第30話 side真生
手術の日、真生は手術用の服に着替えて、その時を待っていた。同じ室内には、朝早くから両親が揃い、緊張した面持ちで時間を気にしている。二度小さなノックがあり、菊地が入ってくる。
「真生ちゃん、気分はどうだい?」
「ちょっと緊張してます」
「まだ時間もあるし少し話をしようか。──薄情な息子は来てないみたいだね。まったく、キミの手術日だって言うのに」
「いいえ、いいんですよ。だっていっくん、最後に病室に来てくれた時に言ってたんです。「行ったら、お前のこと連れて逃げたくなるから行かない」って。その代りに手術が終わったら会いに行くからって」
冗談混じりに笑っていた郁也のそれは、彼なりの励ましだったのだろう。
「あの子がそんなことを?」
「はい。だからいっくんは薄情なんかじゃありませんよ?」
笑って言えば、菊地が優しく目を細めた。
「誰に似たのかな? あの子も本当に素直じゃないね」
「でも、いっくんらしいって思いました。不器用で、だけど本当はとても優しい」
郁也が人と衝突することが多いのは、根が真っ直ぐだからだ。裏表がない分、ずけずけとしたきつい物言いをしてしまうので、慣れない人には誤解されてしまう。実際は照れ屋な所があったり、素直に言葉に出せないだけなのだが。
そんなところは祐二と似ていると思う。彼もまた、突き放すような物言いをするし、他人との線引きを明確にしている。しかし、祐二も郁也も一度入れた人間には、とことんまで誠意を見せる。そして絶対に見捨てない。だから真生は彼等を優しいと思うのだ。
「おはよう、真生」
すっかり菊地と話し込んでいると、夜明け前に別れた祐二が真生の両親に軽く頭を下げながら、病室に入ってきた。昨日、夕焼けが海に沈むのを見届けると、二人は病院に戻ってきたのだ。それから祐二は朝が来るまで真生の傍にいてくれた。だから、数時間ぶりの再会になる。
「おはようございます、先輩」
家に帰って、またここに戻ってきたのだから、祐二はほとんど寝ていないことになる。真生は挨拶を返しながら、彼に疲れた様子がないかを探す。しかし外見からはわからない。だから真生は祐二にこっそりと耳打ちをする。
「疲れてませんか?」
「問題ねぇよ。お前の方こそ大丈夫かよ?」
「わたしは大丈夫です」
祐二を心配したのに、逆に心配されて真生は苦笑した。祐二は真生の笑みに、片眉を上げて不満を見せたが、それはますます真生の笑いを誘っただけだった。
「さっきより力が抜けたみたいだね。いい感じだよ。真生ちゃん、そろそろ行こうか」
菊地に促されて、真生はベットから降りた。
違う部屋に移された真生は、ベットの上で麻酔の点滴を受ける。だんだんと意識が朦朧としてくる中、胸に呼び起こされるのは沢山の想い出だった。始まりは桜の下での真生の告白。祐二を笑顔にしたくて、毎日、彼の元へと通った。道化のようにふざけながら、散りばめた言葉の中に想いを隠して、伝え続けた。切なそうな表情をする彼に、唯一つの想いを伝えたかったから……。
二人は同じ想いを抱いて足掻いていた。真生は自分の病を知った時から、想い合うことは許されないと考えていた。祐二は親友の恋人を好きになった時から、伝えてはならないと自分を戒めていた。同じように切ないのなら、せめて祐二を救ってあげたかった。
そうやって過ごした日々の中で、涼や琴美と仲がよくなって、何かと言うと四人でいることが多くなった。一緒に過ごせた時間はけして長くはない。けれど本当に幸せなひと時だった。心残りは、琴美に直接謝ることができなかったことだけだ。
優しかった琴美を知っているから、きっと自分の気持ちを琴美もわかってくれる。仮に今は伝わっていなくても、いつかは絶対に伝わるはずだ。真生はそう信じていた。瞼が重くなってくると、祐二が手を握り締めてくれる。
「──頑張れよ、真生。手術が終わるの待ってる」
その声は震えを帯びていた。真生は祐二の顔を見たくて、ぼやける視界をはっきりさせようと努力する。これだけは伝えておかないといけない。真生はようやく目を揺らす祐二に焦点を合わせると、微かに微笑む。
「……先輩、お願いを聞いてくれますか?」
「なんだ? なんでも聞いてやるよ」
「わたしの手術が始まったら……病室の壁にあの絵をかけておいてください……手術が終わって……見れるように……」
「それだけでいいのか?」
「はい……お願い……できますか?」
「ちゃんとかけといてやる」
祐二の声が遠くなっていく。真生はゆっくりと呼吸した。
あの時、舞っていた桜の風景。
痛みを伴う想い出。
先輩の姿。
──その全部を、わたしは持っていきます。
祐二のことが大好きだった。だからせめて、最後に彼のためにできることをしたい。
「ありがとう……また、ね……祐二先輩」
「あぁ、またな」
頭を撫でる祐二の優しい手の感触に、真生は安心したように笑って目を閉じた。それが──「真生」としての最後の記憶だった──……。
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