第29話 side真生

 病院の外に出ると、祐二がバイクを持ってきた。赤いメットを渡された真生は、戸惑いながらも、見よう見まねで頭に被ってみる。その様子を祐二がおかしそうに笑う。


「そんなに怖々と被るなよ」


「仕方ないじゃないですか。初めてで、どうすればいいのかよくわからないんですもん」


「そんじゃあ若葉マークの真生ちゃんに、注意点を教えてやるよ。いいか、バイクを降りるまではメットを外すんじゃねぇぞ? それから、しっかりオレにしがみ付いとけ。それさえ守れば、お子様な真生でも大丈夫だ」


「先輩……わたし、先輩と一つしか年違わないんですけど?」


 あからさまな子供扱いに、真生はじっとりと半目で祐二を睨む。いつも思うのだが、実年齢よりも下の扱いを受けている気がする。何がなんでも嫌だというわけじゃないが、どうも納得いかないものを感じてしまう。


「別に本気で餓鬼だと思ってるわけじゃねぇけど、どうもなぁ……。お前童顔だから、余計にそういう扱いをしやすいというか。まぁ、気にすんなよ」


「いいですけどね……」


「不貞腐れんなって。走るからな、しっかり捕まってろよ?」

 

祐二は苦笑して、ぽんぽんとメット越しに真生の頭を軽く叩くと、バイクに乗ってアクセルを回した。ゆっくりと動き出したバイクは公道を出て、中心街へと走り出す。風の中を切るように進むのが気持ちよくて、真生は笑顔になった。


「さっきお前のお袋さん達に会って思った! いい親だな!」


「はい! わたしもそう思っています!」

 

 二人は怒鳴り合うように会話をする。そうでもしないとバイクの音に遮られて、お互いの声が届かないのだ。


「祐二先輩! 何処に行くんですか!?」


「騒がしくないとこだ!」

 

 どれだけ走っただろうか。周囲の景色は流れるように通り過ぎた。雑然とした繁華街が遠くなり、緑が増えていく。周囲の車の数が随分と減った頃、ようやくバイクが止まる。


 そこは街の中心部から南に向かった場所だった。小さな店が連なるように建っていて、通りに歩く人は誰もがのんびりと歩いている。


「こんな場所があるなんて知りませんでしたよ。先輩よく知ってましたね」


「バイクで適当に走ってた時に見つけた。ここならお前も疲れないし、店がまったくないわけじゃないから、ゆっくり見て回れるだろ?」


「祐二先輩、早く行きましょう!」


「わかったわかった、そう慌てるなよ。これだけ置いてくるからな」

 

 祐二は真生を店の端に下ろすと、バイクを引いていく。通り道には両側に小さな店が何個もあり、露店になっているところもある。車が二台通れるだけの狭い通りを猫がトタトタと急ぐことなく横断していて、平和な光景に真生もほのぼのと和む。


 通り全体をほんわかとした空気が包んでいるかのようだった。やがて、祐二が戻ってくる。


「待たせたな。それじゃあ適当に回るか」


「たくさんあるから目移りしそうですね」


「手、出せ」


「はい?」


 何か渡されるのかと、手の平を上に向けて差し出すと、祐二の手に包まれる。骨ばった大きな手は、真生の小さな手をすっぽりと覆って、優しい力で握りしめた。


「あ、あの……っ」


「行くんだろ?」


 恥ずかしさに顔を熱くして真生を、祐二は素知らぬ顔で促した。しかしその口端が吊り上っているのを真生は見逃さない。余裕な態度を見せつけられた気がして、ほんの少し悔しくなる。勝負をしているわけでもないのに、真生は意地を張るようになんでもない振りをして、祐二に手を引かれるまま歩き出す。


 ゆっくりと歩きながら、沢山の店を見た。店ではアクセサリーから食べ物まで幅広く物を売っていて、二人の目を楽しませるには十分なものだった。


 最初はぎこちなく引かれるままに歩いていた真生も、慣れてくると今度は逆に祐二をあっちへこっちへと引っ張るようになった。そんな真生に、祐二は文句を言うでもなく付いてくる。うんざりさせていないか心配で真生が後ろを振り返れば、いつだって穏やかに自分を見ている祐二と目が合う。だから真生は安心して店巡りができた。


「祐二先輩、次はこの店に入りましょう」


 何件か店を見て回った頃、真生は一際奥まった場所に、こじんまりした店を発見した。外観は全体的に焦げ茶色で、入口には黒猫と烏の置物が置かれていて、魔女でもいそうな雰囲気に、真生の好奇心が刺激された。


「やってんのか、この店?」


「扉が開いてるから大丈夫ですよ」


 照明が落とされているのか、開け放たれている両扉の奥は暗い。真生はそれに頓着せずに祐二の手を引いて、店内に足を踏み入れる。店の中に入って二人は驚いた。外観の不気味さとは異なり、店内は以外と広く、アンティークなものから可愛い小物まで所狭しと並んでいたのだ。


