第27話 side祐二

 同じ頃、祐二は学校の屋上から真生のいる病院を見つめていた。どうしても彼女のことが気になって、授業を抜け出してきたのだ。


「真生は今、何をしてる?」


 祐二は真生に問いかけるように、一人呟いた。無理はしていないだろうか。

 苦しんでいないだろうか。笑って、いるだろうか。心配で胸が埋め尽くされて、今すぐ飛んでいきたくなる。


 しかし、真生との約束を祐二は忘れてはいなかった。焦れてくるが、今はまだ学校にいるしかない。

 

 ──頼むから早く終わってくれ……。

 

 願うのはそれだけだ。そんなことを本気で願っている自分がなんだか情けなくて、祐二は手摺に背を預けると、内ポケットから煙草を出した。蓋を開けてライターの火を当てる。煙草が赤く灯ると、深く息を吸い込んでじっくりと味わう。


 真生の病院に行くようになってから、煙草を吸う回数は確実に減ったが、こんな気分の時は無性に吸いたくなる。煙草で気をまぎわらせていると、祐二の正面にあった屋上の扉がゆっくりと開いた。


「あんたか……」


「お前か……」


 言葉は同時だった。二人の間になんとも言えない沈黙が満ちる。郁也はそのまま出ていくことをせず、屋上の端へ行く。祐二は煙草を口元に持っていきながら、その背中に話しかけてみた。


「真生から聞いた。あいつにオレと話し合うように言ってくれたのは、お前だってな。悪かったな、迷惑かけちまって」


「別に。オレが動いたのは相手があいつだったからだ。あんたのためじゃない」


 その言葉で、郁也がどれだけ幼馴染を大事にしているかがわかる。素気ない言い方にはカチンとくるものがあったが、全面的な非は明らかにこっちにあるのだからと、祐二は言い返さなかった。


「そんなことよりも、あんた、あいつに毎日会いに行ってんだろ? 前はあんだけ真生のことを泣かせてたくせによ」


「自分がしてきたことに、気づいたからな。それでめちゃくちゃ後悔したから、今度こそ真生を大事にしてぇだけだ」


「それで償ってるつもりかよ?」


「そういうわけじゃねぇよ。真生を好きだと気付いたから、想う通りにしてるだけだ」


 祐二は煙草を落として消すと、郁也の鋭い目を真っ直ぐに見返した。


「……ぎりぎり合格にしといてやる」


 祐二はその言葉に、自分が彼女の幼馴染に試されていたことを知る。しかし、それだけのことをしたのだと思えば、別に腹も立たなかった。


「もし、あいつをまた泣かせやがったら、その時は容赦しねぇ、あんたをぶっ飛ばすからな。覚悟しとけよ」


「肝に銘じとくさ。まぁ、そんなことはもうねぇだろうがな」


「そうであることを願う」


 そっぽを向いた郁也の語彙の荒さに、祐二は違和感を覚えた。


 ──こいつ……。


「お前、もしかして真生のことを──」


 それは、ほとんど直感だった。


「……さぁね」


 用は済んだとばかりに郁也が背を向ける。肯定も否定もされなかったことが答えだった。祐二は閉ざされた扉を見つめる。


「オレは二度と間違えねぇよ」


 人気のなくなった屋上に、祐二の声が静かに落ちて消えた。



 祐二は手摺に寄り掛かるのを止めて、屋上を出た。次の授業を受けるつもりで階段を下っていると、声が聞こてくる。


「……しは……行き…い」


「そんなこと……かい……の……」


 階段の手摺から下を見下ろせば、人気のない踊り場で涼と琴美が言い争っている。琴美が泣きそうに顔を歪めており、それに対して涼は険しい表情を崩さず、彼女の手首を逃さないように握りしめていた。


 ここ最近、二人の雰囲気がおかしいことは、傍で見ている側にはすぐにわかった。だが祐二はあえて聞くことはしなかった。今の自分にとって一番気にかけるべき相手は、琴美ではない。真生なのだ。なによりも、それ以外に気を払う余裕がなかったせいもある。


「──行きたくないの!」


 そう叫んだ琴美が涼の手を振り払い、走り去ってしまう。静寂が包む中、涼が深く溜息を吐いて俯いたのが見えて、祐二は階段を下る。


「琴美が言ってたのは、真生の見舞いの件なのか?」


「そうなんだよね。どうしてなのか聞いても言わないんだ。ただ行きたくないって繰り返すばかりで、ほんと、参ったよ……」

 

