

 今日だってママが久しぶりに弁当を作ってくれて、公園で遊んだあとにZOOへやってきた。僕にとってはあまり興味のわかない場所ではあったんだけど、園内に入ったとたん、光のやつが大喜びで駆け出してしまい、普段からあいつの面倒をきちんと見るように言われている僕としては、慌ててあとを追いかけるしかなかったというわけだ。

「お兄ちゃん、ダーリンがこっち向いたよ」

 まぶしそうに目を細めながら、光がそんなことを言う。檻の中から外の様子を眺めることなんてできないわけだから、今のはダーリンが僕らに注目したんじゃなくて、単なる偶然であることは明白だった。

「卓、アイスクリームでも買ってこようか」

 いつの間にか隣にいるママが、僕に向かってそう言った。僕がうなずくと、さっそくママは近くの売店に向かって歩きだした。僕のほうは光の後ろに立ったままで、遠ざかるママの後ろ姿をその場でじっと見送った。

 ママの名前は相川玲子、息子の僕が言うのも少し変なんだけど、ママは結構美人だ。色も白いし目も大きい。髪の毛も長くて、柔らかそうな感じがする。その上パパがママに、『お前は本当に、メークがうまい』なんて言っていたのを、僕は今でもよく覚えている。

 お出かけするときのママは、家にいるときよりも一段と輝いて見えたし、背も高いから細身のデニムがとてもよく似合う。体中からアロマの香りがあふれ出て、そばにいるだけで僕の頭はもうろうとした。

 とにかく、外見は僕にとってなんの不服もなかった。だけど内面の不満と言うか、不安をあげたらきりがないし、人間にはおそらく欠点がつきもので、僕にしたって我慢をするしかないんだろうけど、ママの欠点のために僕の不安が日々、増大するというのは、割り切れないものが胸のうちに残って、どうにも消せなくなってしまう。

 だからといって僕は、ママが嫌いじゃなかった。

 もちろんパパだってかっこよかったんだけど、最近はほとんど会う機会が少なくなったので、印象としては古すぎて、今のパパがどんな風なのか、残念ながら僕には予想することでさえ難しい。

 パパがいなくなってから、ママはインターネットテレビ局で働き出した。たまにニュース番組に登場したりするんだから、ママっていうのは本当にすごいと思う。

 あのころはテレビに映るママが誇らしくて、事あるごとに学校で友達に自慢したものだ。それに対する冷やかしのことばでさえも、僕にとっては心地よかったと、今なら正直に白状できる。それに比べると僕のほうは、ママのような才能もあつかましさも、やや希薄である。それからすれば、遺伝子の仕事ぶりについては、どことなく不信感を覚えてしまう。そんなことを考え出すとついついため息が出て、することもなかったので、光のそばに近寄った。

 後ろから光の背中を眺めていると、夏みかんが道ばたに転がっているような感じがして、情けない気持ちでいっぱいになった。

 しかもこいつは、無神経な上にとことんずうずうしい。うそは三食昼寝つき。その上近所でも光のうそつきは評判で、兄である僕としては、まるで犯罪者の家族のような扱いを受けていた。今のままではオオカミ少年ではないが、光のやつが万に一つ、本当のことを言ったとしても、兄である僕でさえ、それを信じることは難しいだろうし、おそらくママにしたって半信半疑にちがいない。

 その上光やママは、不平や不満をやたら口にする。あっぱれなくらいにだ。

 不平や不満から人類の進歩が生まれたりするんだ、などとほざく人がいるかもしれないが、文句ばかり言う人に限って家の掃除もろくにせず、部屋が汚いのは子どもに手がかかるせいだと、言い逃れをするらしい。なにもこれは、僕個人の意見というわけじゃない。隣のおばちゃんが、毎朝、玄関先でいろんな話をしてくれる。

 そんなことが関係しているのかどうかはしらないけれど、今やZOOの人気は極端に落ち込んだ。その上ダーリンは、客寄せにはまったく向かないときている。愛嬌のあるチンパンジーやパンダのほうが、ZOOではよほど観衆にアピールする。それもしかたがないことで、ほとんど横になったまま動かないダーリンに対して、みんなの関心が集まるほど世間は甘くなかった。

「ほら見て、ダーリンが足をぶるぶる動かしてるよ。かわいいねー」

 確かに光が言ったとおり、散歩中の犬が電信柱に対したときのような格好を、珍しくダーリンが見せている様子だった。もっとこんなサービスをすれば、こいつの人気も多少は上がるはずで、有り余る好条件な履歴を、まるでいかそうとしないダーリンにはどうにもじれったく感じるし、僕ならサービスは決して欠かさない。

