第22話 side真生

「心配させて、迷惑もたくさんかけて、わたしのせいで周りが苦しんでるのも知ってて……わかってて、それを口にするのは単なる我儘ですよ」


 真生は祐二の胸を押して、離れようとした。一度でも泣き言を口にしてしまえば、そこから全部が崩れてしまいそうで怖かったのだ。つぎはぎだらけの心は破けるたびに、何度も悲鳴を上げている。それでもこの苦しみだけは、自分が背負わなければいけないものだから。


「わたしなら、大丈夫です」


 真生が呟くように言うと、祐二が離すまいとするかのように、腕の力をきつくする。


「苦しい時に苦しいって言うことのどこが我儘なんだ? 我慢して、何も言わずに笑顔で隠されて、お前の本当の気持ちに気付けねぇほうが、オレには辛れぇよ」


 誰にも言えずに我慢してきた気持ちが、祐二の言葉で弾けてしまう。


「全部をわかってはやれねぇかもしれない。けどお前のことをわかりたいって思うから。だから口に出して言ってほしい。オレにも伝わるように」


 祐二の声に込められた切ない願いに、真生は心に隠し続けていたものを震えながら吐き出した。


「……病気の、告知を受けた日から、眠れなくなりました。眠ったらそのまま目が覚めないんじゃないかって思うと、怖くて……何度も眠れないまま朝を迎えました」


 朝がくるたびに、今日も生きられるのかと思い。

 夜が来るたびに、明日は来るのだろうかと思う。


 長くなった夜と無情に朝を迎える日々に、気が狂ってしまいそうだった。


「普通に学校へ行くこともできる。わたしの手も、足も、普通に動くのにって思うと、自分が病気であることが夢みたいで、時々勘違いしそうになるんです。少しも変わっていないんじゃないかって」


 だが、いくら普通の高校生の振りをしても、現実は違う。受けられない授業や、激痛に苦しむたびに思い知るのだ。どんなに求めても、自分が、もう元には戻らないことを。暗い穴から抜け出せない。そんな絶望に、ただ苦しかった。いっそ手術を受けないままでいようかとも思った。受けてしまえばそこで自分は消えてしまうが、受けなければ後三年は生きられるはずだからと。


「馬鹿ですよね。自分だけが辛くて、わたしだけが苦しいんだって思っていたんですよ。両親はわたし以上に苦しんでいたのに」

 

 生かしたいのに、生かしてやる術がない。代わりたくても、代わってやれない。

 両親のその声を聞いた時、真生は自分が恥ずかしくなった。一人よがりに苦しんでいた。自分だけが辛いなんてそんなこと、あるはずがないのに。


 記憶を失えば、真生の苦しみはそこで途絶えるが、忘れられた周囲はその後もずっとその苦しみが続いていくのだ。それがわかったから、手術を受ける決心がついたのだ。


「だからわたしは先輩に告白したんです。好きな人のためにこの時間を使いたかった。そして、できることなら、記憶の片隅でいいから、わたしを覚えていてほしかった……」


「断ったのに、『諦めない』なんて答えた奴は初めてだったな」


 祐二の穏やかな声が耳に響く。腕が緩められて、真生は祐二の顔を見上げて、切なさを堪えて笑ってみせる。


「先輩に、もっと外の世界を見せてあげたかった。世界は苦しいばかりじゃないって、教えてあげたかった。苦しそうな目であの人を追っている、そんな先輩を見ているのは胸が痛かったから」


 自分を見てくれなくても、大事な人が苦しまないのならそれでいいと思ったのだ。それが、いずれ離れる自分ができる唯一のことだった。


「違う世界に目を向けるなら、オレは一人でも他の誰かでもなくて、真生と一緒に見てぇよ。お前と同じものを見て、同じものを感じて、幸せも苦しみも分け合うように、一緒に歩きたい。それじゃあ、駄目か?」


 自分にはけして向けられることなどないと思っていた祐二の熱の籠った眼差しに、心が大きく波打つ。


「オレが好きだと言うのなら離れていくな。オレのためだと言うのなら傍にいてくれ。勝手に全部決めて消えることを選ぶなよ」


 祐二の眼差しに込められた激情に、心が震えた。気持ちのたがが外れてしまったように、次から次へと想いが溢れてくる。


「忘れたくないなぁ……っ、先輩の全部を覚えていたいよ!」


 無理だと知っていても、そう願ってしまう自分に、真生は涙を浮かべた顔でやるせなく笑った。涙が止まらなかった。


「お前が忘れても、オレが全部覚えとく。そんで、お前に教えてやるよ。オレの心がどんな風に変わり、お前を想うようになったのかも。お前がどれだけ真っ直ぐに、オレを想ってくれたかも」


 祐二の想いが嬉しくて、忘れることが切なくて、真生の胸は引き裂かれたように痛んだ。なんて幸せなんだろうと思う。それとは逆に、なんて苦しいのだろうとも思う。恋をしたら幸せになれるなんて嘘だ。手放せないくらいに溺れてしまえば、苦しむのに、それさえも手放せなくなるのだ。


「せん、ぱい、わたし、祐二先輩を忘れてしまうけど、貴方をずっと好きでいても、いいですか……っ?」


 子供のようにぽろぽろと泣きながら、真生は小さな声で尋ねた。祐二は、今まで見たことがないような愛しそうな笑みを浮かべて、真生の身体をぎゅっと抱きしめた。


「好きだぜ、真生。お前の想いをオレの中に刻んでくれよ。オレも、お前の心に残るくらい強く想いを刻むから」


 真生は祐二の背中に両手を回すと、涙に濡れた頬に幸せそうな笑みを浮かべた。

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