 涼は項垂れてしゃがみ込むと、苦く言う。


「黙ってたことを怒ってるんじゃねぇか?」


「それはないよ。そのことはちゃんと話して納得してもらった」


「なら、なんでだよ?」


「わかればとっくに連れて行ってるって。……でも、オレが必ず連れてくから。絶対に真生ちゃんの手術までには」

 

 その目には強い意志があった。このまま真生に会わないまま別れれば、琴美はいずれ必ず後悔することになる。それを二人はわかっていた。


「オレは口出さねぇから、ちゃんと連れてこいよ」


 祐二は涼の意思を尊重して、それ以上は言わなかった。


「責任重大だわ。でも祐二くんが期待してくれてるんですもの、応えて見せるわよ! ってことで、祐二はこの後どうするの?」


 涼はふざけた口調で立ち上がり、呆れた顔をした祐二に笑いかけてくる。もうすっかりいつもの涼だ。


「教室戻るわ」


「そっか、オレは琴美が行きそうな場所を探してみるよ。たぶん教室には戻ってないだろうからさ」


 そこで二人は左右に別れて、それぞれの目的のために歩き出した。





 教室の近くまで来た頃、正面から教師が歩いてくるのが見えた。数学教師の笹枝だ。祐二は面倒な奴に見つかったと、身を隠す場所を探す。直接関わったことはないが、笹枝にはきな臭い噂が多数ある。


 しかし、運の悪いことに隠れることができそうな教室は周囲にない。祐二は潔く諦めて、真っ直ぐに前を見て歩いた。咎められようが無視すればいい。そう、開き直っていたのだ。案の定声を掛けられる。


「……今は授業中のはずだがな?」


「それなら、あんたはその授業中に何処へ行って来たんだ?」


 祐二の目には、笹枝の手に握られた車の鍵がしっかりと見えていた。咎められるならお互い様だと、自分より頭一つ分高い相手の顔を睨む。


「知りあいが気になって、見舞いに行ってきたところだ」


「へぇ……奇遇だな。オレもある奴が気になって、授業どころじゃねぇんだわ」


 その言葉に笹枝が驚いた表情をする。


「そうか、お前が……」


「なんだよ?」


 勝手に何かを納得したように頷かれても、祐二にはさっぱり意味がわからない。訝しんでいると笹枝に強引に襟首を掴まれて連れて行かれそうになる。冗談ではない。祐二は抵抗しようとした。しかしその気配を察したのか、笹枝が思いもかけないことを口にした。


「河野真生、知ってるな?」


「なんでそれ……あんたが見舞ったのって、まさか真生のことかっ?」


「そうだ。だからお前とちょっと話がしたいだけだ。別に説教するつもりはないから、暴れずに付いて来い」


 祐二は迷ったが、その言葉に大人しく従った。連れて行かれたのは数学準備室と書かれた部屋だった。主要教室とは離れた場所にそんなところがあるのなんて、祐二は全く知らなかった。


 中に入ると、ソファに座るように言われて祐二は腰を下ろした。笹枝はデスク脇の椅子を引いて座り、話を切り出した。


「オレと河野に関わりがあるのが、そんなに不思議か?」


「不思議じゃねぇ方がおかしいだろうが! あんたと真生に接点なんかないだろ? 見舞いに行くほど親しいのかよ?」


「行こうと思うくらいには親しいかもな」


「……どういうつもりだ? なんでオレをここに連れて来た」


 祐二は笹枝に警戒心を露にする。何を考えているのか、相手の表情からは読めない。しかしその言葉が何かを含んだように聞こえるのは、気のせいではないはずだ。


「オレは教師の中で唯一あの子の病気を知る者だった。だから河野は調子が悪い時や、出れない授業の時にここへ来ていたのさ。この場所を提供して、オレはあの子が隠れる手伝いをしていたんだ」


 淡々と語られた言葉に祐二は息を飲んだ。よく考えればわかりそうなことだった。病に冒されたいた彼女が誰にも知られない様に行動するためには、絶対に協力者が不可欠である。彼女の幼馴染だけでは、これだけ綺麗に隠せるはずもなかったのだ。


「お前がどう思っているかは知らんがな、あんな風に、幸せだと儚く笑わせたまま、あの子をいかせるなよ」


 笹枝の目は、祐二を通して誰かを見ているようだった。


「あんたは、何を知ってるんだ?」


「お前が知っている以上のことは、何も知りはせんさ。後悔することのないようにな」


「……オレは、後悔しない。これ以上の後悔なんて要らねぇんだよ」


 その深く重い言葉に、祐二は奥歯をきつく噛みしめて答えた。


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