 お客さんも男女関係なくいるようで、入ってすぐのところで男の子がリストバンドを見ているかと思えば、レジでは、年配の女性がコーヒーカップを買っていた。


「穴場じゃないですか、もしかして?」


「大当たりだな。見ろよ、二階まであるぜ」


 奥の方に階段があって、そこからもお客さんが上り下りしている姿が見える。真生達もさっそく二階に上ってみた。そこにはバックから小物、化粧道具からピアスなどが綺麗に並べられていて、真生はそっそく見て回る。

 

 並んだ品々を流し見ていた真生は、一つの小物に目を引かれて思わず足を止める。それは、以前祐二にゲームセンターで取ってもらったやさぐれウサギにそっくりな陶器の小物で、一目で心を奪われてしまった。


「おい、まさかこれか? これが欲しいのかよ?」


「小さくて可愛いじゃないですか。あ、もしかして先輩も欲しいですか?」


「ありえねぇ……じゃなくて、お前もっと他に欲しいものないのかよ?」


「他の物でですか? たとえば?」


「だから、アクセサリーとか、指輪とか」


「うーん、嫌いじゃないですけど、今はこれの方が欲しいです。可愛いじゃないですか」


「可愛いかこれ? 人参くわえて寝ころんでるぞ? あげくに相変わらず人相も悪い」


「可愛くないですかねぇ? 不貞腐れてるみたいで微笑ましいじゃないですか。というわけで買ってきますから、ちょっと待っててくださいね!」


「あ、おいっ!」


 後ろで祐二が何か言っていた気がしたが、待たせるのも悪いだろうと真生はそれを手に取って会計まで走って行った。すんなりと代金を支払い終わり、真生は祐二の元まで戻る。


「そのくらい買ってやったぞ?」


「今日連れてきてもらってわたし凄く楽しいです。これ以上、何かして貰うのは悪いですよ」


 真生は苦笑してそう答える。


「記念だ、記念。オレはお前の彼氏なんだから、そのくらいしたっていいだろ?」


「か、彼氏って……」


 真生は思わずどもりながら、熱くなった両頬を冷やそうと手を当てる。それがよほどおかしかったのか祐二が噴き出す。


「普通そこまで照れるか?」


「照れますよ。そんないきなり言われたら。そういうのは心の準備が必要なんです」


「よく言うだろ、習うより慣れろって」


「それなんか使い方が違いませんか?」


「気のせいだろ。早く慣れろよ。オレがお前の彼氏なら、お前はオレのなんだ?」


「か…………彼女、です。……無理……恥ずかしくて心臓が止まりそうです」

 

 祐二を彼氏と呼ぶことよりも、自分を彼女だということの方が恥ずかしい。真生は羞恥心を隠しきれず蚊の鳴くような声を出す。


「死んでもらっちゃ困るからな。今のところは勘弁してやるよ。けどなぁ、オレとしちゃあ、呼び捨てで呼んでほしいんだぜ?」


 立て続けの爆弾発言に、心臓が爆発したみたいに疾走している。祐二の傍にいたら、ドキドキすることが多すぎて、その内に心臓が壊れないか心配になりそうだ。祐二の笑みに、真生はますます顔を赤くしてそう思った。





 随分時間も経ち、空腹を覚えた二人は食事をすることにした。そう遠くない場所に屋台が出ているのを祐二が見つける。昼食の時間からはずれているせいだろう、混んではいない。


 大きなパラソルの下には、テーブルが配置されていて、その場で食べられるようになっていた。真生と祐二は屋台でホットドックとサンドイッチを買うと、そこで休憩に入る。


 椅子に腰を下ろすと、真生は自分の足が随分重くなっていることに気付く。入院してから長い距離を歩くことがなかったので、運動不足になっているのかもしれない。真生が自分の足を見下ろしていることに、祐二はすぐに気づいた。


「どうした、疲れたか?」


「いえ、ちょっと自分の体力のなさを痛感していただけです」


「どういう意味だ?」


「先輩は全然元気なのに、わたしはもう足が重くなってきてるんですよ。なるべく病院内を歩くようにはしてたんですけどねぇ。……やっぱり体力が落ちてるのかなぁ?」


「そりゃあ落ちててもしかたねぇだろ。いざとなったらおぶってやるから、辛かったら正直に言えよ?」


「それじゃあ、どうしても辛くなったらお願いしますね」


 帰ろうとは言わずに、おぶると言ってくれた祐二に、真生は微笑んだ。自分だけじゃなく、祐二も一緒にいたいと思ってくれているのが堪らなく嬉しかったのだ。

 

 空腹が満たされると、二人はまたぶらぶらと店を回った。土産物を中心に置いてある店で試食をしてみたり、並べてある品物を冷やかしたりする。やはり海が近いためだろう、貝殻を使った小物が多い。真生は、飾ってあった貝殻のブレスレットを手に取って眺めてみた。


