第40話 夏空 2/2
「わーい、将くん。会えてうれしいよん。なんでみんな疲れてるのん?」
海の街で列車を降り、そこからバスで別荘近くまで行き、そこから更に徒歩で二十分ほど進むと、豪奢な門の前で麗美が俺たちを出迎えてくれた。
広い駐車スペースの奥には白壁の大きな建物。周りには背の高い木々が林立し、野鳥のさえずりが遠く聞こえる。庭にはプールとバーベキュースペースまである。
さすがはタレントで、しかも上流階級の生まれ。お嬢様なのだと改めて思う。
「今日からよろしく頼む。テンション上がり過ぎて俺たちはもう満身創痍だが、知っての通り俺はスタミナお化けだ。何でも頼め。まず何をすればいい?」
「うーん。ちょうど今お昼時だよね。とりあえずさ、部屋に荷物置いて来て。みんなでご飯食べよ」
「うむ。了解した。あとすまんが風呂を貸してくれ。凛子がまたゲロりやがってすっぱい匂いを身にまとっているのでな。俺も汗を流したいから麗美と氷雨も一緒に入ればいい」
「おい、勝手にハーレムルートに突入するな。まだ日常パートだぞ」太一がエロゲーっぽいツッコミを入れる。
「うるさい。お前は昼間っからオリンピックでも見て切ない夏を満喫してろ」
「ぼ、僕もちょっと汗かいちゃって…」テルがはにかむ。可愛いフリをしているが奴の心は
「テルくんやらしー。麗美がっかり。きゅるるん!」
「無駄に萌えぇーーー!」テルが絶叫する。
「湯本はエッチだな。きゅるるん!」氷雨がマネをする。
「シビリアンコントロールじゃないですかっーーー!」テルが吐血する。
「シビリアンって…。将、今のテルのセリフ、どういう意味だ?」太一が俺を見る。
「ギリシャ語で、おじいちゃんのいやらしいあえぎ声と言う意味だ」
「絶対違うだろ」
「誰か…、水、み、水をください…」
気がつけば凛子は瀕死だった。
んで、午後。
「そんな訳でな、俺は石原さとみからラインが来る間柄なのだ」
「それは公式アカウントだと思うのん」
「二人ともいいから、早く給水しないと」
「しかしなあ、ああも大っぴらに警戒されていたのでは打つ手がないぞ」
昼飯を食い、さあ仕事だと思っていたが、麗美は今日、外出の予定がないらしい。
そこで、別荘の内外の下見をしていた筈だったのだが、いつの間にか水鉄砲対決になっている。
チームは俺とテルと麗美。太一、凛子、氷雨に分かれている。
給水はプールからのみなので、タイミングが肝心だ。
太一が遊びのくせして軍師気取りで布陣を敷くものだから、俺たちはなかなかプールに近づけない。
「よし。こちらも計略を使うぞ。まずテル。お前はゴキブリのフリをしながらプールに近づけ。お前が集中砲火されているうちに俺と麗美が給水する」
「ただのいけにえじゃないか」
「テルくんのちょっといいとこ見ってみたい~♪ テルくん、ガンバルンバ!」
「おおおぉ、ゴッド・ラムウゥゥゥー!」テル、やっぱりこいつも男だな。あこぎだと分かっていても、ぶっちゃけ麗美は規格外の可愛さだ。
「良し行くぞ。行け、ひびき洸!」
「らあーいディーン!」
アホが突撃する。
凛子と太一が射線をテルに集める。後方側面に氷雨が陣取り俺たちの接近を警戒している。
くそ、太一のやつ、遊びに本気になっちゃってるパターンだな。テルがなす術もなく顔射されまくっている。
「麗美、俺も援護に回る。お前は陽動の後、給水したらすぐに屋敷の裏まで後退だ。追ってくる敵を釘付けにしろ」
俺は迂回して氷雨の横合いからスニーキングで近づいていく。
その時麗美が動いた。一直線に太一と凛子に向かっていき連続射撃! 太一が後退したスキにテルが立て直す。
「ふざけんなぁ! まとめてぶっ潰してやる」
闘争心の塊みたいな凛子が仁王立ちで麗美と打ち合う。
いいぞ、その調子だ。やつらが争えば争うほど、二人の服は水に濡れ透けていく。本来ならこのスキに俺もテルも給水しなければならないのだが、そんな余裕は俺たちにない。太一の手も止まる。濡れろ、濡れまくってしまえ。
男子たちの心は一つだ。頑張れ、凛子。頑張れ、麗美。キャットファイトは女の花道だ。
「ダーリン、スキありだっ!」
なにっ、しまった。目の前の聖戦に集中し過ぎて氷雨の接近に気付かなかった。
「ま、待て氷雨。話し合おう」
「ダメだ。他の女をエロい目で見ていた報いを受けるがいい。氷雨・ジャスティス・ドロップキック!」
「おい、打撃してくんじゃねえ」