 基本中の基本だ。

 人類史上初めて宇宙からやってきた生物、その名前だけでずっと食べていけると思ったら大まちがいである。そう言えば、光の体形はどことなく、ダーリンに似たところがある。四つんばいになった光の姿を想像するだけでおかしくなった。いっそダーリンの代わりに光を檻の中に閉じ込めてやれば、人気もきっと上昇するにちがいないし、少しの特殊メークで判別もつかないはずだ。

 光なら人気を得るために、いろんな芸をする。こいつには節操なんて、まるでないからだ。そんなことを考えながら、地面の砂を光の背中、目がけてけ飛ばしてやった。するといきなり変なおじちゃんが、僕らに向かって話しかけてくる。

「こんにちは、君たちはよほど、ダーリンのことが好きみたいだね」

 にこにこと愛想はいいが、こういうときにはあっさりシカトしなさいと、ママからきつく言われている。一見人のよさそうな仮面の裏に隠された猟奇的な顔、昨日の夜八時、二チャンネルのニュースでやっていた。

「実は僕、ダーリンの飼育係なんだ」

 そう言われてみれば、グレーのつなぎに長靴姿がそれとなく、言ってることを裏づけているような感じがした。帽子にはZOOのロゴマークまで入っている。だけどこんな服装なんて、手に入れようと思えば簡単に入手することができるはずだ。それからすると、怪しいにおいがぷんぷんした。

 僕は目を合わせないようにと細心の注意を払い、できうる限り、この変なおじちゃんの様子をうかがうことにした。

「かわいいだろ、彼は月からやってきたんだ」

 そんなことは今や誰もが知っている。実はダーリンは火星人だった、それくらいのウイットがないと、子どもの注意を引くことは難しい。

「なにかご用ですか」

 ようやくママが戻ってきた。

「あっ、どうも、ぼっ、ぼく、ここで飼育係をしている、福西徹と申します」

 保護者を見たとたん、帽子を取って何度も頭を下げる。とにかく情けない人だった。しかもこの様子から判断する限り、なんらかのやましい気持ちがあったのは、確実だ。

 ただしちょっと気になることがある。おじちゃんの顔をよくよく観察してみると、この人って、ママよりもずっと若いような感じがした。髪の毛は少し短めで、おまけに手入れもしていないような髪型ではあったんだけど、日焼けした黒い肌からのぞく真っ白な歯が、結構さわやかな感じがした。背丈はママと同じくらいで、男の人にしてはやや低い。だけどスリムと言うか、貧弱の一歩手前で許せる範囲を行ったり来たり。欲を言えば、こぢんまりと控えめな目鼻立ちが、もう少し大胆なものだったとしたら、結構、見られるとは思うんだけど、それだけがなんとも惜しかった。

「すみません、ダーリンをこんなに一生懸命、見てくれるお子さんたちなんて、今どき珍しかったもんで、うれしくなってついつい、話しかけてしまったんです」

 光のやつ、さっきまでシカトしていたくせに、今ではおじちゃんの体をエコーにでもかけるかのように、隅から隅までのぞき込んでいる。そのあと大きな口を開けて、あくびまでした。

 なんてほうけたやつなんだ。

 だけどそう言えば、この人の呼び方については僕でさえも迷ってしまう。あくびが出そうになったとしても、不思議ではなかった。おじちゃんと呼ぶほうがいいのか、それともお兄ちゃんと訂正するべきなのか、当落線上をうろうろといった感じで、判断が非常に難しい。

「おじちゃん」

 光はおじちゃんという呼び名を、即座に選択した。なるほどなどと僕は感心するしかなかった。なにごとにおいても、光は僕よりも決断力に優れている。

「なんだい、お嬢ちゃん」

 おじちゃんは光のそばでひざを折り、なにやら話を始めようとした。その様子を眺めながら、ママがみけんにしわを寄せている。おじちゃんの服装やら帽子のマークなどを、ずうずうしくも確認しようとしていた。

 やっぱり、血は争えないと心底、思う。

 DNAは寸分の狂いもなく、ママから光へと受け継がれたにちがいない。それともこれは、女の人の染色体が持つ特殊な性質なのか、だとしたら、男に生まれた僕はどこまでも不幸だと嘆きたい。

 どちらにしても、あの二人に比べると僕だけがあまりにも上品すぎて、とても血縁関係だとは思えないほどの、繊細な神経を所持していた。

 とにかく、ママがじろじろとおじちゃんの顔をのぞき込んだりするもんだから、僕は同じ男として少し気の毒になった。おじちゃんのほうはさっきの僕らと同じく、ママに視線を合わせないようにしながら、背中を使って慎重に辺りをうかがうそぶりを見せた。

