須藤道場の乱

ある日のケンカ

第60話 ある日のケンカ 1/1


 放課後、俺はタキシードでヴァイオリンを弾いていた。ウソだ。普通に六人でダベっていた。

 場所はいつものジョナサン。俺たちはいったい今までジョナサンにいくら貢いだんだろうな。

「貴様ら、次はこれを見てくれ。猫に異常に懐くネズミがめちゃめちゃキュートなんだ」

 そう言って氷雨がスマホをみんなに見せる。さっきから三十分くらいアニマル動画の鑑賞会が続いている。

「俺はさっきの、バイクに乗せられて風になりながらバタ足する犬が好きだったな」太一言う。

「わたしはティッシュ箱に入ってる猫ちゃん。テルくんは?」

「僕は回りながらエサを食べてるこいぬたちかな」

 みんな、動物好きなとこをアピールして「自分優しい人間ですから」みたいな雰囲気を演出している。まあ氷雨が動物好きなのはもはや周知の事実なんだが。

 あと、気付いたら鏡花がテルの事をテルくんって呼んでるな。ちなみに前までは湯本くんだった。テル、侮れんな。

 そこで気付く。凛子のやつが心ここにあらずって顔してるな。視点が微妙にあってない。そう思ってみると、さっきから生返事ばかりだったな。

「どうした凛子。生理か?」

 ツッコまれるのを待つ。

「え、ああ、そんなかんじ」

 凛子はそう言って、またぼけーっとした顔をしている。最近切った髪を指でくるくるして完全に自閉モードだ。

「ん? 凛子、お前大丈夫か?」太一が顔を上げる。

「何でもない。気にしないで」

「りんりん。心配して欲しくないならそんな顔をするな。いやでも心配してしまうじゃないか」氷雨言う。

「分かった。そうするね」

 うーん、心閉ざしてるな。まあいいか。そんな日もあるだろう。俺はほっとこうと思っていたが、氷雨はお節介が焼きたいらしい。

「悩みでもあるのか? それならベストフレンドの私に相談してくれ。ダイエットなら運動すると良い。金欠ならバイトすると良い」

「碓氷、そのアドバイスおかしいから」太一ツッコむ。

「ほんと、気にしないで。ありがと、さめさめ」

「凛子。何かあったらいつでも聞くから」鏡花が心配そうに笑う。

「凛子。ナニが欲しいならいつでも挿入いれるから」俺言う。

「お、俺もオッケーだから」

 太一、微妙にアピールしてきたな。二ミリくらいは成長したようだ。

「もう、分かったってばっ」

 凛子のやつ、めんどくさくなって、ちょっと態度悪いな。だが友だち初心者の氷雨は気付かない。

「りんりん、私も苦しいがにーきゅっぱまでなら出せる。ん、ええい、ままよっ! さんきゅっぱだ。親友価格だぞ。今さり気なく親友って言ったけど別にいいよね? し、親友だよね?」

 氷雨、相変わらず友だちって単語に弱いな。

「………、はぁ」

 無視か。場の雰囲気が微妙に凍る。何があったか知らんが、この態度は注意せねばならんな。そう思っている間にも、氷雨のマシンガントークは止まらない。

「す、すまない。親友はさすがに早すぎたよね。じゃ、じゃあさ、じゃありんりんの中で私は何番目くらいに…」

「ちっ、うるさいってばっ!」

 舌打ちした凛子が大声を出して拳で机を叩く。氷雨の顔が、いったん引きつり、そして張り付けたような半笑いになる。

「ごめん。気に障ってしまったか。でもりんりん、なんかイライラしていないか? 親友じゃないかもしれないけど、友だちじゃないか。私にできる事があるなら…」

「う、碓氷っ、ちょっと…」

 止めようとした太一の声に被せるように、凛子が声を荒げる。

「ねえウスイさん、友だちだって、誰が言ったの?」

 冷たい、コトバ。傷付いた顔をした氷雨が唇の端を噛む。

「凛子っ! 今のはヒドイよ、氷雨さんに謝れっ!」

 テルが立ち上がって凛子を睨む。

「なに? 私なんか間違ったこと言った?」

「いい加減にしろ」テルの顔も本気になる。

「お、落ち着いてよ。ケンカはダメ。まず凛子、碓氷さんに謝ろ? ね?」

 鏡花がフォローする。が、もともと怒りの沸点が低い凛子はもう落としどころが見つからない。

「だいたいさ、あんたたちも何なの? 友だちごっこみたいに庇い合ってさ。まあ一番友だちごっこなのは、さっきからマジウザいウスイさんなんだけど」

「くっ…」

 氷雨の頬を涙が滑り落ちる。それでも健気に顔を笑顔にして凛子を見つめる。

「りんりんごめんね。私、ずっと友だちいなかったから、何がりんりんを怒らせたのか良く分からないんだ。だから言ってくれれば私も気を付ける。りんりんが…」

「りんりんりんりんウルサイっ! 何なのあんた、言っとくけどね、私はあんたなんて友だちだとおもっ…」

 パンっ!