 小さな貝殻を三種類混ぜて編んであり、涼しげな装飾も派手すぎず、真生には好ましく映る。夏になった頃に身に付ければお洒落かもしれない。


 ──だけど、その時にはもう、「わたし」はいない……。


 ほんの少し切なくなって真生は目を細めると、そのブレスレットを元の場所に戻した。


「それ、気に入ったんじゃねぇのか?」


 肩越しに大きな手がにょっと伸びてきて、戻したものを掴み取る。そして、祐二は真生の目を見て、怪訝そうに問いかけた。


「いいんです。わたしには大人っぽ過ぎて似合わない気がするので」


「そんなことないと思うぜ?」


「そうですか? でももう少し、他のも見てみますね。先輩はこれなんてどうですか?」


 真生は誤魔化すように笑うと、祐二に違うブレスレットを進めてみた。それはさっきの貝殻より二回りほど大きな貝が使われている。表の鮮やかな青が、一段と目を引いた。


「へぇ……こういうのもあるんだな」


 祐二は感心したようにそう呟いて、青いブレスレットを手に取る。関心が自分から逸れたことに真生は安堵した。せっかく遊びに来ているのだから、祐二に余計な気を使わせたくない。なにより今日という日を楽しまなければ損だろう。真生はそう思い直し、今度は彼の買い物に付き合うことにした。


 祐二は結局真生が進めたものが気に入ったらしい。会計を済ませると、二人は店を出る。外に出ると、太陽が赤く染まっていた。蒼かった空には、奇麗な絵の具を水に落としたように、滲むような色が空一面に広がっている。


「先輩……」


「そうだな……移動するぞ」

 

 真生がすべてを言い出す前に、同じように空を見上げていた祐二はわかっているというように頷いてみせた。そうしてバイクを持ってくると、真生を乗せて走りだす。真生は彼の腰に捕まる腕に力を込めた。


 ──先輩が前を向いていてくれてよかった。こんな顔見せられないよ……。


 擦り切れそうな切なさに目を瞑り、ただ祐二から伝わる鼓動だけを感じる。太陽が一日の始まりと共に生まれ、一日の終わりと共に帰っていくのなら、記憶を失った自分はどこへ還るのだろうか。


 海を遮る防波堤の前でバイクが止まる。行きたい場所を聞かれて、真生が答えたのはここだったのだ。下は砂浜があり、防波堤の前からは燃えるように赤く染まった海が一望できる。


 真生と祐二はバイクから降りて、海の向こうに消えてゆく夕焼けを見つめた。空の色を引き連れて太陽が沈んでゆく。時間が、こんなに惜しいと思ったことはなかった。


「真生、これやるよ」


 祐二が差し出したものを見て、真生は一瞬、息を詰まらせるくらいに驚いた。彼の手の中にあったのは、買うのを止めてしまったあのブレスレットだった。


「祐二先輩、いつの間に買ったんですか?」


 真生はなんだか泣きたい気分になってそう聞いた。


「オレのを買った時にな。お前がそれを買わなかったのは、買っても意味がないって思ったからだろ?」


「……そうです。だから、今のわたしが貰っても……」


 真生は差し出されているものを受け取れないまま、俯いた。祐二はブレスレットを差し出しながら、反対の手で苛立たし気に頭を掻く。


「あのな、お前はたしかにもうすぐ消えちまう存在なのかもしれない。けどよ、だからって、今、オレの前にいるお前が意味のないものなんてことはないんだぜ? 真生は今日一日をどう思った?」


「……楽しかったです。一秒一秒の時間さえ、惜しかったくらいに」


「オレも同じ気持ちだった。こんなに時間が止まればいいと思ったことはねぇよ。けどよ、そう思うのは、惜しいと思えるくらいに、一緒に過ごした時間が幸せだったってことだ。それだけで意味はあると思わねぇか?」

 

 優しい声と祐二の目を見たら、もう駄目だった。今日だけは最後まで笑っていようと決めていたのに、高ぶった気持ちは素直に涙になって溢れる。


「すみま、せんっ。こんな風に泣くつもり、なかったのにっ。最後くらいっ、ちゃんとしようって、思ってたのに」


「オレも笑うから、真生も笑ってくれよ」


「は、い……っ」


 真生は笑おうと努力した。口端を持ち上げて、目を細めた。擦った目元は紅くなっているだろうし、頬も震えている。それでも真生は泣きながら笑った。祐二も泣きそうな顔でくしゃりと笑う。その顔も、けして笑顔とは呼べないものだ。それでも、それが真生達の精一杯の笑顔だった。祐二にきつく抱きしめられて、真生は嗚咽を堪える。


「約束、しようぜ。夏になったら二人でこれを着けて海に行こう。秋と冬は一緒に越えて、思い出をたくさん作る。それで春になったら、また一緒に桜を見よう……」


「約束……です」


 その一言に尽きることのない想いを込めた。


 ──どうかお願いです。記憶は残らなくてもいい。だけど、わたしの想いを、ほんの一欠けらでいいですから、残してください……。


 神様がいるのなら、最後の願いをどうか叶えて欲しい。この想いが一滴でも残るなら、それだけで自分は笑っていけるから。祐二の腕の中で、真生はただそれだけを願った。

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