 まったく、器用な人だ。

 それからしばらく、おじちゃんと光の話が弾み、僕は少し離れた場所からそれを眺めていた。二人の会話は聞き取れなかったんだけど、それよりも気になったのはやっぱりママのあの態度である。どうやらママは、飽くことのない探究心を、バッグの中にでも隠し持っている恐れがあった。そんなはずはない、と言うかもしれないが、おじちゃんのしゅようの位置まで確認するかのようなあの様子を見せつけられれば、おそらく誰もが同じ感想を持つはずだ。

 まるでレントゲンのようなママの瞳は、おじちゃんに食らいついたままで離れようとはせず、診察室でいやがる患者に対して、無理やり手術を勧めるかのようなあの光景は、ダーリンを見ているよりも、ずっとおもしろかった。やがていたたまれない様子のおじちゃんが、おもむろに立ち上がってこちらを向いた。

「ダーリンのことで聞きたいことがあったら、いつでも僕を訪ねて来るといいよ」

 そう言いながら腕を伸ばして、ダーリンの檻から十メートルほど右にある、木造の小屋を指さしてにっこりとほほえんだ。

 そこには派手な装飾を施された建物がある。あの外観を見る限り、どうやらダーリンに関連した施設であるらしいと判断できた。七色に塗られた壁は、おそらくやつの体毛をイメージしたものにちがいなかった。ただしなんとなく、あの小屋からは不気味な雰囲気が漂ってくる。木の枝が周囲を取り囲んでいるため、ここから小屋全体を眺めてみると、ダーリンが何者かに襲われているかのような錯覚があった。襲っているのは周りを覆う樹木の影で、影の形は巨大な怪獣を思わせた。今にも大きな口を開けて、小屋――つまりダーリンの体をのみ込みそうな迫力だったので、僕は思わず身震いが出た。

「それじゃ、失礼します」

 どうやらおじちゃんはママが苦手なようだった。ママに対して日本語を話すのが、とても不自由な感じがした。だけどそれはしかたがない。僕も同じだったから、おじちゃんの気持ちがほんの少しわかったりするし、今までの経験から判断する限り、ママを苦手にする男性の数は意外と多かった。

 ――パパもやっぱり、そうだったしね。

 そのうちおじちゃんは、僕らから離れて小屋のほうに近づいていった。そのまま室内に消えるのかと思ったら、ドアのところで突然、振り返る。僕らに向かって会釈をした。ママもそんなおじちゃんの姿をじっと見つめながら、さわやかな態度でほほえみ返し。

「おかしな人ね。一人でしゃべってたわ。卓、ああいう人には特に気をつけるのよ」

 ママはおじちゃんのほうに笑顔を向けながら器用にも、低い声で僕らに対して、注意をした。まったく姿勢を変えることもなく、笑顔のうちから聞こえてくるその声は、感情の起伏にいかにも乏しく、それでいて、はっきりとおじちゃんのことを変な人と決めつけていた。あまりにも決断力に優れたその態度を目前にし、僕の背中からは冷たい汗がいくすじもにじみ出た。

 とにかく、変なおじちゃんの出現で、多少、緊迫した場面に遭遇した僕らではあったんだけど、おじちゃんの姿が見えなくなると、光はまたダーリンの檻にべったりと張りついた。僕はママが買ってきてくれたアイスクリームにかぶりつく。冷たい感触が口の中から頭のてっぺんまで突き抜けて、きーんなんて言う音が、うそみたいなんだけど本当に耳の奥で鳴っている。その上、舌の両側はしびれてアイスになり、環境としては厳しい部分もあったんだけど、僕の舌先はいかにも老練で、上手に甘みを取り込んだ。

「食べ終わったら帰ろうか」

 鉄のポールに支えられた丸い時計が、四時半辺りを指している。容赦なく照りつけていた意地悪な太陽も、今となっては申し訳なさそうに反省しきり。辺りを夕日が赤く染め、漂う空気でさえももう真っ赤、それにつられて夕方のZOOは、少し物悲しい雰囲気に包まれる。そんななか、あちこちの檻から別れを惜しむ動物たちの声が聞こえてくる。なのに鳴き声さえも発しないダーリンは、いったいなんのためにこんな場所をねぐらに選んだのだろうか――。

 そんなことを考えながら、ダーリンのほうに視線を向けた。だけどやつは僕のことを完全に無視している。ひどくむかついたんだけど、我慢するしか仕方なかった。文句を言ったところで絶対に無駄だ。あの檻が邪魔をして、僕の思いがダーリンに届くことは決してないのだから。

「行くよ、卓」

 ママの呼ぶ声が聞こえてきたので、慌ててあとを追いかけた。

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