 鏡花が凛子の頬を叩く。あっけにとられたような顔をした凛子が、次の瞬間、きっ、と鏡花を睨みつける。

「なんなの鏡花、私よりさめさめをとるの? どっちと友だちって言ったら私でしょ?」

 その時、店中に響くような大音声で太一が怒鳴る。

「凛子っ!!!」

 圧倒的な声の爆弾。店内が無音になり、誰も物音を立てようとしない。さすがの凛子も固まったようになり、ばつの悪そうな顔で斜めを見る。

 たぶん、俺たちにとって初めての、この痛いほどの沈黙。

 ずっと黙っていた俺だったが、声を落とし、凛子に話しかける。

「凛子。ただの癇癪なら許す。だが、何かに悩んでいるなら、それを話さないのは『友だち』として許さない」

「うるさぃ」

 凛子の声が小さい。俺は構わず続きを話す。

「氷雨はまだ踏み込む時と待つ時の区別がつかん。空気も読めん。それはお前も知っているだろう。お前の胸の内で、もう後悔があるのは分かっている。素直に言えなくていい。だけどお前の大切な友だちの氷雨をこのままの気持ちでいさせるな」

 凛子は自分の胸元を見て、ぽつりと言った。

「ごめん。さめさめ…」

「ううん」

 ううん、と言った氷雨の涙はまだ止まらない。流れてしまう涙。見ていると俺まで苦しかったが、今は凛子だ。

「話せるか?」

 そう言った瞬間、凛子も涙を流した。喉をしゃくり、声を震わせ、手首で目を覆う。

「みんな、みんなあ! 私もう、ダメかもしんない!」


 凛子の話はこうだった。

 凛子の家は、古い武芸家の一族だ。そして跡取りとなる男児はいない。道場の師範である凛子の父親の跡取りは凛子と、まだ幼い妹の柊子しゅうこのみ。

 そこに後継者争いが勃発した。

 師範代筆頭の若き秀英、志木しき将之まさゆきという男が、凛子に勝負を仕掛けた。

 勝てば凛子と婚姻。負ければ道場を去るという。

 凛子は悩んだ。志木は嫌いではない。尊敬もしている。だが結婚は考えたこともない。父親の永琳えいりんもその気持ちは知っている。しかし代々永く存続してきた道場を自分の代では潰せぬ。道場主として、父親として、悩む日々が続いた。

 結局は、半ば押し切られる形で決闘の日付が決まった。

 六日後。日曜。時刻は午後二時。

 凛子は、そんな話を、目を涙で曇らせながら語った。

「………」

「………」

「………」

 凛子が口をつぐむ。五人は何も言えない。

 そこに…。

「試合形式は、一対一か?」

 氷雨が口を開く。

「ううん。五対五で先に三勝した方の勝ち。うちの道場が、下らない争いのために分かれて戦うんだ」

「見込みは?」

「勝てない。私は志木さんに勝った事ないし、志木さんの味方をする門下生も、私に味方してくれる人たちより強いんだ…」

「私が出る」

「!?」

 みなが息を呑む。

 だが氷雨は言う。

「私が出る。絶対に敗北などしない! 碓氷の名の全てに賭けて、ここに誓おう」

「さめさめ、ダメだって!」

「ダメじゃないっ! 何かしたいんだ! 大切な、大切なりんりんのために、私ができる事をしたいんだっ!!!」

「やめてよ、もう…」

 凛子が涙声を漏らす。

「そんな理由じゃ、俺が出ない訳にはいかないよな」

 うっすら、余裕すら感じる笑顔で、太一が名乗りを上げる。

「太一…」

「俺さ、凛子のためなら死んでもいいよ」

 バカだこいつ。こんなところで、凛子は今と自分に精一杯な時に、響かないタイミングで、最高の殺し文句使いやがって。

「俺も出よう。妻の危機は俺の危機だ。まあ冗談はともかく、大船に乗った気でいろ。つまらん事で一人で悩みやがって。そんなに俺たちは頼りないか?」

「ダメだって、そんなん無理だって。そんな事で仲間発揮しないでよ、私の問題だから」

『仲間だからっ!!!』

 五人で叫ぶ。店の中でも、世界中でも言える。

 俺たちは、仲間だから。

「僕と鏡花さんは見守ってるよ。でも、心は一つだ」

 テルが言う。

「凛子。凛子の思うままに進めばいい。そのための仲間なんだから」

 鏡花が微笑む。

「りんりん」

「ん?」

「大丈夫。私が凛子を、守ってあげる」

 氷雨の笑顔と、つられて笑う凛子の笑顔。

 神さま。そんなやつがいるのなら、こんな純粋な願いを、叶えてやってくれないか。

 氷雨の勇気。凛子の涙。俺たちの想いが、あんたに届くように。

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