氷雨の蹴りによって俺はプールに突き落とされる。
「お、ばばばばばまあ。ぶふぁ、と、ととととらんぷ、た、たすけ…」
一つ、良い事を教えてやろう。俺は水に濡れると女の子になってしまうのだ。ウソだ。俺は泳げん。
「ダ、ダーリン?」
「将くん、落ち着いてっ」
氷雨と麗美の声が遠く聞こえる。
水中から見上げた空は夏の色に包まれて、見知らぬ綺麗な女の人が俺を手招きしていた。
ん? ここはどこなのだ? 俺はベッドで寝ていたらしい。
外が暗いな、夜なのか。
立ち上がり、部屋の窓に近づく。ふむ。やはりもう日が落ちているようだ。窓の外には庭の照明が淡く光を放っており、西空は薄闇に包まれている。
ここは、男部屋のようだな。見覚えのある部屋の隅に、俺たち三人分の荷物が置いてある。
そうだった。俺はプールで溺れたんだった。とにかくもう身体は問題ない。みなと合流したいがこの屋敷の広さだ。リビングルームはどこだったかな。
その時、部屋の扉が開いた。
「あ、将くん。起きたんだ」
「ああ。麗美、心配をかけたな。もう大丈夫だ」
麗美が近づいて来て、俺の前で、ふわっと、風のように笑った。
「将くん。泳げないなんて、情けないぞ」
「うむ。俺の数少ない欠点の一つだ」
「みんな心配してたよ。私も、心配だった」
麗美が歩み寄って来て、すっと手のひらで俺の頬を撫でる。
「み、みなの所へ行かねばな。あ、案内してくれるか」
くそ、ドキドキするな。俺には氷雨がいるのだ。そうは思っても、こんなにも可愛くて、おまけに芸能人、しかも、今この部屋には二人しかいない。
部屋は暗く、影になった麗美の顔が、真剣な目で下から俺を見上げる。
「二人っきりだね」
「そ、それがどうした」
「どうして、将くんには、カノジョがいるのかな…」
麗美が視線を落とす。可愛い。可愛いと思って何が悪いんだ。これが可愛くなかったら何が可愛いと言うんだ。だが。
「麗美。ズルいぞ。誘惑するな。俺には氷雨がいる」
何とか、精一杯の理性で押しとどめた。
「うん。ズルはしない。将くんの事、ほんとにほんとに大好きだから、将くんが困ることしない。でも、貴方が、私だけを見てくれたらって、そう思うよ。そしたらもう、何もいらない」
「い、意味が分からん。お前は芸能人で、おまけに飛び切り可愛いではないか。それがどうして俺なのだ。だいたい、俺とお前の接点を俺は覚えていない。それなのに…」
麗美が、濡れたように光る、きらきらとした瞳で俺を見つめ、そして口にする。
「二年前。こんな夏だった。私はもう死にたくて、どうでもよくて、諦めていた。家が裕福だからって、そのくせ本人はブスで性格も悪いってイジメられていて、毎日、本当に、ぎりぎりだった。私は死にたいって思いながら生きたくて。でもきっと、私は生きていたら死にたいし、死ぬって思いながら生きたかった。でもね、私の葛藤も小ささも、将くんの言葉が全部ふっ飛ばしてくれた。覚えてる? 私は一語一句覚えているよ。
『俺は頑張っている奴が好きだ。恰好悪くていい。悪くて何が悪い。お前の頑張りを笑う奴がいるなら、そんな奴らは俺が何とかしてやる。人がなぜ頑張れるか知っているか、それは、頑張ったらその分だけ自分を好きになれるからだ』ってね。初めてだった。真っ直ぐ見る目が、あんなに美しいって、初めて思った。整形して、私は綺麗になったよ。憧れていた、芸能人にだってなれた。でもね、そんなのはどうでも良かったの。愛しい人に、愛しいと思って欲しかった。私頑張ったんだよ。変わりたくて、頑張った。なのにどうして、少しも満たされないんだろう…」
俺は思い出していた。そうだ。そう、夏の夜だった。
俺はまだ中学生で、冴えない女が、悪意の権化のような集団に囲まれていた。
可哀想だったんじゃない。負けないように、折れないように、目の奥に光をたたえた女を放っておけなかった。あれが、麗美だったのか。
「思い出した。あれがお前だったのだな。見違えた。見た目がじゃない。心を強く鍛えたのだな」
「苦しいよ。愛しいよ。こんな、この気持ち、どうすればいいの…」
麗美が両手で顔を覆った。
どうして、人は一人の人しか愛してはいけないんだろう。
こんなにも報われない、強い、そして、本当は弱い普通の女が、喉をしゃくり、泣いていた。
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